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2012年5月

2012年5月31日 (木)

朝日新聞出版は川本三郎さんに断られたので、仕方なく三浦展のネームバリューにすがったのかと、出版社の良識まで疑ってしまいたくなる。気分が悪くなってきたので、ここで終わり。

先日、たまたま覗いた大塚の本屋で見つけた吉田章一『東京落語散歩』角川文庫が、すごくいい。書いたのは東大を出た技術者の方で、落語好きがこうじて、青蛙房から単行本として出たらしい。

青蛙房は江戸東京関係書籍の出版社としては最高峰だと思う。

正直言って、ダメな本を見たことがない。

ぼくは古書店で青蛙房の本をみつけたら、極力買うようにしている。

それはさておき、この本が素敵なのは、ディテールを大事にしていること。

職業作家が書いたものは、文才で逃げてしまい、細かいことを、はしょってしまう傾向がある。

ところが、この本ではすべての登場する施設について可能な限り、住所が詳しく載っている。

巻末の資料編ではなく、本文中に何丁目、何番地、何号まで出ている本は珍しい。

さすが理科系の技術者の感覚はちがうなあと舌を巻いた。

もし住所を間違えていると、いろいろ問題が出るので、こういう風にデータ化されている本は少ない。

とっても手間がかかったと思う。

税込み514円では申し訳ないほど、濃厚な本で、ちょいと感動した。

それに比べては吉田章一さんに失礼だけど、「下流社会」の三浦展『スカイツリー東京下町散歩』朝日新書は、立ち読みでもうたくさん本の典型。

下町から江戸川を越えて、市川界隈について、多少知っている、散歩好きの書き手なら、だれでも書ける本だよ。これは。

三浦氏がホントに自分でこのコースを歩いたのかどうかも怪しい。

国府台のじゅんさい池のすぐあとに、京成八幡の大黒家が出てくるけど、どう考えても軽く散歩でゆく距離じゃない。

自分で歩いていれば、じゅんさい池の次に、里見公園や真間の手児奈霊堂などなど、市川自慢のスポットが目白押しで、いきなり遠く離れた大黒家を紹介する気持ちになどならないはず。

ちょっと読者をバカにしてないか。

この本が税込み1,050円か。『東京落語散歩』の二倍強の値段だ。

10年くらい前だったか、泉麻人が同じエリアを自転車で走る本を書いたけど、あれはホントに、走ったことがわかって、好感が持てる本だった。

ジャスコ化する社会を書いた当時は、なかなか面白い着眼をする人だと思っていたけど、

この人の場合、新しい本が出るたびに、がっかりさせられる。

基本的に本が好きなので、どんな本でも、本の悪口は書きたくないけど、これはちょっと許せない。

下町や市川を書くなら、いくらでもいい書き手がいる。

朝日新聞出版は川本三郎さんに断られたので、仕方なく三浦展のネームバリューにすがったのかと、出版社の良識まで疑ってしまいたくなる。

気分が悪くなってきたので、ここで終わり。

2012年5月27日 (日)

いまの社会がダメなのは、戦後が何もかもダメだったということ。だから戦前に戻ろうというような乱暴な議論がまかり通る世の中になってしまった。「古きよき戦前」ではなく、「古きよき戦後」を伝えていくのも、いぬいとみこの教え子であるぼくたち世代の使命なのかもしれないと最近感じ始めている。

自分の本が出版されたら、どうしても、いぬいとみこさんのお墓参りをしたくなって、久しぶりにムーシカ文庫卒業生のリーダー的存在である作家の小松原宏子さんにメールを出した。

以前にこのブログにも書いたとおり、小学生時代いぬいとみこさんと出会っていなければ、ぼくは100%本を書くことなどなかったと思う。

小学生時代、作文が大の苦手で、褒められたことなど一度もなかったけれど、本を読むことは好きだった。

家から歩いて10数分の距離にあったいぬい先生の「ムーシカ文庫」によって、ぼくは本を読む楽しさを教えてもらった。

そして、それ以上に、大きく深い影響をうけたのは、それこそ池波正太郎ではないが、自分でお金を出して買った「自前」の本を、地域の子どもたちに貸し出すという彼女の「自前」の思想と運動のあり方だったように思う。

先生が子どもたちに何かを語ったわけではない。

だけど、自分の心の奥底にしっかりと、先生の精神が宿ってしまった。

あれだけの大作家なのに、それを誇るようなそぶりは全く感じなかった。

だから小学生当時のぼくは人の良い、やさしい「本のおばさん」で、自分の本を数冊書いた人くらいにしか、思っていなかった。

だからいまでも威張る奴が大嫌いなんだと思う。

松岡駒吉を中心に友愛会~総同盟の歴史を描いた『ぼくたちの野田争議』と、いぬいとみこは全然関係ないと思っていた。

ところが、小松原さんが編集した『ムーシカ文庫の伝言板』(てらいんく)を読んで、驚いた。

理論社を創業した作家の小宮山量平さんがフランスの三色旗に関連づけて、こんな追悼文を書いていた。

自由についても、平等についても、今やずいぶん烈しく要求が掲げられ、不十分ながら成果も挙がっていると思うんだけれど……そう言えば、あら、博愛なんて明治時代の教育勅語のままの語感で、うす汚れたまま、自由や平等ほど大切にはされていないわ―と、彼女は鋭い直感力で私の言いたいことを忽ち理解するのだった。

(中略)

いぬいさん!今にして戦後の日本が取りこぼしてきた徳目の第一は、なんと言っても、真の「友愛」ではなかったでしょうか。いや、日本だけではありません。世界中が、自由を高唱し、平等を掲げて、近代化のコースを行進することに目覚めながら、いつしか一番大切な「友愛」を置き去りにしてきたような気がします。その友愛という温もりに支えられない自由が如何に虚しいものか、友愛の裏打ちを忘れた平等が如何に物欲に支配され易いものか―世界は今、そんなダメージに苦しんでいるのではないでしょうか。

