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2012年2月12日 (日)

菊谷文庫の雑誌「Kototoi」を読んで東北人の強さを発見した。

菊谷文庫から「Kototoi」第1号が届いた。

669kototoi

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懐かしいような、新しいような、なんとも不思議な雑誌。
「集古」という明治時代の雑誌が、和綴じで作られていて、当時ですら異彩を放っていたという文章が山口昌男『内田魯庵山脈』に出ていた。

それを読んで、いつか自分も21世紀に和綴じの雑誌を作ってみたいと思っていたが、菊谷倫彦氏に先を越されてしまった。
でも、これだけ素敵な雑誌を作られてしまうと、先を越された悔しさよりも、見事な仕事ぶりに拍手を送りたい、そして感謝したい気持ちでいっぱいである。
巻頭に「詩を失った時代に」という菊谷氏の論文がある。

文学というのは、ジャンルのことではない。まして、学問の一分野のことではない。文学とは、人間によって話されていることば、そして話されなかったことば、そのすべてのことである。だから、文学とは日常のことであるというのは、間違いではない。文学を、本のなかや、特定のジャンルのなかに閉じ込めたのは、専門家やインテリの罪である。そうした人物たちは、文学を死んだ記号の列に封じ込めた。それは、生きている者をつかまえて、僧侶の名のもとに、棺桶に埋葬するのと同じである。私には、棺桶のなかから、生きている者たちの叫び声が聞こえる。その声がよみがえり、私に文学について語らせているのである。

論文の一部を引用させていただいたが、ぼくはものすごく共感する。

ブンガクってなんだろう。そんなにエラいのかな。

「特定のジャンルのなかに封じ込めた」専門家やインテリたちが文学を近づきがたいものにしている。

普段文学に縁遠い人と話をすると、「私には文学がわからないから」って言われてしまう。

カラオケで歌を唄うことだって、立派な文学的活動だと思うのだけど、間違っているのかなあ。

菊谷氏は市川在住だが、ぼくは「Kototoi」に秋田生まれの菊谷氏らしい東北人の強さを感じる。

中沢新一「哲学の東北」や赤坂憲雄「東北学」、そして宮沢賢治の仕事に接してみると、東北人たちに、沖縄人と共通する風土に根ざした人間の強さを感じるのだ。

それは、ぼくのような関東人が、いまは失ってしまった強さであるがゆえに、沖縄から帰って長い期間、沖縄病に苦しんだのだ。

それはこの雑誌に寄稿している菊谷氏と同じ秋田県人友川カズキの歌を聴いても感じる。

ぼくの文章などはじき飛ばされるような、ジャンル分け不可能なパワーがある。

とてもこのエントリに貼れない。ものすごいエネルギーだ。

またエントリが長くなった。

日本の出版文化の将来を担う新星が誕生したことを祝って、今夜は終わろう。

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