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2011年11月

2011年11月27日 (日)

この名曲をティッシュ王子に捧ぐ

アートと人類学のことなど書いてしまうと、かっこ良すぎるので、写楽斎の名が泣くぜ。

心の奥底の逆バネがきいて、くっだらねえ話題が欲しくなる。

そっち系でこのところのマイブームは何と言っても、愛媛の地元でティッシュ王子と呼ばれている井川容疑者この人のことだね。

すきだあなあ。この人。

船場吉兆もよかったが、比較するのもおこがましいほど、ダメっぷりが桁外れで、21世紀の世の中でこういう人を見られるなんて、実に痛快じゃないか。

ティッシュを何億箱か知らないが、コツコツ売って、会社を大きくした社員たちからするとたまんないかもしれないけど、たまにはこういう大バカなヒトがいてもいいじゃないかと思ってしまう。

一歩間違えて、マカオのカジノではなく、大原孫三郎のように美術館や社会問題研究所を作るのにお金を使ったり、渋沢敬三のように宮本常一を応援したりしていれば、偉人として尊敬されたのに、ちょっと熱中するジャンルを間違えちゃったんだよね。王子様。

だからあなたにはこの曲を贈りたい。

まさか、マイルスの「サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム」なんて考えてないでしょうね。

王子様!

あなたにぴったりの曲があるから、そちらをご用意致しました。

「サタデーナイト・スーダラ節」

お聴きください。

今宵、植木等があなたのために歌い

トラボルタがあなたのために踊ります。どうぞ。

松戸アートラインプロジェクトをレポートします

23日に行きますなんて予告して、行けなかった「松戸アートラインプロジェクト2011」は、本日最終日。

今日行かなくてはとてもまずいことになると、遅い朝食を食べて、急いで駆けつけた。

まず、結論を先に書くと、素晴らしかったの一言。

一番いいと思った点は、松戸の町のなかにふだんは眠ったまんまの空間があって、

もちろんそこはふだんは眠ったまんまなので、関係者以外は立ち入り禁止の寂しい場所。

そんな寂しい空間が、たとえひと時でも、アートの力によって、人と人をつなげて、町がふだんと違った風景に見えたこと。

ぼくがずっと大事にしているのが「小さな町の不思議な空間」というコンセプトなので、まさにぴったり。

このコンセプトにそって21世紀のムーシカ文庫を始めようなんて、エントリも書いたことがあったけ。

松戸市は巨大だけど、松戸宿の本町界隈は江戸時代からつづくヒューマンスケールの町なので、ぼくには愛着のある小さな町のひとつ。

特に坂川界隈の風景は絶品だと、いつも思う。

図に乗って、娘と一緒に原田米店のアトリエミルクルさんのワークショップに参加して、那須高原のセルフビルド以来、久々に工作をやってしまった。

ものすごく恥ずかしいけど、こんなもんでも参加した気分になれるってんで、みなさんに勇気を与えるために作品をアップします。

Dsc01152 Dsc01140

見づらいけど「Are You Happy?」って印刷した紙を貼ってある。

トイレットペーパーの芯で作ったオブジェ。

色合いが草間彌生っぽいので気に入って、色紙をペタペタ貼りつけた。

消滅を心配していた原田米店が最高の形で、残ったのがうれしい。

ここでずいぶん時間をつかってしまったので、西口公園方面を見られなかったのが残念だったが、駅前の日発ビルでやっていた田嶋奈保子さんは面白いひとだった。

色白で、上品なお嬢さんなのに、やることは大胆。

ユーチューブで見たが、顔で絵を描くのは、いいなあ。

ワクワクしちゃうなあ。

ぼくもやってみたい。縄文人の末裔の血が騒ぐぜ。

亡くなった市川の詩人宗左近なら、縄文アートが云々なんて言いそう。

自分には詩心がないので、うまく説明できないから

ユーチューブで田嶋さん自ら紹介しているビデオを、貼り付けます。

田嶋さんは自分の考えを書いたプリントを用意していたので、もらってきて熟読すると、とてもしっかりした考えを持っていて、共感するところが多い。

「暮らしの芸術化」と言うのは簡単だが、これって、日本人にとって、ものすごくロングレンジの課題で、ある意味では縄文から弥生時代に移行した時点で、すでに崩れ始まっていたかもしれない。

そうすると、縄文時代、宗左近、岡本太郎、クロード・レヴィ・ストロース、中沢新一・坂本龍一の「縄文巡礼」ときて、宗左近が縄文の末裔蝦夷の娘だという真間の手児奈に行って、やっぱり市川の堀之内貝塚に戻ってくるといった具合に、キーワードをつなげてみると、東葛飾地域で「暮らしの芸術化」を叫ぶことはとても自然だ。