小宮山さんの文章を松岡駒吉が読んだら、強くうなずいてくれると思う。

いぬい先生と松岡駒吉は、同じプロテスタントのクリスチャンだけど、もっと魂の奥深くで共通するものがあったのかもしれない。

多くの児童文学者を世に送り出した小宮山さんも先月95歳で亡くなった。

戦前と戦後を正しく評価できる人たちが、どんどん亡くなっている。

そして、小宮山さんはいぬいとみこを「戦後創作児童文学のジャンヌ・ダルク」と書いた。

いまの社会がダメなのは、戦後が何もかもダメだったということ。だから戦前に戻ろうというような乱暴な議論がまかり通る世の中になってしまった。「古きよき戦前」ではなく、「古きよき戦後」を伝えていくのも、いぬいとみこの教え子であるぼくたち世代の使命なのかもしれないと最近感じ始めている。

とうとう昨日、拙著『ぼくたちの野田争議』崙書房出版が発行された。

とうとう昨日、拙著『ぼくたちの野田争議』崙書房出版が発行された。

不思議と高揚した気持ちにはならない。

静かな喜びはあるけれど、校正で精根尽き果てるまでがんばって、校了した時の達成感はない。

以前どこかで佐野眞一さんが本を出版するのは「小瓶に手紙を入れて、海に流すようなもの」だと書いていた気がする。

著者は書き終えたらそこで終わり、出版社が原稿を形にしたあとは公共のものになって、自分の知らないところで誰かが読んで、誤読されたりしても、著者の関与するところではなく、流されるまま、巷を漂い、やがて消えてゆく運命だ。

そんな無常観のような、不可解な感情が、今日の自分を支配している。

ましてや自著を自分で解説するような野暮なことはしないほうがいいでしょう。

読んでもらって、煮るなり焼くなり好きに料理してもらえれば、それで十分。

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ブックデザイナー平野甲賀さんの事務所No.12 Galleryにご承諾をいただいて、以前購入したフォント「コウガグロテスク」を表紙で使わせていただいたことが、個人的にはうれしい。

いまから20年前初めて活字になった原稿「波静かにして」が載った雑誌が平野さんが装丁を担当していた建築雑誌「群居」だった。

凡才ゆえ、そこから長い年月が経って、やっと出来た単行本には平野さんのフォントを使いたいと念願していたので、思い切って、お願いしたところ快諾してもらった。

もちろん、平野さんが関係しているのはフォントだけであり、表紙のデザイン全般については、出版社と石井の合作である。

平野さんの作品だと思われたら、平野さんが迷惑だと思うので、書き添えておく。

先日、永六輔さんの出演するテレビ番組を見ていたら、震災直後に録画されたこの動画を見たくなった。

再掲かも知れないけど、いま気分にぴたりとはまる静かな名曲なので、はりつけよう。

2012年5月26日 (土)

なんと、みんなが不思議なことに、日本の音楽で繋がっちゃった。

2012年5月25日(金)、いろんなことがあったなあ。

ちょっと例を見ないほど不思議な一日だった。

朝10時に崙書房出版の社長から、本が出来たので、本日ぼく宛に発送したいとのメールを頂戴する。

午後、めったに見ないジュンク堂のウェブサイトをたまたま見に行ったら、本日19時30分から嵐山光三郎と田中優子のトークセッションだという。

まだ空きがあることを確認し、急いで電話予約を入れる。

田中優子の本を読み始めて何年かわからないが、ここ数年出た本は全部読んでる。

サンデーモーニングでお顔は拝見しているが、生で見るのはこの日が初めて。

今度の本『世渡り万の智慧袋』とW・モリスの関係について、少しだけ質問させてもらった。

精力的に仕事するイメージに似つかわしくない、予想以上に小さくて細い人だった。

でも着物の着こなしのセンスはやっぱりよかったなあ。

杉浦日向子とのトークセッションだったら、もっとよかったのに、残念だ。嵐山さんごめん。

しかし、昨日『江戸はネットワーク』読んで、山東京伝いいなあ、なんてぼんやり考えていたら、これだから不思議だよ。

家に帰って、フェイスブックを開けたら、小島豊美さんのお陰で、尺八奏者として国際的に大活躍されている佐藤錦水さんと友達になることが出来た。

ぼくと同じ台東区根岸のご出身。ぼくは昭和38年に練馬に転居したから、佐藤さんはまだ生まれていないけど、ぼくが越して、都電が消える時期のあの町をみていたのかと思うと、一度話をしてみたい。

それにしても、小島さんの人間観察眼はすごいので、いつも敬服してしまう。

そして,最後にかみさんがテレビをつけたら「僕らの音楽」という番組に永六輔が出ていた。

実は先週行った「日本旅のペンクラブ」のパーティは、永さんに会いうという目的もあったのだ。

永さんは旅ペンの創設時からのメンバーだから、50年記念パーティには来てくれるんじゃないかと、内心期待していた。

永さんはぼくの中学、高校の先輩で、当時から伝説上の人物。

一度話がしたかった。

でも、いいや。

全く期待していなかったのに、テレビで、しっかりと話を聞けたからもう十分だね。

もう往年の永六輔じゃあないけど、いい話をしていた。

『江戸の音』を書いた田中優子さん、尺八の佐藤錦水さん、沖縄音階など音楽の話をしてくれた永六輔さん。

なんと、みんなが不思議なことに、日本の音楽で繋がっちゃった。

そして、これから進むべき道を指し示しているような、不思議な出会いや、えにしを感じたハッピーな一日だった。

2012年5月24日 (木)

