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2012年8月

2012年8月26日 (日)

だけど、今はこの頃にはなかったソーシャルメディアがある。共通する感覚をもった人同士で、集まって何でも始められる。

昨日から読み始めた伊藤洋志『ナリワイをつくる』(東京書籍、2012年)は、面白い。
以前読んだ藤村靖之『月3万円ビジネス』(晶文社、2011年)と似ているようで、実は重要な相違点がある。
「ビジネス」と「ナリワイ」は根本的に対立する考え方なのよ。

著者はこんな風に表現している。

なんやかんやと、人間は言葉で思考を形づくっている。だから「ナリワイ」という言葉を使うことで「生活と仕事を一体化させる」という考え方を頭になじませよう。

(中略)

ビジネスの語源もbusyと言われているので、使わない。忙しくなると、心を亡うと言われる。何か迷ったときとかに、これはナリワイとは言えねえなあ、と思えばそれは範囲外、ナリワイと呼んでしっくりくるならOK、なのである。

田中優子は朝日新聞の書評で「ナリワイ」について、こう記す。

時間と健康をお金に換えるのではなく、頭と体が鍛えられて技が身につき、個人でおこなえる小規模の、人生を充実させられる仕事のこと、である。

『月3万円ビジネス』は、自分のペースで暮らす方法を教えてくれる本だったけれど、『ナリワイをつくる』は、その先を見ていて、コミュニティの回復という指向性を強く感じる。

二つの本の著者の年齢には35年の開きがある。

若い世代ほど、年配者に根強くとりついた、村落共同体への抵抗感が少なくて、コミュニティに新鮮な魅力を感じ取っているのかもしれない。
だから『ナリワイをつくる』に似ているのは、『月3万円ビジネス』じゃなくて、むしろ伊藤洋志と同い年のアサダワタル『住み開き』(筑摩書房、2012年)だ。
家から始めるコミュニティと副題がついたこの本は、自閉した核家族住宅が、どうやって町に対して家を開いてゆくか、いくつかの処方箋を示してくれる。
こういう本が、ベストセラーにはならなくても、万単位で売れてゆけば、少しずつ日本社会も風通しのいいものに変わって行くだろう。
そんな予感がする。
1990年代初頭、石山修武『笑う住宅』(筑摩書房、1986年)を読んで、感銘を受けて、石山さんが率いていたダムダンという設計事務所を訪ねて、人を集めて、那須高原の空間作りを始めた時、いつも心にあったのは石山さんのこんな文章。

どんな形式でも構わない、何しろ集まりを作ること、この 楽しみ、この喜びに勝るものは他にない。その為に必要であれば建築もしよう、何もしようと考えているだけなのである。いずれ、いつの日か、これだけはでき るかどうか解らないけれど、あなたのライフワークは何ですかと聞かれるようなことが万に一つもあったならば、ダムダンを始めとする幾つかの集まりですと、 ヌケヌケと答えてみたいものだ。

この文章は4年前にも引用したけれど、読んでない人も多いと思うので、再掲する。

20数年前は、ちょっと前のバブル時代の熱気が残っていて、まだまだ日本も元気で、誰もがみんな日本株式会社の未来を楽観視していたけれど、いまはそんな余熱も消えた。

だけど、今はこの頃にはなかったソーシャルメディアがある。共通する感覚をもった人同士で、集まって何でも始められる。

これからもっと、面白くなるに違いない。

猛烈に暑いけれど、気分はさわやかな朝。

ビートルズの小品「アイ・ウィル」を聴きたくなった。

こういうアルバムの中の何気ない曲に、ポールの天才性が発揮される。

ひょっとするとポールの全作品で一番好きな曲かもしれない。

2012年8月25日 (土)

