交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月31日 (土)

2011年だから、蛇足のようなエントリをひとつ。

昨日、今年の締めくくりを書いたのに、蛇足のようなエントリをひとつ。

体がだるくてゴロゴロしている僕の隣で、犬が寝ている。
老犬のハニーは現在16歳、自分で餌も食べられず、目も耳も鼻も全部ダメ。
排泄する時と食事の時以外は、寝たきりである。

それでも食欲は旺盛で、ある意味では健康だ。

元気な頃は一切無駄吠えしなかった犬が、意思表示のためによく吠えるようになった。

そんな姿を見ると、余計に愛おしくなる。

三年も前に、もうそろそろお別れだと思い、愛犬ハニーと重ねた歳月というエントリを書いた。

そんな老犬が今でも生きていてくれる。

同時に原発事故のためにペットや家畜たちを放置しなければならなかった人々の苦悩を思う。

ホットスポット東葛飾に暮らし、自分自身も原発の再稼働など許せない小さな被災者の一人ではあるが、こうして今年も愛犬と新年を迎えることができる幸せに感謝いたします。

改めて、すべての被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

今年は何故か忘年会に縁がなかった。

「2011年を忘れるな!」というメッセージなのだろう。

そして、こんな稚拙なブログを読んで下さる心優しき皆様が、明日の朝は少しでもいい年をお迎えになるように、お祈りいたします。

2011年12月30日 (金)

「ゆっくりと、まわりくどくやるしかない。」

去年体調を崩して2ヶ月ばかりぼーっとしていたが、それ以来体調はバッチリだったのに、年末になってウィルス性の腸炎にかかってしまい、体調は最悪。
食事どころかポカリスエットを飲んでも、吐いちゃうので、シオシオのパーです。
酒なんか一生飲みたくない気分。
関節が痛いので、熟睡出来ず、生ける屍状態が続いている。

こんな状態で今年を振り返るのもなんだが、3.11を契機にずいぶんいろんなことが終わって、新しいことが始まった年だったと痛感する。

社会もそうだし、自分自身も変わった。

余命を考えて、これからやるべきこと、やらないほうがいいこと、それも見えてきた。

今朝の朝日新聞を見たら、首相になってほしい人物アンケートのトップが石原慎太郎、2番が橋下徹、3番が小泉純一郎なんだと。

日本人て、何にも戦前の歴史から学んでないことが、よおくわかる。

近衛文麿首相がどんな雰囲気で登場したのか、そして彼が何をやったのか、野田内閣など論外だけど、国民が政治家に魔法の杖を期待し、何もかもおまかせイズムになれば、カダフィや金王朝のようになることは必定なのだ。

税金で食わせてもらっているのに、国会で居眠りしているような政治屋どもの下手なリーダーシップなど、迷惑千万。

小野二郎が言ったように、「ゆっくりと、まわりくどくやるしかない。」

ボブ・ディランのオリジナルもいいけど、仲井戸麗市の「時代は変わる」が良かった。

長い曲だけど、今年を振り返るにはこれくらい、長い時間が必要かもね。


それともう一つ。
3.11のあと、じっとしていると涙ぐんでしまい、何故かこの曲ばかり聴いていた。
坂本龍一 Put Your Hands Up を今年の締めくくりに。

2011年12月25日 (日)

狭い日本の「サマータイム・ブルース」

昨日か今日か忘れたが、遅く起きた朝。

たまたまテレビのスイッチを入れて、ぼーっと画面を眺めていたら、テリー伊藤がナカソネ康弘と寺島実郎に原発について、意見を聞いていた。
ナカソネは「明治維新以来、日本はこうやって、国力を増強してきたのだから……」なんて、箸にも棒にもかからないこと言ってる。
明治時代には原子力なんかないし、石炭や石油と同レベルで原子力を捉えていること自体、噴飯モノだ。
だいいち、オイラからすると、だからこそ帝国主義列強に加わる前の、

