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2012年4月

2012年4月30日 (月)

ぼくが、もし居酒屋で古い歌を唄うなら、戦争の歌じゃなくて、「いつでも夢を」が唄いたい。だって戦争の先には多くの死や絶望があるだけで、夢や希望はないからね。

このひと月近く、お酒をやめていたのに、昨日は友の会研究誌30号記念パーティということで、久しぶりに飲んだくれた。

家に帰る途中、近所の居酒屋の前を通ったら、中から「加藤隼戦闘隊」の合唱が聞こえて、いきなり酔いが吹っ飛んでしまった。

どんな人たちが唄っているのか、わからないけど、戦中派が多数を占めていた昭和20年代や30年代じゃないんだぜ。21世紀だよ。

だけど、自民党や、みんなの党や、たちあがれ日本の、時代錯誤な憲法改正案もあるしなあ。

なんだか複雑な気分になる。

『ぼくたちの野田争議』を書き終えて思うのは、労働者の人権が認められていない戦前の社会に似たような世の中が、復活しつつあるんじゃないかということ。

そして、労働三法の存在も労基署の役割も形骸化していて、為政者や行政は働く人たちの本当の苦しみに対応できていないんじゃないかっていうこと。

就職って人生の一番大きな問題のひとつなのに、ちまたには無駄な情報ばかりあふれていて、学生たちが夢を持てるような世の中へ移行する道筋は見えてこない。

子供の頃から、きびしい受験競争を勝ち抜いてきた高偏差値の学生でも、いざ就職になると、さらなる厳しい競争にさらされる。

大きな会社は中国市場ばかり見ているから、中国人の優秀な人材の確保にやっきになり、優秀な日本人の学生でも、資本の論理が剥き出しになった国際間競争に敗れて、無力感をつのらせてゆく。

敗者ばかりが世の中に積み重なってゆく社会なんて、元気になりようがない。

貧富の格差が拡大すればするほど、社会は不安定化し、殺伐としてくる。

カリスマ的といわれる政治家の極端なナショナリズムと、排外的な強い口調の物言いが、大衆の喝采をうける素地が形成されてゆく。

マスコミが暴走する世の中に警鐘を鳴らすことなど、ひとつも期待してはいけないということも、3.11以降明らかになってしまった。

こんな日本で全体主義国家を作ることなど、赤子の手をひねるようなもんだろう。

いつ第二のヒトラーやムッソリーニが出てきてもおかしくない。

こんな大きな話、正直言って、学者でもない平凡な男には、どうすれば解決するのかわからないが、大金持ちにならなくても、つつましく、家族仲良く暮らしているような、庶民が世の中の大勢を占めてるいることが、日本社会に安定と秩序をもたらすことくらいはわかる。

「格差など大した問題じゃない」なんて居直った、「心から愛が欠落した」うすっぺらな男に、マスコミもぼくたち国民もだまされていたことを深く自覚しようよ。

書く前にあらかじめ意図したわけではないが、結果的に『ぼくたちの野田争議』の背後にあるテーマは、明治の末期から1920年代までの大正デモクラシー社会の成立と、その終焉だったと思う。

その時代は地方の活力を奪うことによって、大都市周辺に中産階級の居住地が形成されていった時代でもあった。

だったら、一度、明治の中頃まで歴史をさかのぼって、大都市一極集中型の社会のあり方を問い直すようなムーブメントが生まれると、うれしいのだが、地域分散型社会どころか、「日本人の誇りを取り戻せ」といって戦争を賛美するようなスローガンが目立ち始めた世の中だ。

「歌は世につれ、世は歌につれ」という。

「加藤隼戦闘隊」の歌を楽しそうに唄うようなメンタリティが、復活している。

そんな世の中に対抗するために、拙著の出版を機会に、さらに近代史の勉強をやってみよう。

そして、ぼくが、もし居酒屋で古い歌を唄うなら、戦争の歌じゃなくて、「いつでも夢を」が唄いたい。

だって、戦争の先には多くの死や絶望があるだけで、夢や希望はないからね。

2012年4月28日 (土)

そんな発狂しそうな過酷な職場環境に耐え、疲れ切った体で毎日満員電車に向かうことが出来たのは、妻や幼い息子の笑顔と、ポンキッキのエンディングで流れるうしろ髪ひかれ隊のこの歌のお陰だったように思う。

昨日、「およげたいやきくん」をはじめとする「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌をプロデュースしていた小島豊美さんと話をしていたら、20代半ばになる長男が幼い頃見ていた「ポンキッキ」が無性に懐かしくなって、ユーチューブで探してみた。

小島さんが深く関わった時期とは違うかもしれないけど、ぼくが見ていた昭和の終わり頃の「ポンキッキ」も、すごくいい番組だった。

NHKだったら、100%合格していないだろう、歌も踊りも苦手な木の内もえみさんがお姉さん役だった。

彼女が番組の中で、日ごとに成長して、持ち前の才能を開花させてゆくのが、一視聴者のぼくにもわかった。

自分も当時は20代の若者だったから、年代の近いもえみお姉さんがのびのびと成長してゆく姿を見るのは、我がことのようにうれしかった。

それにしても、どうしてあれほど、ポンキッキが好きだったんだろう。

ぼくが「ポンキッキ」に熱中していたのは、当時勤めていた会社内で、ある複雑な事情があって、大好きだった銀座の仕事場から転勤になり、渋谷勤務になった時期と重なる。

渋谷勤務の初日、事業所のトップから、「おまえの人事異動をおれは承認していないので、会社に来たければ、自分で銀座から机を運んでこい!」と言われ、銀座に戻って机の荷造りを一人でやった屈辱を今も思い出す。

その日から事業所ぐるみで、毎日繰り返される激しいパワハラと、毎日10時過ぎまで続く激務が辛くて、一日だけ有休を取ったら、応接室で殴られたり、髪の毛を切られたり、作った書類を燃やされたりと、翌日からさらに壮絶ないじめが始まった。

それでも、そこで二年半耐えたけど、やがて、パニック障害を起こすようになって、退職した。

その間、そんな発狂しそうな過酷な職場環境に耐え、疲れ切った体で毎日満員電車に向かうことが出来たのは、妻や幼い息子の笑顔と、ポンキッキのエンディングで流れるうしろ髪ひかれ隊の「今日はサイコー!」のお陰だったように思う。

