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2012年3月

2012年3月31日 (土)

高齢者であるJ.J.の ヒップな魂が躍動する姿は、自分が初老になった今だから、どんなにすてきで価値があることだったのか、よくわかる。

いま勤めている会社の人に、このブログのことはあんまり言わないようにしていたんだけど、
先日酔っ払った時に、しゃべってしまったらしく、Hさんという先輩社員がこのブログを読んでいるって、教えてくれた。
会社の仕事のことは一切書かないけど、きままに好きなことを書きづらくなるから、職場には内緒にしていたのに、ちょっとあせる。
でもね。
Hさんの言葉でとってもうれしかったのは、植草甚一の匂いを感じるって言ってくれたこと。
最近なんとなくだけど、植草甚一が気になっていた。
アメリカの作家たちが気になりだしたからなのかなあ。

そういえばぼくは海外暮らしの長いHさんに、どことなく片岡義男の匂いを感じることがある。
植草甚一と片岡義男って、伝説の雑誌「ワンダーランド」を一緒に作った仲間だったはず。
なんか通じるものがあるのかもしれない。
調子に乗って中央図書館で晶文社から出た「植草甚一スクラップブック 植草甚一の研究」と高平哲郎『植草さんについて知っていることを話そう』を借りた。
ほかには『ウォールデン 森の生活』の新訳など3冊。

「散歩と雑学がすき」と言いながら、ジャンルを横断して、コラージュのような本を出し続けたJ.J. は僕にとって、永井荷風以上に、究極の理想形態だと、最近思うようになった。
もちろん興味の範囲や、持っている資質や、時代背景が違うから、いまさらJ.J. と同じことをやろうなんて、これっぽちも思わない。
大学では建築を学び、映画会社に勤めていたJ.J. が、本来専門外である文学やポピュラー音楽を力尽くで自家薬籠中のものにして、自分の世界を切り開いて、60歳を過ぎてからキラキラ輝く植草ワールドに高めてゆく。

高齢者であるJ.J.の ヒップな魂が躍動する姿は、自分が初老になった今だから、どんなにすてきで価値があることだったのか、よくわかる。

J.J. が聴いていると「胸の中が熱く煮えたぎるようになり、深夜の街をさまよい歩きたくなる」というマイルス・デイヴィスの「ラウンド・ミッドナイト」を本日の締めくくりに。

2012年3月25日 (日)

ゴールデンウィークの一日くらい、会社のことも、放射線量のことも忘れて、水元公園の木陰で「ウォールデン」なんか読むのもいいなあ。

ああ、やっとさっき終わったぜ。
『ぼくたちの野田争議』第2校。

校正というよりヴァージョンアップ。
ヴァージョン2でユニテリアン・キリスト教の説明を追加した。
まさか、この歳になってアメリカのキリスト教の教義について書くことになるなんて、
夢にも思わなかった。
20代の頃銀座の教文館まで通って、せっせと集めたキリスト教関係の本を、置き場に困って数年前に大量に廃棄処分してしまったのだ。
だから資料集めから始まって、時間も手間も大変だったけど、収穫もあった。

それはエマソンやアメリカルネサンスの作家たちを再発見したこと。
エマソンは今回初めて読んだが、ホイットマンの「草の葉」や、ソローの
「森の生活(ウォールデン)」にイメージだけであこがれて、若い頃読んだことがある。
なんとなくいいなあって、思ったが、どこがいいのかうまく説明できなかった。
酒本雅之さんは『アメリカ・ルネッサンスの作家たち』岩波新書で、このように書いている。

魂にそなわる無限の奥ゆきに、このように全面的に信仰を捧げること、―これがエマソン思想の原点とも言うべき「自己信頼」(Self-Reliance)の実質だ。自分の内面には神が宿っており、どんな外界の権威にも惑わされることなく、ひたすら内面の声に無条件に従おうとする態度だ。

若い頃だったら、「ただのわがままじゃん」なんて思って、自分の尺度で片付けてしまい、
すうっと読み流してしまったこんな文章が、どれほどすごいことを書いているのか、
やっとわかってきた気がする。
今でもエマソンの『自己信頼』はオバマ大統領の愛読書といわれるゆえんだろう。