『アイらぶ日本語』は、わかりやすい文章の中に、江畑さんの「川柳愛」「日本語愛」が脈打っている。

先日「日本旅のペンクラブ」のパーティーで江畑哲男さんにお目にかかった。

初対面なのに、旧知の間柄であるかのように、こちらの心を和ませてくださる会話術の妙に、舌を巻いた。

さすがに現役の高校教師で、なおかつ東葛川柳会の代表を務めておられる方である。

同時に江畑さんの専門分野である川柳という文芸にも少しずつ興味がわく。

早速ご著書『アイらぶ日本語』学事出版を購入し、一読してみた。

好感のもてる、とてもいい本だった。

文章は、いくら取り繕っても、人間性そのものが、露わになってしまう。

だからコワい。

『アイらぶ日本語』は、わかりやすい文章の中に、江畑さんの「川柳愛」「日本語愛」が脈打っている。

そんなことを思いながら、あれこれ考えてみると、廃れてしまった江戸時代の文芸の中で、いまなお親しまれていて、江戸の人々の思いを理解するのに、川柳という切り口があることに、ふと気づいた。

例えば、手元にある江戸文芸の教科書を見ると、俳句と川柳以外に、仮名草子、浮世草子、読本、黄表紙、洒落本、滑稽本、人情本なんていうジャンルが紹介されているが、これらは一般的には江戸時代が終わると衰退してしまった文芸ジャンルだと思う。

その一方で、俳句と川柳は、進化しながら、いまもなお生きている文芸ジャンルとして存在している。

それって素敵なことだとおもいませんか。

図書館をうろうろしていたら、こんな本も見つけた。

カバーには「庶民のくらしが息づく川柳にみる愉快な『江戸の日本語』会話集」とある。

ちょっと視点を変えて、いままで自分とは緣がないと思っていた川柳という文芸に着目しただけで、いろいろと見えてくるものがある。

そういえば、田中優子『江戸はネットワーク』平凡社ライブラリーの解説文を松岡正剛が、面白いことを書いている。

ここでその一部を紹介したい。

徳川社会や江戸文化は、明治でちょん切られて「古典」になってしまった。実際にはとてもいきいきした欲望と行動と表現と思索とが渦巻いていたのだが、それがまるごと捨て去られてしまった。(中略)

これは異常である。江戸文化はわれわれとはいろいろな意味で地続きであるはずなのに、時代的な特異な理由によって、そのまるごとが”再発見”の総体になってしまったのだ。そのため、誰も読本や黄表紙が読めなくなった。きっと本書の読者でも、黄表紙を手にとった者はほとんどいなのではないかと思われる。それどころか、いまなお本書に引用されている大半の著作物は、現代語訳にすらなっていない。

その数少ない例外が俳句と川柳なのかなあって、思う。

『アイらぶ日本語』を読むと、庶民の教養や常識が崩壊して、落語が笑えない時代になってきたという。

古典落語どころか、映画「男はつらいよ」で寅さんがしゃべる言葉の面白みを理解しない世代が増えてるんじゃないかって、思う。

いかん。愚痴っぽくなった。

こんな時は、平賀源内のように、自らを笑い飛ばすのが一番。

川柳でも作ってみるか。

2012年5月19日 (土)

浅学非才な男が、下手くそな小説を書いて、小説家を気取ってもたかが知れている。だけど、勤め人をやっている一方で、大工になって、こっそり山小屋を作ったり、歴史家になって本を書いたり、余暇を利用して、こんだけいろいろやれるんだって、事実を積み重ねていくことは、価値があるんじゃないかなあ。

最近、プライベートで肩書きなしの名前と住所だけの名刺を出す時に、なにか言わなきゃいけないと思い、週末文筆家という肩書きを名乗ることが多い。

週末文筆家というのは決して謙遜しているわけではなく、結構まじめに考えて、それなりの矜恃をもって名乗っているつもりだ。

江戸時代、駿河小島藩のまじめな武士倉橋格がどのように変化するかというと、

江戸で狂歌連のメンバーになり酒上不埒(さけのうえのふらち)と名乗るようになりました。また、彼はその鋭い観察力と風刺力で、見事な黄表紙(漫画本)を何冊も刊行しますが、そのときの名前は恋川春町(こいかわはるまち)です。江戸は、個人がひとりの人間としての一貫性を求められない場所だったんです。ひとりの人間が名前を変えて、絵を描き、小説も随筆も書き、俳句もつくっているような社会です。他人はそれぞれの顔を別の人間だと思っているし、べつに詮索することもない。

田中優子が『池波正太郎「自前」の思想』で話す、こんな江戸人に憧れる。

プロの作家になって、筆一本で食べられるようになって、一人前だという考えは立派だと思うけど、なんだか窮屈な気がする。

藤村さんの本『月3万円ビジネス』のように、いろんなことをやって、少量多品種な稼ぎ方をするのもいい。

「半農半X」っていうのもあったなあ。

そうだ。明治時代生まれの、自分の祖父だって、そんな感じだった。

決して農民とは言い切れない多彩な稼ぎ方をしていた。

一番やりたかったのは、柴又の「川甚」のような川魚料理の店だったらしい。

浅学非才な男が、下手くそな小説を書いて、小説家を気取ってもたかが知れている。けれど、勤め人をやっている一方で、大工になって、こっそり山小屋を作ったり、歴史家になって本を書いたり、余暇を利用して、こんだけいろいろやれるんだって、事実を積み重ねていくことは、価値があるんじゃないかなあ。

縄文時代も面白いけど、やっぱり倉橋格がいた江戸時代も面白い。

肩から重荷を下ろして、楽に生きる。

今日も、そんなことばかり考えている。

青空文庫の『堕落論』を再読してみるといい。無料で読めるから。そして、薄っぺらい偽善者が誰と誰なのか、少しは見ぬく眼も養われるに違いないから。

視聴しなかったので、詳しい状況はわからないのだが、TBSのサンデーモーニングという番組で田中優子が例の君が代斉唱の件で、口をぱくぱくして違う歌詞を唄えばいいというような趣旨の発言をしたらしい。

