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2011年4月

2011年4月29日 (金)

そろそろ荷風忌ですね。

「なんだかわかんないけど、エイ・エイ・オー!!!」

ずいぶん昔務めていた会社で、朝礼だか何だかで、会社のお偉いさんが急に新規事業の話をふられて、意気込みをって言われて、とっさに出たのが上記のフレーズなんだけど、この言葉を聴いた瞬間に目からウロコでしたね。おお、ここにニホンジンがいたって。

で、何を言いたいかというと、最近うつ病の社員の相談に乗ることが多いんだけど、うつ病になる人って、人からカッコイイて思われたい、一生懸命やっているって思われたい、内容はともかく形さえなんとかなってりゃいいって考えてるんで、そこが上手くいかないと途端にオカシクなっちゃう。

だから、そんなこと思わなくてもいいように人生の荒波を乗り越える戦略を考えたらどうだろう。

そんな時に役に立つのが荷風さんのエッセイ集。

岩波文庫のやつは散歩のお供になることが多い。

そのエッセイ集の最高の解説書が持田叙子『荷風へようこそ』慶応義塾大学出版会。

どんなツライ時でも、したたかにしなやかに、山東京伝や太田蜀山人や柳亭種彦といった江戸の戯作者たちをモデルに、明治、大正、昭和を生きき抜いて、絶対に自殺などせず、病院でチューブをつながれることもよしとせず、52年前の今日、自宅で自然死した荷風の死を、講演会の時に持田叙子は「グッジョブ!」と呼んだ。

時に迫害され、時に嘲笑され、次々と親しい友人を失い、荷風ほど毀誉褒貶の中を生き抜いた作家は珍しい。

だから、戦後はろくな作品がないと言われようと、僕は荷風さんを尊敬している。

三ノ輪浄閑寺の荷風忌には行ったことがないけど、大勢でワアワアやる市川の荷風忌には、正直いって関心がない。

荷風さんは一人で世間と戦う人の味方だ。

苦しい時には、黙って横にいてくれるような気がしたから、仕事でどんなに辛くても耐えぬくことが出来た。

あらためて、本日、荷風さんの冥福を祈りたい。

「るるぶ 柏・松戸」を買ってみた。

4月に「るるぶ 柏・松戸」が発行されたので、あまり期待もせずに地元の書店で手に入れて、ひと通り眼を通したのだけれど、このるるぶはかなりイケテル。

真面目に一生懸命やっている個人店が数多く紹介されているのが、とてもうれしい。

新松戸など最近はチェーン展開している居酒屋やレストランばかり目に付くけど、こうして本になると意外に個人店が健闘していることがわかる。

何店か絶対に載るべき店が載っていないという不満はあるけど、ここまで真面目につくってあれば、とりあえず大満足。

「るるぶ」というと観光地のつまらない店を載せてるイメージを持っていたけど、バカにしてはいけないと反省した。

ラブマツなんてSNSは、この本を読むまで知らなかった。

北部市場、南部市場の詳細な紹介も珍しい。

それから、旧水戸街道散歩のページでは、懇意にしていただいてる松戸宿の生き字引八嶋商店のご主人八嶋正典さんが登場しているのもうれしい。

なんだか久しぶりにワクワクしてきた。

城南信用金庫を賞賛したい。

昨日の朝日新聞朝刊で作家の高橋源一郎が城南信用金庫について書いていたのが、印象に残ったので、ユーチューブを見た。

城南信用金庫は大田区、世田谷区を中心エリアにした信用金庫で、隅田川より東にはお店がない。

この城南信用金庫が脱原発宣言をした。

城南信用金庫

チェルノブイリ事故と原発推進キャンペーンを扱った小林信彦の小説「極東セレナーデ」が長いこと品切れ状態なのも、東京電力に対して、マスコミが遠慮しているからであるという説が、数日前の新聞に出ていた。

それくらい巨額の広告宣伝費を牛耳る東電のマスコミ支配は徹底したものだというのだが、そんな日本社会で城南信用金庫の勇気は賞賛すべきだと思う。

世田谷区では脱原子力を唱えた新区長が登場するし、どんどん先に進んでいる感じがする。地震や放射能の被害をうけている千葉県には、いつ脱原子力の風が吹くのだろうか。

ザ・バーズの「ファーザー・アロング」を贈ろう

数えきれないほど大勢のミュージシャンが歌ってる「ファーザー・アロング」だけど、ザ・バーズのヴァージョンが群を抜いて美しい。

高校生の頃、同名のアルバムを何度も繰り返し、擦り切れるほど聴いたなあ。

このアルバムを発表して、すぐにバーズは解散し、「ファーザー・アロング」を歌ったギタリストのクラレンス・ホワイトが交通事故で亡くなったから、余計にグッとくるアルバムだった。