「グローバル化」「近代化」「産業化」を盲目的に信奉し、橋下某や、そのオリジンであるコイズミのような「考え方」をする男に期待する時代は終わった。完全に終わった。

これから都内で始めようと思っている小さな集まり「路地裏文化研究会」に関連して、自分の一番のこだわりって、なんだろうって考えてみた。
ただでさえ、「下手の横好き」と言われるので、興味の範囲は限りなく拡散し、建築や町作りだとか、路地裏的音楽や演藝や文学だとか、とどまるところをしらず、そのために専門家に集まってもらおうと考えているわけだが……。
いちおう、マルクス経済学主流の経済学部を卒業したけれど、マル経はつまらなかったので、社会科学全般を広く浅く勉強し、一時期は小売業の経営コンサルタントを目指したこともある。
自分の仕事について、30年以上悩んで、勤め先も4つ変わった。
学生時代にマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、感銘をうけて、不本意な普通のサラリーマン生活を続けながら、経済とか経営とか仕事といった分野について、考えてきた。

そんな文脈から最近、伊藤洋志『ナリワイをつくる』とか藤村靖之『月3万円ビジネス』なんている本を面白く読んだ。
『ナリワイをつくる』にはこんな印象的なフレーズがある。

しかし、現在「新しい働き方」として提唱されているのは、これからさらにグローバル化が進み競争が激しくなる、だから世界に通用する高いレベルで能力を磨き、自分自身を広告的に宣伝し、稼げる仕事をしていいこう、おおよそこんな考え方が大半ではないか。
グローバル社会で全世界を相手にした殴り合いの競争をして健康が実現できるのは、かなりのバトルタイプ(戦闘型)だけだ。

伊藤氏のいう「新しい働き方」を、自説として蕩々と論じていたのが大阪の橋下某というガキンチョだったように記憶する。
ところが、そんな橋下某の「新しい働き方」とは、真逆の世界が少しずつではあるけれど、花開いて、感受性の豊かな人たちは、それに気づき始めていることが、うれしい。
30年前に寝たきりになって、20数年前に死んだぼくの爺さんは、まさにそんなナリワイの世界で生きていた。
農業従事者ではなく、江戸・明治時代から続く百姓(ひゃくせい)で、地道に畑仕事や家畜の世話をやっている姿はあまり見かけなかったが、川魚漁の網を縫ったり、柿渋を塗ったり、ウナギをさばいて、白焼きにしたり、佃煮を作って、どこかに売りに行ったり、趣味なのか仕事なのかわからない領域で、生きていた。
爺さんが元気だった30年、40年前までは、商いやもの作りといった、他の分野でも同じように、江戸や明治から続くナリワイに従事している老人たちが大勢いた。
「グローバル化」「近代化」「産業化」を盲目的に信奉し、橋下某や、そのオリジンであるコイズミのような「考え方」をする男に期待する時代は終わった。完全に終わった。
ナリワイ、すなわち、一葉が『たけくらべ』で描写したような路地裏に展開する小さな経済の基礎である。

伊藤氏が言う「新しい働き方」に疲れたひとりひとりが、ナリワイを見つけられるように手助けをする。
「路地裏文化研究会」にたいして、おれが貢献出来るところは、そんなことかもしれない。

最後に、今年の一月に布谷文夫さんが亡くなっていたことを、今日知った。

大瀧詠一と一緒にやった「ナイアガラ音頭」は、当時は冗談に聴いてしまったけれど、函館生まれの布谷さんは、小島豊美さんが大好きな「江差追分」のような民謡を聴いて育ったのかもしれないと想像して、感慨深く、思いを新たにして聴いた。

布谷さんに合掌。

明治時代に東京で発行されていた「團團珍聞」(まるまるちんぶん)という風刺滑稽雑誌へのオマージュだよ。パクリなんて、汚い言葉を使ってはいけないよ。

お盆休みで、ぼおっとしていたら、ブログの更新が2週間近く、滞ってしまった。

毎日フェイスブック(以下FB)に、つまらぬことを書いているので、滞った感はないのだが、時間の流れが早すぎる。
昨日、FBをやっている古い友人と一緒に、昼飯を食べながら話していて、印象に残ったことがある。
FBも一般社会も同じだけれど、世の中が「きまじめ」というか「融通がきかない」というか、しゃれのわからない窮屈な世の中になっちまったなあということ。