それに対して、ネット上で、ある嘘つき野郎が「そんな不謹慎なことをいう人間が最高学府で教えていることが許せない」というような書き込みをしているのを発見した。

こういう偽善者には、坂口安吾の『堕落論』を段ボール箱いっぱいに詰めて、送りつけたいような誘惑に駆られる。

世の中にこういう偽善者がどんどん増えていて、もっともらしいことをいう。

とても危険な感じがする。

『池波正太郎「自前」の思想』で、佐高信はこう言っている。

吉宗と言えば享保の改革です。何とかの改革を叫ぶ人は「正義の味方」体質ですから、世の中のダークサイドを許しておけないのでしょう。ダークサイドが存在することにも効用があるということを認めることができないんですね。

それに対して田中優子が答える。

いてはいけない人間という烙印を誰かに押したがりますね。

池波正太郎の『剣客商売』には田沼意次がしばしば登場する。

田沼時代は賄賂が横行して、とんでもない時代だったと、歴史の勉強で習った記憶があるけど、実際は田沼時代にぼくらのイメージする江戸大衆文化が大発展する。

時代は違うけど、永井荷風には、草双紙類御法度の天保の改革の時期を舞台に、戯作者柳亭種彦の死を描いた『散柳窓夕栄』という作品がある。数少ない荷風の歴史小説である。

「改革」とか「維新」とかいう言葉は、一見美しい言葉に聞こえるけど、怪しい。

ものすごく怪しい。

ぼくたちは、自分の目の黒いうちに世の中が一新されて、よくなればいいと考えがちだけど、それは危険な妄想で、独裁者の手に全権をゆだねて、多くの血が流れるだけだという事実を20世紀の歴史で学ぼなきゃいけないと思う。

平和な縄文時代からみれば、数千年かけて迷い込んだ市場経済至上主義の世の中だ。

そんな簡単に、だれかさんの力で、出口がみつかるわけないよ。

自分の生きているうちにちょっとだけでも、風通しのいい世の中を作って、疲れ切った人たちに、さらに豊かになるために頑張れってむち打つのではなく、楽な気持ちで生きられるようにしてあげること。

現代に比べたらずいぶんのんびりしていた昭和30年代を覚えているぼくの世代が、いま出来ることって、それくらいだろう。

そして、あとに続く世代にバトンを渡してあげる。

自分が生きているうちに、一切合切すっきりとした世の中にしよう。

決着をつけようとするから、おかしなことになる。

そう考えて、青空文庫の『堕落論』を再読してみるといい。無料で読めるから。

そして、薄っぺらい偽善者が誰と誰なのか、少しは見ぬく眼も養われるに違いないから。

この曲を『堕落論』と共に、偽善者諸君に贈ります。

Bob Dylan- I Don't Believe You

多くの人に『池波正太郎「自前」の思想』を読んで欲しい。そこでは、池波正太郎さんが、学校ではなく、住んでいる町という世間に学び、借り物の言葉ではなく、身銭を切って、自ら体験して出来た思想のエキスが語られている。

ブクログに簡単に書いておいたのだが、佐高信・田中優子『池波正太郎「自前」の思想』という本が、とってもいい。

辞書で「自前」の反対語を調べたら「丸抱え」だという、きちんと調べた訳じゃないから、確かなことはわからないが、芸者の世界から来た言葉のようだ。

ぼくは昔コンビニのチェーン本部に勤めていた。

コンビニこそ「丸抱え」の最たるもの。

言葉こそ「オーナーさん」だけど、店主になった人は、実際は労働基準法の適用外で、加盟金を払ったにもかかわらず、仕入れ代金などで大きな借金を背負わされた上、七年間も契約で拘束される。

途中解約すれば、莫大な違約金に一生苦しむはめになる。

深夜勤務のバイトに高賃金を払いながら、自らは夫婦二人で低賃金の過酷な労働に従事させられる「丸抱え」の労働者の実態を見て目からウロコが落ちた。

バブル経済で華やかなりし昭和末期のニッポンの陰で、資本の重圧で苦しむ人たちがいることを知り、とっくの昔に意味を失ったと思っていた大嫌いなマルクス経済学が、まだ有効性をもっていることに衝撃を受けた。

そこには、経済的に自立したつもりが、もっと大きな網に絡め取られて、身動きが出来なくなっている人たちがいた。

だからこそ、佐高信が言い出した「自前」の思想っていう言葉は重い。

じゃあ「自前」の思想ってなんだろうって、一言でいうのは難しい。

抽象的な言葉で書くと、その瞬間に「自前」はどこかに行ってしまう「精神的雰囲気」のように思える。

それをつかむために池波正太郎作品を読もうというのが、この本の趣旨なのだから。

多くの人に『池波正太郎「自前」の思想』を読んで欲しい。

そこでは、池波正太郎さんが、学校ではなく、住んでいる町という世間に学び、借り物の言葉ではなく、身銭を切って、自ら体験して出来た思想のエキスが語られている。

今の若い人たちに特に、読んで、考えてもらいたい本だと思う。

2012年5月18日 (金)

気分はもう映画の中の松雪泰子。泣きながら笑顔で、拍手した。

5月16日は旅の日だという。

松尾芭蕉の生誕300年に、「奥の細道」へ旅立った日を記念して、日本旅のペンクラブが制定したものだ。

その日本旅のペンクラブが創立50周年のパーティを開催するので、参加してはというお話をいただいたので、お邪魔することにした。

場所は松尾芭蕉の関口芭蕉庵に隣接する椿山荘だという。

受付まで一時間以上時間が空いたので、椿山荘の庭を抜けて、裏口を出て、神田川沿いに西に向かって歩くと隣が芭蕉庵。

田中優子の『江戸を歩く』に出ていたように、水神社を左に見ながら急な坂を上ると、木製の小さな出入り口がある。

まさかそこから入れるとは思わず、芭蕉庵のまわりをうろうろしていたら、扉を開けて中から年配の散歩会風な集団が出ててくるではないか。

これ幸いと、芭蕉庵に単身潜り込んだ。

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東京の真ん中のこんな場所に、江戸を思わせる風景を残した密かな空間がある。

