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2012年4月11日 (水)

ディプレイの向こうで微笑んでいる昔の上司に会ったら、Sという会社にいたバブルの時代が懐かしく蘇ってきた。

やばいぞ。

眼鏡が合わなくなって、あたまがくらくらするんだとばかり思っていたら、今週になって高血圧だということが発覚した。

最近断続的に続いていた頭痛もこいつのせいかと、愚かにもやっと気づく。

ということで、泥縄式に血圧計を購入、サントリーの胡麻麦茶に「高血圧の方に」なんて書いてある。

「溺れる者は藁をもつかむ」ので、さっそく一缶買って飲んでみた。

青汁みたいなまずいものを連想していたが、以外に美味しい。

どんな飲み物か気になって、サントリーのウェブサイトへ。

サイト内でくりくりやっていたら、突然現れた、元上司のN氏の写真。びっくり。

「まさかこんなところでお会いするとは。ご活躍で何よりです」なんて独り言がでてしまう。

23年前まで勤めていた会社で、この人によく怒られた。

鬼瓦のように怖かった男が、今はにっこり微笑んで、高血圧オヤジ相手に体操を教えてる。

あの会社は仕事が辛くて(20時に退社すると、早いねって言われた。徹夜などあたりまえ、バブルの時代ってどこもそうか)、人間関係はさらに辛くて、いい思い出なんか一つもないと思っていたけど、会社の仕事以外に確固たる自分の世界を持つことを社長自ら社員に勧めるという、当時の日本の企業文化の中では珍しい会社だったようにも思う。

当たり前だが、小泉改革以降の、いまの世知辛い世の中でそんな不思議な会社は生き残れない。

名前は残っているが、実態はまるで別の会社になっている。

ふと振り返ると、30数年に及ぶ長い会社員生活で、銀座にあったあの会社にいた数年間だけが、自分が自分らしくいられた時代のような気がする。

植草甚一はもう亡くなっていたが、植草甚一がよく現れたという洋書のイエナ書店は健在だったし、旭屋書店や近藤書店にもよく通った。

「ミュンヘン」のビールやジャーマンポテトも美味しかったなあ。

店の名前は忘れたけど、和光の裏のおでんやのランチも安くて、美味しかった。

いまの銀座は見る影もなく、外資の店が闊歩する町になっている。

やばいぞ、過去の出来事が走馬燈のように脳裏をよぎっている。

「来るか!お迎えが。」

冗談はさておき、1980年代後半、バブル期の一言で片付けられてしまう時代。

でも、まだまだそこには懐かしい昭和の風景があって、同時に新しいものも生まれていた、希望に満ちていた時代でもあった。

今はそう思える。

あの時代の気分を象徴する名曲坂本龍一の「Ballet Mécanique 」をどうぞ。

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