(自分の中では自然だけど、何だか意味不明かなあ。まいっか。)

長すぎるエントリになったので、これでおしまい。

ワタリウム美術館の岡倉天心の本もよかった。

若いころ読んだ『茶の本』は再読すると、まるでジョン・レノンと小野洋子が書いたみたいだ。

去年の後半体調を崩して、新美術館のゴッホ展にがっかりしてから、あまりテンションが上がらなかったが、この一週間は久々にアートな7日間で、目からウロコが何枚も落ちた。

アートラインプロジェクトのようなゴキゲンなイベントに参加したあとは、頭をクールダウンしたいので、Danny Boyという静かな古い歌が聴きたくなった。

いろいろなアーチストがやっている曲なので、ずいぶん探したけど、結局、CDを持っている木住野佳子が弾くピアノバージョンが今の気分にぴったりなので、どうぞ聴いてください。

2011年11月23日 (水)

魔法の杖なんかないんだよ。(再び)

ひさしぶりにオウム真理教の話題がメディアを賑わしている。

世の中が乱れると、カルト教団やカリスマ政治家や偏狭なナショナリズムが出てくる。

ところがこんな時、おれたちのような一般ピーポーの魂の救済をミッションとすべき既存の宗教界が何にもやっていない感が強い。

オウム真理教の経義なんぞ興味ないけど、何が嫌だって、ダサいしセンスが悪いから嫌なのだ。

他人のことは知らないけど、自分が何かする時、ダサい世界と美しい世界があったら、美しいと感じる方向に行きたい。

おれはオウムに入ることをかっこいいと思うような、醜悪な現代の若者のセンスをぶっ潰したいのだ。

同時に、疾走する自転車で通行人を怯えさせ、駅のホームで人を押しのけてゆくことをカッコ悪いと思わない奴らのセンスもぶっ潰したい。

「江戸は君たちのようなヒトの来るところじゃないよ。人々が何百年間も狭いところで、お互い譲りあって暮らしてきたのだから。」

仏教でも、基督教でも、洗練された美学がある。

ニッポンには仏教だけでなく、茶道や華道や、俳句、短歌のような、美意識を磨いてゆく本来クールな文化があるのに、難解な哲学用語なんかが出てきて、おれたちには難しすぎる。

例えば柳宗悦の仏教美学の頂点といわれる『美の法門』など、何を言いたいのか、さっぱりわからん。

小野二郎著作集を読むと、明治大学教授だった小野ですら「わかんない」と心情を吐露している。

もちろん、おれの「わかんない」とは、レベルが違う「わかんない」だとは思うけど、いずれにせよ「わかんない」のは困る。

同じように天心もいまだに理解されていない思想家だと、小泉教授は言っていた。

そこで、小泉教授に教わったとおり、『茶の本』を英文で読むことにして、本を買った。

柳も天心も、長い時間をかけて、少しずつ理解してゆくものなのかもしれない。

時間をかけたくない、インスタントに世の中の森羅万象を説明できるような「魔法の杖」を求めるような若者のあせる気持ちにつけこんでくるんだよね。カルトや偏狭な思想って。

インスタントと戦おう。暮らしのリズムを再構築しようよ。

魔法の杖なんかないんだよ

いまはそんなことを考えている。

Alone Again Naturallyを聴きながら想う

急に切なくなって Alone Again Naturally という曲が聴きたくなり、ユーチューブを探していたら来生たかおが歌っているのを見つけた。

歌いながら来生たかおが泣いている。

おっと、こっちまでもらい泣きしそうだぜ。

もう5、6年前だが、泣いている来生たかおを見たことがある

勤めている会社の同僚Nさんが50代半ばで病死した。

千早町で行われたNさんの葬式の時だった。

独身だったNさんは、福岡にいる親兄弟、叔父叔母など一族郎党全員、亡くなってしまった人で、天涯孤独な人だったが、来生たかおの友人だということは、本人から聞いて知っていた。

ただ、相手は有名人だから、どうせホラ話だろうと話半分にしか聞いていなかった。

ところが、来生たかおは一人もいないNさんの親族のかわりに、ぼくたち会社の人間に挨拶し、お通夜も、告別式も最初から最期まで故人に付き添っていた。

乗って来た車は派手な外車だったが、偉そうにしないし、地味で、優しい人だなと感じ、好感を持った。

ぼくなど、人柄が悪いので、子どもの時から友達がほとんどいないから、Alone Again Naturallyな気分なのだが、Nさんにはこうして、来生たかおのような、よき友人がいる。