江戸期まで立ち返って資本主義のシステムを再構築したほうがいいと考えるくらい、

大きな衝撃をうける政治家がいないことのほうが、奇跡だと思っている。

だからナカソネいうことなんぞ、ボケジジイのたわごとだと思って聴いていたが、もっと罪深いのは一見、もっともらしい寺島の意見である。
日本の近隣諸国が原子力発電所を稼働させているので、対抗上日本も技術を維持するために必要最小限の原発を稼働させなければいけないのだという。
ちょっと聴くと、良心的な感じがしてしまうが、この論理を推し進めると、日本も対抗上核武装しなければいけないという具合に、どんどんエスカレートしてゆく。
とはいえ、もっともらしいし、いかにも現実的な説得力ある言葉のように聴こえる。
でもね。
寺島が見て見ぬふりをしている大事なことがある。
それを、『本へのとびら』の中で、宮崎駿が説明している。

始まってしまったんです。これから惨憺たることが続々と起こって、どうしていいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでいない。「もんじゅ」も片付いていない。原発を再稼働させようと躍起になっている。そういう国ですからね。まだ現実を見ようとしていない。それが現実だと思います。

僕は以前、寺島実郎のことを高く評価して書いたことがある。

寺島実郎『世界を知る力』を読んで

けれど、どんなに世界を知る力があっても、目の前の現実から目をそらせば、それは知的怠慢以外の何ものでもないだろう。

上記のエントリで書いたことは、撤回したい。

だけど削除はしない。自分の愚かさを記録として残しておく。

3.11によって、本物の知識人と、知識人ヅラしている寺島のようなニセモノが、明確になった。

東大や早稲田を出たこんな輩が、知識人ヅラをして、メディアに出てしゃべり、それを聴いてうなずいている早稲田出身のテリー伊藤のバカ面を見てしまい、朝から気分が悪くなった。

(ちょいと、本日のエントリは、中村とうよう。入ってました。合掌)

オイラの趣味じゃないけど、今日ばかりはストレートなメッセージで行くぞ!!!

RCサクセションの1988年(!)のコンサートから「サマータイム・ブルース」

2011年12月24日 (土)

いま生きているこの瞬間に乾杯。

クリスマスイブだから、もうひとふんばりして、エントリ書いちゃおう。
クリスマスソングって、どういうわけか名曲が多い。
ついでに言うと追悼文ってのは名文が多いと思う。
それはさておき、数あるクリスマスソング。
日本なら山下達郎か、稲垣潤一か。
洋楽ならジョン・レノンかビング・クロスビーか、ひとそれぞれ、私ならこれっていう曲があるんでしょうね。
いまは社会人になっている息子が赤ちゃんだった頃、当時住んでいた浦和のスーパーの安売りで買ったクリスマスソングのCDに入っていたナット・キング・コールの「クリスマスソング」が、僕の一番のお気に入り。
娘のナタリー・コールとオーバーダブでデュエットしたバージョンもすごくいいけど、古き良き時代を感じさせるナット・キング・コール単独のバージョンが、何と言っても最高。
聴く度にグッとくる。

40代で亡くなったナット・キング・コール。
ずっと年上の僕が来年のクリスマスイブに生きてるって保証など何もない。
こうして焼き海苔を肴に、赤ちゃんだった息子が贈ってくれた地酒を飲めるささやかな幸せ。
いま生きているこの瞬間に乾杯。

クリスマスイブだから、この曲を亡き友Oくんに捧ぐ

以前、アクロス・ザ・ボーダーラインというエントリにも書いたとおり、僕のおさな馴染みでOくんという人がいた。

お父さんが高名な漫画家だったから、平凡な僕の家などとは全く違ったカルチャーの家で育ったのだろう。

学校教師が教えてくれないような、異国の文化について僕に教えてくれた。

小学校5年から6年にかけて、僕がアメリカやヨーロッパの映画に狂ったのも彼の影響だった。

クラシックのギタリストになったOくんは若くして亡くなり、小学校を卒業する時に彼と約束した、一緒に映像作品を創り上げる夢は、永久に実現されることもないけれど、クリスマスイブの夜くらい、せめてもの抵抗を試みたくなった。

