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2011年10月

2011年10月30日 (日)

「クールな位置」から目指す、「極まった洗練」

最近岩波新書になった原研哉『日本のデザイン』を、いま読んでいる。

去年の7月、『デザインのデザイン』という本がとても気に入って、絶賛したことがあった。

その時も感じたが、原研哉の本はスピード感が勝負。急いで読んだほうがいい。

だからその時は3回も急いで読んでしまった。

「情報の建築」って何だろう

今度の本も一緒。

誰かがどこかで「賞味期限の短い本」だと書いていたが、それは間違い。

たとえばこんな一節はどうだろう。

中国、そしてインドの台頭はもはや前提として受け入れよう。アジアの時代なのだ。僕らは高度成長の頃より、いつしかGDPを誇りに思うようになっていたが、そろそろ、その呪縛から逃れる時が来たようだ。GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。

技術も生活も芸術も、その成長点の先端には、微細に打ち震えながら世界や未来を繊細に感知してゆく感受性が機能している。そこに目をこらすのだ。世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。

いい文章だなあ。

頭のいい人はまとめるのが上手い。

ぼくが言いたいこと一言で全部言われてしまった感がある。

この本の帯にも書いてあるけど、3.11後の日本が歴史的な転換点にあることを教えてくれる。

TPPと原発の推進をはかる人たちって、きっと創造性がないんだと思う。

創造性がないから、「クールな位置」から目指す、「極まった洗練」がなんだか分からず、ドジョウくんのように汚い水の中でもがいているのだろう。

昨日、柳宗悦のことを批判したけど、柳が近代日本最高の知性であることは間違いない。

無印良品のボードメンバー原の仕事は、アノニマスな民衆芸術(民藝)に着目した柳の仕事の流れをくんでいると思う。

これからの原の仕事が楽しみだ。

柳といえばロック界で柳宗悦に似た位置にいるライ・クーダーのいい動画を探し続けて、やっと見つかったので、リンクを張ります。

ぼくや原と同世代の杉浦日向子も好きだったライ・クーダーですが、この曲が入っている73年発表のアルバム「流れ者の物語」を聴いて当時、出来の悪い高校生だったぼくは、なんだか理由もわからず強く心を惹かれたことを思い出します。

軍事力や自動車産業だけでない、アメリカという国の奥深さも感じさせる名曲です。

2011年10月29日 (土)

ピークのない暮らしをめざしてみよう

途中まで書いたけど発表するメディアがないことに気づいた原稿を掲載します。

硬くて、長い文章で、申し訳ありません。

ぼくたちは長い間、物わかりのいい大人になりすぎていたような気がする。

素直なこどもの心で「放射能なんてやだよ」

理屈も、へったくれもない。

電力が不足しようが、なんだろうが、一切関係なし。「命のが大事でしょ」

それで十分だったのかもしれない。

 ところがそれじゃあ務まらないのが、責任ある大人の世界のオキテ。

幼いころから、世間様に無責任って言われないように育てられてきたからね。みんな。

 「いくら命が大事だといっても、雇用を確保し、経済成長を成し遂げ、将来を担う世代に借金を押し付けることのないように、高齢社会に対応した健全な財政への建て直しをはかり、製造業の国外転出による国内産業の空洞化を阻止するために、うんぬん、うんぬん、うんぬん。」

政治家や産業界のエラい人の話を聞いてるうちに眠くなり、どうでもよくなって、「要するにエラい人達は原発やりたいんでしょ」なんて捨てゼリフの一つも吐いてみたくなる。

こどもの心で放射能なんてゴメンだ、と思っても、お金を稼ぐおとなと、食べさせてもらっているこどもの戦いにおいて、こどもが勝利することは難しい。

世の中で一番エラいのはお金を稼ぐ人で、お金を稼がせてくれる原発もまたエラいんだという論理は、シンプルであるがゆえに、思いのほか手強い。

経済のことを考えずに、脱原発を訴え、自然エネルギーをうんぬんしても、そんなのが原発の代替になるなんて、あと何年かかるのか、だれも責任持って答えられないのだ。

百年くらい前、イギリスにアルフレッド・マーシャルという経済学者がいた。

衆議院選挙の時「ホリエモンさん、コイズミさんと三人でトライアングルを形成して改革だぁ」と絶叫していた貧富の格差が大きくなることが経済発展につながるという考え方をする経済学者の竹中平蔵さんは、マーシャルを一番尊敬しているらしい。

