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« 時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。 | トップページ | 1969年の夏、まだ小学生だったぼくはOくんと一緒にコマ劇場付近の映画館をはしごしたことを思い出したのだ。 »

2012年7月 8日 (日)

日向子さんのあっけらかんとした青空の下の江戸の町ではなく、雨や雪の中、傘を差した女性が歩くようなイメージの小村雪岱の絵は、日向子ワールドとは異質だけど、僕の中の下谷根岸のイメージにはぴったりと当てはまるのだ。

買ったはいいいが、読むのをずっと我慢していた一群の本がある。

なにせ「下手の横好き」なので、気晴らしの読書ってやつが出来ない。

糸の切れた凧みたいに、どこまでも飛んでいって戻ってこられなくなる。

というわけで、『ぼくたちの野田争議』の仕事が終わって、読みたいのを我慢していたのが小村雪岱関係の本たちだ。

「芸術新潮」の説明文を引用すると

数々の書籍をあざやかな意匠で飾った「装幀家」、江戸を描いてモダンな感覚あふれる白黒の線画で人気を博した「挿絵画家」、名だたる役者たちに愛された「舞台美術家」-とまあ、かくも多彩なジャンルにとびきりの才能を発揮し、大正から昭和初期を多忙にして優雅に駆け抜けた男

とある。

杉浦日向子は『大江戸観光』の中で、小村雪岱は「ちがう」と書いたけれど、ぼくにとって最もふるさと根岸を感じさせるアーティストとしての地位は揺るがない。

日向子さんのあっけらかんとした青空の下の江戸の町ではなく、雨や雪の中、傘を差した女性が歩くようなイメージの小村雪岱の絵は、日向子ワールドとは異質だけど、僕の中の下谷根岸のイメージにはぴったりと当てはまるのだ。

なかでも松岡正剛「千夜千冊で紹介された星川清司『小村雪岱』は大好きな本。松岡正剛はこんな風に書いている。

この本はいい。雪岱(せったい)の絵がいいから当たり前にいいというのではない。星川清司の文章もいいし、菊地信義の装幀も本文組もいい。みんないい。人に教えたくないくらいなのである。

わかるなあ。この気持ち。こういう仕事をする平凡社という出版社に心から敬意を捧げる。

さあ、明日から楽しみ、楽しみ。ワクワクだぜ。

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