孤独だと思っていたNさんの人生もまんざらじゃなかったぜ。

来生たかおは歌っている時、ひょっとするとNさんのことが脳裏をよぎったんじゃなかろうか。

なんて想像してしまった。

天国にいるNさんが何だか羨ましく思えた。

2011年11月21日 (月)

かなりびっくり!なんとまあ、「暮らしの芸術」とは

昨日、酔っ払った勢いで、よく調べないで、松戸アートライン2011について、コメントしてしまった。

岡倉天心の21世紀

たまたま昨日のエントリで書いた「暮らしの芸術化」で、ネットを検索したら、のっけから「松戸アートライン2011」にぶつかってしまう。

不思議に思って開催概要を見たら、なんとまあ、驚いたことに、「暮らしの芸術」がテーマだっていうじゃありませんか。

あんまりいい文章なので、全文引用します。

松戸アートラインプロジェクト2011」のテーマは、暮らしの芸術です。芸術のある暮らしではありません。芸術のある暮らしは、絵画や彫刻、デザインなどの芸術が私たちのまわりに入り込んでいる生活を指しています。暮らしの芸術は、そうではなくて、〈暮らすこと〉、〈生きていくこと〉といった私たちみんなが日常的に行っている生活の営みを芸術として捉え直そうという試みです。私たちは、今生きることさえも難しい時代に直面しています。世紀をまたいだ長引く不況に加え、今回東日本を襲った震災とそれに続く原発事故は、21世紀、私たちはどのように生きればいいのかという根本的な問題を提起しました。私たちは、もはや20世紀の時代のように生きることは難しいのかもしれません。生き方そのものを考え直す時代が来ているのです。

この困難な時代において、新しい生き方を模索する試みが少しずつではありますが生まれて来ています。興味深いのは、こうした提案が、アートと呼ばれてきた営為の中から生まれつつあることです。いや、もう少し正確に言えば、ここでいう〈アート〉は、普通私たちが用いている狭い意味での〈芸術〉ではなく、かつてギリシャ語の〈テクネー〉やラテン語の〈アルス〉が持っていた〈技術〉や〈技芸〉に近いものかもしれません。

新しい生き方を模索すること。ただ生きるのではなく、よりよく生きること。しかし、よくよく考えたらこの〈暮らしの芸術〉は、昔は人々の生活のいたるところにみられたものでした。職人のこだわりから、おじいちゃんやおばあちゃんなど先人たちの生活の知恵にいたるまで、暮らしは芸術的としか呼びようのない豊かな表現に満ちていました。けれども、近代を支配してきた効率化や合理化の思想が、こうした暮らしの芸術を生活から奪ってきたのです。

もう一度暮らしの芸術を取り戻すこと。東日本大震災という未曾有の事態の中で、21世紀を生き延びるためにも、それは急務にも思えるのです。

この文章で言っていることって、モリスであり、柳であり、荷風であり、露伴であり、もしかすると昨日教わったばかりの天心も、同じ系譜の人で、すごいことだ。

書いてあることに強く共感、ていうかぼくが今考えていることそのまんま、言われちゃった。

そして、岡本太郎や市川の詩人宗左近が注目した縄文文化の見直しといった香りすら漂う。

さらに上記の人々はモリス以外の全員が常磐線や東葛飾に関係しているのがうれしい。

とにかく、よく読まないで、批判めいたこと書いて、ごめんなさい。主催者様。

お詫びの印に23日は遊びに行って、レポートします。

どうぞお許しを。

2011年11月20日 (日)

岡倉天心の21世紀

東葛出版懇話会の二次会で、茨城大学大学院の小泉晋弥教授とお話しすることが出来た。

エライ人は苦手なので、遠くに座っていたのだが、周囲の先輩方に背中を押されて、挨拶するハメになってしまった。

ところが、とっても気さくな方で、何から何まで意見が一致するので、びっくり。

東京芸大を出て美術史を専攻し、現在は岡倉天心の研究者として名高い方。

津波で流された天心の六角堂再建に奔走している。

3.11以降の日本が世界で果たすべき役割を天心とインドの詩人タゴールに託して、語ってくれた。

石山修武が『現代の職人』の中で、こんなことを書いている。

ウィリアム・モリスという人物や、その商会活動、工房の日常を一度実見できたらどんなにはげみになっただろか。デザインというものにファッション以上の何ものかを望みたいと願うものならば必ずモリスが実践し、かつ夢見た世界、その大きな全体性にゆき会う。