若いときは諸先輩方のアドバイスという名の雑音がいっぱいあって、自分の内なる声に耳を傾ける余裕などなかった。

この10年間バカ・ブッシュのようなアメリカ人のイヤな面ばかり見せつけられて、
ぼくはちょっとアメリカを嫌いになっていた。
アメリカ人の精神の源流にエマソンやホイットマンやソローがいることを忘れていた。
この30年の間に新訳も出ている。
ゴールデンウィークの一日くらい、会社のことも、放射線量のことも忘れて、

水元公園の木陰で「ウォールデン」なんか読むのもいいなあ。

音楽はムズかしいことなんか考えず、いつだってご機嫌なピチカートファイブの「Happy Sad」

ついでにボーカルの野宮真貴が書いたへんてこりんな本「おしゃれ手帖」

も面白かったので、ご紹介です。

2012年3月20日 (火)

ゆっくりと、時間は一方向に流れてゆき、ぼくの食道とちがって、残念ながら逆流することなどないのだ。

久しぶりに暖かい気持ちのいいウィークデイのお休み。
ぼくは老犬の介護で忙しい。
いつものようにカミさんは仕事なので、本日の家事はぼくの仕事。
一度おしっこさせるのに、5分はかかる。
全部出し終わったと思って、おしめを着けたとたんに、いきなりジャーっと始まったりする。
1995年のクリスマスに赤いリボンのついた小箱から飛び出してきた元気な子犬が
いまはぼくの手の中で、両方の目玉がつぶれ、痩せこけた老犬として、
食事も、排泄も何も出来ない無力な生き物として、じっとしている。

それでも、この犬と過ごしてきた月日を思うと、こんな惨めな老犬がたまらなく愛おしくなる。

小学生だった息子は、社会人になって、とっくに家を出た。
もう一つ屋根の下に暮らす家族ではない。
青年だったぼくも、初老のじいさんになった。
ゆっくりと、時間は一方向に流れてゆき、ぼくの食道とちがって、残念ながら逆流することなどないのだ。
過ぎ去っていった時間はもう戻ってこない。
早晩、我が愛犬も、事故死した愛猫タマ姫の所に旅立つにちがいない。
そしてぼくにとっても、この世の知り合いよりも、あちらの世界に顔なじみが増えてゆく。

もうすぐ4月、今年もまた、桜の花は咲くのだろう。
桜の木のある小道で落ちてくる花びらを、夢中になって追いかけたあの日を、

彼女は覚えているのだろうか。

シュガーベイブの「過ぎ去りし日々」を貼り付けたいのだけど、見つからなかった。

おかげで頭がシュガーベイブモードになってしまったので、例によってひとひねり加えて、

ナイアガラ・トライアングルから山下達郎の「パレード」を貼ります。

シュガーベイブのリズム隊に加えて、坂本龍一がピアノで、吉田美奈子がボーカルで参加したこのメンバーをぼくは第二期シュガーベイブだと思っています。

2012年3月18日 (日)

ユーラシア大陸の見知らぬ町に住む音楽家の奏でる音楽を聴いていると、 ちょっとだけ自分の狭い世界が広がったような、ゆったりした気持になる。

松戸のボックスヒルがなくなり、アトレに名前が変わって新装オープンするというので、

行ってきた。
ほんとは「くまざわ書店」に行きたかったのだけど、くまざわ書店とユニクロのフロアだけ、オープンは4月末だというので、ちょっとがっかり。
仕方がないので、良文堂に行って、前から手に入れたかった雑誌「SWITCH TRAVEL ISSUE」を買った。
最近、この雑誌は毎度毎度、こっちのツボにずばっと切り込んでくる特集を組む。
今号では女優の山口智子が世界中の音を紹介する特集。
ヨーロッパの古いケルト文化に詳しい鶴岡真弓も紹介されている。