毎日、呪文のようにこの歌を口ずさみながら、勢いをつけて家を飛び出した。

いまもこの歌を聴き返すと、自然に涙があふれてくる。

日本の歌謡史からみれば、取るに足らない歌だろう。

工藤静香のキャリアから見ても、どうでもいいような歌かもしれない。

だけど、この歌はどんな立派な人生の応援歌よりも、首の皮一枚でつながっていたぼくの心を、いっとき支えてくれたのだ。

自分を苦しめた「不思議な国のアリス」に出てくるトランプの兵隊のような薄っぺらな連中のことなんぞ、いまはもう、どうでもいい。

奴らはぼくが辞めた直後に、会社を飛び出し、やがて散り散りバラバラになったらしい。

だから、ここで書いたことは、いまも存在しているSという会社とは何の関係もない、ふた昔以上前の昔話だ。

それよりも、当時「ポンキッキ」に携わったスタッフの皆さんに、心から感謝したい。

本当にありがとう。

当時はオープニング曲の方も同じくらい好きだったので、こっちも紹介します。

自分でデザインする能力はなくても、みんなが集まれる読書空間を作って、お茶やお菓子を食べながら、わいわいと企画会議をやる場所を提供することくらいは出来そうだ。

先日、星哲郎さんのブログを見ていたら、石山修武の『秋葉原感覚で住宅を考える』が紹介されていた。

若い頃ずいぶん影響を受けたこの本に久しぶりに目を通す。

その中でも「工房の夢」というエッセイ(あるいは掌編小説でもある)が、当時のぼくのお気に入りで、石山さんのグループと那須高原でセルフビルドを始めた時も、ずっと「工房の夢」が念頭にあった。

それから、20年経って、だいぶ忘れかけていたときに、この本の存在を星さんが思い出させてくれた。

ブックカフェのようなものを作ろうかと考えているなんて、数日前のエントリに書いて、ブックカフェに関する文献を何冊か見たけど、ううううーん。つまんないなあ。

個人でブックカフェをやっておられる店主の方には、敬服するけど、本とお茶を楽しむのは、別にブックカフェでなくていい。

JJ氏のように古書店で本を買ったら、いそいそとお気に入りの喫茶店に入って、お気に入りの席に座って、そこで本を開けばいい。

たぶん、ぼくがやりたいのはそんなことじゃないと考えていた矢先に「工房の夢」を思い出した。

「このセンターの面白いところは、デザイン運動がそのまま現代社会批判へとストレートに結びついていることなんです。つまり、新しいモノはもうすでに十分すぎるくらいにつくられている。もうモノは要らないのだというのが基本的なセンターの認識なわけです。」

「それは、たとえばガラスビンや空罐のリサイクル運動と同じような概念なんでしょうか。」

「そうです。簡単に考えれば、廃品回収業と再生業、それにデザインと設計業が絡んで、しかもそれらを連結しているのが、さまざまなメディアの受信・発信機能なんです」

(中略)

こんな工房とも工場ともマーケットともつかぬ場所を、わたしたちの社会のうちにつくり出す必要がある。できれば出版機能もあったほうがいい。場所も資本も機会もない建築家風情がなんの「上の空」話を、と思われるだろう。

ぼくは、石山さんが言う「建築家風情」にもなれない、取り柄のない平凡なサラリーマンだけど、時代が進んだことで、当時は石山さんの才能をもってしてもできなかったことで、可能になっていることがあるはずだと思う。

自分でデザインする能力はなくても、みんなが集まれる読書空間を作って、お茶やお菓子を食べながら、わいわいと企画会議をやる場所を提供することくらいは出来そうだ。

例えば、美しい那須高原の緑に囲まれて、徳川時代の江戸にという町に思いをはせながら、小島豊美さんの重ね地図に入力するためのデータづくりをやりたい。

いま、ぼくの手元には『江戸さいえんす図鑑』なる本がある。

こんな、いにしえの技術に思いをはせながら、21世紀の新しい技術について考えるのが楽しい。

例えば、こんなのはどうだろうか。

国立国会図書館の公開画像で司馬江漢の銅版画「三囲景」を見てみる。

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『江戸さいえんす図鑑』に載っている「のぞき眼鏡」で見る絵なので、左右が反転しているけれど、左側が向島の三囲神社、正面に描かれているのが、筑波山である。

