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2011年11月20日 (日)

しょんぼりするための時間

年齢不相応な小さい子どもがいるので、子どもを取り巻く環境の変化についてじっくりと考えることが多い。

半世紀前の自分の時代、四半世紀前のまだ昭和だった頃の長男の時代、そして長女が育っている現在。

小学校高学年から、よちよち歩きの幼児まで、おミソという絶妙のルールを取り入れて、全員で遊んでいた昭和30年代の東京下町の路地裏から眺めると、いまの世の中はまるで別世界だね。

ぼくは単純に人々をバラバラに孤立化させるテクノロジーばかり躍起になって開発してきた結果だと考えているけれど、もちろんそれだけじゃ語り尽くせない。

共同して生きてゆくしかない弱い人間が、自立して生きることが出来るようになったのは、大いなる進歩じゃないかという意見も、一方ではあるだろう。

そういえばつながりあうためのテクノロジーなんて、ことも書いたっけ。

昨日、美しい日本語の歌のことを書いたけど、美しい日本語というと、大正時代から昭和初期に花開いた童謡の世界があった。

日本語の歌の美しさに気づいたら、ふたたび松岡正剛の『日本流』が読みたくなった。

この時代はようするに白樺派と大正デモクラシーと竹久夢二で始まり、関東大震災と大杉栄虐殺の大正十二年(1923)をへて、ラジオやカフェや早慶戦や円本に象徴される昭和初期には未曾有の大衆文化の爆発を迎えるものの、昭和五年(1930)に世界恐慌の波をうけて大きく変質し、小林多喜二が虐殺される昭和八年(1933)までにはすっかりその姿を消してしまった「ある社会・ある文化」というものを象徴しています。そのなかで童謡が生まれ、軍歌の普及とともにいったん消えていった。

西条八十が作詞した「かなりや」を素材に上記の「ある社会・ある文化」について書いた『日本流』を読むと、「明るく、楽しく、元気よく」だけが、子供の世界ではないことが強調されている。

またこの時代の童謡をいま聴くと、しょんぼりした歌が多いことに驚く。

いったい、いつからぼくたちは、「明るく、楽しく、元気よく」生きることを強要されるようになったんだろう。

人は生きているかぎり、しょんぼりするための時間があってもいい。

最近のひとはしょんぼりしていることを、単純化して「へこむ」なんて表現する。

そこにマイナスのイメージが付与されている。

『日本流』の解説を田中優子が書いている。

これが絶品だ。

それは1960年くらいまでに生まれた日本人の、心の奥深くにひそんでいる寂しさ、切なさである。思うとおりにならない人生を受け入れ、味わい尽くすことから生まれる、究極の詩心である。しかしもはや、そこにとどまって言葉をつづる人は、わずかだ。

戦後、とりわけ高度経済成長とともに、そこから逃げるのが善であることになった。米国人のように「前向き」に「明るく」生きることが、価値になったのである。多くの日本人が、寂しさからの逃走を企てるようになり、娯楽は真っ盛りとなった。娯楽は金儲けのゲームにまで広がり、今日に至っている。

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