彼がよく言っていた「アルハンブラの思い出」という曲を貼り付けることも考えたが、クリスマスイブだから、「戦場のメリークリスマス」にしよう。

クラシックのギタリスト村治佳織が坂本龍一をバックに弾いたバージョンが素敵だから、Oくんの代役には村治佳織を起用したい。

Oくんは二年生の途中から転校してきて、僕らの常識を越えた言動が目立つ、風の又三郎のような不思議な少年だった。

そして、結婚もせず、子供も残さず、天才ギタリストと言われながら、レコードも残さず、クラスメートの誰よりも早く、天国へ旅立った。

凡人のぼくたちクラスメートが、せめて彼にしてやれることは、

彼がこの世にいたことを、思い出すこと。忘れないこと。

そう思ってこんな下手な文章を綴る。

天国のOくんは喜んでくれるかしら。

長く曲がりくねった道

最近、妙に「おんなこども」が読むような本ばかり読んでいる。
先週は辰巳芳子さんを特集した「クロワッサン」の別冊を買ってきたし、今日は「タンタン」の本を買った。

いま思えば、小学校を卒業して、電車に乗って男の子ばかりいる中学校に通い始めた瞬間に、誰から強制されたわけでもないのに、僕はたったひとりで文化革命をやっちまった。

大好きだった映画を観るのをやめて、ムーシカ文庫も卒業して、児童文学から足を洗った。

ついでに好きだった初恋の人も。

小学生の頃やっていた放送部や演劇部ではなく、運動部に入って上下の規律の厳しい世界で自分を鍛え直そうなどと、つまらないことを考えた。

そんな努力も2年が限界で、中学三年の夏で終わった。

映画や児童文学や演劇よりもっと刺激的だったのがロックの世界だった。

解散したばかりのビートルズがものすごくかっこ良く見えた。


今年亡くなった中村とうようさんに導かれて、そこからロックのようなカウンターカルチャーに惹かれ、徐々に難しいことを考えるようになった。

あんまり出来の良くない頭で。

あれから40年以上の歳月が流れて、ミッシェル・フーコーがどうの、マックス・ウェーバーがどうの、マルクスがどうの、シュムペーターがどうの、なんてことがどうでもよくなってきて、結局12歳の自分に戻っている。
僕は何にも進歩なんかしていない。
長いこと、よろよろとさまよい歩いて、12歳の文化革命前にもどっただけだ。

いまの気分にぴったりなのが、皮肉なことにこの曲。


和訳の歌詞付きで見たら、ポールが僕のことを歌っているみたいだった。



2011年12月23日 (金)

この歳になって「やかまし村」を初めて読んだ

先週読んだ宮崎駿『本へのとびら』に『やかまし村の子どもたち』が紹介されていた。
子供時代に読んだリンドグレーンの作品は「ピッピ」と「カッレくん」シリーズがすべてで、「やかまし村」はなぜだか素通りしてしまった。
主人公がもうじき8歳になる7歳の女の子で、小学校高学年になってからリンドグレーンを読み始めた僕はイマイチ物語の世界に入り込めなかったのかもしれない。
「やかまし村」では「ピッピ」と「カッレくん」のようにワクワクする事件が起きるわけではない。
地味なお話だけど、いまこの歳になって読むと、味わい深い。
昭和40年頃までなら、日本中どこにいても、手が届く所にあった「やかまし村」の世界は平成ジャパンでは夢物語のように見える。

やかまし村の子どもたちが軒を接して暮らしているのと同じように、
当時、ぼくが住んでいた家は隣の家と屋根が続いた長屋で、井戸を共有していた。
板壁の向こうは隣家の浴室だった。
湯船に浸かっていると、隣の家に住んでいる幼稚園児の女の子も湯船に浸かって、「いーち、にーい、さーん」と数える声が聞こえてきたことを思い出した。
ついこっちもつられて、頭の中で数を数えるような習慣が出来てしまった。
いまでも、湯船に浸かると、頭の中で数を数え始めている自分を発見し、苦笑してしまうことがある。

リンドグレーン作品を数多く手がけた大塚勇三の訳が素晴らしい。
ちょっと気に入ったのはこんなとこ。

わたしのベッドは、ギイギイ鳴るたちですから、わたしは、なんども、なんども、わざとねがえりをうちました。

「ギイギイ鳴るたち」ってのがいい表現だなあ。
古くなって傷んだベッドがまるで、生きた遊び相手になってる。
貧乏だけど、モノを大切にした、昭和の古き良き時代を思い出させてくれた。
3.11以降、心が凍えるような出来事ばかりつづく年の瀬に、
心温まる本を読めたことがせめてもの救いになった。

2011年12月18日 (日)