日本でモリスを考える程の問題を投げかけてくれる位の人物を探すことは難しい。岡倉天心や柳宗悦が生きていれば、それこそ砂を蹴立てても会いにゆくのだが……。

20年前に石山さんのこの一文を読んだ時から、天心は気になる思想家だった。

そして、今日は明治時代の天心の思想が20世紀どころか、21世紀に通用する先見性を持っていることを小泉教授から教わった。

福沢諭吉の「脱亜論」から、岡倉天心の「アジアは一つ」へ。

3.11に続いて、TPP問題に国中が揺れる今だからこそ、再考すべきテーマだと思うがどうだろうか。

そして、いま松戸で展開している松戸アートラインというのも、たとえば天心や柳やモリスをどんと中央に据えて、ぼくらの暮らしの芸術化を目指す内発的な動きだとしたら、手放しで賞賛したいが、松戸に関係ない若者たちが、大学教授やプランナーに率いられてウンカのごとく押し寄せて、イベントが終われば去ってゆくものだとしたら、全く興味がない。

小泉教授の言葉で一番印象的だったのは「自分の周りの表現者たちは3.11以降、全員が変わってしまった。5%の人間が変われば、国全体が変わってゆく」という話。

来年になると、いままで誰も見たことのない美の国ニッポンが、常磐線沿線の町から始まるのかもしれない。

いや、始まらなければいけない。

そして、それは「美しい国」元総理の考える国とは、全くちがうものだろう。

来年以降のニッポンが楽しみになってきた。

しょんぼりするための時間

年齢不相応な小さい子どもがいるので、子どもを取り巻く環境の変化についてじっくりと考えることが多い。

半世紀前の自分の時代、四半世紀前のまだ昭和だった頃の長男の時代、そして長女が育っている現在。

小学校高学年から、よちよち歩きの幼児まで、おミソという絶妙のルールを取り入れて、全員で遊んでいた昭和30年代の東京下町の路地裏から眺めると、いまの世の中はまるで別世界だね。

ぼくは単純に人々をバラバラに孤立化させるテクノロジーばかり躍起になって開発してきた結果だと考えているけれど、もちろんそれだけじゃ語り尽くせない。

共同して生きてゆくしかない弱い人間が、自立して生きることが出来るようになったのは、大いなる進歩じゃないかという意見も、一方ではあるだろう。

そういえばつながりあうためのテクノロジーなんて、ことも書いたっけ。

昨日、美しい日本語の歌のことを書いたけど、美しい日本語というと、大正時代から昭和初期に花開いた童謡の世界があった。

日本語の歌の美しさに気づいたら、ふたたび松岡正剛の『日本流』が読みたくなった。

この時代はようするに白樺派と大正デモクラシーと竹久夢二で始まり、関東大震災と大杉栄虐殺の大正十二年(1923)をへて、ラジオやカフェや早慶戦や円本に象徴される昭和初期には未曾有の大衆文化の爆発を迎えるものの、昭和五年(1930)に世界恐慌の波をうけて大きく変質し、小林多喜二が虐殺される昭和八年(1933)までにはすっかりその姿を消してしまった「ある社会・ある文化」というものを象徴しています。そのなかで童謡が生まれ、軍歌の普及とともにいったん消えていった。

西条八十が作詞した「かなりや」を素材に上記の「ある社会・ある文化」について書いた『日本流』を読むと、「明るく、楽しく、元気よく」だけが、子供の世界ではないことが強調されている。

またこの時代の童謡をいま聴くと、しょんぼりした歌が多いことに驚く。

いったい、いつからぼくたちは、「明るく、楽しく、元気よく」生きることを強要されるようになったんだろう。

人は生きているかぎり、しょんぼりするための時間があってもいい。

最近のひとはしょんぼりしていることを、単純化して「へこむ」なんて表現する。

そこにマイナスのイメージが付与されている。

『日本流』の解説を田中優子が書いている。

これが絶品だ。

それは1960年くらいまでに生まれた日本人の、心の奥深くにひそんでいる寂しさ、切なさである。思うとおりにならない人生を受け入れ、味わい尽くすことから生まれる、究極の詩心である。しかしもはや、そこにとどまって言葉をつづる人は、わずかだ。

戦後、とりわけ高度経済成長とともに、そこから逃げるのが善であることになった。米国人のように「前向き」に「明るく」生きることが、価値になったのである。多くの日本人が、寂しさからの逃走を企てるようになり、娯楽は真っ盛りとなった。娯楽は金儲けのゲームにまで広がり、今日に至っている。

2011年11月19日 (土)

