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2012年2月

2012年2月27日 (月)

「週末文筆家」だってたまには忙しいのよ。

10日もかかった『ぼくたちの野田争議』の校正がやっと終わった。
自分の肩書きをどうしようかって考えた。

作家などと自称するのは、おこがましいし、はなはだ不適切だ。

フリーライターでもジャーナリストでも、ましてや歴史家や学者といったアカデミックな世界とは縁遠い、サラリーマン兼業ライターの一般ピーポーである自分の肩書きをなんとしようか悩んだ末に「週末文筆家」にした。
ネットで調べると「週末作家」という言葉はあったが、週末文筆家はいないので、日本初の「週末文筆家」の誕生である。
まあ、冗談はさておき、なんでぼくがこんなことやってるかって言えば、

多分ヒマだからなんだろうと思う。

今思うと、子会社に出向して責任者っぽいことをやっていた2年間や、20年以上昔のコンビニ勤務時代、文章をこねくり回す余裕なんぞこれっぽっちもなかった。

去年の秋、某大手電気機器メーカーの地方支店長になっている大学時代の同級生に会ったら、文章なんぞ書く時間が持てて羨ましいと言われた。

友人は地元や勤務先で名士の集まりに招待されるので、自分の時間が持てないとこぼす。

そういや、ぼくは名士の集まりなんぞには、ついぞよばれた記憶などない。

うだつが上がらないサラリーマンを30年以上やっている。

はためには可哀想な人なのかもしれぬ。

でもね。

これだって、週末は結構忙しいのよ。

お掃除やお買い物なんていう家事がいっぱい溜まってるし。

ケンタロウの料理本なんて、密かな愛読書だしね。

最近は辰巳芳子さんにハマったりしてるんだからね。

橋下某とか維新なんとかなんてバカども相手しているヒマなんかないんだからね。

意外でしょ。

それはさておき、日曜の夜はノスタルジック気分。

先日大貫妙子の最近の曲「Time To Go」を貼っちゃったから、一番好きだった37年前のシュガーベイブ時代の「蜃気楼の街」を貼ります。

高校3年生、失恋して茫然自失になっていた、勉強も何も手がつかない不良少年を慰めてくれた妙子さんの歌声を聞いてください。

2012年2月26日 (日)

みすず書房から小野二郎の『ウィリアム・モリス通信』という本が出た。

みすず書房から小野二郎の『ウィリアム・モリス通信』という本が出た。
ウィリアム・モリス通信
晶文社から昔出た著作集の第1巻「ウィリアム・モリス研究」に近い内容だけど、著作集は品切れで、しかも高価。
2800円という価格も決して安いとは言えないが、「大人の本棚」っていうシリーズは、印刷部数も少なさそうだから、文句は言えない。

ぼくはっていうと、小野二郎著作集も単行本も持っているので、今回はパス。

電子書籍なら買うんだけどな。

それはさておき「自然への冠――ウィリアム・モリスにとっての『装飾芸術』」や「物質に孕まれた夢――芸術・教育・労働」なんか、大好きで繰り返し読んだ。

だけど、個人的好みでいうと、おすすめは「住み手の要求の自己解体をこそ」です。


住宅に対する薄っぺらなぼくたちの消費欲求を別次元に引き上げようとする内容なのだけど、いまだに小野の主張を理解しきれたとは言えず、いまでもたまに最初に収録された『ベーコンエッグの背景』という本を開いてみる。
小野二郎が亡くなって今年で30年になる。
そんな長い時間が経過したのに、その内容はいまだに刺激的で、新鮮なのだ。
この30年間、ぼくたちは一体何をやっていたんだろうって、途方に暮れてしまう。
だからこそ、いま小野二郎の主張に目を向けていただきたい。
モリスも小野二郎もいまだに理解されざる思想家だってことがよくわかるから。

「上から」の革新政治なんて信じちゃだめだよ。だって「悪い」改革だってあるんだから。

「野田争議」を取材する過程で、戦前の政党政治がどんな風にして、終わってしまったのか、勉強した。
学校の日本史の授業ではここまで教えない。
途中で終わってしまう。
国民は無産政党に期待して、議員数を伸ばしていったのに、無産政党自ら怪しげな世論というものに押されて、自ら「革新政治」をやるために解党し、近衛文麿の大政翼賛会に合流していったというのだ。
だからこう思う。

「上から」の革新政治なんて信じちゃだめだよ。だって「悪い」改革だってあるんだから。

コイズミ&竹中にだまされて、どうでもいい郵政民営化なんぞで目くらましにあって、暮らしに関わる年金や原発に眼が行かなかったからこんなことになっているのに、今度は橋下某ですか。
こんな輩に何度でもだまされる善良だけど、おバカな一般ピーポーの皆さん。
もうやめようよ。

オイラもおんなじ一般ピーポーだから、こう言いたい。

「革新」とか「改革」って、オレたちみんなの暮らしを見つめ直すことからしか始まらない。

スティーブ・ジョブズが言った「ホールアースカタログ」を読み直すような、自分たちの足元を見直すようなところからしか生まれない、って。

紹介するのは二回目だけど、どうしても今日はこの曲を貼りつけたい。

聴いてると優しい気持ちになる。ヘタすると涙まで溢れてくる。

高田渡「ホントはみんな」。

2012年2月25日 (土)

そして、彼らが私を攻撃したとき、 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

松岡駒吉という労働運動家がいた。
いまの連合の前身である友愛会~総同盟の会長で、基礎をつくった人物だ。
民社党へと分裂する前の社会党右派の政治家として衆議院議長までやった人だけど、ほとんど忘れられた存在で、「ぼくたちの野田争議」の取材をはじめるまでは、全然知らない人だった。