そんなマーシャルの有名な言葉に「経済学者は冷静な頭脳と暖かい心をもたねばならない」というというのがある。

「暖かい心」は竹中さんにお任せするとして、経済学者ならぬぼくたちが原発のない社会を作るために、経済について考えるとしたら、例えばこんなのはどうだろう。

責任あるおとなの論理ではなく、無垢な「こどもの心」でシンプルに経済を考えてみる。

すると、ひとつ気がついたことがある。

原発が稼動していないと足りないのは電力一般の話ではなく「真夏・真冬の電力需要ピーク時に対応するための電力」なのではないかということ。

裏を返せば問題なのは電力の供給力ではなく、ピークそのものにあるんじゃないかということ。

そう思うと、今の世の中は、ピークだらけで、明治期以来ずっと「ピークに対応出来ないと大変ですよ」という論理一本でやってきたことに気づいた。

「時間と空間の集中がピーク」

それによって大きな生産力を作ってきた。

ぼくたちの暮らしを取り巻くピークのある社会が変化しない限り、誰も原発を止められない。

まず生命保険てえのがそうだ。一番お金がかかる時期に対応するような考え方で設計されている。

ぼくたちが暮らす家だって家族が一番多い時期を前提に設計する。

同じ時間に同じ場所に人を集める会社や学校なんてピークの典型だ。

こうして、原発が技術的に問題があっても、やめられないのは、それが経済問題であり、さらにピークを作る社会システムの欠陥に起因するという理由が、ますます明白になってきた。

とても一人で解決できる問題ではないけれど、ピークをゆるやかにする暮らしに変えてゆくことは、試みてみる必要がある。

何かこれからの暮らしの設計を根本から見なおさなければいけないのだろう。

好きな言葉ではないけど、そこにビジネスチャンスもあるような、そんな気がしてならない。

永井荷風と柳宗悦を比べてみると

さっき、山本鉱太郎『白樺派の文人たちと手賀沼』崙書房出版を読了。

いままでにないアプローチで白樺派をとらえた本で、構成が見事だった。

難しいことをわかりやすく書くのが山本氏の持ち味なので、個々のテーマについては、もっと詳しく書いた本を参考にすればいい。

永井荷風は市川に住み、本八幡の家が終の棲家となったわけで、市川やその周辺の町を歩き、大田南畝の石碑を発見したり、地域の文化レベルの向上に貢献している。

市川は文学の盛んな町として意気軒昂だ。

それに対して、白樺派は風土に根ざした地域文化を作る傾向は薄かったので、今の我孫子に何かを期待しても、なんだかピンと来ない。

山本氏はそのあたりも隠さず、きちんと書いているところに好感が持てる。

ぼくは柳宗悦に大きな影響を受けていると思うが、柳に対する最大の不満はその点にある。

以前山本氏に江戸東京の風景の喪失にこだわる荷風に対して、柳の東京という町へのこだわりのなさについて質問したことがあるが、

作家としての資質が批評家の柳と小説家・詩人の荷風は違うからであると言われた。

確かにそれはわかるが、もっと深い所で、言わせてもらうと、東大を主席で卒業した頭でっかちの柳は宗教心などないのに仏教の専門書を書くスタイルで、ほとんど東京の町を歩いていないのだと思う。それは我孫子でも一緒で、町に暮らしていた形跡が薄い。

それに対して、どこの学校も途中でやめてしまう不良少年だった荷風は、町の淫祠にお参りしながら、ラビリンスに入り込み、頭ではなく自分の足で歩いて、肌で感じたことを書くというスタイルの違いを感じる。

90年代ぼくは柳のとりこだった。

2000年代に入ると、がぜん荷風が面白くなった。

そして、これから一生荷風のファンであり続けることも、改めてよおくわかった。

2011年10月26日 (水)