日本語の美しさ

今週ふとしたことから、カーペンターズの「青春の輝き」という曲が気に入ってしまい、ユーチューブで「青春の輝き」のいろんなバージョンを聴きまくっていたら、峠恵子という日本人女性がカレン・カーペンターそっくりに歌うビデオを見つけた。

歌唱力はすごいし、最初は面白いと思って聴いていたのだが、何だか物足りない感じがしてきた。

もう一度、カーペンターズに戻って、じっくり聴いてみると、少しだけわかったことがある。

峠恵子が歌う「青春の輝き」は「言葉の響き」があんまりきれいじゃないのだ。

カレンの歌は絶妙のタイミングで、ひとつひとつの言葉が紡ぎだされる。

ジャンルは違うけどチャーリー・パーカーのアドリブを聴いた時の心地よさに似ている。

カレンの歌う英語って、どうしてあんなにすうっと、心地よく耳に入ってくるんだろう。

ひとつひとつの言葉を大事に歌っているからなのだろうか。

そういやあ最初に買った洋楽のレコードって「スーパースター」とシカゴの「Questions 67 and 68 」だった。

それ以来、カーペンターズもシカゴもおさらばしていたけど、シカゴはともかく、カレンはすごい。

「青春の輝き」を、歌詞付きで聴いてください。

どうです。グッと来ましたか?

事実かどうか知らないが、恋愛をする暇もなかったカレンのことを思って、リチャードが作った曲だというエピソードまでついている。

テレサ・テンの日本語の歌も好きだけど、最高傑作といわれるアルバム『淡々幽情』を聴くと、テレサの中国語の歌が、段違いに美しいことを知った。

テレサによって、中国語って、こんな美しい言語だったかしらと、見直したこともあった。

それじゃあ、日本人の歌手で日本語を美しく聴かせてくれる人誰だろうと考えた。

それほど数多くの歌手を聴いているわけじゃないから、自分の主観でしか言えないが、大貫妙子はかなりいい線いってると思う。たとえばこんな曲。

大貫妙子が作曲家としてどうなのか、楽理のことは全くわからないので、なんとも言えないけど、天性のメロディメーカーとは思えないし、それほど器用な作曲家とは思えないが、作詞家として、歌手として、彼女ほど研鑽を積んだ人は少ないように思う。

年齢を重ねて美しい高音は失われたけれど、表現力はさらに深みを増している。

「美しい人よ」は15年以上前の録音だから、最近の録音を聴いてみたい。

坂本龍一のピアノと大貫妙子の歌だけのアルバム「UTAU」の「夏色の服」。

30年近い昔の、透き通ったような、美しい曲が、いぶし銀の美しさに変わって、よみがえっている。

今週、Amazonで注文した井上ひさしの『東京セブンローズ』が自宅に届いた。

占領軍によって、取り上げられそうになった日本語を守った物語だ。

美しい日本語が急に気になり始めた一週間だった。

2011年11月13日 (日)

怪しい封筒

週末の都心で旧友と再会し、ワインとビールの飲み過ぎで、ガポガポになったお腹を抱えて、夜遅く家に帰ると、ポストの中に、なにやら怪しげな封筒がある

恐る恐る封を開くと、「とっても小さな物語」というフリーペーパーや、広告チラシのようなものが入っている。

フリーペーパーは何だかよくわかんないけど、異様な迫力に満ちた紙面で、タテヨコお構いなしの無茶苦茶なレイアウトに、脈絡がない記事が並ぶ。

いったい何で、こんなものが我が家に届いたんだろうと、よく見るとTさんの紹介で送りましたというメッセージカードが入っていた。

ネットで調べると福本さんという人がやっているリクエストアームズという会社で出していることがわかった。

よく読むと、原発のこと、猫グッズのこと、日本国憲法のこと、何しろ盛りだくさんだ。

その中でふと「復興を願う酒 不死鳥にっぽん」という記事に目がとまる。

宮城県の一ノ蔵で作った酒だ。

一ノ蔵といえば最近飲んだ「ひめぜん」という酒は、まるでワインのようで、日本酒嫌いのうちのカミさんでも、「おいしい」という。

以前飲んだことのある「すず音」といい、一ノ蔵は女性向けの酒を頑張って開発し、日本酒の裾野を広げようと頑張っている。

日米構造協議の中で「規制緩和」の美名の下、大店法が改正され、日本中にシャッター通りが出来た。

高度経済成長期には、国内の木材需要を賄うために木材輸入の自由化が始まり、1964年には全面自由化となって、安価な外国産材が怒涛の勢いで輸入され、国内産の材木はほとんど使われなくなり、林業は衰退した。

