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2011年6月21日 (火)

「生活の柄」を変えなくちゃいけない。

TVでは「原子力に代わる代替エネルギー開発を最大限頑張ります。」

なんて、政治家が言ってる。

今すぐ原発を止めることなど出来ないからって、言ってる。

俺の世代は原発がなかった時代の社会をかろうじて覚えている。

日本で最初に原子力発電所が稼動したのが昭和38年だというが、今思えばこの年はすごい年だった。

東京オリンピックを前に国民一丸となって、近代科学を盲信し、大量生産・大量消費に走りだした年のような気がする。

このころ鉄腕アトムがヒーローになり、新幹線が走りだした。

ケネディが暗殺されて、古きよきアメリカが消えて、ビートルズとボブ・ディランが現れた。

小津安二郎は死んで、原節子は引退した。力道山が殺されたのもこの年だった。

首都高速道路が日本橋をふさぎ、「君の名は」で有名な数寄屋橋を壊して走り始めたのもこのころだった。

震災と戦災をくぐりぬけた多くの江戸東京の風景が壊されたのもこの時代だ。

戦前生まれの人は戦争が終わって、価値観ががらりと変わったというが、ライフスタイルに限って言うなら、この時代も大きな転換期だったとおもう。

まるで濁流に飲み込まれるかのように、考えるひまもなく、48年間も走り続けてきた。

確かどこかで小林信彦が、この頃に江戸期以来続いていた多くの生活習慣が失われたと、書いていた。

だから。

「生活の柄」を変えなくちゃいけない。

本気で原発に立ち向かうなら、「生活の柄」を変えなくちゃいけない。

生き延びるためには「生活の柄」を変えなくちゃいけない。

高田渡が聴きたくなった。

ここで「生活の柄」ってんじゃ、あまりにベタなので、ひねりを加えて「ブラザー軒」にしよう。

近いうちに仙台に行きそうだから。

そして、今年も七夕が始まるから。

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