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2011年10月29日 (土)

ピークのない暮らしをめざしてみよう

途中まで書いたけど発表するメディアがないことに気づいた原稿を掲載します。

硬くて、長い文章で、申し訳ありません。

ぼくたちは長い間、物わかりのいい大人になりすぎていたような気がする。

素直なこどもの心で「放射能なんてやだよ」

理屈も、へったくれもない。

電力が不足しようが、なんだろうが、一切関係なし。「命のが大事でしょ」

それで十分だったのかもしれない。

 ところがそれじゃあ務まらないのが、責任ある大人の世界のオキテ。

幼いころから、世間様に無責任って言われないように育てられてきたからね。みんな。

 「いくら命が大事だといっても、雇用を確保し、経済成長を成し遂げ、将来を担う世代に借金を押し付けることのないように、高齢社会に対応した健全な財政への建て直しをはかり、製造業の国外転出による国内産業の空洞化を阻止するために、うんぬん、うんぬん、うんぬん。」

政治家や産業界のエラい人の話を聞いてるうちに眠くなり、どうでもよくなって、「要するにエラい人達は原発やりたいんでしょ」なんて捨てゼリフの一つも吐いてみたくなる。

こどもの心で放射能なんてゴメンだ、と思っても、お金を稼ぐおとなと、食べさせてもらっているこどもの戦いにおいて、こどもが勝利することは難しい。

世の中で一番エラいのはお金を稼ぐ人で、お金を稼がせてくれる原発もまたエラいんだという論理は、シンプルであるがゆえに、思いのほか手強い。

経済のことを考えずに、脱原発を訴え、自然エネルギーをうんぬんしても、そんなのが原発の代替になるなんて、あと何年かかるのか、だれも責任持って答えられないのだ。

百年くらい前、イギリスにアルフレッド・マーシャルという経済学者がいた。

衆議院選挙の時「ホリエモンさん、コイズミさんと三人でトライアングルを形成して改革だぁ」と絶叫していた貧富の格差が大きくなることが経済発展につながるという考え方をする経済学者の竹中平蔵さんは、マーシャルを一番尊敬しているらしい。

そんなマーシャルの有名な言葉に「経済学者は冷静な頭脳と暖かい心をもたねばならない」というというのがある。

「暖かい心」は竹中さんにお任せするとして、経済学者ならぬぼくたちが原発のない社会を作るために、経済について考えるとしたら、例えばこんなのはどうだろう。

責任あるおとなの論理ではなく、無垢な「こどもの心」でシンプルに経済を考えてみる。

すると、ひとつ気がついたことがある。

原発が稼動していないと足りないのは電力一般の話ではなく「真夏・真冬の電力需要ピーク時に対応するための電力」なのではないかということ。

裏を返せば問題なのは電力の供給力ではなく、ピークそのものにあるんじゃないかということ。

そう思うと、今の世の中は、ピークだらけで、明治期以来ずっと「ピークに対応出来ないと大変ですよ」という論理一本でやってきたことに気づいた。

「時間と空間の集中がピーク」

それによって大きな生産力を作ってきた。

ぼくたちの暮らしを取り巻くピークのある社会が変化しない限り、誰も原発を止められない。

まず生命保険てえのがそうだ。一番お金がかかる時期に対応するような考え方で設計されている。

ぼくたちが暮らす家だって家族が一番多い時期を前提に設計する。

同じ時間に同じ場所に人を集める会社や学校なんてピークの典型だ。

こうして、原発が技術的に問題があっても、やめられないのは、それが経済問題であり、さらにピークを作る社会システムの欠陥に起因するという理由が、ますます明白になってきた。

とても一人で解決できる問題ではないけれど、ピークをゆるやかにする暮らしに変えてゆくことは、試みてみる必要がある。

何かこれからの暮らしの設計を根本から見なおさなければいけないのだろう。

好きな言葉ではないけど、そこにビジネスチャンスもあるような、そんな気がしてならない。

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コメント

写楽斎さんがほれぼれしたという原研哉著「日本のデザイン」のかこみ文は、毎日新聞の10月4日夕刊の文化面「被害者意識と対抗心を超えて、  経済文化の相互依存深めよ」という明大特人任教授の大沼保昭氏の論評と、ほぼ同じ内容で、私も感動し読みました。

TPPや原発再稼働の問題を論じる前に、この部分を論じないと従来の延長線で、3.11の教訓がなにも生かされずに終わるんでしょうね。
柳宗悦に生き返ってもらって、野田くんを叱りつけてもらいたい気分です。

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