みんなマジメすぎないかあ。

その友人とは20年近く前に「わがまま生活」創刊準備号というふざけた小冊子を一緒につくった。

創刊準備号で終わった幻の雑誌だったけど、あの雑誌の精神を蘇らせようかなあと、最近考えている。

タイトルは明治時代っぽく「團團珍報」なんてのは、どうだろう。

明治時代に東京で発行されていた「團團珍聞」(まるまるちんぶん)という風刺滑稽雑誌へのオマージュだよ。パクリなんて、汚い言葉を使ってはいけないよ。

「だんだんちんぽう」って読む。

「だんだんちんぽうが成長したなあ」とか、「だんだんちんぽうが一皮むけてきたなあ」

とか、たくさんの人に声に出して言ってもらえるように、がんばりたいなあ。

2012年8月13日 (月)

徳川時代、有遊会のような集まりが、江戸の町中にあって、そこでは町人や侍など世俗の階級は関係なく、集まって川柳や狂歌を作ったりして遊んだ「連」というネットワーク型の集まりがあったと聞く。

土曜日に小島豊美さんに連れられて、有遊会に行った。

有遊会は小島さんの父上の小島貞二さんが始めた、放送作家さんたちの笑芸研究の団体。30年前に根岸の羽二重団子の2階で始めたそうだが、いまは会員が増えて、いろいろなジャンルのメンバーが集まり、浅草公会堂でやっている。

「笑点」のような言葉遊び、江戸の狂歌師大田南畝の説明、会員の近況報告で

構成されていて、片付けを入れて3時間。あっという間に時間が過ぎる。

詳しい内容については、『爆笑力』という本に細かく書いてある。


二次会の喫茶店で、たまたま一緒になったのが、柴又や金町など葛飾で活躍する芸人さんたち。

野口よういち寅さんの世界
寅さんの物まねで名をはせた野口よういちさんや、フーセンの寅と言われアートバルーンを作るバルーン大石さんともお話をすることが出来た。

話の内容はさておき、一番驚いたのは、野口さんも大石さんも、もとは大きな会社の普通のサラリーマンだったということ。
てっきり根っからの芸人さんだとばかり思っていた。
サラリーマン生活のかたわら、空き時間を利用して芸を磨いて、定年まで勤めて、いまは充実した第二の人生を送っている。
そして、他にも大手百貨店に勤めている芸人さんもいるという。

人事系の仕事をやっているので、定年で会社を辞めたとたんに、やることがなくなって、退屈で仕方がないという話を、退職者の口から直接聞かされることが多いのに、この素晴らしき芸人さんたちは、ますます輝いてゆく。

なんという違いだろう。

週末文筆家のぼくとしては、意外なところで、自分と同じような境遇でがんばる仲間を見つけたような気がして、うれしくなった。
徳川時代、有遊会のような集まりが、江戸の町中にあって、そこでは町人や侍など世俗の階級は関係なく、集まって川柳や狂歌を作ったりして遊んだ「連」というネットワーク型の集まりがあったと聞く。

いま、ゆっくりと読んでいる山口昌男『内田魯庵山脈』でも、明治期の東京には、坪井正五郎を中心とした集古会をはじめとする江戸の面影を残す集まりが、数多く紹介されている。
浅草という町のもつ、独特で不思議な雰囲気とも相まって、不思議な人たちとの出会いは、一生忘れられない思い出になった。





2012年8月11日 (土)

あれから25年間、生きてきてよかった。ライブで心が温まった帰り道、渋谷駅に向かう歩道橋を渡りながらつくづく、そう思った。

8月8日水曜日夜更けの22時、渋谷の街をぶらぶら歩いていた。
25年前の若い頃も、毎日同じような時間帯に、ここを歩いたことを思い出した。
小脇に「デューダ」という転職雑誌を抱えて、表参道で千代田線に乗り替えて、疲れ切って爆睡して、目が覚めるとデューダの求人記事を見て、つかの間、つらい現実を忘れて、転職に、わずかな夢をはせる。
何の希望もない、パワハラどころか、暴力もふるわれた、毎日続く企業内いじめに耐える日々。