野田文学会に行って、久しぶりに小説を書こうと思った。

野田文学会に行って、文芸のいろいろな分野で創作活動をしておられる方々の話を聴いた。

特に詩人の方の話を聴くと、とても参考になる。

小説や随筆に比べて、なんて自由な世界なんだろうって、羨ましくなる。

いや、本当は小説だって自由な世界なのだが、ぼくの教養レベルで永井荷風の「ぼく東綺譚」のような起承転結のはっきりしない無茶苦茶に自由な小説を書いても、読んでくれる人はいないだろうからなあ。

ぼくは、永六輔が書くような唐突に変化してゆく文章が好きなのだが、小説でそれをやったら叱られる。

だからブログを書くのが一番楽しい。

このブログで何度も書いている通り、小説を書くのはツライ。

完成した時の喜びは大きいけど、ツライから逃げたくなる。

でもやっと、野田文学会のお陰で新しい小説を書く気持になってきた。

主人公の名前はヒロシ。もと不良少年だった学校教師。

ちなみに、どうしてヒロシなのか、ちょっとした仕掛けがあるのだが、内緒。

いずれわかってくるよ。

この作品を前に書いた短編「鉄塔が輝くとき」とゆるやかに繋げて、さらにいくつかの短編を作って「スモール・タウン・トーク」という作品集に仕上げて、小さな町に暮らす人々の情景を描いてみようと考えている。

小説のタイトルは未定だけど、ここまで書いたらもう後には引けないよね。

仕方ない、やるか。

最近仲良くなったsuki117さんという画家さんのブログで、描いた絵を見ていたら、ローラ・ニーロの「ミッドナイト・ブルー」が聴きたくなってしまった。

妙にひねくれて、覚めた高校生のころから好きだった曲。

49歳で亡くなる寸前まで、一貫して自分色の音楽を追求し、創作活動を続けたローラ。

ぼくはまだ自分色を見つけたなんて、とても言えないけれど、表現者として少しでもローラに近づきたいと思っている。

2011年12月17日 (土)

子供の本が読みたい。

急に寒くなった。

木枯らしが吹いて、空蝉坂を歩いて駅に向かう途中には、歩道に木の葉が散らばっている。

とうとう冬がきた。

大好きな冬だ。

もっと、もっと寒くてもいいのになんて、思う。

頭の中はキャノンボール・アダレイとマイルスの「枯葉」。

この曲はキャノンボール・アダレイのリーダーアルバムなのに、マイルスのトランペットのことばかり話題になる。

ぼくはキャノンボールのアルト・サックスが好き。

寒空の下、アルト・サックスの音色を聴くと、温かい気持ちになる。

師走で会社の仕事は忙しく、激しく残業している。

会社の行き帰り、つかの間の読書の時間、殺伐とした心をセピアカラーの製本も美しい宮崎駿『本へのとびら』岩波新書が癒してくれた。

この本で宮崎駿は石井桃子と中川李枝子のファンだと知った。

「ノンちゃん雲に乗る」と「いやいやえん」をこよなく愛するオイラとしては、何か同志を見つけたような錯覚に陥るくらいうれしかった。

難しい本が、年令と共にどんどん読めなくなっている。

頭が幼児化しているらしい。

子供の本が読みたい。

余生は岩波少年文庫とともに暮らすのも悪くない。

荷風全集と同時に、リンドグレーンの作品全部読んで暮らしたい。

2011年12月12日 (月)

金町ハイボールにはスモーキーボイスがよく似合う。

よく晴れたので、借りた本を返そうと、金町の南口あたりをぶらぶら歩いていたら、ハスキーなジャズボーカルの曲がどこからともなく流れてきた。

ヘレン・メリルかジュリー・ロンドンか。いずれにしてもこの町によく似合っているなあと、感心してしまった。

ギターとウッドベースだけの、シンプルな伴奏も、ピコピコ音に慣れた耳には新鮮に聴こえる。

マイルスのトランペットのようなスキのない、洗練された感じは好きだけど、金町ではピンとこない。

ちょっと田舎っぽい工場町。力の抜けた、このボーダータウンには、こんなスモーキー・ボイスに金町ハイボールじゃないといけない。

外国人のシンガーじゃなくて、もしかすると、青江三奈がジャズを唄った曲かもしれないなんて、想像していたら楽しくなってしまった。

昭和三十年代から四十年代初頭の頃まで、いまでは演歌歌手と呼ばれるような人たちも、クレージーキャッツやドリフターズのようなコメディアンもジャズミュージシャンとしてキャリアをスタートさせていたケースが多かった。