「国産材で家をつくる会」なんて団体が出来るくらいだ。

そして今、野田くんの暴走で、さらなる市場開放が行われようとしている。

そんな絶望的な時代だけど、こうやってしたたかに生きている人たちの仕事に接して、少しだけ元気になる。

廃墟のような街で、ささやかな希望が芽吹いているのかもしれない。

急にニール・ヤングが聴きたくなった。

メタファーだらけの歌詞は意味不明だけど、何故か今夜は「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」

野田くんの考える「国益」とはなんぞや。

大学を卒業してから30年になるので、記念式典があるという。

功なり名を遂げた優等生や、良家に嫁いだ奥様方が集う所には興味はないが、せっかくの機会なので、同級生で集まろうということになり、式典とは無関係にキャンパスに集まった。

黄昏時、ベンチに座っていると、講堂から出てきた小奇麗な御婦人方が大勢で通りすぎてゆく。

そういえば学生の時も、横浜の元町で買ったような服を着て、ラケットを持った彼女たちを、ぼくはこうして遠巻きに眺めていたなあ。

なあんて、つまらぬことを思い出した。

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それにしても、レンガ造りの校舎は美しい。

小奇麗な御婦人方より、学生時代に気づかなかった校舎の美しさに感動する。

そしてこの30年の日本社会の変貌を改めて想う。

まるで時代の変化に取り残されたような校舎の美しさは変わらないけれど、キャンパスの周りも大きく変貌していた。

30年前、野田くんと同い年のぼくの周囲にも松下政経塾の出現で色めき立っていた人間がいた。

彼らがその後どうなったのか知らないが、松下政経塾出身者を見て考えた。

親が築いた地盤もなく、官僚になって出世する可能性も低い若者たちが、政治の世界に入るために、産業界を地盤にすることを選択したに過ぎないのだなあ、と。

さっきTVで金子勝が話していたように、政党政治に絶望したオレたち一般ピーポーがどこへ行くのか、その行く先を考えると暗澹たる気持ちになる。

野田くんの考える「国益」とはなんぞや。

それが、一部の産業界だけを代表するものでないことを祈る。

2011年11月12日 (土)

菜の花や月は東に日は西に

「日本では『日本にはソ連型の炉はないからチェルノブイリのような事故が起こることはありえない』などといって、いまだに原発推進に奔走している人々が少なくない。しかし、チェルノブイリのような核爆発を、あるいは、1979年にアメリカのスリーマイル・アイランド原発二号炉で起きた炉心融解を、日本の原発が引き起こす可能性を、現代科学は一度たりとも否定していないのである。

「経済大国」「技術立国」等々を語るのは、もちろん各人の自由だが、ただ一基の原発事故でさえ、日本経済をその根底から揺るがすことになりかねないという程度の認識は、常識としてもっておいていただきたいものだ。

廃炉の続出する時代になればますます金を食うであろう原発を、さらに増やすことで国富が増えるなどと信じている人がいることを信じたくないが、現実はそのような論理の下に、依然として原発推進は続行しているのである。」

「貿易摩擦の解消策は、半導体を含めて工業生産を減らしていくことしかない。当然、輸出は減る。だが、同時に農林水産物の輸入も減らせばいい。これまで衰退の一途だった農業や林業や漁業をもっと大切にするような経済構造に変えてゆけばよいのである。

つまり、輸出も輸入も減らすということであって、いわばゆるい鎖国の再評価が大切な時期になっているのである。」

バブル経済のさなかの1988年にダイヤモンド社から出版された室田武『天動説の経済学』の一節である。

四半世紀近くも前の本だけど、原発とTPP問題にゆれる今の日本にぴったり。

これほどの名著が、長い間絶版になっている。

古い本だから図書館でも処分されている可能性もある。

アマゾンなら安価で買えるようなので、ご興味のある方はぜひ。

経済学など勉強したことのない人でも抵抗なく読める、こなれた文体。

菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村

蕪村の句で始まる冒頭の一節も美しく。

心に響いたこの本を、いつの間にか忘れて過ごしてきた長い年月が悔しい。

3.11はそんなぼくの眠りを覚ましてくれた。

この本を眠ったまんまの野田くんに捧げよう。

ひなたぼっこが俺の趣味

朝寝坊をしたけさ、急いで燃えるゴミを出しに行った帰りに空を見上げたら、久しぶりに抜けるような青空だった。

一瞬、「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のジャケットが脳裏をよぎったが、今の東葛飾地域の青空はカリフォルニアの青い空じゃぁないだろう。