この人好きなんだよなあ。三年くらい前に松戸に来て「東葛出版懇話会」で話をしてくれたのに、行けなかったのが、いまでも悔やまれる。

万難を排して行くべきだった。

真間の手児奈の勉強をきっかけに縄文文化に興味を持ち始めたら、世界中の先住民文化がとっても親しく思えてくる。

岡本太郎のこともちょっとだけ理解できたように錯覚してしまう。

「SWITCH」は、のっけからジプシーの楽団の紹介で、ワクワク。
世界旅行をしている気分になる。
日頃はアメリカやイギリスのロックばかり紹介しているけど、ホントは情報が乏しいワールド・ミュージックといわれるような世界中の音楽が大好きなのだ。

ロックは70年代に入って徐々に産業化してゆき、どんどんつまんなくなって、袋小路に入っていったように思える。

それに対して、ユーラシア大陸の見知らぬ町に住む音楽家の奏でる音楽を聴いていると、

ちょっとだけ自分の狭い世界が広がったような、ゆったりした気持になる。

「SWITCH」の中で、トルコの音楽家ファジル・サイが吟遊詩人アーシュク・ヴェイセルに影響されて作った「ブラック・アース(黒い大地)」という不思議な曲が紹介されている。

クラシックや民族音楽の境を超える「宇宙と地球を結ぶ美しい言葉」をどうぞ。

2012年3月17日 (土)

『マックス・ヴェーバー入門』という小さな本で、師を尊敬することは、師を乗り越えることだと、山之内靖は教えてくれている。

教会に通うのをやめてから30年経つ。

その頃通っていたのは、日本基督教団というプロテスタントの教会だった。

別にクリスチャンだったわけではない。

社会人になって、仕事と人生について考えるようになって、いろんな悩みが出てきて、自分一人の頭で考えていても答えがだせなくて、教会に通い始めたのだ。

結局、そこでも答えは見つからず、キリスト教と手を携えてやってきたモダニズム全体に批判的な目を向けるようになって、数年後ウィリアム・モリスと出会い、さらに数年後魂のふるさと江戸人の生き方に心揺さぶられて、いまに至る。

教会に通っていた頃、ぼくはマックス・ウェーバーという20世紀最大の知の巨人を追っかけていた。
特に好きだったのが名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
読みづらい訳だったけど、ウェーバーにしては難解な本ではなく、プロテスタントの一派であるピュウリタニズムから、予期せぬ結果として、近代の資本主義社会の起業家精神が生まれてくるというそのスリリングな論理の展開に圧倒された。

戦後を代表する知識人大塚久雄は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を翻訳したことでも有名だけど、その大塚久雄が岩波新書の『社会科学の方法』でこんなことを書いている。

彼がそうしたピュウリタニズムの精神的雰囲気というものを驚くほど深く理解し、またそれに対して深い尊敬と親近感をもっていて、それが彼の学問の一つの基調になっていることは確かだと思います。

「そうかなあ」って思ったが、何しろ相手はあの大塚久雄である。

間違ったことを言うわけなどない、とてつもなく偉い学者だと思っていたし、いまでも大塚学史学は自分の思考の基礎になっている。

だけど、この部分には納得できないものを感じて、教会を離れたとたんにウェーバーへの興味も急速にしぼんでしまった。

ところが、『ぼくたちの野田葬儀』の打ち合わせの時に、編集者のKさんがマックス・ウェーバーの話をするもんだから、ふとそのころの思い出がよみがえった。
そこで山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』を読んでみた。

山之内靖はもともと大塚久雄の弟子だったから、1997年に出版された当時も読む価値などない本だと思っていた。

ああ。15年間もこの本を読まずに過ごしてきた自分が悲しい。

30年前の若き日、自分の心に引っかかった部分を、山之内靖は見事に解説してくれている。

ウェーバーはピューリタンの擁護者などではなく、ニーチェと並ぶモダニズムを批判した思想家だったのね。やっぱり。

山之内靖は真摯に学問に取り組んだ結果、師である大塚久雄を乗り越えていることに、感銘をうける。

アマゾンで誰かが、この本を新赤版最高の名著って書いているけど、ぼくもそう思う。

『社会科学の方法』は今でも読まれなければいけない、青版最高の名著の一つだと思う。

だけど、内村鑑三門下のクリスチャンだった大塚は、ウェーバーが言いたかった一番大事なポイントを見誤ったと思う。

『マックス・ヴェーバー入門』という小さな本で、師を尊敬することは、師を乗り越えることだと、山之内靖は教えてくれている。

2012年3月11日 (日)

