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2012年4月13日 (金)

事故から50年経過したのを機会に、三河島という地名を復活させてもらえないだろうか。「三河島事故」を忘れるのではなく、忘れないようにするために。

高血圧脱却には、運動が欠かせない。けど、運動している時間がない。

じゃあ、ウォーキングを兼ねて、夜の町歩きに出かけよう。

そう思って、「古常磐線探訪の旅」に出ることにした。

かくいう僕だって、知ったのは数年前なのだけど、創業当時の常磐線は上野ではなく田端駅始発だった。

その創業当時の線路はまだ残っていて、貨物専用線として使われているというのだ。

そこで、前から気になっていたこの線路を探すために、田端駅から三河島まで、歩いてみることにした。

こんなことでもないかぎり一生足を踏み入れることなどなかったであろう東田端1丁目という町を通って、跨線橋の上に立って、古常磐線の線路を撮影する。

002

向こうの高台がいわゆる文士村があった田端である。

芥川龍之介を中心に大勢のクリエータが集った由緒ある町とは、対照的な東田端周辺の寂しい風景に

ぐぐっと、心を引き寄せられる。

そこから、下に降りて食品倉庫の横の路地を抜けると、ありました踏切が。

踏切から三河島方面をパチリ。

007

上を通っているのは舎人ライナーである。

出来たばかりの新交通システムと、役目をほとんど終えた線路が交差する風景に、えもいわれぬ感情がこみ上げる。

ここから路地裏をくねくねと進む。

地図を持たないぶらり旅なので、iPhoneのGPS機能だけが頼り。

それでもなんとか、ここまでたどり着く。

013

古常磐線と上野方面への線路の分岐点である。

同時にそこは、昭和37年5月3日に起きた有名な「三河島事故」の現場周辺であることを思い出した。

そうだ。あれから50年になるんだ。

当時住んでいた根岸から目と鼻の先のこの町で160人もの人が亡くなった事故は連日連夜テレビや新聞で報道されたから、まだ幼児だったぼくでも、印象に残っている。

「三河島事故」の悲惨さは、福知山線の事故以上で、荒川区三河島という地名が、役人によってこの世から消されてしまったほどの大惨事だった。

014

左手が駅のホームなのだが、ふつう23区内のJR駅周辺なら

、こんな公園など作らず、デベロッパーによる再開発で、大きく変貌を遂げているはず。

このあたりは脱線した電車が上から落ちた辺りだと思われる。

事故の記憶伝えるものはないのか、探したが、見つからなかった。

今回の震災でも震災の記憶を伝えるモニュメントを残すか残さないかで、もめているらしい。

でもぼくは思う。

例えばこの公園が「三河島事故記念館」になって、この町が三河島という地名のまま残っていて、日本全国の鉄道関係者の研修施設にでもなっていたら、極めて可能性は低いかもしれないけど、もしかしたら福知山線の事故だって、防げたのでは。

三河島事故の犠牲者の遺族は、福知山線の事故を見て、どう思ったのだろう。

南京事件に関する河村市長の発言には呆れかえったが、もうそろそろ、日本人は「臭いものに蓋をする」ということわざを死語にすべき時が来ている。

そして最後に近隣で育った地元民として、言いたい。

事故から50年経過したのを機会に、三河島という地名を復活させてもらえないだろうか。

事故を忘れるのではなく、忘れないようにするために。

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地元民です。上記公園は事故現場ではないです。
駅から東へ300m〜400m行った辺りです。

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