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« ときたまDENやビクトリアに行ったり、大学芋を買いに行ったり、提灯屋さんの建物を写真に撮ったり、ふるさと根岸とはゆるい付き合いをしてきたけど、幕末くらいまで遡って、この町の文化史を調べると、江戸から明治になっても継承され、生き残った「何か」が見つかるんじゃないかと思うようになった。 | トップページ | 時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。 »

2012年7月 8日 (日)

カオナシのようなお金(資本)は、アノニマスな、取り替え可能な部品のようなサラリーマンではなく、ゼニー婆のような心も顔も名前もある存在、例えばノーベル平和賞をもらったインドの銀行家のような人物のもとで、心ある起業家のもとに貸し出され、初めて社会の中で機能する。

昨日の夜、録画しておいた「千と千尋の神隠し」を、娘と二人で鑑賞した。

この映画は何度見ても、見るたびに発見がある。

例えば、カオナシは、それ自体、顔も名前もお家もお父さんもお母さんもいないお金(資本)のメタファーだと思うけど、カオナシが最後はゼニー婆の所に、とどまるという部分は今回初めて、その意味を考えた。

人間社会は、バブル景気に象徴されるように、このカオナシが跳梁跋扈するお陰で、どれほど多くの災いに巻き込まれたのだろう。

関東大震災や東京大空襲でも生き残った町の記憶遺産になるような建物が、カオナシに食い散らかされる光景を、ぼくたちはいつまで見せつけられるのだろう。

自らは何も価値を生み出さない大手金融機関が、一生懸命勉強した優秀な文化系学生にとって、一番人気のある就職先であること自体が、異常だと思う。

若者よ、もう、そんな価値観から脱却する時が来なきゃ、日本の未来はないぞ!

なんて、天下国家を語るのは苦手なんで、話を戻すと、カオナシのようなお金(資本)は、アノニマスな、取り替え可能な部品のようなサラリーマンではなく、ゼニー婆のような心も顔も名前もある存在、例えばノーベル平和賞をもらったインドの銀行家のような人物のもとで、心ある起業家のもとに貸し出され、初めて社会の中で機能する。

宮崎駿の意図はもしかすると、そんなことだったのかもしれないと、密かに思った。

ぼくたちの社会にたくさんのゼニー婆を作り、国境を越えて瞬時に世界を駆け巡り、あらゆるものを破壊してゆくカオナシをコントロールする。

今はそんな知恵が求められているように思う。

ちょっと堅い話になったから、最後は思い切り柔らかく、小島さんが手がけた「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌を聴きたい。

この歌を初めて聴いたとき、ケント・ギルバートに歌わせたアイデアに舌を巻いた記憶がある。ケントのたどたどしい日本語が、新鮮な味になって、仕上がっている不思議な名曲だと思う。

« ときたまDENやビクトリアに行ったり、大学芋を買いに行ったり、提灯屋さんの建物を写真に撮ったり、ふるさと根岸とはゆるい付き合いをしてきたけど、幕末くらいまで遡って、この町の文化史を調べると、江戸から明治になっても継承され、生き残った「何か」が見つかるんじゃないかと思うようになった。 | トップページ | 時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。 »

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