人と人がつながるってことの意義を、考えなおす機会を与えられた一年でもあった。

とうとう3月11日がやってきてしまった。

たったの一年なのに、この一年は10年間分くらいの大きな環境変化だった気がする。
昨日は午前と午後ひとりずつ、二人の人と会い、いろんな話をした。
「一期一会」なんてカッコイイことは言えないけど、一年前までは何でもなかった

「人と人が会う」ってことが、とっても大切な人生の小さな断片だと思えるようになった。
だって、明日は会えるかどうかわからないのだから。

この一年で、多くの新しい知り合いが出来た。
そして古い友人たちとの、新しい出会いもあった。
何人かの古い友人の死も見届けた。
人と人がつながるってことの意義を、考えなおす機会を与えられた一年でもあった。

もうすぐ初めての単独名義の本『ぼくたちの野田争議』が出る。
この本は、いまよりもずっと人と人がつながりあい、狭い町でひしめき合い、時に争い、

時に協力して、濃厚な人間関係を築いていた1920年代という時代のレポートだ。
そして、働く人たちがつながりたくても、権力の側がつながることを許さない時代が

あったことを教えてくれる本でもある。

この本が紙の本としては、ぼくにとって最初で最後の単独名義の本になる可能性は高い。
出版事情は悪いし、ぼくがこれからいつまで生きられるのかもわからない。
だから、残っているエネルギーのすべてを注ぎ込んでみよう。
後悔しないために。

東日本大震災から初めての3.11に向けて、朝から音楽を選曲していたのに、こんな深夜になってしまった。

昼間考えた元気な曲は、不似合いな気がする。
こんな曲はいかがですか。

2012年3月 7日 (水)

みんなの心の奥底にひそむ低次元の妬みや嫉みにアピールするために、次々と敵を創りだして愛なき世界を作ろうとしている人間に期待していいのか。

『ぼくたちの野田争議』のために用意した原稿で、アウトテイクにしたけれど、重要な部分を少しばかり紹介したいと思う。

いわゆる知識人が争議について書いたものは、あまたあるけれど、それらに共通しているのは、どうも争議の当事者の労働者やその家族の精神的雰囲気と、微妙にずれているように思える。
例えば、野田争議のターニングポイントになった、堀越梅男の昭和天皇直訴事件について、当時書かれた本を読むと、異口同音に「畏れ多くも天皇陛下への直訴に及ぶという暴挙に出た」といった調子で書いてある。
 戦後社会に生きているぼくたちには、為政者や権力者や会社側は右寄り、労働者側は左寄りといった図式が無条件に頭に浮かぶのだけど、一九二〇年代の日本では、ぼくたちの理解を超えた庶民感情があったことがわかる。竹村民郎『大正文化 帝国のユートピア』三元社はそんな疑問に答えてくれる必読書である。
 農村工業から発展した街である野田と対照的に、この時代の東京で生きる都市労働者の心情をぼくたちに教えてくれるのが、海野 弘『モダン都市東京―日本の1920年代』中公文庫。
 アマゾンの商品説明によれば「橋、建物、部屋、路地、大通り、レビュー、地下鉄…、そして「個」としての都市生活者、都市遊歩者。同時代の文学作品を手がかりに、東京という新しい近代都市の空間を、1920年代のヨーロッパ、アメリカと並置させ、モダン都市『東京』のイメージを発見する、スリリングな都市論。」とあるが、なかでも野田争議との関係では共同印刷の争議を描いた徳永 直『太陽のない街』の章が興味深い。
 総同盟を除名された共産党系の二十二の組合が作った日本労働組合評議会の指導の下に、関東出版労働組合加盟の労働者が起こしたストライキだが、野田争議との共通点、相違点を見てゆくと面白い。