朝、家を出る前に視るTV番組「ひらけ!ポンキッキ」だけが、唯一の救い。

もえみおねえさんの歌う「いろいろこんにちは」や、後ろ髪ひかれ隊の「今日はサイコー」で、元気をつけて、よろよろと家を出る毎日だった。

渋谷というと、心の底にそんな記憶が焼き付いてしまって、SHAHのライブを見る前は、会場に向かうのがちょっとだけ憂鬱だった。

高校時代はロック喫茶のBYGに通ったり、CISCOでレコード買ったり、楽しい思い出もあるんだけど、心に残る傷はいまだに癒えてないと思っていた。

ところがどっこい、FBともだちの佐藤錦水さんや美鵬成る駒さんが演奏するSHAHのライブを見たら、そんなことどうでもよくなった。

25年間も引きずった、暗い思い出なんぞ、雲散霧消してしまった。


3年前のライブ映像があったので貼り付けたが、こんな感じのSHAHのライブを見ながら、ロック少年だった俺が、ロック以外の民族音楽に目覚めていったのは、去年亡くなった中村とうようさんのお陰だなあなんて、感慨にふけったりもした。
そして、先週は台東区の池波正太郎記念文庫に遊びにゆき、今週は渋谷のジャズバーでごきげんなライブだ。
今日までなんとか死なずに生きてきたお陰で、まるで植草甚一のごとく人生を謳歌している。
そんなこと考えてたら、25年前のことなんざ、どっかに行っちまったのよ。

そして、25年前にブラウン管の向こうで、俺を元気づけてくれた「ひらけ!ポンキッキ」を作っていた小島豊美さんや、鈴木(木の内)もえみさんが、今はホントの仲間になって、声をかけてくれる。
バブル景気にわく渋谷の街の片隅の小さなビルで、会社ぐるみのいじめに、たったひとりで耐えていたみじめな男だった俺が、今は、たくさんの素敵な仲間に、見守られている。

あれから25年間、生きてきてよかった。ライブで心が温まった帰り道、渋谷駅に向かう歩道橋を渡りながらつくづく、そう思った。
涙が出るほどうれしかった。


2012年8月 5日 (日)

最近、丸善の経営母体が変わったというが、資本の論理によって、もう二度と取り戻すことの出来ない、目に見えない文化的雰囲気とでもいうようなものが、ひとつ、日本から消えたような痛切な思いがある。

苦しみ抜いた末に、「詩」を一篇だけ書いて、すこしホッとして、原発も政局も、昨今の国際情勢も、全然関係ない山口昌男『内田魯庵山脈』なんていう本を、のんびり再読している。
読みかけの素敵な本がいっぱいたまってるのだけれど、最初にこの本を読んでみたくなった。
内田魯庵はいろんな肩書きを持つ人だが、ぼくにとっては、丸善の図書顧問として、活躍したイメージが強い。
丸善と組んで、松丸本舗という書店空間を作った松岡正剛の先達のような感じだ。

最近、松丸本舗9月で閉店 という記事を見かけた。
この前、小島豊美さんのお宅にお邪魔した時も、丸善の話になった。
小島さんが制作した傑作ソフト『ご存じ古今東西噺家紳士録』も丸善から発売されている。
僕の好きな小説梶井基次郎の『檸檬』も、知的権威のある丸善が舞台だから、成立する小説だ。
ジュンク堂や八重洲ブックセンターにレモンを置いてきても、ちっとも面白くない。
丸善という会社はこうして100年以上、舶来品の取り扱いや、出版で日本の文化をリードしてきた。
最近、丸善の経営母体が変わったというが、資本の論理によって、もう二度と取り戻すことの出来ない、目に見えない文化的雰囲気とでもいうようなものが、ひとつ、日本から消えたような痛切な思いがある。
『内田魯庵山脈』を読むと、ささやかだけど、そんな大切なことを思い出させてくれる。

この表紙も美しい晶文社版は品切れ状態で、再版の可能性は薄いが、岩波現代文庫から2分冊で、求めやすい価格になって出ている。
再読して、個人的にドキリとした箇所を一カ所だけ紹介しておこう。

こういうデカダンな江戸の通人の血というのが、京童、江戸っ子、旧幕臣に、そして地域としては根岸、浅草、向島、神田といった界隈で表面化しやすかったといえる。

それと、「團團珍聞」(まるまるちんぶん)とか「我楽多珍報」(がらくたちんぽう)」て雑誌のタイトルが明治っぽくて、好きだなあ。
声に出して、発音していると、不思議と笑みがこぼれてしまう。

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