今はこの土手の上を首都高速道路が覆っているけれど、こんな絵を見れば、本来の緑豊かな美しい隅田川を想像することが出来る。

こうして、イマジネーションが泉のごとく溢れてくる。

そんな瞬間が、なによりも好きな至福の時間だと思う。

千葉県内に、賛否両論入り乱れる外環道を通すお金があるのなら、県内の通学路にどれだけたくさんの歩道やガードレールが作れるのだろうか。

昨夜、上野駅から常磐線に乗って、家に帰ろうとしたら、いつまでたっても電車が発車しない。

しばらくして、鶯谷と日暮里の間で線路内に立ち入った人がいて、現在捜索中だとのアナウンスが流れた。

常磐線以外に、山手線、京浜東北線、高崎線、宇都宮線も止まっているので、西日暮里から帰るのも無理。

振り替え乗車券も出し始めたというので、日比谷線で北千住まで出て、対応を考えるかと思い始めたら、やっと身柄を確保したというので、一安心した。

この間、約30分。

どのような事情で線路に降りたのかわからないけど、おそらく万単位の帰宅客が足止めを食ったと思われる。

ひと一人の命とは、それほど重いということなんだろう。

それを思うと、小学校に登下校する子供たちの命っては、ずいぶん軽く扱われているような気がしてならない。

今朝の朝日新聞朝刊ちば東葛のページを開くと、館山のバス停で車にはねられて亡くなった小学生の記事が出ている。

学校や教育委員会が対応に追われているなんて、「とんまな見出し」がある。

学校や教育委員会が、いくらがんばって安全指導とやらをやっても、突っ込んでくる車から人の命は守れない。

がんばらなきゃいけないのは、道路やガードレールを管轄する部署だろ。

登校時に車が走る道を利用する小学生の命を守るには、歩道を設置した上で、ガードレールをつけるしかない。

そんな「とんまな見出し」の隣には「外環道で独自アセス」なんて見出しが並ぶ。

国土交通省は松戸市と市川市を東西にぶつ切りにして外環道を通そうとしている。

千葉県内に、賛否両論入り乱れる外環道を通すお金があるのなら、県内の通学路にどれだけたくさんの歩道やガードレールが作れるのだろうか。

そして、歩道やガードレールを作ることに反対する住民はいるのだろうか。

自動車から逃げ回るための指導を、本来勉強を教えることが役目の学校が一生懸命やっている。

みんな思考停止しちゃってるのだろうか。誰もおかしいと言わないのか。

ホントにわかんない。全然わかんない。

ぼくが小学一年生の時、日本中が東京オリンピックにわいていた昭和39年、目白通りの横断歩道で、隣のクラスのシノハラさんという女の子が、車にはねられて亡くなった。

そのとき、行政がしたことは、横断するために信号をつけるのではなく、歩道橋を作ったことだった。

「目白通りで初めての歩道橋だ」と、大人たちは誇らしげに語っていたのを、不思議に思ったことを今も鮮明に思い出す。

この時、人よりも車のほうが偉いんだ、人は車から逃げまわらなきゃいけないんだ、という事実が幼心に突き刺さった。

自民党政権が倒れたとき、ぼくはもう二度とこんな悲しいエントリをかかなくてすむ社会が出来るのかもしれないと、期待していた。

ところが、民主党政権、なかでも野田君が首相になってから、自民党政権時代と何も変わらなくなってしまった。

「コンクリートから人へ」なんて政権交代時のキャッチフレーズだけが、いまはぼくの心の中で虚ろに響いている。

今日は、45歳で父親に射殺された悲運の天才マービン・ゲイの名曲を、野田君に捧げよう。

2012年4月26日 (木)

しとしと降り続ける雨に濡れた町が、まるで『合葬』の表紙のように見えた。

今夜は時折降ってくる小雨が気になったけど、健康ウォークで駒込駅からぶらぶら歩き始めた。本郷通りを行けるところまで歩いてみようと思った。

このエリアは森まゆみさんと、妹の仰木さん、友人の山崎さんたちが、「谷中・根津・千駄木」という雑誌を中心に、歴史や文化を掘り起こしたことで知られる。

先人があまり歩いていないような、見知らぬ町が面白い。

永井荷風の歩き方がそうだった。

森さんたちの仕事が、広範囲に及んでいて、このエリアもずいぶんメジャーになったので、遠慮しようと思っていたけど、やっぱり一度、歩きたくなった。

豊島区から文京区に入り、上富士前交差点あたりで雨が強くなってきたので、田端駅に出ることも考え、左に曲がって不忍通りに入る。

このあたりは本駒込という町だが、本駒込といえば元祖山の手の高級住宅地というイメージだったけれど、不忍通りの周辺を見る限り、昭和の面影が色濃く残る小さな商店が建ち並ぶ、懐かしい風景の町だ。

確かこの通りを、かつて都電が走っていたはずだが、今でも都電が似合うような雰囲気がある。

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さらに歩くと、動坂下の交差点に出た。

スペースインベーダーのある喫茶店、天ぷらもカツ丼も食べられる町の食堂、すごくいい。

「こんな町に住みたい。」

千駄木4丁目に入って道灌山通りを左に曲がって、すぐによみせ通りに入る。

すこし歩いて谷中銀座入口から日暮里方面に左折すると、夕焼けだんだん。

名付け親は森さんだという。

ここから富士山が見えたのに、マンションが出来て見えなくなったと、森さんがどこかで書いていた記憶がある。

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夜なので、わかりづらいが、確かに正面がマンションになっている。

夕焼けだんだんを上がった左手にあるのが、経王寺。

日蓮宗の寺だが、上野戦争の時に敗走する彰義隊をかくまったため銃撃を受けたという。

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弾痕が今でも生々しく残る。

この山門は杉浦日向子『合葬』の世界の生き証人だ。

見ているだけで、切なくなってきた。

山門を見ていたら、雨足が強くなったので、急いで日暮里駅に向かった。

日向子さんの『ソバ屋で憩う』に掲載された「川むら」は、すっかり人気店になって、今夜も混んでいた。

ご存じの通り、日向子さんは亡くなり、森さんをぼくに紹介してくれた建築家鈴木隆行さんも亡くなり、森さんは谷根千から、宮城県に移住した。

しとしと降り続ける雨に濡れた町が、まるで『合葬』の表紙のように見えた。

2012年4月24日 (火)

神田明神のある外神田から万世橋、さらに駿河台から神保町界隈は、高校時代からの遊び場なので、歩いているだけでワクワクしてくる。

今日は午後からクリニックに行くので、午後の診療が始まるまで、神田駿河台、神保町界隈を散歩した。

健康体を回復するために、あさの体操とウォーキングは欠かせないのだ。

メトロの御茶ノ水駅を降りて、まずは神田明神へ。

江戸の総鎮守平将門を祀るこの神社は、田中優子さんもお気に入りで、ぼくのパワースポットだ。

同じ思いの人も多いらしく、この神社を参拝する人たちは、かなり気合いが入っていて、本殿の前に立つと、何か異様なムードが漂っている。

将門さんパワーは尋常じゃない。

青木更吉さんに教えてもらったのだが、茨城県の特に、利根川沿いの地域では、将門さんは今でもスーパーヒーローなのだそうだ。

両親のルーツが茨城のわたくしとしては、「まさかど」なんて呼び捨てにできないのである。

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これからクリニックに行くので、甘酒といえども、酒は酒、しかも今は断酒中。

疲れがふっとぶ天野屋の冷たい甘酒を我慢して、湯島聖堂に向かう。

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どうです。見事でしょ。湯島聖堂。幕府が作った昌平坂学問所。

観光コースでもないし、神社仏閣でもないから、みんな案外知らないんだよな。

都心にあるとは思えないひっそりと静まり返ったがらんとした空間。

よくスーツ姿の男性が、物思いにふけっている姿を見かける。

神田明神のある外神田から万世橋、さらに駿河台から神保町界隈は、高校時代からの遊び場なので、歩いているだけでワクワクしてくる。

湯島聖堂を辞し、風格のある建物を壊してつまんないビルを建てた明治大学を横目に見ながら、東京堂書店に急ぐ。

東京堂書店がリニューアルして、ブックカフェ化しているという。

ところがカフェはスタバもどきの、紙コップコーヒーだった。

ぼくは紙コップで飲むのが大嫌いなので、カフェはパス。

アウトレット本コーナーがなかなか良くって、海野弘の本を買いたくなったけど、不急の本なので、今はパス。

発売されたばかりの「心地よきブックカフェ」という本を購入。

実は那須高原の家をライブラリーカフェに改造しようかと考えているのだ。

那須はいろいろ面白いカルチャーが育っているけど、本を読める場所がない。

「マーマー」とか「ぷーじぷーば」とか児童書のある、いい空間はあるけど、大人の面白い本を読める場所がないから、自分で作っちゃおうかと、考えている。

テーマはズバリ。「杉浦日向子と荷風と大江戸スローライフ」

とうとう書いてしまった。もう、後には引けないぞ。

那須高原らしい、森の生活だの、エコロジーだの、ロハスだのは、いくらでもぼくより詳しい人がいるし、ぼくは日向子と荷風と江戸が生涯のテーマなので、大阪に行こうが、北海道、沖縄に行こうが、自分の好きな日向子と荷風と江戸やその周辺をやりたい。