『ぼくたちの野田争議』を書いて、面白かったのは自民党がいて、社会党がいて、共産党がいた戦後長く続いた55年体制とは全く違う社会が80年前にはあったこと、軍人と左翼がくっついたりすることが当たり前だった、そんな時代があったことを知ったことである。
例えば上記の争議団の副団長で天皇に直訴した堀越梅男という人物は、労働運動家である一方で、在郷軍人会という退役軍人のグループの役員もやっている。
そして、最近思うのは、だんだん今の日本社会が、当時の日本社会に近づいているような気がするってこと。
ファシストは当初労働者の味方であり、資本主義社会を存続させるための希望の星だったことことをオレたちは深く心に刻まなきゃいけない。

何がホントの希望の星なのだろうか。
みんなの心の奥底にひそむ低次元の妬みや嫉みにアピールするために、次々と敵を創りだして愛なき世界を作ろうとしている人間に期待していいのか。

ジョンレノンも言ったように必要なのは愛、究極的にはそれだけのような気がする。
そして愛なき輩と、ハートのある人々の戦いは今年が正念場だと思う。

絶対に負けちゃういけない。

だから、ハートのある人たちは、1920年代をひもといた海野弘や武村民郎の仕事に、今年こそ注目してはいかがかしらと思うのである。

2012年3月 4日 (日)

来なくていいが、あれからホリエモンは一度でも葛飾区内に足を踏み入れたことがあるのだろうか。

最近買った本で素敵だったのは「東京人3月増刊 葛飾区を楽しむ本」。
いままで「散歩の達人」その他いろんな雑誌で葛飾区のことは取り上げられてきたけど、
さすがに「東京人」だ。

他のメディアとはちょいとレベルがちがう。
なかでも池内紀が案内人をつとめた小菅なんて、ちょっと感動モノ。
葛飾区内でも映画や漫画で有名な柴又、亀有や、酒場で有名になってきた立石や、JRの駅がある金町、新小岩に比べて小菅ってのは、歴史ある街だけど、あんまりスポットライトが当たらない場所だった。
ホリエモンが一時期暮らしていたけど、目立った商業施設もない町であり、「東京人」ならではの特集だから、とってもうれしい。
大昔、野菜の行商をしていた叔母に手を引かれて拘置所の刑務官たちの住む家を訪ねて、小菅界隈をうろうろした日々を懐かしく思い出した。

来なくていいが、あれからホリエモンは一度でも葛飾区内に足を踏み入れたことがあるのだろうか。

ホリエモンのような人間は一番、葛飾区のカルチャーとマッチしないように思う。

ホリエモンが出所する際、テレビの画面に葛飾区って文字が映し出された時、瞬間的にそんなことを考えた。

それと、小菅と金町のレンガ工場の紹介もよかった。
立石三郎っていう人が書いているのだが、本名だろうか。
立石の居酒屋で「もつ焼きとボールちょうだい」なんて言わず、「餃子とビール下さい」なんて頼んでいる川本三郎っていうイメージのペンネームのような気がするけど、それはさておき、江戸川の河畔にあった金町煉瓦会社のことは以前から気にかかっていて、調べたいと思っていた。
それがいきなりこんな立派な本になって堂々と紹介されていると、先を越された感を通り越して、見事な仕事ぶりに拍手を送りたくなる。

今回ちょっと困ったのは以前、このブログで紹介した大場川の閘門橋が二箇所で写真付きで紹介されていること。

大場川の閘門橋

地元民の密かな誇りだったこの橋があんまり有名になってくれるのは、ちょいとフクザツな気分。

観光客なんか押し寄せてこなきゃいいんだけどなあ。

色川大吉さんの話を読むと明治の父祖たちの志に対して、勉強不足な自分が恥ずかしくなる。

先日朝日新聞の時の回廊というシリーズに色川大吉さんが登場して自由民権運動について語った「変革の志 復興の情熱に」という言葉が印象に残った。
朝日新聞のウェッブ版にはアップされていないようなので、個人のブログを探したら酔流亭さんという方のブログで紹介されている。

