自分の名前を売り込むことが上手だったり、お金儲けが上手な人間が、才人としてもてはやされる世の中だからこそ、石山修武がやったように、忘れられた「現代の職人」を見つけて、世に紹介する仕事が貴重になってくる。
隠居宣言して不義理を極める覚悟をしてから、徐々に暇になってきて、体力も回復してきた。
このところホームセンターづいて、今日も三郷のスーパービバホームへ。
本棚のオイルフィニッシュ用純正荏油(多分国産)と、美濃和紙の耳付き名刺台紙(もちろん国産)を購入。
ホームセンターは良いのだが、安価で粗悪な中国製の商品のオンパレードという状況が悲しい。
個人的には食料品でも何でもなるべく日本製品を買うようにしているのだが、そんな個人の儚い努力をあざ笑うかのように、日本という国家はアメリカの押しつけTPPとやらに、組み込まれて、日本国内の丁寧なもの作りは、早晩壊滅してしまうのではないかという危機感がある。
昨日は、「ひらけ!ポンキッキ」の、あの印象的な短い音楽(スポット)を作っておられた、長谷川龍さんと、お話しすることが出来た。
制作時の秘話を聞きたいと思って、事務所にお邪魔したのだが、「ひとに伝えられるものじゃないから」という。
ここにも「現代の職人」がいた。
そう思った。
石山修武『現代の職人』は1991年1月に晶文社から発行された。
ついこの前出た本のような感じがするのだが、二昔も前になってしまった。
「あとがき」にこんなことが書いてある。
職人は現代に居る筈もなく、現代は職人を生き延びさせる程にゆっくりとしていない。職人と呼びたい程の異質な能力を現代は嫌う。時代は同質な似た人間の群れを求めているからだ。
それでも、勿論世界はまだまだ広い。おしなべて同じ様な人間にしてゆこうという波にもまれながら、小さなヒダや、影に隠されて生き残っている異質な人間たちがまだ居る。時代の真只中にだって居る。そんな人間たちに会ってみたい。それで少しは元気になりたいものだ。これが本音だ。
これが、昭和から平成に変わったばかり、バブルの熱気さめやらぬ1991年1月にかかれた「あとがき」である。
この時から、21年の歳月が流れて、インターネットのような画期的な技術が普及して、ますます同質な人間の群れに支配される世の中になってしまったように思える。
「現代の職人」を連載していた雑誌「室内」も、山本夏彦が亡くなってほどなく、休刊してしまった。
自分の名前を売り込むことが上手だったり、お金儲けが上手な人間が、才人としてもてはやされる世の中だからこそ、石山修武がやったように、忘れられた「現代の職人」を見つけて、世に紹介する仕事が貴重になってくる。
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