山口昌男を見て、わが師を想う

今日の夕刊を見たら山口昌男が文化功労者に選ばれたという記事が目に飛び込んできた。
2ヶ月前に山口昌男のお陰ですという文章を書いたばかりだ。
最近、山口昌男の話題が少ないと思っていたので、とてもうれしい。
明治維新と呼ばれる一連の事件を敗者の側から見る視点。
もちろん永井荷風を始め、多くの知識人が挑んできたテーマだけど、『挫折の昭和史』『敗者の精神史』『内田魯庵山脈』はそれを巨大なスケールで痛快なユーモアたっぷりの読み物に仕立て上げた。
山口昌男の該博な知識と筆力に敬服すると同時に、ぼくの人生を狂わせた三冊だと思う。
これらの本に誘われて、本にあるような「街かどのアカデミー」を探してさまよい歩いた末に、流山市立博物館友の会にめぐり合った。
そこにはヒエラルキーとは無縁の市井の自由なネットワークに集う人々がいて、彼等の手で、毎年1冊分厚い「街の記憶」が紡ぎだされる。
それが「東葛流山研究」という研究誌で、来年で30号になる。
書き手はプロの作家や学者もいるが、一般の勤め人や主婦も数多く入る。
集った人びとは肩書きなど関係なく、文章を書く喜びを知り、眠っていた才能を開花させる。
プロデューサーの山本鉱太郎氏が忍耐強く、常人には理解しがたい精神力とエネルギーで、継続してきた賜物だろう。
山口昌男のニュースを見て、今日は改めて、身近な師である江戸東京人山本鉱太郎を想った。
この師への感謝の気持ちをいつまでも心に刻もう。

2011年10月25日 (火)

言葉のなかに風景が立ち上がってくれないと困る。

最近、川本三郎を全然読まなくなって久しい。
二年前に買った新刊本がイマイチで、それまではほとんど出た本を買いあさっていたのに、
熱が冷めてしまったのはなぜだろう。
昨日、いろいろな人と話をして、久しぶりに小説を書かなきゃいけないと思い始めた。
小説を書くのは本当にツライのだ。
きっとプロの小説家は違うだろうけど、シロウトのぼくは体ごとぶつかってゆくしかないので、完全に作中人物と同化してしまう。
たとえば作中の自分が勝手に恋をしたり、嘆き悲しんだりするから、どっちの自分が本当の自分なのかわからなくなってしまう。
もしかすると命を縮める作業のようにも思える。
だけど、書きたい内容が小説でしか表現出来なかったら、書くしかないというつらいオキテ。
やだけど、ツラ楽しい日々がまた始まるのだろうか。
ってことで、小説を書く時にいつも読み返す川本三郎のこんな評論がある。

いわば作家は、発見した風景を言葉によって新しく創造しなければならない。石川美子は『旅のエクリチュール』で、十九世紀の作家シャトーブリアンのこんな言葉を紹介しながら、作家にとっては「風景の発見」と同時に「風景の創造」が大事なのだと重要な指摘をしている。
「山は、人が目にしていると思っているままの姿で存在しているわけではない。目にしているのは、情熱や才能や詩的霊感によって描きだされた山である」
風景は作家のまなざしと交感しあう。では現代の作家たちは「情熱や才能や詩的霊感」によってどんな風景を創造しているのだろうか。

『言葉のなかに風景が立ち上がる』という評論集からの一節だけど、何度読んでも強く共感してしまう。
昨日書いたように、その作品がブンガクという立派なジャンルに収まるかどうかなんて、下手の横好きで半端者のオレには太陽系宇宙の外側で起きている事件とおんなじくらいどうでもいい。
けどね。言葉のなかに風景が立ち上がってくれないと困る。
そのために時間をかけて小説を読むわけで、それがないなら、評論や専門書で十分。
もともと小説を読む趣味などなかったわけでありまして。
すこおし、時間が出来た。
小学館文庫の佐藤泰志『海炭市叙景』を読みたいな。

2011年10月24日 (月)

