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2012年3月 7日 (水)

みんなの心の奥底にひそむ低次元の妬みや嫉みにアピールするために、次々と敵を創りだして愛なき世界を作ろうとしている人間に期待していいのか。

『ぼくたちの野田争議』のために用意した原稿で、アウトテイクにしたけれど、重要な部分を少しばかり紹介したいと思う。

いわゆる知識人が争議について書いたものは、あまたあるけれど、それらに共通しているのは、どうも争議の当事者の労働者やその家族の精神的雰囲気と、微妙にずれているように思える。
例えば、野田争議のターニングポイントになった、堀越梅男の昭和天皇直訴事件について、当時書かれた本を読むと、異口同音に「畏れ多くも天皇陛下への直訴に及ぶという暴挙に出た」といった調子で書いてある。
 戦後社会に生きているぼくたちには、為政者や権力者や会社側は右寄り、労働者側は左寄りといった図式が無条件に頭に浮かぶのだけど、一九二〇年代の日本では、ぼくたちの理解を超えた庶民感情があったことがわかる。竹村民郎『大正文化 帝国のユートピア』三元社はそんな疑問に答えてくれる必読書である。
 農村工業から発展した街である野田と対照的に、この時代の東京で生きる都市労働者の心情をぼくたちに教えてくれるのが、海野 弘『モダン都市東京―日本の1920年代』中公文庫。
 アマゾンの商品説明によれば「橋、建物、部屋、路地、大通り、レビュー、地下鉄…、そして「個」としての都市生活者、都市遊歩者。同時代の文学作品を手がかりに、東京という新しい近代都市の空間を、1920年代のヨーロッパ、アメリカと並置させ、モダン都市『東京』のイメージを発見する、スリリングな都市論。」とあるが、なかでも野田争議との関係では共同印刷の争議を描いた徳永 直『太陽のない街』の章が興味深い。
 総同盟を除名された共産党系の二十二の組合が作った日本労働組合評議会の指導の下に、関東出版労働組合加盟の労働者が起こしたストライキだが、野田争議との共通点、相違点を見てゆくと面白い。

『ぼくたちの野田争議』を書いて、面白かったのは自民党がいて、社会党がいて、共産党がいた戦後長く続いた55年体制とは全く違う社会が80年前にはあったこと、軍人と左翼がくっついたりすることが当たり前だった、そんな時代があったことを知ったことである。
例えば上記の争議団の副団長で天皇に直訴した堀越梅男という人物は、労働運動家である一方で、在郷軍人会という退役軍人のグループの役員もやっている。
そして、最近思うのは、だんだん今の日本社会が、当時の日本社会に近づいているような気がするってこと。
ファシストは当初労働者の味方であり、資本主義社会を存続させるための希望の星だったことことをオレたちは深く心に刻まなきゃいけない。

何がホントの希望の星なのだろうか。
みんなの心の奥底にひそむ低次元の妬みや嫉みにアピールするために、次々と敵を創りだして愛なき世界を作ろうとしている人間に期待していいのか。

ジョンレノンも言ったように必要なのは愛、究極的にはそれだけのような気がする。
そして愛なき輩と、ハートのある人々の戦いは今年が正念場だと思う。

絶対に負けちゃういけない。

だから、ハートのある人たちは、1920年代をひもといた海野弘や武村民郎の仕事に、今年こそ注目してはいかがかしらと思うのである。

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コメント

あれから梅視軒さんのホームページを見ることもなくすごしていました。昨年の暮れに

今上天皇のお祝いに皇居に行きその帰りに原宿のお店に寄らせていただき少しだけ

話をさせていただきました。勿論面識もなくただブログのファンでミーハー爺です。

求めさせて頂いた漆の栞を見て穏やかで素敵な栗原さんを思い出します。

栗原くんのことを忘れないであげて下さい。それだけが、彼に対する最大の供養のような気がします。

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