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2011年5月22日 (日)

「池袋モンパルナス」がいけないのだ。

もうどこにも書くまいと思っていた練馬時代の身の上話に火がついてしまったので、恥じかきついでに、あるエピソードについて書く。

数年前、友の会の重鎮で出版業界の生き字引のような編集者大出俊幸さんに、おそらく冗談でおっしゃったのだと思うが「あなたの書くものには石井桃子に通じるものがある。もしかしたらご親戚なの?」と言われたことがある。

「め、め、めっそうも御座いません。赤の他人もいいとこです」と答えたのだけれど、僕にとって人生最初の師匠童話作家のいぬいとみこさんは石井桃子と一緒に岩波少年文庫を編集していた人だったことをふと、思い出した。

もし大出さんが何かを感じたとしたら、練馬時代の僕にとっていぬいさんの童話や石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」や、同じ仲間だった中川李枝子さんの「いやいやえん」の世界が自分のいる世界と重なっていたからなのかもしれない。

そして、祖母や母から聞かされた日本昔ばなしとは違う、戦後の自由闊達な創作童話の世界に憧れた。

そのまま、いぬいとみこさんに師事して、中学高校でもしっかりと文学の勉強をしていれば、もう少しましな文章家になれたのかもしれない。

けれども、思春期の少年は勇ましいものに憧れるもんで、中学に上がる頃には、「ムーシカ文庫」の存在など、ちっともありがたいとも思わなくなってしまった。

運動部に入部して、ドラマ「柔道一直線」の桜木健一のような強い男になりたいなどと、身分不相応なことを考えていた。

地元の練馬中学ではなく、新宿区の男子校に進んで、初恋の女の子と離れ離れになる生き方を選んだ自分を、ストイックなヒーローだと考えていたふしがある。

ホントにバカだったよな。

自分の持ち味をころして、世間の常識にあわせようと、もがけばもがくほど歯車がかみ合わなくなって、勉強もスポーツも含めて、何をやってもダメダメな中学生だった。

そして、中学生の終わりに練馬を去る。

そのころはもう町への愛着どころではなかった。

頭の中が混乱して、何が自分をダメにしているのかもわからず、ひたすらもがいていた少年に、ほんの僅かな光でも、照らしてくれたのが、アメリカ西海岸のロックだった。

当時はイギリスのロックが人気だったが、息が詰まる様な緊張感のあるイギリスのロックよりも、おおらかでハーモニーのきれいな西海岸のスタイルに癒された。

例えば、有名なこんな曲はどうだろう。

イーグルスでは存在感の薄いティモシーだけど、僕のフェイバリット・ミュージシャンの一人だった。

煤煙で汚れた70年代東京の灰色の空の下、レコードを抱えて電車に乗る。

カリフォルニアの青い空が似合う、中性的な甘いティモシーの歌声は、とても魅惑的だった。

高校1年生の時に聴いて、その美しさに衝撃をうけた次の曲を紹介して、今夜は眠ろう。

ここまで読んでくれたみなさん。つまらぬ身の上話でゴメンなさい。

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