じゃあなんだっけと、考えたら、頭の中でキンクスの「ひなたぼっこが俺の趣味」のイントロが始まった。

「むらの緑を守る会」なんてアルバムまで作ってしまったイギリスのへんちくりんロックバンド。

黄昏の大英帝国のムードを色濃く漂わせる、よじくれて、肩から力の抜けた曲と歌詞。

今のオイラの気分にぴったり。

もちろんこの曲はTPP参加を表明したばかりの野田くんに捧げよう。

日本人ですら東日本の野菜を買わないこの時期を狙って、アメリカの農家が日本の農家をつぶしにやって来る。

千載一遇の絶好のチャンスだとばかりに。

日本の消費者にとって、放射能の恐怖に比べれば、ポストハーベスト農薬など、物の数でもなく。

そんなアメリカの横暴に加担する野田くんのような男には、キンクスの魅力など永遠にわからないだろう。

「保存」「保護」といった意味のPreservationというのがキンクスのキーワードで、こんな状況だから余計に身にしみる。

そして、キンクスが人気バンドになるような、そんな成熟した社会になったら、日本はきっと楽しい国になると思う。

もう肩を怒らせて成長、成長って騒ぐ必要あるのかい。

どこまで経済大国になれば、オレたち幸せになれるんだろう。

2011年11月 8日 (火)

昭和が遠くなってゆく

最近テレビを見なくなったなあと思っていたら、日本人のテレビ離れが急速に進んでいるらしい。

僕だってNHK以外では、ときどき見ているタモリ倶楽部くらいしか、決まって見る番組がなくなってしまった。

自分の場合どこに流れるかというと、やっぱりYouTubeで、さっきも「子連れ狼」の「阿部怪異の最期」なんか見ていて、魅入ってしまう。

金田龍之介も、萬屋錦之介も大好き。

でも、一番劣化していると思うのは、お笑い系。

子供の頃は当たり前に見ていたけど、

赤塚不二夫の「おそ松くん」に出てくるイヤミのモデルになったというこの人

トニー谷なんか不世出の天才芸人かなって、今になって思う。

この当時、晩年にしてなお醸し出している

トニー谷の異様なテンションやスピード感に比べると

同系統だけど、ルー・大柴がフツーの人に見える。

これは演出家高平哲郎が手がけた「今夜は最高」っていう番組の録画だけど、

民放であんなに質の高い、大人が楽しめる番組をやっていた時代があったことが、

今となっては信じられない。

自分は昭和に生まれ育って、本当によかったと思う。

今の子どもたちは、これからどんな感性を持った大人に育ってゆくのだろう。

時々、叔父である小野二郎が創設した晶文社から出版した高平哲郎の著書を読みながら、そんなことを考える。

昭和が遠くなってゆく。

2011年11月 6日 (日)

本日は清水ミチコがマイブーム

昨日は怒ったので、今日は力が抜けて、朝からずっとボケボケムード。

ユーチューブで矢野顕子とコラボした清水ミチコを見始めたら、いきなり清水ミチコがマイブームになって止まらなくなってしまった。

「顔まね」の本は持っているけど、歌まねや顔まね以上に、アイデアがすごい。

やっぱ天才だわこの人。

ユーミンや、桃井かおりの真似も面白いが、一番受けたのがフランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」の替え歌。

この曲を聴いて、全盛期のタモリを思い出した。

クレモンティーヌの「天才バカボン」や「はじめてのチュウ」もよかったし、ひょっとしてぼくはシャンソン系好きかもしれない。

バカボンはCMでやってたから「はじめてのチュウ」を貼ります。

清水ミチコで笑って、クレモンティーヌで癒されてください。

今夜もホットスポット松戸から逆流亭写楽斎がお送りしました。

Au revoir!

2011年11月 5日 (土)