ブンガクってなんだろう。そんなにエラいのかな。

今日、ある集まりで杉浦日向子「合葬」について、少し話をした。
ぼくは評論家でも学者でもないので、一ファンとしてのレポートしか出来ないのだけれど、
「合葬」はブンガクか、ブンガクじゃないのかって、ある知識人の方に問われてしまった。
そんなこと、今までこれっぽっちも考えたことなかったので、来てはいけない集まりに出かけてしまったのではなかろうかと、考えこんでしまった。
論文ならいくらでも内容について論ずることは必要だとおもうけれど、実作者のはしくれとして言わせてもらえば、創作は好きか嫌いのどちらしかない。
そういや杉浦日向子が最後に書いたのは掌編小説だったが、じゃあそれはブンガクかブンガクじゃないかなんてことも、考えたことないなあ。ヤバイ。
漫画も、掌編小説も、「ソバ屋で憩う」のような不思議な本もすべて杉浦日向子という稀有なクリエーターの作品として楽しめればそれでいいと思っている。
日向子の描く江戸は、今の僕たちの住む世界につながっている。
だからライブ感覚で楽しめる。
ぼくが本を読むときは、なつかしい音の響きが作品のなかから聞こえてきたり、色が浮かび上がってきたりして、イマジネーションを刺激されるのが、楽しいのであって、ぼくの好きなクリエーターは、W・モリスにしろ、荷風にしろ、植草甚一にしろ、ジャンルを超えた表現活動をしているひとがほとんどだ。
ブンガクであろうが、なかろうが、本なんざ、古今亭志ん生の言葉を借りれば、「なくってもなくっても、どうでもいい」暇つぶしに過ぎないのだから、楽しめたか、楽しめなかったかだけが重要だと思う。
ブンガク談義が恐ろしいから、こっそり「合葬」を選んだのに、やっぱしブンガク談義に引き戻されてしまうのかと思うと、正直メゲル。
ブンガクってなんだろう。そんなにエラいのかな。
ブンガクって。

1960年代の練馬という町で、思い切りブンガクではない、「カウンターカルチャー」の洗礼をうけてしまった体質は、一生もとに戻らないだろう。
おっと、「カウンターカルチャー」なんて、いろんな文化現象を十把一からげにジャンル分けする言葉も野暮だったね。
昔、建築家の集まりに行ったとき、「建築とは」なんてテーマで延々と議論する人びとを見て、不思議な感じがした。
「そんな議論している暇があったら、ブロック二段、ちゃんときれいに積んでみ。」
家一軒作るのにのたうち回っているセルフビルダーとしては、そう言ってやりたかった。
なんだか、ブンガク論議もそれと似ているような気がして、文壇だの、なんとかペンクラブだの
ってのも、ぼくには場違いな世界のような気がするなあ。
つまらぬ文章を書き連ねてしまった。
もう寝よう。



2011年10月17日 (月)

浅草花やしきとDVDでタイムトラベル

ものすごく久しぶりにちょっとだけ暇な一日だったので、前から見たかったDVD「下町の太陽」を観なおした。

すると、心は昭和38年にタイムトラベルし、バーチャル下町散歩としゃれ込んだ。

介助犬ならぬ、老衰犬の介護で、ホントの散歩は難しいからなあ。

それでもこの前、浅草花やしきに行った。

その時、倍賞千恵子と勝呂誉が映画の中で、花やしきをデートするシーンを思い出した。

花やしきは強烈な世界で、レトロを通り越したある意味では夢の空間。
ハイテクノロジーのつくばエクスプレス線に乗って、ほんの10数分、着いたところは今でも昭和中期の香り漂う遊園地である。

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いつ行っても人の手の温もりを感じる空間で、大好きです。

なにせここでは電子音が少ないのがうれしい。

耳障りなエレクトリカルパレードなんてモンもないしね。

この日の最大イベントはハロウィーンの衣装を着たスタッフと子どもたちのめんこ大会だぜ。

一応言っとくけど、上の写真は2011年10月8日に撮影しました。

映画を観なおすと、ジェットコースター以外の乗り物は入れ替わっているようにも見えるが、リフォームしたのかもしれない。

で、忘れてた山田洋次初期の傑作「下町の太陽」。

勝呂誉の演技はクサイけど、当時の若ものには、こんな不器用なやつが本当にいたような気がする。

ストーリー云々よりも、オリンピック直前の東京下町の雰囲気がいい。

そして主題歌の歌詞が好き。

TPPなんてしゃらくせえこと言うなよ!お金持ち諸君。学校秀才のエリート諸君。

貧乏でもいいから、こんな歌をカラオケボックスなんかじゃなく、おひさまの下で、素直な気持ちで、唄えた時代に戻りたいと思わないかい。

2011年10月16日 (日)

つながりあうためのテクノロジー

この数カ月、昭和初期の歴史を初めて勉強した。
もしかすると高校時代に教わったのかもしれないけど、紙飛行機を飛ばしたり、落書きしたり、妄想にふける方が忙しくて、先生の話を聴いている暇がなかった。
だから、何もかも新鮮で、興味深い。
なかでも印象的だったのは、当時の為政者が一番恐れたことは、一般ピーポーが徒党を組むことだと知ったこと。