そんな松岡の最大の功績は、戦後すぐに労働界の先頭にたって、労働組合運動を復活させたことだと思う。

「戦前の日本では、労働組合は非合法な組織だった。」

もう一度、言う。
 「戦前の日本では、労働組合は非合法な組織だった。」

しつこいようだけど、もう一度、言う。
 「戦前の日本では、労働組合は非合法な組織だった。」

戦後生まれのぼくたちには理解出来ないが、組合活動をしただけで虐殺された人がいる。
関東大震災直後のどさくさに起きた「亀戸事件」の平沢計七とその仲間たちである。
大杉栄一家が甘粕正彦に殺されたことは有名だけど、それ以上に重要だと思う「亀戸事件」のことはあまり知られていない。
平沢計七は、松岡のいた友愛会から独立して、南葛飾労働組合を作って、戯曲や小説を書いたり、平和的に今で言う生協活動のようなことをやっていた人物である。
左翼ではあったけれど、決して人に危害を加えるような人物ではないのに、警察に不当逮捕され、習志野騎兵第13連隊によって虐殺された。

それもこれも労働組合法も労働基準法も労働関係調整法もない戦前社会だったゆえ。

戦後、労働組合が合法化されるように尽力した松岡の仕事が、どれほど意義深いことかよくわかる。

自民党の一部や、橋下某のような復古主義者の政治家たちが、労働組合を目の敵にして、襲いかかってくる時代が到来している。

一方では検察や警察がどれだけデタラメに、罪なき人を犯罪者に仕立て上げるのか、徐々に明白になってきている。

いま、「ささやかな勇気を奮い起こし」てがんばらないと、戦前の暗黒時代に引き戻されるのではないか、肌にヒリヒリと感じる危機感がある。

最近印象に残ったこんな言葉があった。

私たちとしては、ひとりひとりがささやかな勇気を奮い起こし、最後の行に至る状況になる前に、行動を起こそうというのが、会の趣旨です。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」のホームページにあった。

この会がどういう団体なのか、知らないから、会の活動についてコメントはできないけれど、ナチスのホロコーストから生還した、ドイツの神学者マルティン・ニーメラーのこの言葉には強く共感した。

検察の問題、原発の問題、維新の会の問題、TPPの問題、全部つながっている。

すべてぼくたちの日常生活に深く関わってくる問題で、ひとつして見逃していいはずはない。

左翼ならざるぼくのような保守的な人間が、「ぼくたちの野田争議」を書いて得た最大の収穫は、そんなことなのかもしれない。

文章とは関係ないけど、終戦後の新しい日本を強く感じさせる名曲「胸の振子」を雪村いづみとキャラメルママの演奏で。

高校時代になけなしの小遣いをはたいて買ったアルバム「スーパー・ジェネレーション」から。

「スーパー・ジェネレーション」は服部良一の作品集だけど、ぼくは中学の先輩で手の付けられない不良少年だったらしいサトウハチローの歌詞に魅力を感じてます。





2012年2月22日 (水)

80年前の歴史遺産がゴロゴロ、野田はやっぱり面白い町だ。

「地図があるといいなあ」

『ぼくたちの野田争議』のゲラ刷りを読んだ仲間の感想である。

ぼくもそう思う。

年譜が必要ないように、時系列順に記述してあるけど、この歴史ドラマは立体的に見られるともっと面白い。

なにしろ、古い街並みを残している野田という町で、たったの80年前の出来事なので、

いまでも結構、ドラマの舞台になった場所が残っている。

先日はストライキの最中に街宣活動に現れた赤尾敏が、争議団によってボコボコにされた駅前旅館を発見した。

駅は移転してなくなったのに、駅前旅館が残っている。

駅があっても駅前旅館なんか廃業している町がほとんど。

普通の町では信じられない出来事。

もちろん市民会館になっている茂木佐平治邸や、もの知りしょうゆ館になっている旧第17工場も健在だ。

消えた場所といえば、争議団側の拠点だった野田劇場と、キッコーマンの旧本社社屋くらい。

だけどその二つも、跡地はマンションなんかになるわけでもなく、空き地になっていて、なんだか雰囲気を感じるのだ。

本が出版されて、手に入れたらぜひ、現地を歩いて欲しい。

歩く人のための散歩ガイドも書いてあるから、地図さえあれば、楽しく歩ける。

市民会館でちゃんとした地図はもらえるけど、赤尾敏の旅館や野田劇場跡は載ってないから、オリジナルの地図を自分で作らなきゃって思う。

間に合えば、本に入れるけど、間に合わなければ、なんらかの方法でネットで配布することもやってみたい。

意見がある人はどうぞ。お寄せ下さい。

2012年2月20日 (月)

