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2011年8月15日 (月)

御霊たちに「イマジン」を

保守派の家庭で育ったので、ぼくの親戚には靖国神社に参拝に行く人も多い。
今日も、休みなので朝からブログと野田労働大争議の原稿を書いていたので、すっかり忘れていたが、

親戚が靖国神社に参拝に行ったと聞いて、今日が終戦記念日だということを思い出した。

かつて江戸期までの日本には「御霊信仰」があった。
御霊は「みたま」とも読み、死者の霊を畏れの感情とともにそう呼んだそうである。
戦争でいえば味方でなく、敵に当たる人々の霊をさす。
敵が怨霊となって災いをもたらすのを防ぐために、彼らを鎮魂し、悪を制御したという。

田中優子は『江戸を歩く』に、このように書く。
「日本が伝統を重んじる国であるなら、御霊の鎮魂と慰撫を大切にし続けただろう。敵を無視し味方の軍人だけを「英霊」と呼んで特別に祀ったりはしないであろう。そういう施設に、国の代表者が参拝に行ったりもしないだろう。

日本が伝統を重んじる国であるなら、明らかに御霊とみなされる者たちを、線路で分断しその下に踏みつけにしたりもしない。
一八七九(明治一二)年、陸軍省の主導のもと、靖国神社が成立する。
近代日本は植民地戦争をするために、御霊を捨てて英霊をとったのである。歴史や文化を捨てて軍事をとったのである。人々は明治以来そのような価値観をひきずる政治家を、いまだに選び続けている。」

常磐線の線路の下に眠る御霊たちの鎮魂のため、年に一度は千住小塚原の回向院に行って、首切り地蔵に参拝するぼくには、これ以上書くことはない。
8月15日の今夜は御霊たちに「イマジン」を捧げよう。

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コメント

写楽斎さんこんにちは
いささかストレスがたまっていますね。
どこかの国の野田某とやらが、「安全性を確認しながら原発を再稼働する」って?
確認できっこないから事故がおこったんでしょうに、どうしょうもなく頭わるいね。

最近感動した記事だけど、ブータンという国は、GNPではなく、GNH(国民総幸福)を提唱していて、独自の国造りを進めているそうです。
経済がよくなれば幸福になれるという価値観も、もはやこの先まっ暗。
ブータンのボブシカでは、鶴の飛来に邪魔になるからと、電線を引くのをやめたそうです。電気よりも鶴を選んで平然と生きる人たちがいることに感動です。

敬愛するすみれ様より、大変お忙し中、コメントを頂き、恐縮してしまいます。
これからも、時間の許す限り、遊びに来ていただけるように、精進致します。
と、硬い感じになってしまいましたが、「ブータン偉い。」
わたくし的には日本よりブータンの方が先進国だと思います。
早く日本もブータンに追いつけるように、わたくしも微力ながら活動してゆきたいと思います。
今日もあまり期待の持てそうもない現政権の中で原発と戦っている鉢呂経済産業大臣を、どんな手段を使っても潰そうと、揚げ足取りに忙しい「死の国」をつくった当事者たちが騒いでいますね。
今度書くエッセイは、荒れてしまいそうで、コワイ。

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