パワー・ツー・ザ・一般ピーポー

午後から娘が通う小学校の校庭の除染活動をやった。

子供は小さいが、親は年寄りなので、スコップで校庭の土を掘り起こす作業はツライ。

二十年前、那須の山小屋の基礎を作るために、ユンボを使わず、手掘りで根切りをやった。

その頃の体力など、とっくに失われた老体にはこたえる。

先週の日曜日にやったら、ホントに倒れたかもしれない。

でもさあ。

こんな体力の衰えた老人が、たまの休みの日に、何でこんなことをやらなきゃいけないはめになったのか。

みんな。

よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおく、

考えなきゃいけないよ。

何でみんな怒らないんだろう。

誰も怒らないから、仕方ない。

せめてこのブログだけは、静かな小金城趾の土曜日の夜をやかましい音楽で終わろう。

専門家やお上やエリートや、そんな人たちに命を預けて、こんだけひどい目にあわされても怒らない、善良な一般ピーポーのために。

「パワー・ツー・ザ・一般ピーポー!パワー・ツー・ザ・一般ピーポー!」

あじさい寺のある町

長いこと悩んでいたが、とうとう通勤時の最寄り駅を変えることにした。

駅開設以来38年間も使っていた新松戸駅から、一駅戻った北小金駅。

理由は自転車が怖いから。

北小金駅北口周辺は、戦国時代の巨大な城跡なので、やたらと急坂が多く、自転車が少ない。

それにくらべて、田んぼと湿地帯を埋め立てた新松戸駅周辺はフラットで、流鉄沿線の人でも電車には乗らず、通勤時は新松戸まで自転車で疾走する。

これが怖い。

何度、ぶつかりそうになったか、しかも謝ってもらったことなど記憶になく、黙って逃げられてしまう。

自転車の恐ろしさに比べれば、車の恐怖感など物の数でもなく。

散歩が趣味なので、気持よく歩けない町など、近寄る気になれない。

通勤時間はすこし長くなったけど、憂鬱だった朝夕の通勤時間が気持ち良い散歩タイムに変身した。

いまだに草深い雑木林に囲まれた小金の町を夜歩くと、やかましいほどの虫のこえが聞こえる。

武蔵野の面影を色濃く残していた40年前の東京練馬区に比べても、ここは大いなる田舎町で、引っ越してきた当時、つらくなって練馬に帰りたくて仕方なかった。

そんなことも遠い思い出。

いまはここに住んで、小金の古い町を気に入っている。

いまパソコンのキーボードを打っているリビングの窓越しには、歴史公園の緑が見える。

かつて住んでいた練馬の町にあった雑木林は完全に消滅した。

「小金の緑と文化財を守る会」の元ティーチャー田嶋昌治さんや、松戸史談会の方々のようなご近所さんにも恵まれるようになったことに、ふと気づいた。

新松戸駅を利用してから長い間縁遠くなっていた小金の町がお帰りなさいと言ってくれているような気がする。

そういえば雨が似合う古い町なんてエントリを書いたこともあった。

あじさい寺(本土寺)のあるしっとりとした小金の町の風景を見ていると、こんな曲が似合うことに気がついた。

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「ティーチ・ユア・チルドレン」。

こんなアコースティックな曲が、この町にはしっくりくる。

2011年11月 4日 (金)

久々にアートなイベント案内をまとめて

久々に東葛飾地域のイベントを案内しよう。
11月6日に柏駅前通りで開催されるのが
ハウディモールアートプロジェクト2011
の最終回。
スタジオウーの小柳さんから案内をもらった。
これはかなり迫力ありそう。
お近くの方はぜひ。
次に11月20日に上記のスタジオウーで行われるのが、久々の東葛出版懇話会。
「岡倉天心と六角堂再建」というたいへん興味深いテーマ。
津波で流された北茨城の六角堂が再建されるという話。
茨城大学大学院の小泉晋弥教授が講演する。
参加費は飲み物付きで3000円。ご希望の方は事務局の崙書房出版電話04-7158-0035へ
ぼくは若い頃からファンだった岡倉天心の話なので、万難を排して行きたいが、個人的な事情で都合が付きそうもない。二次会からの参加になりそう。
最後はビッグイベント川瀬巴水の木版画展
川瀬巴水木版画展
日本全国でやっているようだが、我孫子では手賀沼に関わる木版画を展示するらしい。
懇意にしていただいている三谷和夫さんが尽力されているイベントなので、ぜひ成功してもらいたいと思う。
ぼくもボランティアで参加するかもしれない。

以上、気がつくとアートなイベントばかり並んでしまった。

もちろん江戸川の土手では芋煮会だってやってますよ。

で、岡倉天心といえば、「アジアはひとつ」で有名。
若い時に読んだ『茶の本』はよかったなあ。
例によって松岡正剛が紹介しているので、リンクをはる。
茶の本
『日本のデザイン』にも書いてあったけど、最近アジアが急に気になりだした。
きっと、TPPだの、タイの水害だの、昔に比べて、アジアの情報がリアルタイムで入ってくるようになったからかもしれない。
ぼくは葛飾ローカルな人間で、海外どころか、東京の西側のことすらほとんど知らないが、シンガポールに行って、遠くから日本を眺めた時、いろんな発見があった。
沖縄から東京を眺めた時も同じような発見があった。
ぼくが一番シンガポールを感じるアーチストがディック・リーで、彼がサンディ・ラムをボーカルに迎えて作った名曲 Lover's Tearsを久々に聴きたくなった。

ノスタルジックな雰囲気の、不思議な動画を見つけたので、貼り付けます。

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