着飾った女性たちが闊歩する隣の椿山荘の絢爛豪華なお庭に比べたら、

地味な庭だけど、そんなところに江戸の空気を感じて、頭がクラクラした。

約一時間の「大江戸観光」を終えて、椿山荘のパーティに参加。

作家の西村京太郎のトークライブがメインイベントなんだけど、西村さんの本は未読。

残念だが、猫に小判状態で、ありがたいお話はちんぷんかんぷんでした。

企画した方、ごめんなさい。

ぼくにとってはなんと言っても、フラガールなのよ。

映画「フラガール」が大好きなので、去年の8月にブログで紹介したことがある。

映画「フラガール」とイヴァン・イリイチ

今年の「日本旅のペンクラブ賞」はスパリゾートハワイアンズが受賞した。

建物も大きく損傷し、使用不能になったため、被災者を励まして、全国行脚した彼女たちの活躍はテレビのドキュメンタリー番組で見ていたので、登場する前から、泣くための心の準備は出来ていた。

感動で、iPhoneを持つ手が震えて、写真は汚いけど、恥を忍んで貼り付けよう。

映画で岸部一徳がやったような役柄であろう、おじさんが表彰状を受け取ると、いよいよフラガールが登場した。

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舞台の袖でうれしそうに踊る彼女たちを見ていたら、気分はもう映画の中の松雪泰子。

泣きながら笑顔で、拍手した。

ばかだよね。オイラ。

2012年5月14日 (月)

こうして、あれこれ考えさせてくれるだけでも、菊谷さんの「KOTOTOI」って雑誌は大したもんだと思う。

市川行徳に住む若手編集者菊谷倫彦さんが去年始めた雑誌「KOTOTOI」の2号が今日届いた。

まだ途中まで読んだだけだが、すごくいい。

巻頭に来るのが宇井眞紀子さんという写真家の「アイヌ民族に寄り添って」というルポ。

それに続くのが五味太郎の手書きの文章である。

その後が友川カズキの詩。

これラインナップだけ見ても、かなり強烈だ。

「言葉は死んでないよ。言葉ははじめから生き物じゃない。」BY G.TARO

そのまんまじゃん。当たり前といえば、当たり前のこと言ってる。

だけど、五味太郎が書くと、なんだか重みがある言葉のような気がしてくるから不思議。

すでに百戦錬磨の五味太郎の術中にはまっているかもしれない。

こうして、あれこれ考えさせてくれるだけでも、菊谷さんの「KOTOTOI」って雑誌は

大したもんだと思う。なぜって、高みから一般読者を見下ろすような作品が並ぶ文芸雑誌を読んで、あまり考えることってないからさあ。

小島豊美さんや菊谷倫彦さん。

今年は市川在住のクリエーターとの出会いが続いている。

敬愛する詩人の故宗左近さんのお導きかなあ。

宗左近さんにいわせると市川は日本のふるさとだっていうんだから、避けて通ったらバチが当たるってもんだろうね。

明日は月曜日。

笑って家を出られるように、ピチカートファイブ「陽の当たる大通り」

 

2012年5月12日 (土)

自分の「好き嫌い」だけを頼みに、学術的な価値など吹き飛ばしてしまい、今読んで面白い読み物として、古典的名作文学に新たな命を吹きこむ中野さんの手腕は見事だ。

きのう話をしていて、ずいぶん長い間、中野翠の本を読んでいなかったことに気づく。

最後に読んだのが、発売されてすぐに読んだ『小津ごのみ』筑摩書房だから、もう4年も前だ。

その前に読んだのが『今夜も落語で眠りたい』文春新書。

最近は政治的に偏った報道姿勢を感じる文藝春秋だけど、この新書はよかった。

恥をしのんで、前にライブドアでやっていた、杉浦日向子を中心に据えたブログに書いたエントリを紹介しましょう。

本格的に執筆活動に入る以前の、アパート経営しながら落語に出てくる大家さんのような、横町のご隠居として、らくーーーーに余生を暮らそうと、本気で考えていたころの文章なので、とっても恥ずかしい。

この頃はまさか6年後労働争議の本を書くなんて、頭の片隅にもなかった。

杉浦日向子の流儀へ

ついでにブクログのマイ本棚へのリンクも作ったので、興味のある方はどうぞ。

セルフイメージは以前、上野広小路にあった古書店「上野文庫」だが、ぼくの知識レベルでは、あんな渋い品揃えはとうてい出来るはずもなく、穴があったら入りたい気分です。

過去を振り返ると自分は中野さんに、ずいぶん影響をうけていたんだなあって、思う。

そうだ。思い出したぞ。

この頃は、自分の頭の中だけの、架空の心の家族ってのがあって、中野翠が姉、小林信彦が父、植草甚一が祖父、森茉莉が祖母だと思っていた。何故か母はいなかった。

時々、父が小野二郎になったり、祖父が小津安二郎になったりしたけど、中野翠はずいぶん長い間、一貫して姉だった。

中野さんがいう「幻の町」で、こんな家族と暮らしたいとは思わなかったけどね。

JJと森茉莉が夫婦として君臨している家って、かなり辛そうだ。

些細なことで、いざこざが絶えない気がする。

どうでもいいことだが、自分とほぼ同年代の杉浦日向子は、恋人でもパートナーでもなく、双子の妹だった。

ペコちゃんのような顔をした若い頃の日向子さんの写真を見ると、子供時代にポコちゃんといわれていたぼくは他人じゃない感じがした。

それはさておき、これから一生読み続けていくであろう古典的名作「たけくらべ」も中野さんの影響で読み始めた。

田中優子の樋口一葉論を読んでから、江戸東京の歴史の方に関心が移ってゆき、中野さんのことはすっかり忘れてしまっていたけど、「たけくらべ」に興味をもつきっかけは間違いなく中野さんだった。