「ビュグラー」とか「プリシャス・ケイト」とか「アンティック・サンディ」とか名曲ぞろいだけど、中でもこの曲 が最高だった。

日本では無名だったが、クラレンス・ホワイトは本当にセンスのいいミュージシャンだった。

直接影響をうけているかどうか知らないけど、いまスピッツの曲を聴くと、ギターの音がクラレンス・ホワイトのフレーズにそっくりだし、無名だったリトルフィートやジャクソン・ブラウンの曲を発掘して、彼らをメジャーにした功労者でもあった。

あの頃、なんであんなに好きだったんだろうって、考える。

少年時代は終わりに近づいているのに、勉強もスポーツも全然ダメで、自信喪失状態だった。何も取り柄のない自分の未来は真っ暗だと思っていた。

そんな心の闇をほのかに照らしてくれたのが、「ファーザー・アロング」。

この歌を、いま悲しみに染まった被災者のみなさんに贈ろう。

もう一丁「ビュグラー」です。

2011年4月24日 (日)

ジューシィ・ハーフを見つけた。

スーちゃんの死去で、少し落ち込んで、ユーチューブで名曲「なみだの季節」なんか見て、しんみりしていたんだけど、(近田春夫流に言うと地味な気持ちになっていた。)
たまたまジューシィ・フルーツのイリアこと奥野敦子が、ドラムの高木さんと一緒にジューシィ・ハーフとして活動を再開したことを知って、めちゃくちゃ嬉しくなった。
イリアは近田春夫と関係が深くて、僕は近田春夫のオールナイトニッポンの大ファンだったから、大学生時代一度ニッポン放送まで行って、守衛に頼んで、近田春夫に差し入れと手紙をわたして、サークル紹介文を放送中に読んでもらったことがある。
アシスタントがコッペという女性シンガーで、谷啓なんかと一緒に活動していた素敵な人だった。
そんな事情があったので、イリアがジューシィ・フルーツでデビューした時から大ファンになった。
女子美術大学を卒業しているので、今は幼稚園でアートを教えているということ。
多少ふっくらしたけど、ミニスカートが似合うカッコイイ女性で、今のほうがいい表情している。
なんかうれしいなあ。同い年の女性が、今でもキラキラしているのがすごくうれしいなあ。

既製の歌謡曲を独自の視点でアレンジして、新しく命を吹きこんで作品に仕立てる彼女の才能に敬服していたし、ファッションセンスもサイコーだった。

ひょっとしたら、プリンセス・プリンセスも森高千里も、イリアが在籍したガールズやジューシィ・フルーツがいなければ、出てこなかったかもしれない。

30年前はハマトラなんていう保守的な女性ファッションが女子大生中心に大流行していて、僕の通う大学もそんな女子大生のメッカのひとつだった。

当時の大学生の様子を知るには、田中康夫の「なんとなくクリスタル」がいい。

僕のような貧乏学生とは無縁の世界で、ハマトラの彼女など見つかるはずもなかったけど、逆にセンスをお金で買う世界が僕にはちっとも面白いと思えなかったし、彼女たちに興味もなかった。

イリアみたいな個性的な女性を彼女にしたかった。
だけど、あんな三拍子揃った人はなかなか身近にはいなかったね。当たり前か。

で、ユーチューブを見ていて何が一番面白かったかというと、弘田三枝子が歌った「夢見るシャンソン人形」の替え歌「夢見るシェルター人形」っていう曲がものすごい歌詞で、こんな時期だから、アップしていいのか複雑な気持ちになるけど、これこそが東京のロックだって言いたい。
大正時代の演歌師添田唖蝉坊から、ずうっと流れる反骨精神が粋だ。

牽強付会って怒られるかもしれないが、江戸期の浮世絵や戯作者気分まで漂っている。
ひねくれ者なので、反原発やラヴ&ピースを叫ぶより、こんな曲の方がぐっとくる。
そういえばジューシィ・ハーフのライブも、原発反対デモも高円寺だった。
イライラしながら通勤客が行き交う最近の中央線沿線は苦手だったけど、渋い古本屋がある高円寺という不思議な町は、ちょっと好きだった。
こんど、遊びにいきたいな。

最近の高円寺でのライヴ

30年前のイリア。いま見てもカッコイイ。

2011年4月23日 (土)

外はいい天気

朝から外ははっきりしない天気だ。
時折、放射能だらけの強い雨が、たたきつけるように降ってくる。
この前のエントリで、20数年前の東京下町にいた、みっどないと・らんぶらーたちの、ダークな世界について書いてしまったけど、こんな天気だから、せめて土曜日の午後のブログの中では明るく気持よく過ごしたい。

そんなときはいつも、はっぴいえんどで一番好きな曲「外はいい天気」が聴きたくなる。
4年前に書いた短編小説は事情があって「東葛飾残照」ていうタイトルで、千葉文学賞にエントリしたけれど、本当は「外はいい天気」にしたかった。
少年時代の自分をモデルに、淡い初恋を描いた小説を書いている間、ずっとこの曲が頭の中で鳴っていたから。
ユーチューブで探したら、こんなのが見つかった。投稿したdonnablue0828さんという方に感謝。