で、東京堂のはす向かいにある美術書のボヘミアンギルドに行ったら、無料で素敵な版画を見せてもらったので、ストローベイルハウスが載っている『草のちから藁の家』を購入。

そこから歩いて御茶ノ水駅に向かう途中、東さんや栗原さんという知り合いがやっていたので、15年くらい前、よく遊びに行った「ガイア」というエコロジーショップに立ち寄った。

面白い本がないか物色したけど、本自体がずいぶん減ってしまったので、いいものが見つからなかった。

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こんな激しく変化する世の中で、15年前と同じ場所で、大きな資本の力も借りずに、エコロジーショップを経営しているのは、大した努力だと思う。

八重桜だろうか、ガイアの前の道は春らんまんだった。

だから今夜は、はっぴいえんど「春らんまん」

グレイトフルデッドの「ワーキングマンズ・デッド」のようなコーラスが印象的な曲です。

2012年4月23日 (月)

初めて見たロケットストーブの魅力にはまってしまった。

金曜日の晩にトラブって、名古屋で足止めを食って、無理かと思ったけど、なんとか高速道路を使って、日帰りの那須ツアーに出かけてきた。

高速道路を80キロ台でゆっくり走ると、燃費が悪いフルタイム4WDの燃費がガンガン向上することを発見。

この前に乗っていた車は飛ばせば飛ばすほど燃費が良くなる変態車だったので、そんな当たり前のことを忘れていた。そして、オートクルーズって、高速をゆっくりと、長時間走るためのテクノロジーだったってこともわかった。

「ゆっくり走ろう。高速道路」

それはさておき、今日の目的はアースデイ那須2012。

フェイスブックで知り合った大平夏澄さんに教えてもらい、だいぶ前から楽しみにしていた。

非電化工房の自家焙煎コーヒーは売り切れで、残念だったけれど、大平さんの豆乳スープも、あいかけんのベジタブルカレーも、森林の牧場ミルク、チャイもみんな美味しかった。

雨が急に本降りになってしまったので、予定を早く切り上げて、急いで引き上げることになったけど、初めて見たロケットストーブの魅力にはまってしまった。

いわゆる薪ストーブの一種なんだろうけれど、そこはかとなくお金持ちの趣味趣味の香りが漂う、洋もの指向の薪ストーブのカルチャーってのに、なじめなくて、なんとなくオイラの世界じゃない感じがしていた。

ソファに腰掛けて、高級なブランデーをなめながら、「炎が見えると癒やされますなあ」なんて、ベタな発言をしなきゃいけないようなカルチャーを感じる。

ホームセンターで購入した薪だけじゃなく、何でも燃やせる、ドラム缶で作ったロケットストーブを見て、こういうものを探していたことに気づいた。

ずいぶん昔、山小屋の設計をしてくれた空間工作所で売っていたトラックのホイールストーブに、通じるワイルドで、パンキッシュな可笑しさがある。

おもわずニヤッとしてしまう。

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販売しているのはミュージシャンの中嶋竜一さんで、技術を担当しているのが蔵田直樹さんというお二人で、多分オイラと同世代で、久々にいたずら心を刺激してくれる仲間に出会ったような予感がする。

古いテクノロジーを応用したものらしいが、これからじっくり研究してみよう。

わくわくするなあ。

今夜もリヴォン・ヘルム追悼で、ライブアルバム「ロック・オブ・エイジズ」から、湿っぽい曲はやめて、リヴォンらしいご機嫌な「The W.S. Walcott Medicine Show 」

数あるこの曲なら、このバージョンが最高。

聴いているうちに、元気になってくる。

2012年4月22日 (日)

明治以降、長い間江戸文化を古くさい因循なものとして、ぼくたちは教わってきたけれど、前のめりに近代化を推し進めてきた結果が3.11だったと思う。

西日暮里駅の地下鉄の通路を歩いていたら、一葉桜祭りというポスターが目に入った。

浅草のお祭りということだけど、江戸吉原花魁道中なるパレードがあったようだ。

雑誌「東京人」に書いてあったように記憶しているが、以前雑誌で吉原を取り上げるのは、地元の人の反対で難しかったという。

ところが今は地元の人たちがお祭りで、花魁道中をやっている。

時代は変わったんだと思う。

日向子さんやそのほかの数多くの江戸風俗研究者の尽力で、江戸文化の見直が進み、花魁の存在も、近代社会の売春婦とは違うということが、少しずつ理解されてきたという証だと思う。

明治以降、長い間江戸文化を古くさい因循なものとして、ぼくたちは教わってきたけれど、前のめりに近代化を推し進めてきた結果が3.11だった。

3.11の前と後では、時代が変わってしまった。

いままでタブーとされてきたことが、実はタブーでもなんでもなく、臭いものにふたをしてきたつもりが、臭いものなんかじゃない、そこから学び取らねばいけない貴重な教訓だったりする。

野田争議も花魁も三河島事故も共通しているように思う。

原発事故について、情報を隠すことなど、何の益もないことを為政者たちは知るべきだろう。

放射能の雨が降っている時に「落ち着いて行動して」なんていっていた連中が、いまは「原発を稼働させないと今年の夏は大停電が起きる」なんて、国民の不安を煽るような発言を繰り返す。

「恥を知れ」と静かに叫びたい。

多分、明治期以来最大の歴史の転換点に、今ぼくたちは立っている。

後戻りすることなど出来ない。

時代は変わってしまったのだから。

だから今宵は、ボブ・ディランの「時代は変わる」をあなたへ。

2012年4月21日 (土)