ピーター・ドラッカーが言うように、健全な労働組合、さらにNPOや協同組合がなくては成り立たないのが、20世紀以降の資本主義社会なんだよ。不勉強な橋下くん。

BiND 5 FOR WEBLIFEを買ったので、15年間の課題であるホームページ作りをしようかなあ、セルフビルド日記(仮称「逆流亭自力建設日乗」)の執筆もやんなきゃなあ、なんて考えていたら、いきなり10月に脱稿した「ぼくたちの野田争議」のゲラ刷りが飛び込んできた。
「じょ、じょーだんじゃないぜ、こっちにも都合があるぜ」
と編集担当のK氏を恨みつつ、5年の準備期間と半年の執筆期間を費やした、とりあえずいまのところオイラの畢生の大作だ。
早速校正に取りかかる。
完璧に推敲したつもりだったけど、出てくるわ出てくるわ、修正箇所の雨あられ。
でも、そんな地味な作業が嫌いじゃない。
基本的に新しいモノを作るより、ダメなモノを美しくしたり、ダメだと思われているモノの美しさを発見したりする作業が好きなので、つい熱中してしまう。
創作に費やすはずだった土日が、校正作業で終わってしまった。
オイラの書いた本なんぞが、どれほどの価値があるのかわかんないし、地味な内容だから何万部も売れる本ではないだろう。
だけど、いまこの時代に出版する意義は大いにある。
そう信じてる。
東葛飾地域、特に野田市ではタブーとされていた野田の労働争議が、取材を重ねるうちに、実は輝かしい歴史の1ページだったことを知り、キッコーマンの人にも、総同盟の末裔である連合の人にも、楽しく読んでもらえるように書いたつもりだ。
特に忘れられた思想家、穏健な労働組合運動の父と呼んでもいい社会党の衆議院議長松岡駒吉に光を当てた本は、いままでなかったと思う。
橋下某に代表される労働組合を目の敵にするような新自由主義かぶれの政治家たちが跋扈するいやな世の中だけど、ピーター・ドラッカーが言うように、健全な労働組合、さらにNPOや協同組合がなくては成り立たないのが、20世紀以降の資本主義社会なんだよ。不勉強な橋下くん。
オイラは、厚い中流階級によって構成される平和で健全な資本主義社会を破壊して、独裁政権を作ろうとするハシズムには断固反対なのだ。
独裁者の手によって、いい国を作ってもらおうなんて考えた、お馬鹿で、ノー天気で、無責任な国民が、その結果どれほど苦しんできたか、20世紀の歴史をちょっとだけひもとけば、簡単にわかること。
おおお、「ぼくたちの野田争議」から脱線してしまった。
例によって、ま、いいか。
スコット・ラファロのベースとのインタープレイがかっこいいビル・エヴァンスだけど、ソロピアノで素敵な曲をみつけた。
こんなの聴いちゃうと、ジャズがもっともっと好きになってしまい、ロックが不自由な音楽に思えてしまう。

2012年2月18日 (土)

歳を重ねてやっと開いてきた個性だってある。

この前、森高千里の「渡良瀬橋」を貼り付けたので、そういやあ森高って、そのあとどうなったんだろうって、気になりだした。
たまにCMで歌声が聴けるので完全に引退していることも知らなかったんだけど、1999年の引退まで動画を追っかけて、2008年のライブ映像も見てしまった。
歳をとるってこと、スターでいること、について考えこんでしまった。
特に2008年のライブ映像は見ていて辛かった。
「渡良瀬橋」を歌い終わったあとの彼女の表情が、すべてを物語っていた。
マイケル・ジョーダンがウィザーズで二度目の現役復帰をしたとき、ダンクシュートを失敗したシーンを見てしまったときうけた衝撃にも似ている。
「娘の同級生の森高似のきれいなお母さんが、学芸会の舞台で森高の真似をしているけど、イマイチうまくいかない絵図」といった感じに見えてしまう。
ぼくら凡人には手の届かない世界にいる一線級のスターや有名人がどれだけ苦労して、本人のイメージ通りの世界をつくっているのか、よくわかる。
けれど、歳を重ねるってことの冷酷さは、スターだけじゃなく、ぼくら凡人も同様。
去年は出来ていたことが、ゆっくりと出来なくなってゆく。
たとえば暗がりを、壁にぶつからずに歩くこと。
顔面から壁にぶつかって、眼鏡が床に落ちて、年齢を痛感する。
それでもどっこい、ぼくは生きている。
死んでしまった友のことを思えば、雪の夜から一夜明けた
まぶしいほどの青い空を見ることが出来る。
それで十分かなって、思う。

「歳を重ねてやっと見えてきたこともいっぱいある。」
「歳を重ねてやっと開いてきた個性だってある。」

そんなことを思いながら、大貫妙子のわりと最近の曲で大好きな「Time To Go」を探したら、ユーチューブにアップされてた。
松任谷由実や、吉田美奈子や、矢野顕子のような同年代の強い個性に囲まれて、若い頃は線が細い印象だった大貫妙子の存在感が増している。
どんどん良くなっている。
「Time To Go」は50代の彼女だから歌える唄だと思う。



2012年2月17日 (金)

これから忙しくなっていくのかもしれないなあ。

図書館に寄って、「本づくり」に関する重たい本を3冊も借りて、えっちらおっちら運んで家に帰ると、詩人のSさんから5冊も本が届いている。
Sさんが前から貸してくださると言っていた野田文学会の森本房子さんの小説だ。
他に郷土史家のTさんから手紙と、出版社から原稿のゲラ刷りも届いた。
普段は、満員電車でもみくちゃにされる孤独な疲れたサラリーマンオヤジだけど、たまにはこんな時だってあるんだぜなんて、ひとりでほくそ笑む。
今日は、雪の中を歩いて、ほんとに疲れた。
けどね。
大病した友達から、なんとか復活して、命のはかなさを感じながら、がんばっているなんて、内容のメールをもらっちゃったら、遊んでらんないよ。
ほんとは京成立石あたりの居酒屋で昼の2時頃から飲み始めて、銭湯行って、軽く晩飯食べてつまんないTV見ないで、8時頃寝ちゃったりするのんきな暮らしにあこがれるのだけど、現実は週末なんか深夜3時頃まで仕事して、朝10時か11時頃頃起きるような、若いときと変わらぬハードワーカーぶり。
こうやって、いつまでたっても成熟しないで、青臭いこと言ったり、書いたりして、きちんとした大人になった同級生たちから笑われ続けるんだろうな。
だいたいオイラは友達にスナックなんか連れて行かれても、フレンドリーでカジュアルな会話って出来なくて、お店の人と敬語でしゃべっちゃうから、あんまり相手にされないし。
ああ、何書いてるんだろ。我ながらつまんないこと書いてる。