自由な個人でもバラバラにしておけば大した脅威にはならない。
けれども、いったんつながると米騒動のような全国運動に発展する。
全共闘運動の嵐が吹き荒れた1970年以降、一般ピーポーをバラバラにしておくための様々なテクノロジーはこうして開発されてきたのかなって、つい勘ぐってしまう。
誰もが入れるコモンズだった空き地は公園になって、役人が管理するようになった。
歌声喫茶に変わってカラオケボックスになり、商店街の代わりにコンビニが開発され、昭和の中頃、昼休みに屋上でバレーボールをしていたサラリーマンは、黙々とパソコンの画面に向き合う。

為政者は人びとがひと所に集まらないように、綿密に仕掛けをしてきたんだぜ。きっと。
お陰で、男女の出会いのチャンスがなくなり、子供は遊ぶ場所を奪われ、少子化にあわてふためいていたりする。
自分たちがこんな世の中を作ろうと躍起になってきたのに、為政者はどこまでも勝手だね。
マルクスは「万国の労働者よ団結せよ」と言った。彼の階級闘争史観は間違っている。
労働者じゃない暇人も、金持ちも貧乏人も、大人も子供も、生きとし生けるものは団結して生きていかなくちゃいけない。

それはさておき、そんな世の中なら、なお一層つながりあうためのテクノロジーが必要だなって思う。
それはハイテクノロジーである必要などない。
ぼくは自宅の前に木製のベンチとポケットパークを作ったけれど、人が集うことは少ない。
もっと働きかけをやっていかなきゃいけないと思う。

あなたの考えるつながりあうためのテクノロジーは何かありますか?
みんなで考えよう。そして、いい知恵を共有しよう。

今日は土曜日だけど、子供の頃、日曜の夕方はこの曲を聴いて、フレッシュな気持ちで新しい一週間に入っていった。幸せな時代だったって思う。
サザエさん症候群のあなたにこの曲をプレゼントしよう。
エレガントな日曜の夜を過ごすために聴いてください。
シャボン玉ホリデーエンディングテーマ、ザ・ピーナッツ「スターダスト」

ある年代以上の人はハナ肇が肘鉄を食らうシーンを思い出すでしょう。

2011年10月15日 (土)

「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」が好き。

いまはどういう評価なのか知らないけれど、ぼくが熱心にビートルズを聞いていた40年前、かれらの最高傑作アルバムは「サージェント・ペパーズ」ということになっていた。
中学3年生のクリスマスプレゼントで父親がこのアルバムを買ってくれたことを覚えている。
だけど、このアルバムは好きになれなかったなあ。
好きになれなかった理由は、イーグルスの「ならず者」と一緒。
なんだか田舎くさい、猿芝居のような、感動を強要される、ださいアルバムだと思った。
そんな
「サージェント・ペパーズ」よりもずっと、数多くターンテーブルに乗ったのが、「ホワイトアルバム」という二枚組のアルバム。
当時四千円したので、高校一年生は清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったことを思い出す。
その中に名曲は数あれど、
「ホワイトアルバム」らしい一曲といえば、「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」だなあ。この次の「ホワイル・マイギター・ジェントリー・ウィープス」にゆくところもいいな。クラプトンのギターが飛び込んでくるのがまたかっこいいし、アルバム全体がいまの言葉でいえばクールな感じ。

書いちゃたから、ついでにこれね。


ぼくは文芸でも、音楽でも、おんなじだと思うのだけど、個人の作品として、完璧をめざして自閉してしまうのではなく、誰でも参加できるように開かれている、第三者がどのようにでも展開できる、そんな作品ではない体系(とでも呼ぶべきか)が好き。
江戸という都会で流行った、個人の作品である俳句が成立する以前の、俳諧というネットワーク型の文芸活動に興味を覚える。
参加した人たちが、共振しあって、連なって、新しいものを作りあげてゆく。
だから、自分が一人で何か書く場合でも、常にそれを意識している。
ちっぽけな自我なんざ、くだらねえし、作品を作り上げた気になっているのも野暮だしねえ。
自分が書くものは大勢で作る地球大の作品の一部を構成しているにすぎないんだって、いっつも思ってる。
差し障りがあるから、名前は出さないけれど、あるエラい方の文章を読んで、そんなことを感じてしまった土曜日の午後でした。

書けなくて苦しんだ「流星」の原稿が、さっき終わった。肩の荷が下りた。

来週は杉浦日向子の世界が待っている。これから、ちょっと楽しみだな。

2011年10月10日 (月)

