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2011年7月

2011年7月31日 (日)

テーゲー主義もたまにはいいでしょ。

先週、iPhoneで録音した流山市立博物館友の会の討論会を聴いていると、山本鉱太郎氏が「ふるさと運動」の話をしていた。
「ふるさと運動」のことなど、全く考えてもいなかった僕が、沖縄に行って、衝撃を受けて帰ってきたのが1994年のクリスマスの時だった。

沖縄にいる間、それまで、味わったことのない不思議な感覚が繰り返し、繰り返し、押し寄せてきて、家に戻っても、仕事が手につかない状態が続いた日々が懐かしい。
初めて訪れた沖縄なのに、遠い昔に失われた心の「ふるさと」を感じる不思議さ。
それが、縄文時代への興味や、蝦夷やアイヌの文化への関心へとつながってゆくのは、ずうっと後のこと。
ましてや、市川の真間の手児奈が蝦夷の娘だったという宗左近氏や、縄文や沖縄文化論の岡本太郎氏の存在など、知る由もなかった。

だから、その当時は何がなんだか分からなくて、もがき苦しんだ。
仕方ないから、とにかく沖縄のカルチャーに接していたくて、喜納昌吉や大工哲弘のコンサートを見に行ったり、その頃は珍しかったゴーヤを探したり、今思うとつまらないことをやって、飢餓感を抑えたものだ。
そして、柳宗悦の『民藝四十年』という本にあった「琉球の富」というエッセイをむさぼるように読み、沖縄への関心を深めていった。

すると夢中になって取り組んでいた那須高原のセルフビルドも、急に無意味に思えてきて、徐々に現場から足が遠のいた。

そんな時期に一番好きだったのが初代のネーネーズ。
ネーネーズは今でも活動しているようだが、古謝美佐子が率いる初代が印象深い。

息が詰まる様な昨今の、原発問題の重苦しい空気の中で、久しぶりにネーネーズが聴きたくなった。
こんなときはNews23のテーマ曲だった「黄金の花」のような重い曲じゃなく、沖縄らしい明るさ満載のこんな曲を聴きたい。
聴いているうちに、心が少しだけ軽くなりませんか。


2011年7月30日 (土)

下手の横好きで、ごめんね。

歌手の今井美樹と作家の村山由佳が対談している番組を録画しておいたので、テレビで見た。
すっかりいいオバサンになった今井美樹と村山由佳の話を聞いていて、20年前のあの頃を思い出してしまった。

那須高原で山小屋を作っていた頃、毎週土曜日は早朝に出発して日没まで作業を行い、温泉どころかシャワーも浴びず帰る車の中、一緒に行った仲間はすぐに居眠りを始め、運転するオレひとりカーステレオから流れる歌を聴くことだけが楽しみだった。
そのころよく聴いたのが今井美樹のアルバム。
疲れて縮こまった体にあの伸びやかな歌声はよく効いた。

『乱歩と東京』や『うわさの遠近法』といった名著で知られる評論家の松山巖がセルフビルドについて書いた『自給自邸』という本を買って、パラパラめくる。
とってもいい本を見つけた。久しぶりにセルフビルダーの血が騒ぐ。

セルフビルドをやることも、文章を書くことも、自分の中ではまったく同じ行為なのに、あまり人には理解されていない。

どういう風に同じかというと。
人が作ったもの、既製のものに満足できない。
どこか自分の感情の奥底で違和感を感じる。
ネクタイをしめた輩に「みなさんこういうものを選ばれますよ」
なんて言われると、猛烈に反発したくなってくる。
そんなムズムズする時が、何かの始まり。

だから肩書きはいらない。
オレがやったことを見て、他人が勝手に肩書きをつければいい。
死ぬときに後悔しないように、心のなかのムズムズに従って、今まで通り何でもやってみるだけ。
それを人はからかって、下手の横好きという。
下手の横好きで、ごめんね。