リヴォン・ヘルムに捧げる。40年間ほんとうにありがとう。

名古屋に出張に行って、仕事ではまり、二日間ネットも見なかったら、リヴォン・ヘルムが亡くなっていた。

ザ・バンドのドラマーでシンガー。

「ザ・ウェイト」の名唱が、なんと言っても印象に残る。

リヴォンの歌を最初に聴いてから、もう40年あまりになる。

仕方ないか。それだけ自分も年をとったということ。

ロッカーで70まで生きれば、長生きしたほうかもしれない。

昨夜、出張先のホテルで、テレビを見ていたら、コシノヒロコと女優の杏が、人生の終わりに聴きたい曲ってのを選んでいた。

そこで、ふと思った。

オイラの人生の終わりに聴きたい曲って「ザ・ウェイト」かもしれないなあって。

前に、このブログでも書いたかもしれないけど、なにか新しいことを始めようって気分の時、フレッシュな気分になりたい時、オイラはいつも「ザ・ウェイト」をかける。

映画「イージー・ライダー」で見たイメージが残っているのかもしれない。

他にも書きたいことはあるけど、このエントリはリヴォンに捧げよう。

40年間ほんとうにありがとう。

2012年4月15日 (日)

『月3万円ビジネス』の装丁は安っぽく、本文の用紙はテカテカした真っ白けの紙で、晶文社らしい個性は失われているけど、中身は『就職しないで生きるには』シリーズを出した晶文社らしい楽しい内容になっていると思う。

久しぶりにジュンク堂池袋本店に行ったら、晶文社希少本フェアをやっていた。

小野二郎の『ウィリアム・モリス研究』もあったので、ちょっと驚く。

20年前に買った本はセロハンテープの修正だらけで、スペアとして買いたくなったけど、気軽に2冊目を買える値段ではないので、パス。

その傍らに並んでいた藤村靖之『月3万円ビジネス』を手に取った。岩波文庫の「エマソン評論集」も探したけど、版元で品切れ中とのことで、買えなかった。

数ヶ月前まで、読んだことのなかったエマソンだけど、今は生涯の友。

天下の岩波文庫が、エマソンの名著を品切れ状態させて、いいんでしょうか!

それはさておき、藤村さんの本は面白い。

去年の7月に発行された本だけど、晶文社にはもういい本を出す力が残っていないと思っていたので、ちょっと驚いた。

晶文社の新刊本を買うなんて、ひょっとすると5年ぶりくらいかもしれない。

90年代前半の一時期、年一回発行の図書目録と、毎月送られてくるみすず・ミネルヴァと共同出版の新刊案内を見ながら次々と晶文社の本を買い漁っていた。

あの頃は楽しかったなあ。

『月3万円ビジネス』の装丁は安っぽく、本文の用紙はテカテカした真っ白けの紙で、晶文社らしい個性は失われているけど、中身は『就職しないで生きるには』シリーズを出した晶文社らしい楽しい内容になっていると思う。

それだけでもうれしい。

とりとめのない話を続けよう。

日曜日の夜更け、いわゆるサザエさん症候群の時間帯である。

こんな時間を楽しく過ごす音楽ってなんかないかなあって、考えたら、見つけました。

というより再発見しました。

わたくしが選ぶ1979年レコード大賞に輝いた筒美京平、阿久悠コンビの名曲(だと思う)、石野真子「日曜日はストレンジャー」。

学生時代、大学で後輩が作った石野真子ファンクラブの会長に祭り上げられたことがある。

そのころ一番好きだった曲が「日曜日はストレンジャー」だった。

まあ、周囲からは馬鹿にされてたけどね。

今聴くと、それから33年後の、いまの自分のテーマソングみたいだ。

『ぼくたちの野田争議』の著者プロフィール欄の肩書きをどうしようかって考えて「週末文筆家」とした。

「私じゃない私」になるのが週末文筆家の仕事。

いまはどっちがホントの私なのか、だんだんわかんなくなって来ちゃったけど。

2010年に29年ぶりにツアーを再開したという真子の歌声は、新旧聞き比べると33年前よりも、今のほうがずっといい。

うれしくなって、後輩と一緒に33年ぶりにライブに行きたくなってしまった。

ぼくが数多いマイルスのアルバムの中でも、「マイルストーンズ」と「カインド・オブ・ブルー」が特別に好きな理由は、エヴァンスもさることながら、きっとキャノンボール・アダレイが加わっているからなんだろうな。

今日は珍しくかみさんが不在の夜。

寝たきり犬の世話も終わって、夜更けにひとり、PCに向かう。

さっきまで土曜日の夜だったから、山下達郎が唄うひょうきん族のテーマソングなんて聴いて、いい気分になってたけど、そんな時間も終わって、ひとりで静かにジャズが聴きたいなあなんて思った。

静かなジャズと言えば、やっぱしマイルスの「カインド・オブ・ブルー」にとどめをさす。

「ブルー・イン・グリーン」も大好きな曲だけど、一番最後の「フラメンコ・スケッチ」を聴くと、ものすごくリラックスした気分になる。

ぼくが数多いマイルスのアルバムの中でも、「マイルストーンズ」と「カインド・オブ・ブルー」が特別に好きな理由は、エヴァンスもさることながら、きっとキャノンボール・アダレイが加わっているからなんだろうな。

「フラメンコ・スケッチ」でもいい演奏している。

それと1959年という、時代もいいのかもしれない。

モダンジャズが時代の最先端を突っ走っていた時代の勢いを感じるのだ。

50年以上前の演奏なのに、録音状態がいいので、生々しくジャズメンたちの息づかいを感じる。

いまはもう、キャノンボールもマイルスもエヴァンスもコルトレーンもみんな死んじゃったけど、こうして素晴らしい演奏を残してくれたことに感謝しよう。

おやすみなさい。むにゃ。

2012年4月14日 (土)

ぼくたちのようなシロウトは、そろそろここいらで、電子本とのつきあい方を考えておく必要があるだろうと思って、雑誌「本とコンピュータ」を全巻読み直すことにした。

このところ僕の周りでは急激に電子本の話が取りざたされるようになってきている。

去年、ある会合で年配の文学者の方にiPhoneで青空文庫を見せたら、ものすごい形相で拒否された。

そんな人は徐々に少数派になってきていて、年配の方だからこそ、文字の大きさが自由に変えられたり、音声で読み上げる機能を使ったり、いろいろなつきあい方をする人が増えてきているようだ。

僕自身も30年前に買った文庫本は読みづらくてイライラする。iPhoneの青空文庫の方が遙かに読みやすいと思うし、読みかけの本を外出先で読むのに、重宝していて、自然に電子本に移行している。