酔流亭日乗

好きな作家に荷風さんと日向子さんの名前がないのが、不思議に思えるようなタイトルのブログだけど、内容が充実していて、感心してしまった。

逆流亭写楽斎としては、久々に刺激を受ける内容のブログを発見した感じで、ちょっぴり嬉しい。

内容からすると、ぼくと同じ東葛飾地域にお住まいの人かもしれない。

そういえば佐原生まれの色川大吉さんは我孫子に縁の深い人で、地元で地域史を研究している仲間の人たちから、色川さんの名前を聴いたことがある。

ぼくはシュガーベイブでデビューした二人のうち、山下達郎のように、この道一筋何十年というのが苦手で、大貫妙子のように常に新しい刺激を求めてしまう体質がある。

そんな体質だから『ぼくたちの野田争議』の仕事をやり終えて、少しばかり地域史とは違うことがやりたくなっているのだが、こんな記事を読むと、利根川水系の地域共通の街の記憶「自由民権運動」について、おれたちはもっともっと知るべきなんじゃないか、なんて考えこんでしまう。

手元にあるNHKブックスの『民権百年』巻末の地図を改めて見ると、明治10年代にものすごい数の民権結社が発生していたことを知る。

なんだか明治の父祖たちの志に対して、勉強不足な自分が恥ずかしくなる。

心はゆれゆれだあぁ。

某音楽雑誌では、大瀧詠一のプロデュースがダメなんて評価を食らって、全く売れなかった、このアルバムが廃盤になるのが不安で、ぼくが急いでレコード屋に走ったことなど、今の若い人は信じてくれるでしょうか。

今から35年前、当時すでに完成されていた山下達郎と大貫妙子のシュガーベイブ「ソングス」の名曲をどうぞ。

2012年3月 3日 (土)

地図マニアにそそのかされて

『ぼくたちの野田争議』の校正を終えて、一息ついたらなんだかホッとしてしまい、
頭の中が真っ白になった。
こうなるともうダメ、自然のリズムに従うしかなくて。
茨木のり子さんの詩集「倚りかからず」を買って読んだり、レコードコレクターズの増刊号を読んだり、いろんなことを試してみるが、頭の中からクリエイティブな光が消えている。
同時に怒りや喜びの感覚まで鈍くなっている。

自民党がどんな憲法原案作ろうが、橋下某が職員の思想調査をしようが、河村某がバカな発言をしようが、どうでもいい。
季節の変わり目ってことかもしれない。

それに、実は珍しく公私ともに忙しくて、考えることがいっぱいある。
そんなさなかに、iPhoneのGメール機能が突然使えなくなって、移動中はメールが受け取れなくなった。
Gメールをキーにして、スケジュール管理ソフトも動いているので、外に出るとスケジュールも分からん。
手帳でスケジュール管理することはとっくに止めてしまっている。
そこで仕方なくNOzbeの機能をフル活用しだしたら、かなりいい具合だ。かえって仕事がはかどる。

値段の高いクラウドのソフトなので、おすすめはできないけれど、興味のある人は無料版で使ってみるのもいいかもね。

こんな感じで頭がクリエイティブに働かないときは、ずいひつ「流星」の原稿も当然ダメ。
だったら別の仕事をするのがいいと思って、地図作りのソフトを買って、野田争議の地図を作ってみようとしている。
地図マニアの友達Y・Yさんにそそのかされたわけだが、ジャストシステムの「地図スタジオ」ってソフトに、フォントもたくさん入れて、ああでもないこうでもないって、やるのがすごく楽しい。
実はそんな作業をやっているときが一番好きな時間だってことに気がついたりする。
晶文社から出た齋藤公江『モリスの愛した村』とか『ユートピアだより』に載ってる地図がいい感じなので、その線をねらってみよう。
どんどん楽しくなってきたぞ。

頭が回転しない、「駄目な僕」は優しい歌が聴きたくなる。

ビーチボーイズの名曲「駄目な僕」もいいけど、それは次の機会にしよう。

いろいろ探したけれど、ローラ・ニーロが死と直面しながら書いた最後のオリジナル曲が一番優しくて素敵だった。

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