なんにもしないやつ。人が作ったお仕着せのもので満足しているやつ。
そんなやつは、いつまでもそしていればいい。
オレは心配のプロにさようならするから。

今夜は大好きだった上田知華が作曲した「 PIECE OF MY WISH」にしよう。
二つの才能ががっぷり四つに組んで、傑作を生み出した。
今井美樹本人は、歌いたい曲ではなく、この時代がつらかったようだが、精神的に充実しているからいいものが出来るわけではないのも事実。
上田知華の曲を歌わなくなって、今井美樹は輝きを失っているように思えてならない。


2011年7月24日 (日)

日曜日の朝、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でも読んだらどうだろう。

なんだか最近、原発のことばかり考えてしまい、気持ちがすさむ。

先日那須高原に行ったけど、牧場で草をはむ牛たちはヤバイんじゃないかと、見ていたら、栃木や宮城の牛たちの話が出始めた。

汚染はどこまで広がれば止まるのか想像もつかない。

経団連じじいが原発再開を訴えてワアワア言ってるが、観光業界の団体や農業、漁業、酪農の業界団体なんて、どうおもってるんだろう。

このままだと今後数十年は海外から観光客を呼べない国になってしまい、第一次産業は壊滅する可能性がある。

日本がそんな人間の住めないような国土になっては、希望もへったくれもない。

僕の嫌いな「日本はひとつ」キャンペーンがメディアから流されているが、9.11のあとのアメリカでも「アメリカはひとつ」キャンペーンが繰り広げられ、イラク戦争に突入していったらしい。

いくつもの日本だった江戸期の日本が、明治になって「日本はひとつ」キャンペーンにのみこまれてゆく。

永遠の「成長神話」をたずさえて。

今朝の朝日新聞「ザ・コラム」にもあったけど、原発の「安全神話」が崩れた今、原発を前提とした「成長神話」も同時に崩れたという覚悟が必要だと思う。

将来の日本のビジョンをどう考えるかで、原発に対する考え方も変わってくる。

右だの左だのなんて、関係ない

若い頃、マルクスの影響は受けなかったが、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」には、大きな影響をうけた。

近代の資本主義社会が、自然に出来たのではなく、キリスト教の予定説という理念を根底に持ちながら発展してきた美しき事実、そしてその美しい理念を捨て去った後の、勝利を遂げた資本主義社会への暗い予感。

柄にもなくペダンチックなことを書いているのがきまり悪いけど、マックス・ヴェーバーのこの論文を読んで、現在の資本主義社会が天与の物ではないことを知り、それを相対化して見る視点を得た。

菅おろしに奔走する経団連じじいたちは、日曜日の朝、ホットスポットで熱くなった頭を冷やすためにマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でも読んだらどうだろうと思う。

新左翼の匂いのする岩波じゃなくて、経団連じじいの好きな日経新聞系の日経BP社から新訳も出てるしね。

日経BP社の紹介文を一部紹介するね。

ウェーバーは100年前、「禁欲」倫理から生まれ落ちた近代資本主義の最終段階に現れる「末人」をこう「預言」した。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」―宗教倫理が資本主義を発展させるダイナミズムを描いた名著。

ほら、君たちのこと、しっかり書いてあるよ。

だから安心して読んでね。

2011年7月21日 (木)

地球のでこぼこ

「確かに、地球はでこぼこだ。だから面白い。でこぼこを抑えつけてノッペラボーにしてしまおうとする力はますます強まっているが、なぁに、絶望するにはまだまだ早い「」
1989年に『地球のでこぼこⅡ』という本でこんな風に書いた中村とうようさんが自殺したらしい。
全く読書しない不良少年だった僕が、唯一読んでいた本が「ニュー・ミュージック・マガジン」で、中でも編集長だった中村とうようさんには大きな影響を受けた。
僕は思想的には保守派だったので、政治的発言には疑問もあったが、博識かつスジの通った社会批評には、畏敬の念をいだいたものだ。
生まれて初めて出会った大人の文化人だったとも言える。
そんなとうようさんの死に際して、多くを語るのはとうようさんの好みじゃない気がする。
日本で黒人のブルースを復興させたのはとうようさんの偉大な業績のひとつだ。
だから今夜は悲しみをこらえて、とうようさんが招聘した偉大なブルースマンの、この曲を捧げる。