中野さんの樋口一葉論の白眉は筑摩書房の『明治の文学 樋口一葉』の解説。

自分の「好き嫌い」だけを頼みに、学術的な価値など吹き飛ばしてしまい、今読んで面白い読み物として、古典的名作文学に新たな命を吹きこむ中野さんの手腕は見事だ。

ここ何年も歴史を追いかけて、本を学術的に読むことばかりやってきて、気がつくと少しばかり「好き嫌い」の感性が鈍っているかもしれない。

『ぼくたちの野田争議』で、1920年代の歴史勉強にひとくぎりついたから、これからは違う時代、違うテーマを勉強したい。

再び江戸時代ってのもいいけれど、中野さんの本を読み返して、あれこれ考えるのも案外有効なのかもしれない。

2012年5月 6日 (日)

誰よりも国土を大切に思う逆流亭写楽斎の「(戦争)やる気なさ満々の平和論」でした。

5月3日は憲法記念日だった。
娘のピアノの発表会で、バタバタしていて、ゆっくりモノを考える暇もなかった。
今日は連休最後の日。
のんびり、ローテンションでモノを考えるには、いい日だ。

お天気もサイコー。気分がいい。

で、憲法記念日から3日たって、何を思うかっていうと、どうして日本のマスコミってのは、

二項対立をあおるのかっていうこと。

日本人て、二項対立でしかモノを考えられないほど、単細胞じゃないと思うけど。

護憲派は基本的に日の丸や君が代反対だし、それに対して、憲法改正派は「日本人の誇り」とかって言って、天皇を国家元首にとか、靖国神社とか明治時代以降の戦前社会に戻したいように見える。

憲法9条の問題だって、いかにして平和な社会を持続するかっていうことのはずなのに、戦争できる国にするか、しないかってレベルでわあわあ議論しているようにしか見えない。

ぼくは日の丸、君が代問題にそれほど、深い興味があるわけじゃないから、絶対に否定しようとする人たちの気持ちって、いまいちよくわかんない。

実際に戦時中を知らないので、いまわしい思い出ってのもないから、べつにいいんじゃないかなあっていう思いもある。

憲法もしかりで、絶対に変えられないっていうもんじゃないだろうと思う。

ただね、3.11で、いろんなものが見えしまった。

二項対立の図式なんか、自分の中では遙か彼方に吹っ飛んでしまった。

原発事故で膨大な国土が失われた。

例えばぼくが改憲派の政治家の立場だったら、東電の幹部を国家反逆罪で、市民権を剥奪するくらいのことは、やらなきゃ気が治まらないと思うのだけど、石原親子のように、彼らの多くは原発推進の立場である。

ものすごく不思議でたまらない。

一生懸命、アメリカから武器を買って、国境線を守るなんて言っているけど、原発を何個か同時に破壊されてしまえば、日本人は国を捨てざるを得なくなる。

本気で国土を守るには、憲法をうんぬんする前に、原発をやめることが、一番先にやらなきゃいけないことだろう。

じゃあアメリカから買った武器をなんのために使うのかっていうと、「テロとの戦い」とか言って、日本人の兵隊さんがアメリカ人のサポートとして、世界中の紛争地域に出かけて行って使うようになる風景が頭に浮かんでしまうのが、悲しい。

二項対立の図式なんか、一度リセットして、国土を守ることと、日の丸、君が代、靖国神社なんていう心の問題を切り離して考えられないかなあ。

多分、明治維新大好き派の人たちは、

「未曾有の国難に際して、維新の元勲たちは、天皇を中心にした国家体制を作り上げ……」とかって、いきり立つんだろうけど、明治元年から昭和20年までの約80年間で、何度戦争をして、何人の人が亡くなったんだろうって、考えると、戦前社会が「平和な社会を作る」という目的のためには、お手本にならないことくらい、冷静に普通の頭で考えれば、わかると思うんだけど、どうだろう。

平和を構築するためには、「明治の国難を思い出せ。維新の元勲に学べ」はもうやめようよ。

長く続いた戦乱で傷ついた国土と近隣諸国との関係を修復して、その後長く続く平和な社会を作った江戸時代初期の徳川政権の知恵を思い出して、よい部分をいまに生かすことの方が、役に立つよきっと。

地理上の発見に端を発した、世界史上有名な大航海時代のさなか、世界進出をたくらむヨーロッパの列強に対して、南米の国々のように、国を滅ぼされることなく、近隣のアジア諸国と関係を改善し、200年以上にわたって平和を維持した初期の徳川政権のやり方に、学ぶ点は多いのではないかと思う。

大航海時代のヨーロッパ列強の動きについては、ぼくが若い頃勉強した範囲では経済史家大塚久雄が膨大な業績を残している。いまはもっといい書き手がいるかもしれない。

政治家たちが江戸時代に学んで、日本のオリジナリティ溢れる平和論を構築した上で、憲法論議をするというなら、大いにすべきだと思う。

ブクログに田中優子『未来のための江戸学』をアップしていて、そんなことを考えた。

自民党代議士の後援会長の家に生まれて、自衛官の娘と結婚し、産経新聞がバックアップしている「正論の会」にも参加したことのある、誰よりも国土を大切に思う逆流亭写楽斎の「(戦争)やる気なさ満々の平和論」でした。

もう一度言うよ。お天気もサイコー。気分がいい。

だから、再登場やる気なさ満々のキンクス「日なたぼっこは俺の趣味」でくつろいで下さい。

「Wi-Fi居酒屋『逆流亭』なう。美味しい地酒が入荷したから、近所の人はおいで」なんて、お客さんにツイートしてもらえたら、いいと思わないかなあ?