そうなの、ゲラ刷りが来たの。疲れが吹き飛ぶ気分なんだ。実は。
これから忙しくなっていくのかもしれないなあ。
暖かくなったら、本が出る。そしたら、ぼくは原稿なんか書かずに、那須に行って、丸のことハンマーと墨壺持って、セルフビルド始めるからね。今年は絶対。
だから急いで仕上げなきゃ。

永遠に青臭いところが魅力なのがジャクソン・ブラウン。中でも素朴なファースト・アルバムが一番好き。
だから、バーズもカバーした大好きな一曲「ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル」で元気出してゆくね。


2012年2月12日 (日)

杉浦日向子と「ホール・アース・カタログ」ついでにスティーブ・ジョブズ、もしかするとみんな仲間かもね。

那須高原で山小屋を作っていた頃、ホームセンターに行くのは、日課のようなもんだった。
ホームセンターは完成されたモノも売っているけど、たいていのモノは未完成で、そこに自分のアイデアとか、知識を付け加えると、初めて完成品になる。
ジョイフル本田やスーパービバホームのような巨大なホームセンターに行くと、あふれるモノたちと、無言の対話をするのが楽しくて、時間がたつのを忘れた。


建築家で早稲田の教授をやっている石山修武の近著で『セルフビルド』という本がある。
20数年前石山の本に触発されて、石山のいた建築事務所の人たちと、ぼくの仲間たちはセルフビルドを始めた。
ただセルフビルドをやっている意味まで、考えてくれる人は少なかった。

自慢話めくので、いままで書かなかったけど、テレビ朝日の「トゥナイト」というテレビ番組で特集を組んでくれたり、日経流通新聞の最終面一面全部使って特集してくれたりしたこともあった。
けれども、反響は一過性で、その頃夢見ていた自分仕様の空間作りを一緒に考えてくれる人たちのネットワークは出来ずに終わった。
それがソーシャルメディアの発達した今なら、ちがう展開もあるのかなあって、考える。
同時に、石山が本の中で書いていた「ホール・アース・カタログ」のことも脳裏をよぎる。
ちょっと飛躍しているけど、ホームセンターにいると、こんな風にどんどん頭が回転してゆくのだ。
僕たちの暮らしをリセットしてみようとするときに、必ず名前があがる本。
一般にはスティーブ・ジョブズの演説で有名になったらしいこんな言葉が載っている。

<ハングリーであれ、おろかであれ>=Stay hungry Stay foolish


杉浦日向子は『うつくしく、やさしく、おろかなり 私の惚れた「江戸」』を書いた。
ジョブズや、「ホール・アース・カタログ」は、こんな江戸期の日本人のことを言っているように思えてならない。

スティーブ・ジョブズの言葉の隣に、橋下某が今朝の朝日新聞で語った言葉を載せてみよう。

「東アジア、東南アジアの若者は日本の若者と同じような教育レベル、労働力になってきました。そのような状況で、日本人がラグジュアリーな生活を享受しようとするなら『国民総努力』が必要です。競争で勝たないと無理です」

こんなやつに多くの国民が期待しているような国の企業が、アップルに勝てるはずもなく。

話がどんどん転がっていって、セルフビルドに戻らなくなった、ま、いっか。

なんだかわかんないけど、急に「渡良瀬橋」を聴きたくなった。

森高千里って、力の抜け具合がよかったよなあ。

菊谷文庫の雑誌「Kototoi」を読んで東北人の強さを発見した。

菊谷文庫から「Kototoi」第1号が届いた。

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懐かしいような、新しいような、なんとも不思議な雑誌。
「集古」という明治時代の雑誌が、和綴じで作られていて、当時ですら異彩を放っていたという文章が山口昌男『内田魯庵山脈』に出ていた。

それを読んで、いつか自分も21世紀に和綴じの雑誌を作ってみたいと思っていたが、菊谷倫彦氏に先を越されてしまった。
でも、これだけ素敵な雑誌を作られてしまうと、先を越された悔しさよりも、見事な仕事ぶりに拍手を送りたい、そして感謝したい気持ちでいっぱいである。
巻頭に「詩を失った時代に」という菊谷氏の論文がある。

文学というのは、ジャンルのことではない。まして、学問の一分野のことではない。文学とは、人間によって話されていることば、そして話されなかったことば、そのすべてのことである。だから、文学とは日常のことであるというのは、間違いではない。文学を、本のなかや、特定のジャンルのなかに閉じ込めたのは、専門家やインテリの罪である。そうした人物たちは、文学を死んだ記号の列に封じ込めた。それは、生きている者をつかまえて、僧侶の名のもとに、棺桶に埋葬するのと同じである。私には、棺桶のなかから、生きている者たちの叫び声が聞こえる。その声がよみがえり、私に文学について語らせているのである。

論文の一部を引用させていただいたが、ぼくはものすごく共感する。

ブンガクってなんだろう。そんなにエラいのかな。

「特定のジャンルのなかに封じ込めた」専門家やインテリたちが文学を近づきがたいものにしている。

普段文学に縁遠い人と話をすると、「私には文学がわからないから」って言われてしまう。

カラオケで歌を唄うことだって、立派な文学的活動だと思うのだけど、間違っているのかなあ。

菊谷氏は市川在住だが、ぼくは「Kototoi」に秋田生まれの菊谷氏らしい東北人の強さを感じる。

中沢新一「哲学の東北」や赤坂憲雄「東北学」、そして宮沢賢治の仕事に接してみると、東北人たちに、沖縄人と共通する風土に根ざした人間の強さを感じるのだ。

それは、ぼくのような関東人が、いまは失ってしまった強さであるがゆえに、沖縄から帰って長い期間、沖縄病に苦しんだのだ。

それはこの雑誌に寄稿している菊谷氏と同じ秋田県人友川カズキの歌を聴いても感じる。

ぼくの文章などはじき飛ばされるような、ジャンル分け不可能なパワーがある。

とてもこのエントリに貼れない。ものすごいエネルギーだ。

またエントリが長くなった。

日本の出版文化の将来を担う新星が誕生したことを祝って、今夜は終わろう。

2012年2月11日 (土)