日本公演をライブ録音したこのレコードを、毎日すり切れるほど聴いた。

ありがとう。そしてさようなら。

2011年7月18日 (月)

絵本カフェ「ぷーじ&ぷーば」で考えた

今から3年前「新葛飾土産」を始めたころ、ある読者からのメールに対して、こんなエントリを書いた。

21世紀の新しいムーシカ文庫を始めよう

小学生時代に練馬で出会った童話作家いぬいとみこの影響について書いたものだが、ここで書いた思いは3年経ってますます強くなっている。

人と人が顔を合わせて語り合うこと、そしてそのための場所を提供することの大切さを。

だから、ぼくはいつも実在する空間にこだわり続けている。

いちばん嫌いなのが、ネットという不完全なコミュニケーションの場で、舌足らずな言葉を投げ合って、口論すること。

だから、素敵な空間を提供してくれる人には、心から感謝し、脱帽してしまう。

今週も那須高原に行ってきた。

最近那須では絵本をテーマにした空間がいくつか出来始めたという。

その中の一つに絵本カフェ「ぷーじ&ぷーば」がある。

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車が激しく行き交う那須街道から外れて、小川を越えて、しばらく行った森の奥に、隠れ家のようにひっそりとたたずむ建物の扉をあける。

すると、そこには童話の世界が広がっているというシチュエーションがいい。

大人も子どももここに来れば少しだけ優しくなれるような気がする。

童話に詳しくない僕が、この店についてつまらぬ批評をするのはナンセンスであろう。

まずお店に足を運んで、その場所の空気感を味わっていただければと思う。

「ぷーじ&ぷーば」の書棚にも並んでいたベアトリクス・ポターの代表作ピーターラビットの世界が好きなので、今夜はちょっとベタですけど、素直にこの曲をいれちゃいます。

2011年7月16日 (土)

雑誌「SIGHT」を読んでいたら、荷風の「花火」を思い出した。

永井荷風が「大逆事件」について書いた名随筆「花火」の一部を紹介したい。

明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら、折々市ケ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。わたし はこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭(いや)な心持のした事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐ てはならない。小説家ゾラはドレフュ一事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何と なく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥(しうち)を感じた。以来わたしは自分の藝術の品位を江戸戯作者 (げさくしや)のなした程度まで引下げるに如(し)くはないと思案した。その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。わたしは江戸 末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来やうが桜田御門で大老が暗殺されやうがそんな事は下民の与(あづか)り知つた事ではない──否とやかく申すのは却 (かへつ)て畏多(おそれおほ)い事だと、すまして春本や春画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆(あき)れるよりは寧(むし)ろ尊敬しやうと思立つたので ある

この中で「自分の藝術の品位を江戸戯作者 (げさくしや)のなした程度まで引下げるに如(し)くはないと思案した。」という部分が特に有名で、よく引用される。
大正八年だから今から90年前に書かれた随筆である。
すでに古典の領域に入る作品だと思っていた。
でも雑誌「SIGHT」を読んでいたら、原子力発電や電力会社に対して日本のメディアがどれだけ自主規制してきたのか、よおおおくわかった。
荷風の苦しみが、まるで同時代の人の苦しみであるかのように、胸にせまる。
「SIGHT」に書いてあることだって、どこまで真実なのかわからない。
けれども原発事故以降次々に明るみに出る隠蔽されてきた事実は誰が真実を語り、誰が嘘つきなのか物語っている。
永田町の住人たちは、次の展望なき菅首相おろしに必死だが、つくづくズレているなって思う。
政権延命のための発言だろうが、なんだろうが、「原発なんていらねえ」って思いは菅直人と一緒なんだよ。
たとえ菅直人をおろしても、原発推進派が首相になれば、デモが頻発するのは間違いない。