この前、紹介したようにブクログというサービスを利用して、江戸東京本を中心に蔵書の一部を公開し始めた。

ただ、このサービスはアマゾンと連携しているので、アマゾンにISBNデータが入っていない本は引っ張ってこられないから、渋い古書愛好家が好むような本は、データを載せられない。

だから、この「ラジカル工房・森の図書室」の本棚と、実際の本棚に入る蔵書は少しずれると思うので、ご容赦を。

で、「ラジカル工房」では、図書室の活動とともに、積極的に電子書籍づくりもやっていきたいと考えていて、現在下準備を進めている。

その準備作業の一環で、ずっと我慢していたiPadを、とうとう買ってしまった。

まだ一週間足らずだけど、すごく使いやすい。

文字主体の本を、電車で立って読むのは、やや辛いから、ソニーのリーダーあたりのほうが、いいかもしれない。

でも、写真や絵の入っている雑誌とか、図版の多い本は、iPadがすごくいい。

ソファにごろっと、だらしなく腰掛けて、日がな一日中、のんびり本を読むには最高。

何しろ、パソコンの画面や紙の本よりもiPadの方が、ページをめくるのが楽で、疲れない。

最近、マウスを使っていると肩がこるので、パソコンよりは紙の本の方がベターだけど、

iPadなら互角かもしれない。

ただ、Wi-Fiスポットは、まだまだ少ないので、今のところは自宅で使うのがいちばんいい。

今日は、小学生の娘のお付き合いで、お台場のヴィーナスフォートというショッピングモールに行ってきたけど、つながったのはマクドナルドの前だけだった。

意外な結果だったし、それだとショッピングモールの取り柄がないじゃん、とも思う。

どこに行っても同じようなテナントが並ぶ、ショッピングモールなんて、どこに行ってもすぐに飽きてしまう。

せめて、ブログを書いたり、フェイスブック、ツイッターが出来れば間が持つのに、それも出来なかった。

有名なショッピングモールがそんな体たらくなんだから、俺が商店主だったら、Wi-Fiビンビンつながるのを売り物にした商店街作りたいな。

Wi-Fi酒屋とか、Wi-Fi美容院とか、やりたい。

大した金がかかるわけじゃあないのに、やらないのはもったいない。

「Wi-Fi居酒屋『逆流亭』なう。美味しい地酒が入荷したから、近所の人はおいで」なんて、お客さんにツイートしてもらえたら、いいと思わないかなあ?

土曜日の午後、お台場の広々とした青空を眺めていたら、シカゴのあの曲が、頭の中で始まった。

ぼくが最初に買ったロックのレコードは、シカゴの「クエスチョンズ67&68」だったのに、あまりにも人気があるバンドだったので、当時は聴かずぎらいだった。

いまさらだが、ユーチューブで見ると、70年代初頭のシカゴは生き生きしている。

画像は古いけど、見入ってしまいました。

「サタデー・イン・ザ・パーク」

2012年5月 3日 (木)

道は誰のためにあるの。車ってそんなに偉いのか?人よりも車の方が偉いのか?震災で懲りたのにモーダルシフトしなくていいの?

ぼくが小学生だった昭和40年代前半、東京練馬区ではいつもコールタールの匂いが立ちこめていて、すさまじい騒音をだすロードローラーがあちこちで稼働していた。

それまで練馬区の道路など、幹線道路以外は未舗装の道路がほとんどだったし、茨城の祖父の家に行くと、家の前の国道もまだ未舗装だった。

未舗装の道路では、雨が降ると水たまりが出来て、どこから来るのかアメンボがいた。

そんな状態だったから、雨降りの日には長靴が必需品だったし、晩秋になると、道ばたでは落ち葉焚きも始まり、知らないおじさんから焼き芋をもらうこともあった。

ロードローラーが仕事を終えて、道路が舗装されると、そんな光景も消えてしまった。

歩行者優先とは名ばかりで、道路は車が我が物顔に走り回るようになり、それまでのように子供が道ばたで遊んでいると、クラクションで追い払われるようになった。

今朝の朝日新聞ちば東葛版を見ていたら、先日の館山の事故をうけて、車の制限速度を40キロから30キロに落とせとか、スピードが出せないように、道路を凸凹にすればいいとか、相変わらずとんまな議論をやっている。

今住んでいる家の前の道も制限速度30キロだけど、守る奴なんか誰もいない。

新松戸駅が出来てから、抜け道になったので事故は年中行事で、ぼくの愛猫タマ姫もひかれたし、車が民家の塀や電柱に突っ込んだり、横転することもある。

ゴミ収集所に、ゴミを出しに行くのも命がけである。

大金を使って道路を凸凹にするというのもくだらねえ解決策だ。

維持するのに、さらに金がかかる。

そこまでやるくらいなら、舗装をはがしてしまえばいい。

一度はがしたら、永久に舗装などしなければいい。

だって、50年前はそうだったんだもん。出来ないことないよ。

ヒートアイランド現象だって、日本中の細い路地まで舗装してしまったことも、影響していると思う。

夏場に発生する洪水だって、多少は緩和するんじゃないかなあ。

そんな自然災害や気候の問題よりも、もっと大事なこと。

それは、道は誰のためにあるのかっていう問題。

車ってそんなに偉いのか?人よりも車の方が偉いのか?

昔、読んだ本に「日本では馬車の文化が発達する前に、自動車が登場してしまい、車道が整備される時間的余裕もなく、人が歩く道に自動車が入り込んでしまった」と、書いてあった。

こうして、数十年間にわたって、道を人から取り上げて、車が走りやすいような社会システムを作っておいて、小学生が車に殺されると、とんまな議論をやっているおめでたい大人たち。

交通体系を作る基本思想をラジカルに問い直さないで、ちょこちょこルールをいじったりしても、解決するわけない。

役人の責任はそれで回避出来るかもしれないけど、子供たちの命は危険にさらされたままで、何も変わらないだろうね。

電力業界と同じように、自動車業界からたくさんの広告をもらっているよい子ちゃんたちのマスコミさんには、車優先社会の問い直しなど、とんでもないってことかもね。

エリートの役人さんもマスコミさんも、手を出せないでいるうちに、これからも毎年1万人近い命が失われてゆくのだろう。

モーダルシフト(トラックによる幹線貨物輸送を、「地球に優しく、大量輸送が可能な海運または鉄道に転換」すること)はかけ声ばかりで、河川の整備もしないで、船で運べばいいものまで、トラックで運ぶようにしてきた結果、震災時にはにっちもさっちもいかなかったのに、何も反省しない人たちに、ぼくたちはいつまで期待しなきゃいけないんだろう。

