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2012年4月28日 (土)

そんな発狂しそうな過酷な職場環境に耐え、疲れ切った体で毎日満員電車に向かうことが出来たのは、妻や幼い息子の笑顔と、ポンキッキのエンディングで流れるうしろ髪ひかれ隊のこの歌のお陰だったように思う。

昨日、「およげたいやきくん」をはじめとする「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌をプロデュースしていた小島豊美さんと話をしていたら、20代半ばになる長男が幼い頃見ていた「ポンキッキ」が無性に懐かしくなって、ユーチューブで探してみた。

小島さんが深く関わった時期とは違うかもしれないけど、ぼくが見ていた昭和の終わり頃の「ポンキッキ」も、すごくいい番組だった。

NHKだったら、100%合格していないだろう、歌も踊りも苦手な木の内もえみさんがお姉さん役だった。

彼女が番組の中で、日ごとに成長して、持ち前の才能を開花させてゆくのが、一視聴者のぼくにもわかった。

自分も当時は20代の若者だったから、年代の近いもえみお姉さんがのびのびと成長してゆく姿を見るのは、我がことのようにうれしかった。

それにしても、どうしてあれほど、ポンキッキが好きだったんだろう。

ぼくが「ポンキッキ」に熱中していたのは、当時勤めていた会社内で、ある複雑な事情があって、大好きだった銀座の仕事場から転勤になり、渋谷勤務になった時期と重なる。

渋谷勤務の初日、事業所のトップから、「おまえの人事異動をおれは承認していないので、会社に来たければ、自分で銀座から机を運んでこい!」と言われ、銀座に戻って机の荷造りを一人でやった屈辱を今も思い出す。

その日から事業所ぐるみで、毎日繰り返される激しいパワハラと、毎日10時過ぎまで続く激務が辛くて、一日だけ有休を取ったら、応接室で殴られたり、髪の毛を切られたり、作った書類を燃やされたりと、翌日からさらに壮絶ないじめが始まった。

それでも、そこで二年半耐えたけど、やがて、パニック障害を起こすようになって、退職した。

その間、そんな発狂しそうな過酷な職場環境に耐え、疲れ切った体で毎日満員電車に向かうことが出来たのは、妻や幼い息子の笑顔と、ポンキッキのエンディングで流れるうしろ髪ひかれ隊の「今日はサイコー!」のお陰だったように思う。

毎日、呪文のようにこの歌を口ずさみながら、勢いをつけて家を飛び出した。

いまもこの歌を聴き返すと、自然に涙があふれてくる。

日本の歌謡史からみれば、取るに足らない歌だろう。

工藤静香のキャリアから見ても、どうでもいいような歌かもしれない。

だけど、この歌はどんな立派な人生の応援歌よりも、首の皮一枚でつながっていたぼくの心を、いっとき支えてくれたのだ。

自分を苦しめた「不思議な国のアリス」に出てくるトランプの兵隊のような薄っぺらな連中のことなんぞ、いまはもう、どうでもいい。

奴らはぼくが辞めた直後に、会社を飛び出し、やがて散り散りバラバラになったらしい。

だから、ここで書いたことは、いまも存在しているSという会社とは何の関係もない、ふた昔以上前の昔話だ。

それよりも、当時「ポンキッキ」に携わったスタッフの皆さんに、心から感謝したい。

本当にありがとう。

当時はオープニング曲の方も同じくらい好きだったので、こっちも紹介します。

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