学校では教えてくれない本当の歴史の勉強
知識を得るには学校という制度が絶対的で、そこに権威を感じている真面目な人たちには、教科書って、とっても大事なんだろうなあ。
オイラは中学高校時代、歴史の勉強が退屈なので、その時間は教科書に載っている毛沢東の顔にヒゲを書いたり、外国人のヘアスタイルをちょんまげにしたりする作業で忙しかった。
いじめられっ子の友達の教科書に印刷された江戸期の作家「上田秋成」という名前を本人にわからないように、丁寧に「正田秋成」に変えてしまったり、ろくなことやっていなかった。
最近、新しい歴史教科書をつくる会とかいう団体とそれに反対する団体があって、自虐史観だの、自由主義史観だの、ウヨクだのサヨクだのって、お互いをののしり合っているわけだが、オイラのような劣等生からすると、どっちも教科書に載っていることを事実だと思っている人たちという意味では、同じ穴のムジナじゃねえかと思う。
そんな教科書的歴史観から、オレを救い出してくれたのが山口昌男『敗者の精神史』という本だった。
あまり使いたくない言葉であるが、いわゆる「明治維新」と呼ばれる幕府の瓦解によって、戊辰戦争に勝利した西軍(新政府軍)側の視点で、明治以降、現在に到るまで、すべての歴史教科書が書かれているのだという事実を、いやというほどわからせてくれた。
評論家の小谷野敦とかいうバカがアマゾンでつまらぬ書評を書いているけど、そんなものに惑わされてはいけない。
知の巨人松岡正剛の「千夜千冊」で、この本の内容をじっくり吟味していただけるとうれしい。
敗者の精神史
そういえば退屈な学校の日本史の時間の中で、江戸の戯作者たちが紹介される時間だけは、楽しかった。こんなところにオレの仲間を見つけた。そんな気がした。
100年前、200年前に、自分の住む街に生きていた先達の脱力した生き方に、一瞬だけ体が軽くなるような、淀んだ空気の部屋に新鮮なそよ風が吹きこんでくるような気持ちだった。
そして自分が幼年時代を過ごした台東区根岸という町が、江戸期から数えきれないほど沢山の戯作者文人墨客が訪れた町で、「敗者の町」だということも、『敗者の精神史』で知った。
こんな非常時になると、日本人はいわゆる「明治維新」の元勲たちに学べなんて、とんちんかんなスローガンが出てきそうで、ホントに嫌になる。
明治以降、中央集権国家を目指した結末が、現在の状況なのだということを認識してほしい。
本当なら、ヒデヨシがめちゃくちゃにした近隣諸国との関係を修復し、諸藩に技芸を奨励して、地方分権社会を実現した江戸期に学べと言いたいが、400年まえはあまりにも遠いというのも事実。
ならば、せめて1920年代の震災後の自由でモダンな国づくりをやり直してみたらどうだろう。
オレたちがこれから、あの時代のようにファシズムや共産主義のような全体主義に飲み込まれないように、地に足を着けて、学校では教えてくれない本当の歴史の勉強をやってみようと、いま考えている。
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