キンドルだ、iPadだ、リーダーのどれがいいかなんて、技術的な話はどんどん進歩するし、読むためのツールもどんどん新しくなるから、それは専門家に任せておけばいい。

ぼくたちのようなシロウトは、そろそろここいらで、電子本とのつきあい方を考えておく必要があるだろうと思って、雑誌「本とコンピュータ」を全巻読み直すことにした。

とは言っても、揃っているのは第一期だけで、第二期はないから、古書店にネット注文した。

電子本とのつきあい方といえば、小島豊美さんと(株)ジャピールがやっているようなマルチメディア化した地図をモバイル端末でもって歩くというのも、一つの有力な柱になってゆくだろう。電子化すると、あらゆる文献の検索も可能になるから、これからどんな発見が出来るのかと考えると、ちょっとワクワクする。

可能性はどんどん広がってゆく。

車についているナビだって、地図の電子本化と言えなくもない。

くだんの年配の文学者の方は、ナビすらも毛嫌いして、暗がりで地図を見ながら運転するのかしらん。

今日は朝から激しい雨が降っているけど、北朝鮮のミサイルが降ってこなくてよかった。

日本やベトナムで、米軍がナパーム弾の雨を降らせたことを思い出して、アメリカで放送禁止になったこんな曲を貼り付けよう。

三河島駅周辺を歩いて、改めて痛感したけど、三河島事故も、野田争議も、南京事件も、地下水脈でつながっているように思える。

崙書房出版のウェブサイトを見に行ったら、拙著『ぼくたちの野田争議』が紹介されている。

崙書房出版

5月刊と書いてあるので、本当に出版されるらしい。

わかっていても、なんだか不思議な気分で、実感はわかない。

それはさておき、一昨日三河島駅周辺を歩いて、改めて痛感したけど、三河島事故も、野田争議も、南京事件も、地下水脈でつながっているように思える。

人が大勢死んだりした都合の悪い出来事など、臭いものにはふたをして、水に流してしまい、まるで何もなかったかのように振る舞う。

それでも、町の記憶は消せないし、地霊は永遠にささやき続ける。

昔の人はそんな場合、地霊を鎮めるために、いろいろ配慮したわけだが、一直線に近代化に向かって走り続ける社会にはそんな余裕すらない。

20万人の遺体が埋まっている小塚原の刑場の上や下を常磐線や地下鉄日比谷線やつくばエクスプレスが走り抜ける。

ぼくが繰り返し読んでいる名著田中優子『江戸を歩く』の冒頭に、そんな様子が記されている。

過去を消し去りながら、前を向いて走るだけの近代化は、とっくのとうに壁に突き当たっているのに、それに気がつかないふりをして、やってきたツケが一気に露呈したのが3.11だったように思える。

ところが、いまだにそれに気がつかないふりをしているのか、本当に気がつかないのかわからないが、野田君とその取り巻き連中のクレージーさには、哀れさすら漂う。

以前、ある若い学者さんからフランスを中心としたヨーロッパにはエコミュージアムという発想があると聞いたことがある。

エコロジーの博物館というわけではなく、あえて言えば地域(町中)丸ごと博物館っていうイメージで、町の歴史を掘り起こして、発見したものを復元したり、保存したりする運動である。

単なる保存運動ではなく、ミュージアムなのでそれを学習する施設も必要になってくる。

先日、見に行った北砂の東京大空襲・戦災資料センターは素晴らしい展示施設だったけど、区立民営で細々と維持されているのを見て、これでいいのかって疑問もわいてくる。

東京大空襲・戦災資料センター

靖国神社に行って日本人の誇りを取り戻すのも結構だが、戦争がどれほど悲惨なのか、爆撃された後の町の様子を見て、今のアフガンやイラクと同じ風景だと知ることは、それよりずっと大切なことだと思う。

以前も引用したかもしれないが、それでもいい。何度でも書く。

『江戸を歩く』で田中優子はこんなことを書いている。

日本が伝統を重んじる国であるなら、御霊の鎮魂と慰撫を大切にし続けただろう。敵を無視し味方の軍人だけを「英霊」と呼んで特別に祀ったりしないであろう。そういう施設に、国の代表者が参拝に行ったりもしないだろう。日本が伝統を重んじる国であるなら、明らかに御霊とみなされる者たちを、線路で分断しその下に踏みつけにしたりもしない。

2012年4月13日 (金)

事故から50年経過したのを機会に、三河島という地名を復活させてもらえないだろうか。「三河島事故」を忘れるのではなく、忘れないようにするために。

高血圧脱却には、運動が欠かせない。けど、運動している時間がない。

じゃあ、ウォーキングを兼ねて、夜の町歩きに出かけよう。

そう思って、「古常磐線探訪の旅」に出ることにした。

かくいう僕だって、知ったのは数年前なのだけど、創業当時の常磐線は上野ではなく田端駅始発だった。

その創業当時の線路はまだ残っていて、貨物専用線として使われているというのだ。

そこで、前から気になっていたこの線路を探すために、田端駅から三河島まで、歩いてみることにした。

こんなことでもないかぎり一生足を踏み入れることなどなかったであろう東田端1丁目という町を通って、跨線橋の上に立って、古常磐線の線路を撮影する。

002

向こうの高台がいわゆる文士村があった田端である。

芥川龍之介を中心に大勢のクリエータが集った由緒ある町とは、対照的な東田端周辺の寂しい風景に

ぐぐっと、心を引き寄せられる。

そこから、下に降りて食品倉庫の横の路地を抜けると、ありました踏切が。

踏切から三河島方面をパチリ。

007

上を通っているのは舎人ライナーである。

出来たばかりの新交通システムと、役目をほとんど終えた線路が交差する風景に、えもいわれぬ感情がこみ上げる。

ここから路地裏をくねくねと進む。

地図を持たないぶらり旅なので、iPhoneのGPS機能だけが頼り。

それでもなんとか、ここまでたどり着く。

013

古常磐線と上野方面への線路の分岐点である。

同時にそこは、昭和37年5月3日に起きた有名な「三河島事故」の現場周辺であることを思い出した。

そうだ。あれから50年になるんだ。

当時住んでいた根岸から目と鼻の先のこの町で160人もの人が亡くなった事故は連日連夜テレビや新聞で報道されたから、まだ幼児だったぼくでも、印象に残っている。

「三河島事故」の悲惨さは、福知山線の事故以上で、荒川区三河島という地名が、役人によってこの世から消されてしまったほどの大惨事だった。

014

左手が駅のホームなのだが、ふつう23区内のJR駅周辺なら

、こんな公園など作らず、デベロッパーによる再開発で、大きく変貌を遂げているはず。

このあたりは脱線した電車が上から落ちた辺りだと思われる。

事故の記憶伝えるものはないのか、探したが、見つからなかった。

今回の震災でも震災の記憶を伝えるモニュメントを残すか残さないかで、もめているらしい。

でもぼくは思う。

例えばこの公園が「三河島事故記念館」になって、この町が三河島という地名のまま残っていて、日本全国の鉄道関係者の研修施設にでもなっていたら、極めて可能性は低いかもしれないけど、もしかしたら福知山線の事故だって、防げたのでは。