思い出すたびに切なくなるフェリーニの映画「道」を今日のしめくくりに。

祖父が元気だった1960年には当たり前だった自給自足の暮らし方が、ほとんど消滅してしまい、一時期流行った「生活者」という言葉も死語になり、資本が万能の世の中で、与えられる一方の無力な消費者がひな鳥のように黄色いくちばしを開いて、えさをもらうのを待っている。

20年前からセルフビルドで作っている那須高原の山小屋に「ラジカル工房・森の図書室」と名付けた読書空間を作ろうと考えて、ネット経由で誰もが蔵書データにアクセスする方法はないかと、いろいろ検討してみた。

自分のパソコンのハードディスクにデータを保管する私本管理では他からのぞけない。メディアマーカーというクラウドサービスも試してみたのだが、なんとなくピンとこない。

「たなぞう」とかいうサービスは良さそうだったが、去年の暮れに終了してしまった。

そこで「ブクログ」というサービスを使うことにした。

姉妹サイトで「パブー」という電子書籍の制作や配布をサポートしているのも気に入った。

こんなシステムを個人で購入したり、作ったりするには膨大なお金がかかる。

一昔前なら考えられないようなサービスが、どんどん新しく始まっている。

この前、ブログで書いた通り、那須高原に持って行くのは蔵書の一部で、江戸東京と那須地域に関係する本だけに限定している。

延べ床面積16坪の限られたスペースだけど、書籍の他にも面白いモノが見つかったら、置いてみたいと考えている。

例えば、昨日資料が届いたロケットストーブ。

日本ロケットストーブ普及協会

まだ導入するって決めた訳ではないけど、この製品を見ているとブリコラージュとか、バナキュラーとかって魅惑的なキーワードが頭に浮かんでくる、最近のお気に入りだ。

建築家石山修武が「自分の住み暮らす環境は自分たちで考え、つくるもう一つの方法」だという「開放系技術」もこれに近い考え方なのかなとも思う。

立派な職人が作る伝統工芸も大好きだけど、ぼくのような一般人には値段が高くて、手が出せないから、自分の生活空間には入ってこないし、関心もない。

ぼくは森の図書室で、多彩な人たちに集まってもらって、自分たちが当たり前だと思っている暮らし方をどのように変えることができるか、知恵を集めて、一緒に考えてみたい。

例えば、かつて晶文社ではこんないい本を出版していた。

この本もすでに出版から22年も経過している。

当時はインターネットがまだ一般に普及していなかった。

ここからさらに日本人の暮らしは大きく変化している。

モノ誕生「いまの生活」―日本人の暮らしを変えた133のモノと提案 1960‐1990 (晶文社生活資料館)

明治生まれの祖父が元気だった1960年には当たり前だった自給自足の暮らし方が、ほとんど消滅してしまい、一時期流行った「生活者」という言葉も死語になり、資本が万能の世の中で、与えられる一方の無力な消費者がひな鳥のように黄色いくちばしを開いて、えさをもらうのを待っている。

「ラジカル工房・森の図書室」がそんな祖父の時代の暮らし方を思い出すための、拠点になればいいと考えている。

今朝は、ぼくの好きなウッドストック系ミュージシャンの代表ヘタウマボーカルのボビー・チャールズで、その名もズバリ「ホームメード・ブルース」を紹介します。

2012年5月 2日 (水)

息切れしないように、再び初心に帰って、低いテンションで、「新葛飾土産」を始めよう。

ある人から、このブログを全文読んだとメールをいただいた。

とてもうれしいけど、ちょっと不安だ。

4年前に書いたことは、自分でも忘れているから、いまは真逆のこと書いているかもしれない。

そうなるともうダメ、気になってしまい、自分でも全文再読してしまった。

2008年の夏、最初は、ご隠居気分で、極めて低いテンションで、始めたんだったなあ。

その前に3年くらいやっていたブログは何回か改名したけど「杉浦日向子の流儀」とかって、いうノー天気なブログで、それも疲れちゃったから、なるべく低いテンションで、やっていこうって思った。

2年間もブランクがあって、その間はアナログに徹して、手書きで毎日の記録をつけていたんだった。

ところが、リーマンショックや、政権交代や、311があって、だんだん世の中がおかしくなっていったことで、怒りんぼなブログに変化していった。奇しくも激動の時代を記録することになった。

再読して、感じたのは、オイラは「肩書き」とか、「ジャンルわけ」とか、「レッテルはり」とか、会社とか学校とかの「ブランド信仰」といったことが、心の底から嫌いなんだってこと。

そして、いかにもぼくはクリエイティブですって、服装や髪型など外見でアピールしてる奴も嫌い。

そういう奴で、あんまり面白い発想をする人間に出会った試しがない。

こっそりと「しゃらくさい」なんてつぶやく。

タイトルも著者も忘れたが、最近読んだ本に、「今はいわゆる業界っぽい、トレンドっぽい六本木あたりにいる人たちが急速にかっこ悪くなり始めた時代。地道に、まじめに世の中に役立つことをやっている人たちが、かっこよく見え始めた時代だ」

と書いてあった。

本当にそうなのか、怪しい気もするけど、本当にそうだったらうれしい。

今年になって、たった四か月だけど、その間に、お別れした人もいる。

けれども、何人か新しい仲間も出来た。それぞれ素晴らしい人たちばかりだ。

さらに、三月末から四月末の一ヶ月で、公私ともに何年もかかっていた仕事が一区切りついて、新しいことを始める環境が整い始めた。

だけど、いまは無理がきかない体。

大好きだった酒もやめた。

息切れしないように、再び初心に帰って、低いテンションで、「新葛飾土産」を始めよう。

再読して、ユーチューブはどんどん削除されるのがわかったので、再掲かどうかわかんないけど、311の時に慰められたクレモンティーヌのこの曲で、再出発したい。

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