埋もれた才能を発掘するライ・クーダーの仕事はいつでも僕の目標なのだ。

昨夜のエントリに杉浦日向子もファンだったライ・クーダーの「アクロス・ザ・ボーダーライン」を貼ったら、今朝の朝日朝刊「うたの旅人」でライが発掘し、CDにした「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーが歌った「ベインテ・アニョス」紹介されている。
読売新聞よりはましだから読んでるけど、ふだんの紙面は冴えないエリート記者揃いの朝日新聞だが、この企画は大好き。
何の関心もなかったミュージシャンが、この記事を読むと輝いて見えるようになる。
馬鹿にしていたニニ・ロッソの歴史を知って、泣いたこともある。

ごめんよ。ニニ・ロッソ。

ライがポピュラー音楽の世界に残してきた功績はたくさんある。

CD「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」もその一つ。

ライ・クーダーは高校一年の頃から好きだった。

最初に聴いたのが友達から借りた「流れ者の物語」というアルバム。

ライを聴いてしまったら、それまで好きだったE・Cのアルバム「レイラ」がおこちゃまの音楽に思えた。

「流れ者の物語」から一曲「ダークエンド・オブ・ザ・ストリート」のライブ

「流れ者の物語」「紫の峡谷」「パラダイス・アンド・ランチ」「チキン・スキン・ミュージック」と、どんどんロックの狭い世界から、世界中の音楽へとぼくを誘ってくれた。
大学生になって、急に歌謡曲に目覚めたのも、ライの影響。
だから、「うたの旅人」で紹介されている「ベインテ・アニョス」のイントロを聴いたら

その瞬間ぼくは、倍賞千恵子の「下町の太陽」を思い出してしまう。

浅草花やしきとDVDでタイムトラベル

ライが発掘するまで「まったく仕事がなくて、近所の人さえこの人が演奏家だって知らなかった」と妻が言うほど無名だったブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーたち。

そんな無名のミュージシャンに光を与え続けるライ・クーダーという男をぼくは尊敬している。

先日、紹介した日本酒プロデューサーの関矢健二さん、あるいは柳宗悦、ちょっと飛躍しているかもしれないけど、考現学の創始者今和次郎だって、ライと同じ匂いがある。

ブエナ・ビスタのメンバーたちも高齢で、亡くなっているが、若いミュージシャンたちが後を継いでがんばっている。

それもCDがグラミー賞を取り、ビム・ベンダースの映画がヒットしたお陰だろう。

埋もれている才能や、隠れている美しいものを見つけ出す。

ライの仕事はいつでも僕の目標なのである。

2012年2月10日 (金)

あんまり天気がいいので「日和下駄」気分で根岸を歩いた。(後編)

昔縁日をやっていた柳通りを越えて100メートルくらいで、懐かしき故郷にたどり着く。

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50年前にお袋が洗濯した井戸がある。当時は文字通りこの井戸の周りで井戸端会議が開かれ、若い主婦たちの笑い声が聞こえた場所だった。
傍らの銀杏の木から落ちるギンナンが臭くて、子供にはうれしくなかったけど、ギンナンの匂いもまたいい思い出だ。
とにかく、あの頃はいつも誰かがこの井戸の周りで、わいわいやっていた。
左手にある柵もなかったと思う。
名残惜しいけど、家はないし、隣は小学校。
うろうろしていると不審者だと思われるので、東日暮里を通って、家路につくことにした。
ところが、お行の松を越えて、少し歩くと変なもの発見。

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正面の家もかなりいけてるけど、左手の大谷石に注目。
なんで、わざわざ土盛りをして家を建ててるんだろう。
さらに歩くと面白い場所を発見。

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これで、ピンときた。
音無川である。
荒川区と台東区の境には昔、音無川という美しい名前の川が流れていた。
その川は石神井用水という農業用水だった。

昭和9年に暗渠になって、今は下水道として使われているらしいが、いまでもまだ川だった当時の痕跡が残っているんだ。

これは知らなかった。
面白くなってきたので、帰るのをやめて、荷風のように川筋散歩をすることにした。
田んぼの間を縫うように開かれた農業用水だから、恐ろしくクランクが多い。
iPoneのGPS機能を駆使して、道を間違えないように歩いていたら、大学いもで有名な「ねぎし丸昇」に到着した。
ちょっと疲れたし、小腹が減ったので、大学いもを食べることにした。

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こんなにおいしい大学いもは初めてだ。
たまたま店にいた客3人で、不思議なことに会話が始まる。
これもおいしい食べ物の持つ力だ。
浅草から来たという水商売風のおばちゃん。
30代くらいのサラリーマン。
無関係に店で出くわした三人が声をそろえて、驚嘆の声をあげる。
開店から37年たったという古い店だが、オイラが引っ越したのは50年前。
この店だって影も形もなかったことを思うと、自分の年齢に愕然とする。
それはさておき、お土産に300グラムもらって、店を後にする。
音無川の痕跡が面白いのはこの丸昇のあたりまでで、三ノ輪の駅前まで、殺伐とした風景が続いた。
国道4号の三ノ輪の交差点を越えると看板があった。