三河島事故の犠牲者の遺族は、福知山線の事故を見て、どう思ったのだろう。

南京事件に関する河村市長の発言には呆れかえったが、もうそろそろ、日本人は「臭いものに蓋をする」ということわざを死語にすべき時が来ている。

そして最後に近隣で育った地元民として、言いたい。

事故から50年経過したのを機会に、三河島という地名を復活させてもらえないだろうか。

事故を忘れるのではなく、忘れないようにするために。

2012年4月11日 (水)

ディプレイの向こうで微笑んでいる昔の上司に会ったら、Sという会社にいたバブルの時代が懐かしく蘇ってきた。

やばいぞ。

眼鏡が合わなくなって、あたまがくらくらするんだとばかり思っていたら、今週になって高血圧だということが発覚した。

最近断続的に続いていた頭痛もこいつのせいかと、愚かにもやっと気づく。

ということで、泥縄式に血圧計を購入、サントリーの胡麻麦茶に「高血圧の方に」なんて書いてある。

「溺れる者は藁をもつかむ」ので、さっそく一缶買って飲んでみた。

青汁みたいなまずいものを連想していたが、以外に美味しい。

どんな飲み物か気になって、サントリーのウェブサイトへ。

サイト内でくりくりやっていたら、突然現れた、元上司のN氏の写真。びっくり。

「まさかこんなところでお会いするとは。ご活躍で何よりです」なんて独り言がでてしまう。

23年前まで勤めていた会社で、この人によく怒られた。

鬼瓦のように怖かった男が、今はにっこり微笑んで、高血圧オヤジ相手に体操を教えてる。

あの会社は仕事が辛くて(20時に退社すると、早いねって言われた。徹夜などあたりまえ、バブルの時代ってどこもそうか)、人間関係はさらに辛くて、いい思い出なんか一つもないと思っていたけど、会社の仕事以外に確固たる自分の世界を持つことを社長自ら社員に勧めるという、当時の日本の企業文化の中では珍しい会社だったようにも思う。

当たり前だが、小泉改革以降の、いまの世知辛い世の中でそんな不思議な会社は生き残れない。

名前は残っているが、実態はまるで別の会社になっている。

ふと振り返ると、30数年に及ぶ長い会社員生活で、銀座にあったあの会社にいた数年間だけが、自分が自分らしくいられた時代のような気がする。

植草甚一はもう亡くなっていたが、植草甚一がよく現れたという洋書のイエナ書店は健在だったし、旭屋書店や近藤書店にもよく通った。

「ミュンヘン」のビールやジャーマンポテトも美味しかったなあ。

店の名前は忘れたけど、和光の裏のおでんやのランチも安くて、美味しかった。

いまの銀座は見る影もなく、外資の店が闊歩する町になっている。

やばいぞ、過去の出来事が走馬燈のように脳裏をよぎっている。

「来るか!お迎えが。」

冗談はさておき、1980年代後半、バブル期の一言で片付けられてしまう時代。

でも、まだまだそこには懐かしい昭和の風景があって、同時に新しいものも生まれていた、希望に満ちていた時代でもあった。

今はそう思える。

あの時代の気分を象徴する名曲坂本龍一の「Ballet Mécanique 」をどうぞ。

2012年4月 8日 (日)

過ぎてしまった歳月はもう戻ってこない。だけどいいたい。B級アイドルよ、永遠なれ。

小島豊美さんと話をしていて、「レコード会社のことわかりますか」と聞かれて、ふと学生時代に作った「歌謡曲研究会」のことを思い出してしまった。

そのころは、ロックを卒業したつもりになって、ちょっと屁理屈をつけて、脱欧米化してワールドミュージックの一部として歌謡曲を楽しんでいますなんて言ってた。

ちょうど、アジアやアフリカのミュージシャンがブレイクし、細野晴臣は「安里屋ユンタ」を歌い、ライ・クーダーがチャンプルーズのレコーディングに参加したり、したころだった。

でも本音はアイドル歌手が好きだっただけではないかと、いまになって思う。

とにかくレコード会社に出入りして、担当者の邪魔ばかりしていた記憶がある。

大学3年まで勉強なんて、ぜんぜんやらなかった。

あの頃ちゃんと勉強していれば、ちゃんとした会社に入って、「新葛飾土産」なんぞ書かず、今頃は伊藤元重あたりの受け売りの日本経済論をとうとうと論じ、エグゼクティブ気分でまっとうな人生を歩んでいたのに………。

などとは少しも思わず、どっちにしろ、いまのような不良中年になっていたんだろうな。

オイラは。

で、アイドル歌手といっても、山口百恵や松田聖子や岩崎宏美のような一流どころではなく、B級のアイドルを探すのが楽しかった。

そういやあ川島なお美だって、当時はB級アイドルだった。

「シャンペン№5」なんてつまんない曲を歌っていて、30年後も芸能界にいるとは思わなかったなあ。

それはさておき、秋ひとみっていうB級アイドルがいて、あのねのねと一緒にやっていたバラエティー番組で、ミニスカポリスの格好をしているのが、とてもかわいらしかった。

『ぼくたちの野田争議』第3校が終わって、表紙のデザインについても、自分なりのアイデアを出して、すべてやり尽くして、ほっとしたら、どうしても秋ひとみの「哀愁ボーイ」が聴きたくなってしまった。

いまは50代半ばのおばさんになっているはずの、秋ひとみだけど、一番美しかった青春の時期を切り取ったこんな動画を見ると、実際切なくなって、結構涙もの。

過ぎてしまった歳月はもう戻ってこない。

だけどいいたい。B級アイドルよ、永遠なれ。

ひっそりとしたひとけのない場所で風雅に桜の毛氈を愛でる花見ってのを、今年こそやってみたい。

お花見の時期がやってきて、花見スポットの周辺は大賑わい。

昨日も江戸川右岸の道路が渋滞していた。

水元の桜土手か、柴又公園にすこしだけ復活した桜が目当てなのかなあ。

そんな都会の桜もいいけど、ぼくはたとえば白井市のはずれの農道沿いに植えられた今井の桜ってのが好き。

今井の桜

写真に惹かれて、数年前手賀公園に行ったときに寄ったら、大型のSUVに乗った家族連れがバンバン押し寄せてきて、農道を占拠してバーベキューなんぞやっていて、農家の人のひんしゅくを買っていた。