以前紹介したシャボン玉ホリデーでザ・ピーナッツが唄った「スターダスト」もよかった。

当時の芸人たちは、いまのアーチストなんて呼ばれてる若造なんぞより、ずっと芸人としての懐が深くて、引き出しも沢山持っていたような気がする。

ドリフターズといやあ、こんなのもあったなあ。

紹介した3人はみんな亡くなってしまった。

もっとしっかり聴いておけばよかったと、後悔するばかりだ。

2011年12月11日 (日)

かっこいいって言葉はこんな時につかうんだぜ

性懲りもなくTVを見ていたら「AKB48」という少女たちが「いまや国民的アイドル」になったなんて、紹介されている。
いつのまにか市民権を獲得した「国民的」という言葉が、「鳥肌が立つ」ほど嫌い。
そういやあ「鳥肌が立つ」というのも、反対の意味で使われるようになってしまった。
「鳥肌が立つ」ほど感動しましたなんて感じでね。
生きている間に、一度でいいから感動して鳥肌が立った人間を見てみたい。
AKB48が国民的アイドルなら、AKO47は国民的ヒーローだよ。きっと。

今年もAKO47のシーズンがやってきた。
年寄りだから、AKO47のメンバーなら知ってるよ。大石内蔵助とか、堀部安兵衛とか。

AKB48の人の名前は一人も知らないけどね。

ところで、国民的アイドルや国民的ヒーローって言葉の裏には、好きだったり、知らなかったりすると、「乗り遅れるぞ」「日本人として恥ずかしいぞ」っていう無言の圧力を感じる。

オイラはどうも本能的に、そっちと反対方向に走りだす癖がある。

9.11のあと、ブッシュが思わず十字軍という言葉を使ってしまったくらい、反イスラムで国中がおバカになってしまった時、ジョンの「イマジン」が放送自粛になってしまったことは記憶に新しい。

そんな状況下で「イマジン」を唄ったニール・ヤングはかっこいいと思う。

今週12月8日はジョンの命日だった。

下手をするとジョンのように暗殺される危険だってあったかもしれない。

ブッシュの尻馬に乗っかって、イラク戦争突入を礼賛していたコイズミや、いつでも外部に敵を作って改革派を気取っている橋下なんかを見て、かっこいいと思っているボクたち。

本当のかっこよさをコイズミや橋下でなく、ニールに教えてもらって下さいね。

2011年12月10日 (土)

われは昭和の児ならずや

最近、中沢新一『日本の大転換』を読んだ。

以前読んだや『アースダイバー』や坂本龍一との共著『縄文聖地巡礼』など、旧石器時代の社会に範を見出し、現代社会に警鐘を鳴らす、最近の中沢の仕事は見事だなあと思う。

Amazonあたりにピント外れの書評が載っているとがっかりする。

だけど、旧石器時代は遠い。だからレヴィ・ストロースのような媒介者がいないと理解出来ないのかもしれないが、なかなか縁遠くて、敷居が高い。

自分が実際に生きた昭和なら、よおくわかる。

昭和と比べて、平成になってダメになった部分、良くなった部分が実感出来る。

今週、古い友人とメールしていて、昭和の話になった。

その時、ふと思いだしたのが、荷風さんの詩碑。

南千住の浄閑寺にある。

吉原の遊女の慰霊塔の隣に立っている。

そこに彫られているのが、「震災」という詩

震災    永井荷風

今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
團菊はしおれて櫻痴は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。

明治の児荷風は「関東大震災」で、東京にわずかに残っていた江戸の文化といっしょに、明治の文化まで止めを刺されたことを嘆いた。

素敵な詩だと思う。

ちなみに「われは明治の兒ならずや。」というのは、勝手に意訳すると「ぼくは明治という時代を生きた子じゃないだろうか」といった感じだと理解している。

「くもりし眼鏡をふくとてもわれ今何をか見得べき。」という部分が荷風らしくて大好きです。

東京の街並みは今度の震災で大きな被害を受けたわけではないが、いい部分も悪い部分も含めて、考え方とかライフスタイルの部分で、ぼくたちが引きずってきた昭和が、完全に止めを刺されたように思える。