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これこそ音無川にかかる三ノ輪橋のなごり。
都電の終点駅でもある。
振り返るとその先には永井荷風の石碑や命日に行われる荷風忌で有名な浄閑寺だ。
死亡した吉原の遊女を投げ込むので、投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺である。
荷風の真似をして歩いていたら、浄閑寺にたどり着いてしまった。
よく考えりゃ当たり前なんだけど、想定外だったので、大感激。
ぼくの根岸散歩はここでおしまい。
ここから南千住まで歩いて、首切り地蔵が消えた延命寺を横目で見ながら、南千住駅に着いた。

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南千住駅前から先に見える交差点が「あしたのジョー」で有名な涙橋交差点。
そして、かつてドヤ街といわれた山谷の町。
その先に小さくスカイツリーが見える。
もしかすると山谷の労務者たちが、スカイツリーを作っているのかもしれない。
繁栄と貧困、聖と俗、生と死、いろんなことを考えさせてくれる、この故郷の町とその界隈が、ぼくは世界中で一番好きな場所だ。
今日はなつかしきボーダーラインを歩いたので、ちょっと懐かしいこの曲で終わろう。

あんまり天気がいいので「日和下駄」気分で根岸を歩いた。(前編)

あんまり天気がいいので、午後から会社を休んで、根岸を散歩した。
多分2年ぶりだ。

コートのポケットに手を突っ込んで、町をあるくと、気分だけは永井荷風「日和下駄」の世界。
ローカル線の駅のような鶯谷駅を降りて、ウグイス坂を下り、東京キネマ倶楽部 で、チラシをもらって、下谷から上野方面に歩く。
北山珈琲店のところまで戻って、はじからはじまで、約2キロある細長い町根岸を歩いてみることにした。
懐が寂しいので、北山珈琲店のおいしいけど、値段の高い珈琲は、後ろ髪を引かれつつもパス。最低850円の珈琲代は痛い。

でもそれくらい価値がある。おすすめの店だと思う。
明治神宮のような立派な神社は苦手だけど、街角にあるこんな小さな神社が好きなので、ついお参りしてしまう。

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しばらく歩くと、なにか気になる建物が見えてきた。

坂本小学校だ。                         

 


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どことなく品があって素敵な建物で、戦前の香りがすると思って、あとで調べたら、震災後の大正15年に建てられた復校小学校のうち現存する数少ない建物だそうだ。
この時代の建築って、どうしてこんなに素敵なんだろう。
鬼子母神の前を通って、金杉通りに入ると、五十嵐提灯店がある。

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根岸のシンボルのような名店だけど、10年くらい前まではこんな建物が軒を並べていた。小泉改革のころから後、ずいぶん資本の力で、マンション業者が跋扈して町が壊れてしまった気がする。
手児名せんべいの角を曲がって、住んでいた場所に向かう路地に入ると、いつも頭がくらっとする。

ほんとにめまいがするのだ。
なぜだか時代をワープした感じで、通るたびにおかしな感じになる。
この付近に、この前紹介した那須芦野で活躍する大平夏澄さんが去年までいた「そら塾」がある。

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こんな根岸らしい建物が今年中に取り壊されるという。
建築家の力でなんとかなんないのかなあ。

ここから路地を歩いて、花街の芸者がいた検番のあたりを抜けると、なつかしき故郷の景色だ。

だいぶ長くなったので、ここらで後編へ

2012年2月 9日 (木)

関矢健二さんの酒を飲んで、極楽気分

久しぶりに日本酒プロデューサーだった故関矢健二さんのお店東上野の関矢商店に行ってきた。
関矢健二さんは日本酒プロデューサーの草分けとして、NHKのTV番組「未来派宣言」でも特集された人物だった。
廃業しかかった日本中の酒蔵を訪ね歩いて、理想の酒造りを追求した人だったが、5年ほど前に急逝した。
ぼくは亡くなる数ヶ月前に知り合い、急速に親しくなって、いろいろな企画を相談しているさなかに、忽然と天国に旅立たれてしまった。
関矢健二さんの死によって失ってしまったものは、取り返しがつかないけど、奥さんと息子さんが今でも店を切り盛りして、上野の町でガンバっている。
数えきれない数の酒を作ってきた関矢さんだけど、ぼくにとって関矢さんの酒といえば「かげろうの花」生酒につきる。
世界中のどんな高級な酒よりもこの酒が好きだ。
かげろうの花
味はもちろんだが、安西水丸デザインのラベルもサイコーにかっこいい。
夏場は生酒の一升瓶入りは、置き場所に困るので、ぼくは冬場しか買えない。
これも冬の楽しみのひとつ。

関矢商店

家に帰っていそいそと封を切る。

この日はビールなんぞ絶対に飲まない。

いきなり、お気に入りの江戸切子のグラスに注いで、そっと口に含む。

口から鼻孔にかけて、芳醇な香りに包まれる。

甘すぎす辛すぎず絶妙なバランスの液体が、喉を通過すると、

あああ。もう極楽だああァァ。

やっぱりこいつは(オイラにとって)世界一旨い酒だよ。

だから今夜は「ハーベストムーン」な気分。ん、なんだそれ?

夜空を見上げてごらん。

ぼくの寝室は月明かりで、いっぱいだ。

2012年2月 8日 (水)

「逆流亭自力建設日乗」を書いている。

いま、20年前に「群居」という建築関係の雑誌に連載した「疾風怒濤セルフビルド日記」の改訂版を作ろうとしている。
「群居」は会員制の雑誌で、50号まで出て、10年前くらい前に休刊になった。
建築の研究者や建築を学ぶ学生が読む専門雑誌だったので、あまり知られていないが、建築界の異端児や、日頃建築とは縁の薄い知識人たちも混じって、ワイワイやる面白い雑誌だった。
最初は改訂版をと考えていたのだが、20年前の建築専門雑誌で、しかも会員である知識人向けの雑誌だったので、内輪受けの文章も多く、部外者には読みづらい内容も多い。
脚注をつけているうちに脚注だらけになって、どんどん読みづらくなってきたので、新作の「家づくり体験日記」として、書き下ろすことにした。
名付けて「逆流亭自力建設日乗」(仮称)という作品です。