トイレはどうするんだろうなんて、つまらぬ心配までしたくなる。

ひなびた農道の中に咲く桜まで、こんな調子なので、いわゆるお花見スポットには足が向かなくなってしまうのだ。

それはさておき、杉浦日向子の『お江戸風流さんぽ道』を読むと、江戸の花見について書いてある。

花見の時期も、現代と異なります。今は七分咲き、八分咲きの散る前を見頃としますが、江戸では散る頃を愛でます。江戸で「桜」といえば、一弁の花びらの形、これを単弁桜と称します。空にハラハラと花弁が舞い、春先の黒くて柔らかい土の上に薄紅色の花びらが積もり、一面、桜の毛氈となる状態を愛でるのが正統派の花見。桜は散りそめてこそ風雅なり、なのです。

寒風が肌を刺すような気候の残る時期に、バタバタと忙しく花見をやるのではなく、ちょっとだけ暖かくなった四月半ば以降に、ひっそりとしたひとけのない場所で風雅に桜の毛氈を愛でる花見ってのを、今年こそやってみたい。

今日は日向子さんが好きだったリトルフィートにしたかったけど、ローウェル・ジョージの歌声は暑苦しい曲ばかりで、いいのが見つからない。

だから、ベタで申し訳ないけど、今朝はさわやかに大貫妙子の「春の手紙」

小島豊美さんは自分の内なる声に促されて、評判を呼んだ「江戸東京重ね地図」のバージョンアップではなく、精魂を傾けて全く新しい「今昔散歩重ね地図」を作っている。

一年間、酷使してきた体がボロボロで、骨盤が歪んでいるらしく、調子が悪い。

先週に引き続いて、今週もいつもの治療院にいった。

すると、あの異常な肩痛がピタリと治癒する。

骨盤の歪みが体全体を不調にしていたということらしい。

気分が良くなったので、金曜日は神保町にある(株)ジャピールの小島豊美さんの事務所にお邪魔した。

小島豊美さんは落語や相撲の評論で有名な小島貞二さんの息子さんで、あの「およげ!たいやきくん」のプロデューサーとして名高い人なのだが、最近作った「今昔散歩重ね地図」というソフトを拡充させるために、いろいろアイデアをお持ちだというので、お話を聞きに行った。

歴史の教科書には出てこない庶民の歴史を追い求めているという話をうかがっていて、最近、ちょっと気に入っているエマソンの『自己信頼』のこんな一節を思い出した。

王たちの偉業は歴史に刻まれたが、ふつうの人々が今日、人知れず行う行為にも大きな報酬が与えられていいはずだ。

自分の考えに従って行動するなら、栄誉は王の行為から市民の行為へと移されるだろう。

小島豊美さんは自分の内なる声に促されて、評判を呼んだ「江戸東京重ね地図」のバージョンアップではなく、精魂を傾けて全く新しい「今昔散歩重ね地図」を作っている。ゾクゾクするほど面白いソフトで、iPadで使えるという点も素晴らしい。

ぼくが東葛飾の忘れられがちな歴史に興味を持っているのも、多分小島さんが重ね地図を作っている想いと通底していると思う。

江戸期には徳川幕府の天領だったこのエリアは、明治の新政府になってから、軍事施設ばかり作られて、ぼくたち住人は地域への愛着もプライドも持ちづらいように仕向けられてきたのではないかと、勘ぐりたくなる。

幕府軍は江戸城を明け渡した後に、市川国府台の里見公園に隣接した総寧寺に集結したわけで、反逆者の記憶を持つ土地だからね。

総寧寺は上野の寛永寺と同じで、江戸時代は広大な敷地を持った寺だったという。

周辺に多い日蓮宗の信者に睨みをきかせるために、関宿から国府台に幕府が移したという説もある。

さらに「南総里見八犬伝」は、幕府につぶされた里見氏を再興する物語というのは大事なポイントで、海野弘が書いているように、八犬伝は儒教道徳に凝り固まったつまらない話ではなく、かなりきわどい反体制文学とも読める。

江戸川という天然の堀を持った、国府台から松戸の戸定邸のある高台にかけて、軍隊を駐屯させたくなった明治新政府の思惑もよおく調べると深いものがあるのかもしれない。

それはさておき、荷風と同じように小島さんもぼくも東京で生まれて、縁あって、長い間東葛飾地域に住んでいる。

これから長いお付き合いが出来ればいいなあって思う。

2012年4月 1日 (日)

今日からは、荷風さんやJ・Jと同時に、R.W.エマソンの『自己信頼』をいつも心の片隅に置いて、暮らしたい。

辻野さんのずいひつ「流星」の原稿が終わった。
書いたのはあっというまだけど、書くまでに散々悩んで、一ヶ月近くかかってしまった。

3.11以降、それまでとおなじような気分でずいひつを書く気持ちになれず

執筆依頼のお話をいただくたびに、悩むようになった。

だから今回は、詩人のSさんと交流する中で、思いついたこと。
詩を書く気分で、エッセイを書いてみたら、少し楽に書けた。
タイトルは「おりこうさんのあなたへ」
ずいひつ「流星」の発売は5月頃らしいので、柏の浅野書店あたりに問い合わせて下さい。

『ぼくたちの野田争議』は、編集のKさんから第3校をもらったので、こっちの作業も大詰だ。
今日から4月。
学校も会社も新しい年度が始まる。
今日からは、荷風さんやJ・Jと同時に、R.W.エマソンの『自己信頼』をいつも心の片隅に置いて、暮らしたい。

社会は、いわば株式会社だ。すべての株主にパンを行き渡らせるために、パンを食べる者の自由と教養は放棄される。もっとも求められる美徳は順応だ。
自己信頼は嫌悪される。社会はものごとの本質や創造性ではなく、名目と習慣を愛する。
一個の人間でありたいなら、社会に迎合してはならない。不滅の栄誉を得たいなら、善という名目に惑わされることなく、それが本当に善かどうかを探求する必要がある。
結局のところ、自分の精神の高潔さ以外に、神聖なものはない。自分自身を牢獄から解き放てば、いずれ世界の賛同を得られるだろう。

やっと、気持ちよく晴れてきた。
春を満喫しに出かけるか。

ピチカートファイブの「ベイビー・ポータブル・ロック」なんぞ携えて。

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