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2012年7月14日 (土)

1969年の夏、まだ小学生だったぼくはOくんと一緒にコマ劇場付近の映画館をはしごしたことを思い出したのだ。

七夕から盂蘭盆会のこの季節、精霊が活動して、亡くなった人を偲ぶ季節でもあるから、今年もOくんのことを書きたくなった。

というのも、木曜日に小島さん、大輪さんと一緒にコマ劇場跡地に行ったから。

1969年の夏、まだ小学生だったぼくはOくんと一緒にコマ劇場付近の映画館をはしごしたことを思い出したのだ。

オールスターキャストの「西部開拓史」という映画のリバイバル上映を観ただけでは、物足りず、デビッド・マッカラム主演の「モスキート爆撃隊」という映画を観た。

デビッド・マッカラムはTV番組で人気を博し、「おそれイリアのクリアキン」などと言われ、当時は人気スターだった。

ぼくと同い年のジューシー・フルーツ奥野敦子がイリアと言われるのも、ここから来ている。

小島さん、大輪さんとゴールデン街のバーに行ったとき、古い映画の話になってしまったのも、Oくんの霊に導かれてしまったのかもしれない。

ぼくたち3人の話をOくんが隣で聞いていてくれたら、なんてふと思った。

Oくんはそれくらい、映画が好きな早熟な少年で、ぼくの映画熱は中学に入って、彼と別れたとたん、雲散霧消してしまった。

ぼくがずっと彼に寄り添っていたら、彼も死なずにすんだのかなあって、時々思う。

Oくんのことを一生忘れないように、5年前に書いた「おもかげ」という小説では茂という少年のモデルになってもらった。

イーグルスのバーニー・リードンがドラッグで亡くなったグラム・パーソンズに捧げた「マイ・マン」を、ぼくはOくんに捧げよう。

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