ここからどこへ行こうか。

豪雨の夜中、朝4時までかかって野田争議の仕事をひとまず完成させた。
最初に山本先生から話を聞いたのが5年近く前になるから、ずいぶん長く関わってきたことになる。

出版社の編集を経て印刷されるので、内容はまだ確定していないから、タイトル等、とりあえず内緒です。

かなり疲れたので、しばらくはのんびりと岡本綺堂の半七捕物帳でも読んで、江戸で暮らしたいなあ。

最近人気のある職人さんの手仕事も見て歩きたいなあ。

けさは雨が上がって、最高にさわやかな朝で、気持ちいい。

頭を空っぽにして、ぼーーーーーーっとしていると、鳥の声も聞こえるし、小金城趾の周辺はのどかだ。

いまのぼくは水分出し尽くして、心も体も干からびて、おせんべい状態。

5年間もやらなきゃいけない宿題を抱えていたんだから、取材や執筆は楽しいけどツライ。

そんなツラ楽しい状態でした。

「ここからどこへ」行こうか

ということで、この曲。

ザ・バンドの「カフーツ」からの曲。

以前TVの「世界の車窓から」でBGMとして使われたら、とてもよかった。

「カフーツ」は失敗作としてファンの間では有名なアルバムだけど、ぼくは結構すきだ。

もがきながら、次の方向性を模索している感じが好き。

アルバムを象徴しているような一曲です。

今日の気分にぴったり。

なんだか乗ってきたので、もう一曲。

ディランと共演した「ベースメントテープス」から、ぼくのお気に入りの「ベッシー・スミス」

1967年頃の曲なのに、戦前の大恐慌時代の音楽みたいに聴こえる不思議な曲。

この曲を聴いてると、ふと、1920年代の野田争議の時代にもう一度飛んでゆきたくなった。

2011年10月 1日 (土)

「SIGHT」の秋号を読んでいたら

この二ヶ月ほど、ずっと野田争議に関連して、生前右翼の大物とか、フィクサーとか呼ばれた矢次一夫の本を熟読している。

近頃の保守派と称する人々と、矢次の見ている世界のレベルの差に、愕然とする。

晩年は右翼の大物だったかもしれないが、壮年期はむしろ稀代のトリックスターといったほうがぴったりくる。

わかりやすい例を挙げると、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男の上級バージョン。

誰の味方か、敵なのか、ときたまわかんなくなってしまうけれど、憎めない。

しかも視野が広くて、賢い。

家出をしてタコ部屋に入って、地獄の苦しみを味わって、大川周明との出会いが人生の転換点になって、右翼と左翼の中を取り持って、戦時体制を作るのに尽力して、最後はキングメーカーになったような人だから、まともな人生を歩んでいる人はかなわない。

そんな矢次が面白い事を書いている。『添田敬一郎伝』という本に載っている。

「添田さんの功績を論ずる人は別にあるだろう。ただ私の知る限りでは、大正八、九年頃からの、多難を極めた社会政策の確率期に、身を以て努力された功は大きいと思う。協調会の副会長であり、創立者の中心でもあった渋沢栄一氏に対してすら、当時の右翼は『赤』だといった位だし、」

なんと、日本資本主義の父渋沢栄一が「赤」?!

当時の右翼に笑止千万だけど、今の保守派も同じ、いやもっとレベルが低下しているような気がする。

原発に反対するだけで「赤」なんて、言われる。

福島であれだけ広大な国土が汚染されて、実質的に国土を失っている。

尖閣だの、竹島だののレベルではない、甚大な国土喪失だと思う。

ところが、原因を作った東電や保安院や自民党政府や、その他数えきれないほど、原発導入に奔走した人たちに対して、保守派から(嫌いな言葉だが)「国賊」だの「非国民」といった声が上がってこない。

彼らが本当は国土などどうでもよくて、外国と争って戦争を起こすネタを探しているにすぎないことが、よおおくわかる。

「SIGHT」の秋号を読んでいたら、内田樹と高橋源一郎の対談が載っていた。

保守派の財界人を批判する一方、天皇だけがリベラルで、国民のことを考えているなんて、書いている。

確かにもっともだけど、それって5.15や2.26のクーデターを起こした軍人と同じ発想じゃん。

それもまた危険。だけど、そんな意見が「SIGHT」に載る時代になってきた。

矢次一夫のような男が現れて、内田樹や高橋源一郎のような文化人と、田母神俊雄のような軍人が、くっついたらコワイ。

すごくコワイ。

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