ウィリアム・モリスの「レッドハウス」に惹かれた家づくりのコンセプトから紹介しているので、3.11によってライフスタイルの転換を迫られている現在の日本にも、案外フィットした内容になっていると思う。
原稿用紙300枚くらいのボリュームになりそうなので、いつまでかかるかわかんないけど、
家づくり(自分仕様のわがまま空間づくり)勉強会のテキストとしても使いたいし、夏までには何らかの形で発表したいと思う。
どんな形になるのかは、これからのお楽しみです。

期待してね。

最近、まるでパンク・ロックのようなジョンレノン・ボーカルバージョンを聴いて、イマイチ好きになれなかったビートルズのGet Backという曲が好きになってしまった。
いまオイラは Get Back 気分です。ハイ。

2012年2月 5日 (日)

森の人になるために

昨日、宇都宮にある随想舎 という出版社に直接オーダーした『那須の文化誌』が自宅に届いた。

那須地域の自然、歴史、民俗が一冊でわかるように、ひと通り網羅されている。

同封されていた出版目録を見ると、栃木県の地方出版社のようだが、装丁のセンスもいいし、中身も読みやすい紙面で、好感を持った。
いわゆるマスメディアではなく、こういう小さなメディアが生きている社会が健全な社会だと思うのだが、なかなか状況は厳しい。

けどね。
永井荷風が幕府から弾圧された柳亭種彦のことを書いた散柳窓夕映という江戸小説があった。
出版って、いつの世でも作り手の熱い思いがあるかぎり、苦境と戦って作り上げるものなんじゃないかとも思う。
だから出来上がった作品は、たとえチープな製本であったとしても、機械が作る工業製品とは違う美しさがあるんだ。

きっと僕は店に並んだ本から伝わってくるそんな思いを感じ取りたくて、毎日のように本屋に足を運んでしまうのだろう。
そして大手出版社のようなマスコミが権力と癒着して、我が世の春を謳歌する社会なんて、ろくな社会じゃないことは、3.11以降の状況をみて、骨身にしみるほどよくわかった。

今年から、栃木県の那須という地域と真剣に関わっていこうと思う。

那須の山小屋は自分なりに納得のゆくライフスタイル変革をはかるための終の棲家だ。

建築家隈研吾設計の「石の美術館」で有名な芦野には大平夏澄さんという
東京芸大を卒業した若いアーチティストがいて、「大平食堂プロジェクト」という事業をやっていることを知り、情報交換させていただいている。
森へつづく道
東京に何もかも集中してしまうのではなく、那須のような魅力的な地域に若い才能が集い、新しい文化が生み出されると思うと、ワクワクする。

アメリカではその名が冠された有名なロックコンサートで有名な町ウッドストックは、20世紀初頭からつづくアーティストコロニーだ。

(ちなみにコンサートは住民の反対で、ウッドストックではなくベセルという村で行われた。それだけウッドストックという名称に価値があったのだろう)

町の様子は小手鞠るい『ウッドストックの森の日々』ポプラ文庫に詳しい。


話を那須に戻すと、そんな時に随想舎のような存在は、とても心強い。

これから何年生きられるか、見当もつかないけど、ぼくは老体にむち打って、森の人になるために那須に通い続けるのだろう。

やったぜ。行方不明の愛猫ヒナコが発見された。

行方不明になっていた猫のヒナコが発見された。
ふだんは行かない一階の両親の部屋のソファの下に隠れていたのだ。
散々外を探してみたけど見つからず、近所の家に保護されているのではと、
一縷の望みを託して、ツイートしたり、張り紙をしたり、お騒がせしました。

カミさんは映画『ティファニーで朝食を』ラストシーンのヘップバーン状態。

(念のため申し添えておくと、猫が見つかってキスしたりしなかったけどね)

おバカな猫のお陰で貴重な日曜の朝は台無しになったけど、なんだか家族のきづなを再確認できたようで、それはそれで幸せな雰囲気も漂っている。

どんよりと曇っていたお天気も、急に晴れてきた。

さあ、外に出かけるか。

2012年2月 4日 (土)

生涯忘れられない一週間になった。

六本木の森アーツセンターギャラリーに「歌川国芳展」を見に行ったのが、今週の水曜日。
それからたった数日なのに、そんなことすら遠い過去のような気がする。

昨日の夜からずっと疲れてるみたいだ。
気分を変えたくて、路地裏のフランス料理店として北小金で評判のモンラパンに行った。
シャンソンをBGMに奥の座敷で箸で食べるフレンチは、噂通りとっても美味しくて、腹いっぱい食べたら、何だか眠くなってしまう。

とうとう夕方、一時間もうたた寝をしてしまった。

今週は生涯忘れられない一週間になった。

去年からいろんな兆しがあったのだが、最近、長い間疎遠になっていた仲間が、戻ってきたり、いろんなことがあって、この数年間頭の中に溜まった老廃物を何もかもリセットしたいって、ブログに書いた。
そんな中「歌川国芳展」で、久々に江戸人に出会って、忘れかけていたものを思い出させてくれた。
1995年からずっと好きだった沖縄のことが、再び気になり始めて、get backな気分になってきた。
そして週末に栗原くんの悲報が飛び込んできて、まだ頭の中の整理がつかないでいる。

使い始めたNozbeというTO DOソフトのこと。
雑誌「Switch」のバックナンバーで読んだ坂本龍一のmore treesのこと。
星哲郎さんが教えてくれた市川のミニ出版社菊谷文庫 のこと。