荷風さんが素敵なのは、こんな重い内容の随筆を軽やかに語る手腕だ。
大逆事件を語るその手には、押入れの壁紙を貼るための刷毛が握られている。
大上段に振りかぶって演説するのではなく、家事をやりながらツイッターのようにつぶやく。
エンディングが大好きなので、引用して終わろう。

花火は頻(しきり)に上つてゐる。わたしは刷毛(はけ)を下に置いて煙草を一服しながら外を見た。夏の日は曇りながら午(ひる)のまゝに明るい。梅雨晴(つゆばれ)の静な午後と秋の末の薄く曇つた夕方ほど物思ふによい時はあるまい……。

2011年7月10日 (日)

今週もまた激動の一週間だった

大キライな夏がとうとうやってきた。

かゆいし、くさいし、暑いし、三拍子そろってる!それも最悪の。

7月生まれなのに、網走にあるオホーツク流氷館の流氷体験室で、こちこちに凍ったタオルを片手にくつろいでいられるオイラは、いくら寒くても平気、夏が大の苦手。

永井荷風の「夏すがた」って、ただの裸のことじゃん。

あー何書いてるんだろ。頭がまとまらない。

脳みそが沸騰しそう。

という状況にもかかわらず、忙しくて、忙しくて。

先週の日曜日の夜、子どものキャンプの打ち合わせで、近所のおうちに呼び出されて以来、バタバタしながら仙台、那須へ飛んだ。

仙台では火星の庭というブックカフェで、「てくり」という盛岡のリトルプレスと、野添憲治「聞き書き・知られざる東北の技」、安藤更生「銀座細見」を購入。

こちらのツボを刺激する品揃えが、たまらん。

仙台では本好きの人たちがしっかりとネットワークを作っていることを知った。

東葛飾はバラバラで、やってるからダメなんだと思う。

市川の文学館構想はいいけど、ちっぽけな市川市だけで自閉していてどうする!

葛南とよばれる市川、船橋、浦安まで含めた旧東葛飾郡全体でネットワークしてかないと、東京に対抗するヴァナキュラーな文化なんて、永遠にできないぞ。

圧倒的な存在の東京に吸収されてしまうだけ、だから千葉都民なんてバカにされる。

いろいろ紆余曲折あったけど、子どもたちのため、東北の復興のため、関東と東北の境にある那須高原のキャビンで、年に数回イベントをやりたいと考えるようになった。

20年前、この土地で、まるで大昔の木こりのように、のこぎりで木を切り倒し、スコップで穴を掘って、セルフビルドを開始した時の情熱を、もう一度奮い起こそう。

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川嶋工務店という頼りになるパートナーも見つかった。

体はひとつで、忙しさは増すばかりだけど、動けるうちは動く。

細野さんが高田渡に捧げるとコメントした「僕は一寸」が、なんだか今の気分。

2011年7月 2日 (土)

日本はここからどの道を行くのだろう。

朝日新聞朝刊の「うたの旅人」を見たら北原白秋「この道」が出ていた。
北原白秋と言えば小岩、市川に住んだ人で東葛地域でも人気がある。
亡くなった杉山宮子さんも白秋の研究家で白秋の妻を題材に「女人追憶」という本を書いた。
「この道」もそうだけど、大正から昭和初期(1920年代ともいう)の童謡がすごくいいということを松岡正剛の「日本流」という本で最近教えられた。
一方で軍国主義が日本を覆い尽くしてゆく時代だったけど、こんな素敵なレベルの高い童謡が作られていたことに驚く。