悪い部分を究明して、改めてゆくことも大事だけど、昭和の児としては、21世紀に昭和のいい部分を伝えるほうが面白い。

荷風さんは、それでも諦めきれず江戸や明治の風情を場末の色街玉ノ井にみつけて「ぼく東綺譚」という名作を生み出し、小説家としては力尽きた。

「良質な昭和の文化」

これからも追い求めてゆきます。

2011年12月 4日 (日)

昭和に育ってよかったね。

ひさしぶりに三郷に行った。

歳末商戦で賑わう中、人ごみをかき分けてイトーヨーカドー二階の本屋にたどりついて、ひまを潰してたら、「こころ」っていう文芸雑誌を見つけた。

版元はぼくの好きな平凡社。

文芸雑誌は自分が関係したもの以外は、荷風さん関係情報が充実している「三田文学」くらいしか買わないようにしているのだが、平凡社の雑誌だし、特集が「岩谷時子の歌の世界」とある。

昭和の歌謡曲マニアとしては、立ち読みするだけではおさまらず、つい買ってしまった。

ぼくが物心ついてから、小学生の頃までだろうか。

作詞家岩谷時子の黄金時代だった。

岩谷時子というと、加山雄三のイメージが強かったのだが、今回改めて見ると、越路吹雪を世に送り出し、その後の和製ポップスとよばれたアイドル歌手たちの歌を一手に手がけて、日本で最初の女性作詞家として新しい時代を切り開いた人だったことを知った。

越路の『愛の讃歌』を皮切りにザ・ピーナッツ『恋のバカンス』『ふりむかないで』や加山雄三『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』なんてまだ序の口で、質量ともに昭和中期の歌謡史に名を残す人だと思う。

よおく、考えると『恋のバカンス』の歌詞なんて、昭和30年代の日本じゃ、ものすごく過激なことを歌っている。

それなのに、ちっとも汚らしくないのは、ザ・ピーナッツの歌唱力もさることながら、岩谷時子のセンスの良さだろうな。

ピーナッツの初期の作品なんか全部よくって、紅白で唄った『ウナセラディ東京』をユーチューブで聴いていたら、思わず目が潤んでしまった。

数ある岩谷作品の中でもピカ一は園まりの『逢いたくて逢いたくて』だと思う。

園まりって、他にもいい曲はたくさんあるけど、この曲だけがダントツに光っている。

この曲を録音したとき園まりはおそらく二十歳か二十一歳くらい。

ちょっと信じられないほど成熟している。

原曲はザ・ピーナッツの7枚目のシングル「手編みの靴下」なので、そっちも聴いたけどピーナッツバージョンはイマイチで、園まりが唄ったから、名曲になった。

「心の糸が結べない 二人は恋人」って部分、何度聴いてもゾクゾクする。

今の若い歌手も上手な人、大勢いるけど、園まりのように日本語を美しく丁寧に、しかも艶っぽく唄える若い子はいるのかなあ。

以前息子に聴かせたことがあるが、今の若い子の耳には、この曲は演歌にしか聴こえないみたい。

おれたち昭和に育ってよかったね。

2011年12月 3日 (土)

もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない

坂本龍一と編纂チームが選んだ『いまだから読みたい本-3.11後の日本』小学館を読んでいて、茨木のり子のこんな詩に出会った。

「倚りかからず」

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木のり子「倚りかからず」筑摩書房

これだと、思った。

オイラは大文字で表現される「文学」なんぞわからぬ。ちっともわからぬ。一生わからぬ。

わからなくても、かまわないけどね。

その中でも詩なんぞ、一番わからない。

まともに読んだことがある詩人は山之口獏くらい。それも高田渡の歌になった作品だけ。

あとは阿久悠か?作詞家であって、詩人じゃないか。

実は詩人と作詞家の違いもわからないのだが。

だけど、茨木のり子はいい。

それだけはわかる。

多くの人々は会社や役所という権威だったり、アカデミズムや文壇という権威だったり、そんな怪しげなものにすがりつきたくなくなる。

「セレブ」なんてくそいまいましい言葉もある。

「セレブ」なんて薄汚れた言葉を使うマスコミの連中に、「倚りかからず」を叩きつけてやりたくなる。

もう一度、書こう。

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

こんなかっこいい茨木のり子の詩に添えるとしたら、生半可な曲じゃあ失礼だろう。

よおく考えたら、この曲があったことを思い出した。

ジョン・レノンとプラスティック・オノ・バンド「ゴッド」

文芸雑誌「野田文学」が発売された。

少し前のことだが、文芸雑誌「野田文学」第12号が発売された。

今回は宗谷真爾没20年ということで、野田市出身の医師・作家で、野田文学会生みの親でもある宗谷さんの特集になっている。

宗谷さんの本は品切れ状態になっているものがほとんどで、代表作の「なつこぶし」もネットで買った。

宗谷さんが執筆した分野や、活動は驚くほど多岐にわたり、流山市立博物館友の会でも活躍された先輩である。

例えば宗谷さんのアンコール・ワットの研究を三島由紀夫が高く評価したことや、深沢七郎、なだいなだとの親交でも知られる。

もちろん地域史研究や反核運動にも関わっているが、特集を読むと多彩な活動を貫く宗谷さんのこだわりのようなものも垣間見えて、興味深い。

ひとつ思うのは人間の業について、大変深く研究したひとなのだということ。

写楽斎的には、東洲斎写楽や月岡芳年などの浮世絵を研究されたことに、親近感を感じる。

一度でいいから、会いたかったなあ。

今号ではその活動の全貌を紹介している。

大河の如き宗谷文学の特集号の中で、とても恥ずかしいのだが、ぼくの小説「鉄塔が輝くとき」も末席を汚している。

4年前に千葉文学賞に応募したときの作品で、未熟な部分もあるけど、今はもう書けない新鮮なパワーも感じる作品である。

非力ゆえ、ここで力を使い果たしてしまい、このあといくつか書いた小説はまだ完成させられずにいる。

だから、この辺でこの作品に対してけじめをつけて、文学賞選考委員以外の一般の方に読んでもらえるように、完成品として発表した。

ぜひ「野田文学」を購入して下さい。定価800円です。

おおたかの森SCの紀伊國屋書店にはおいてあると思います。

2011年12月 1日 (木)

松戸の堀江良文堂を賞賛したい

朝、晶文社のメールマガジンが休止になったとのメールが届いた。

毎年出版目録を送ってくれて、みすず書房とミネルバ書房と合同の図書新聞も送ってくれて、それを参考に晶文社から出る新刊本を買いまくっていた時代があった。

それも今は昔になってしまった。

晶文社は数年前に違う会社になってしまったから仕方ないのかもしれないけど、晶文社ファンとしてはツライ。ものすごくツライ。

晶文社が好きだったからこそ、創業者の小野二郎を知り、小野が尊敬するモリスを知り、小野とモリスに魅せられた今の自分がいる。

ずっとむかしから、既製のアカデミズムから自由なポップカルチャーの香りが漂う本づくりをしてきた唯一無二の出版社だった。

植草甚一など、晶文社そのものじゃないか

調子に乗ってぼくは、平野甲賀のフォントだって、大枚叩いて買ってしまったのだ。

晶文社の本を意識して買ったのは、意外と遅くて1984年石山修武『秋葉原感覚で住宅を考える』が最初で、松戸駅前の堀江良文堂書店だった。

なんだか切なくなって、今夜もふらふらと堀江良文堂に寄った。

三階のエッセイの棚を見ると、昔なら、晶文社から出版されるような著者の本が、犀のマークなしの装丁で並んでいた。

そこで、ふと思った。

晶文社は変質してしまったが、松戸の駅前にいまなお堀江良文堂があることがどれほど素敵なことかって。

みぞれ混じりの冷たい雨が振り続く中を、良文堂だけが今日唯一の救いだと思いながら、家路についた。

晶文社のジャズ本の代表作がビリー・ホリディ自伝の『奇妙な果実』。

この曲を貼ろうかと考えたが、あまりにも凄惨な写真の連続で、曲調も暗すぎる。

少しでも希望が欲しい。だから今夜はサム・クックの「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」

きっといつか、いい日が来るよ。

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31