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2012年6月17日 (日)

昨日は娘といっしょに足でリズムを取りながら家の中を行進した。リンドグレーンの童話の世界に入った気分だった。ぼくはこんなたわいない遊びをしている瞬間がたまらなく好きなのだ。けれども、そうやって遊んでくれるのもあと一年くらいだろう。大人になるにつれ、娘も大人の常識ってやつに染まってゆくのだから。

今日初めてお目にかかった菊谷倫彦さんが自分の雑誌「KOTOTOI」に「詩を失った時代に」という巻頭文を書いている。

その文章の最後にこんな一節がある。

文学の話題から一見離れて、ローカルに生きること、小さく生きること、低く生きること。これが私たちの課題だ。それはつまり、日常に詩を取り戻すということを意味するのである。

「日常に詩を取り戻すということ」って、W・モリスの言う「生活の芸術化」に近いのかも知れない。

むかしむかしは誰もが芸術家であり、詩人だった。

すこし歴史をひもとくと、おそらく江戸期までは、かろうじてそんな気風が残っていたように思う。

ところが、文学や音楽や美術といった言葉が生まれた瞬間(あるいはジャンルを作ったとたん)に、多くのものが失われてしまったような気がする。

その失われたものがいちばん大切なものなんじゃないかって思う。

そしてジャンルを作ったとたんに、文学も音楽も美術も、庶民には縁遠いものになってしまう。

あああ。文章が重いなあ。ぼくには消化しきれていないテーマだから文章が重くなる。

けれども20年以上、こんなことを考え続けていて、答えがみつからない。

例えば、子どもは無邪気に(音楽以前の)音を楽しみ、(文学以前の)言葉遊びに入っていけるのに、どうして大人は構えてしまうんだろう。

昨日は娘といっしょに足でリズムを取りながら家の中を行進した。リンドグレーンの童話の世界に入った気分だった。ぼくはこんなたわいない遊びをしている瞬間がたまらなく好きなのだ。けれども、そうやって遊んでくれるのもあと一年くらいだろう。大人になるにつれ、娘も大人の常識ってやつに染まってゆくのだから。

大人になると、猫も杓子も、宴会の二次会というとカラオケに行く。

ぼくはカラオケなんて、大嫌い。

昔の宴会のように手拍子でリズムをとって、無伴奏で唄を歌うなら、大歓迎。

でも、近頃そんな風景は見なくなった。

そういえば流山博物館友の会では、イベントの時はみんなで合唱する。

これが大変貴重な習慣だと思えてきた。

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