渡辺京二の名著「逝きし世の面影 」にも子どもが大切にされる幕末期の日本の姿を見た外国人の驚きが描かれている。
5月に紹介した「コドモノクニ」にも書いてあったけど、日本のように一流の作曲家や詩人が子どもの歌を作る国はめずらしいそうだ。
数日前にアルカイダが8歳の少女に爆弾を運ばせて、死なせてしまったという新聞記事を見た。

1920年代の日本は、そこから国家主義、軍国主義に引きずられて、少年少女に勉強させるのではなく、武器弾薬を作らせるような国になっていった。
幕末期の日本を見て驚いた外国人がその光景を見たら、別の意味で腰を抜かすに違いない。
そして、もしそんな国が保守派のエリートたちの好きな「普通の国」だとしたら、日本は「いつか来た道」をたどって「普通の国」のレベルまで落ちる必要なんかないぜ。

自分と自分の一族を安全な場所に置いて、「抽象的な美しい言葉」を叫ぶエリートたちを、安易に信用しちゃいけないよ。

外国語が達者で、海外に人脈や隠し財産がある自分は逃げるんだから、世界のどこまでも。

僕たちの日本はいつまでも外国人が驚愕するような特殊な国、世界をリードするような国でありたいと思う。

2010年代の日本はここからどの道を行くのだろう。

北原白秋とは関係ないけど、ユーチューブで「コドモノクニ」っぽい動画を見つけたので、添付しよう。
去年柏で見た中西俊博のバイオリンがフィーチャーされた大貫妙子「横顔」。
冒頭のおもちゃとコラボする中西俊博が最高にいい感じだ。

おまけに2曲目のボサノバで小野リサがバックでギターを弾いている。

いまでは実現しないような贅沢なメンバーの演奏を楽しもう。


2011年7月 1日 (金)

ジャクソン・ブラウンの爽やかさは永遠だと思う。

ホントに慌ただしい一週間だった。

とうとう昨日の夜は疲れきって、久々行きつけの治療院へ。

だから今朝は元気回復で、午後から友人のMさんを案内するため野田へ行った。

リフォームしてから野田の市民会館はいい。

地域史関係の資料の豊富さに圧倒される。

図書館ではこうはいかないし、気に入った本をその場で販売してくれるのも嬉しい。

あえて名前は伏せるが、そこにおられる学芸員の女性の一生懸命さも伝わってきて、とても心地良い空間だ。

各個室にはいつ行っても市民が集まって、ワイワイガヤガヤ、活気がある。

今日は尺八を練習するグループがいた。

市民会館はキッコーマンの創業一族の旧宅だけど、そこを無料で市民に開放している度量の大きさが素敵だ。

何よりも偉いと思うのは、大正時代の生活用品が無造作に、あたかも今も使っているかのようにそのままの状態で置かれていること。

今日は調理場で冷蔵庫を発見した。木製の冷蔵庫は知っていたけど、あんな立派なやつは始めて見た。

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市民会館はその建物自体が近代化産業遺産であると同時に、生きた博物館なのだという事実を心に刻んだ。

何度も行くうちに、あたかもそこが自分の帰るべき場所であるかのような錯覚におちいる。

流山インターチェンジから田んぼの中の一本道を走り始め、緑深き利根運河を越えるとそこは醸造王国の入り口。

こんな気持ちのいい場所をクルマで走ると、ノスタルジックで、ナチュラルなジャクソン・ブラウンが聴きたくなる。

ジャクソン・ブラウンなら、何と言ってもあの曲。

「ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル」

故クラレンス・ホワイトが歌ったザ・バーズのカバーが先に発表されて、こちらも名曲だけど、還暦過ぎても爽やかなジャクソン・ブラウンがいい。

レーガンが出てくる前の、ウォーターゲート事件の発覚で大統領でも辞めさせることが出来る民主主義の国だった時代のアメリカの空気を、いつまでも漂わせるこの人を、僕はどんどん好きになり始めている。

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