書きたいニュースはてんこ盛りだけど、今日は休んだほうがいいってことかもね。
疲れたときには疲れた男の唄が、優しく癒してくれる。
僕の密かな愛聴盤ザ・バンドの再結成アルバム「ジェリコ」に収録された故リチャード・マニュエルの唄「カントリー・ボーイ」。
疲れ果てたリチャード最後の熱唱を聴いてください。


栗原くん、ほら外はいい天気だよ。帽子をかぶってでかけようよ

このブログに古美術店富士鳥居の栗原直弘くんのことを書いた途端、モーレツにアクセス件数が増えて、ふだんの10倍くらいに増加した。
栗原くんはどれほど多くの人に愛され、頼りにされ、大きな影響を与えたのだろうか。
高校時代までの彼しか知らない、決して親友とは言えない、ただのクラスメートにはうかがい知れぬ、ひとりの男の残した功績について思う。

今晩、栗原くんに最後の別れをしてきた。
ご遺族とも話をしたが、プライバシーに関わるので、内容は書かない。
ただ一つ書きたいのは、「もっと体を大事にして欲しかった」ということ。
けれど、いつも一生懸命だった、彼らしい終わり方だったのかもしれない。
そんな思いも一方ではある。
自分らしく、しっかりと死ぬまで生きたということかもしれぬ。

定年退職して、暇になったら、栗原くんにもっともっと日本文化について教わりたいと思ってた。
知り合いのつてで、そのうち会えると期待していた高田喜佐や杉浦日向子にも会えずに終わり、今また栗原くんに先立たれてしまったのだ。
痛恨の極みである。

お通夜の晩に、ぼくが彼に捧げる曲と言ったら、再登場だけど、もうこの曲しかない。
初めて書いた小説のタイトルにもした一番好きな曲

はっぴいえんど「外はいい天気」

「栗原くん、ほら外はいい天気だよ。帽子をかぶってでかけようよ」


2012年2月 2日 (木)

原宿富士鳥居の店主栗原直弘くんが亡くなった?嘘だろ!

フェイスブックで高校の友達から連絡があり、中学、高校の同級生だった栗原直弘くんが亡くなったという。
原宿にある古美術商富士鳥居の店主だった栗原くんのブログとホームページを見て、
ぼくは本当に貴重な人を失ってしまった深い悲しみに打ちのめされている。
梅覗軒ブログ
富士鳥居
昨日、柳宗悦のことを書いて、工芸に対する思いを新たにした矢先に、この訃報である。
去年の秋、富士鳥居のすぐ隣りのキディランドに行ったのに、隣の店に栗原くんがいるなんて、想像もしなかった。
愚か者のぼくは、いつもこうやって、かけがいのない人を失ってしまって、初めてその価値に気づく。
中島誠之助の前に、テレビ局からお宝探偵団に出演しないか打診があったという裏話を、ぼくはクラス会の時に本人から聞いた。
それくらい非凡な才能を持った男だった。
ぼくの友人の非凡な男たちはどうして、こんなに早く逝ってしまうのだろう。
だからぼくはあせるのだ。
同時代に生きる優秀な仲間たちと、早くこの世に生きた証を残したい。

そうしないと、どんどん優秀な人間から先立ってしまう。

あとに残るのは、ぼくのようなボンクラだけだ。

栗原くんが中学3年の時、文化祭で唄った歌を、ふと思い出した。
栗原くんに、その歌よしだたくろう「青春の歌」を捧げよう。

さようなら、栗原くん

2012年2月 1日 (水)

やっぱしオイラは「徳川時代の江戸という町のポップカルチャー」が好きだ。

会社帰りに六本木に行って、「歌川国芳展」を見てきた。

没後150年 歌川国芳展

ウィークデイの夜なので、心配したほど混雑しておらず、一安心。
ロッカーが少ないのと、見張りのお兄さんが多すぎるのが、難点。
ボールペンでメモをとっていたら、やめさせられて、鉛筆を渡された。
理由はわからん。こんなことは初めて。
気に入らなかったのは、そんなとこ。
あとは、ものすごくいい展覧会だった。
一番気に入った点は、絵を見ていてオイラの心の奥底が喜んだってこと。
杉浦日向子が生涯かけて表現しようとした、「徳川時代の江戸という町のポップカルチャー」を色濃く感じさせた作品群に、圧倒された。
国立博物館でやった「北斎展」もよかったけど、正直言って北斎の絵に付き合うのは疲れる。
これでもか、これでもか、っていう才気煥発な感じが、度が過ぎる感じがして、江戸を突き抜けた天才画家といった感じがする。
それに比べると、歌川国芳は頭のてっぺんから、つま先まで全身江戸そのもの。
オイラが生まれる百年前には、まだ江戸東京で生きていた国芳にやっと出会えましたねって、心のなかで挨拶したくなる。
ダジャレをかまして、動物に着物を着せる作品を見ていると、江戸というより、現在も活躍中の「かいけつゾロリシリーズ」原ゆたかを思い出してしまう。
もしかして、国芳は元祖原ゆたかなのか?
1842年に、天保の改革で役者や遊女や芸者を描くことが禁止されたという。
どうもこの時期に、国芳は何か「断固たる決意」ってもんが出来て、悪ふざけに走る方に、スイッチが入ってしまった感じがする。
次から次へとイマジネーションが湧いて、面白くて面白くてたまんなかったろうな。
やっぱし、国芳って原ゆたかに似ている。

期待以上の怪人だった原ゆたか

こんなだから、浮世絵は笑って楽しむのがいい。

今日も難しい顔して、うんちく話を語っている人がいた。

日本の美術史に詳しいアカデミックなひとなら、それもよかろう。

でも、オイラは「荷宝蔵壁のむだ書」の相合傘の落書きが好きだ。

なんだか図録を見ているうちにワクワクしてきた。

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