「外はいい天気」は一番大切な曲だから、ブログに入れるのはずうっと後までとっておきたかったけど、キャンディーズのスーちゃんが亡くなって、衝撃をうけた。
父の仕事場だったよく知っている町北千住出身の、自分と同世代の、とても身近に感じていた元アイドルの死去は、ほんとうに辛い。
平凡な日常生活のさなか、突然命を絶たれた津波の犠牲者のことも思うと、今日できることは、命ある今日のうちにやっておこうと、痛切に思う。
志半ばに亡くなったスーちゃんと、津波の犠牲者にこの曲を捧げる。


2011年4月22日 (金)

下町のみっどないと・らんぶらーたち

ずいひつ「流星」の原稿はあと少しで脱稿するけど、原稿を書いているうちに、バブル景気さなかの89年の年末、店番をしていた東京の下町のコンビニエンスストアに、深夜になるとやって来る奇妙な人たちを思い出した。
冬の寒さをしのぐために、3箇所のコンビニを順ぐりに移動していたホームレスのおじさん。
何故か、いつでも股間をびっしょり濡らして、うつろな目で店内をうろうろするヤク中の若い女。
チンピラ風の若い男に連れられてやってくる東南アジア系の可愛らしい10代の少女たち。

そして、隣町の山谷の寄せ場で集められたのであろう、ニッカボッカー姿のたばこ臭い息をはく男たち。

かれらは数年後、バブル景気が終わると、ホームレスのおじさんになって、また店に戻ってきたのだろうか。

映画やテレビの中にしか存在しないと思っていた、そんな不思議な人たちを、毎日見続けていると、長いサラリーマン生活で作られた常識が通用しない世界があることを知った。
天井の安物のスピーカーから、ストーンズの「ギミーシェルター」が繰り返し、繰り返し流れる。
ミックが「シェルターをくれ、シェルターをくれ」って歌い、何とも言えない音色をもつキースのギターが切りこんでくる。
ファンと言えるほどストーンズが好きじゃなかったから、アルバムも2枚くらいしかもっていないけど、深夜の店内で、ゴム長がすぐにダメになるような強い薬を使って、グリストラップの清掃をしながら聴く「ギミーシェルター」にはすっかりやられた。
そして、「流星」に書くけど、ちょっとした事件があって、オレの心の中で何かが砕けた。
オレの80年代はその時、終わって、新しい自分を発見したような気がする。

そしてその時、彼らはオレと同じ世界の中で生きていることを痛感した。

「ギミーシェルター」が収められている「レット・イット・ブリード」というアルバムには「ミッドナイト・ランブラー」という曲もある。
下町の真夜中のランブラーたちは今でも生きているだろうか。
今夜は懐かしき東京下町のみっどないと・らんぶらーたちに幸多かれの祈りをこめて「ギミーシェルター」で終わろう。


2011年4月18日 (月)

神田明神に行った

金曜日の夜の話だけど、久しぶりに神田明神に行った。
今度、友の会から出した「東葛流山研究 楽しい東葛伝説民話事典」には将門伝説のことがいろいろと書いてある。
僕が原稿を担当したわけではないけれど、本に載せていただいたからには、将門さんにご挨拶しておかねば、落ち着かない。
新大塚から丸ノ内線で御茶ノ水まで行って、夜7時半ころに着いたのだが、やはり予想したとおり、参拝客がひっきり無しにやってくる。

半年前まで、御茶ノ水経由で通勤していた頃は、年中夜の参拝をやっていたけれど、こんな雰囲気じゃあなかった。
建物にしがみついてお祈りしている人もいて、なんだか不思議な世界に迷い込んだ感じだ。

Img_0108 Img_0109朝廷に反抗した将門さんは東日本最大のヒーローだし、こんな時期だからみんな、パワースポットにすがりたいのであろう。
僕も同じ気持。
どうも最近、首が痛くて仕方ない。
仕事をしていても辛くて、辛くて。
以前、神田明神にお参りしたら、最悪だった体調が好転し始めて、すっかり元気になったことがある。
それを宗教と呼ぶのかどうか、よく分からないけど、僕にとって神田明神は、間違いなく第一級のパワースポットなのだ。
今度は、昼に行って、天野屋で、甘酒飲んで帰りたいな。

2011年4月17日 (日)

月のきれいな夜は、コルトレーンなどどうですか。

夜更けに寝室に入ると、明るい光が差し込んでいる。

我が家では震災から後、夜は必要最小限のあかりを灯すようにしているので、光に敏感になっている。

無印良品の「手に持つあかり」が大活躍で、この現代版行灯は最高のスグレモノだね。

そろそろ流星の原稿も締切り、辻野さんに迷惑をかけては申し訳ない、がんばろう。

ちょっと前まで谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を読んでも、ピンとこなかったのに、震災後、感性まですっかり変わってしまった。

本当は朝日と共に起きて、暗くなれば眠る暮らしが理想なのかもしれないが、都会で暮らしていると、それは難しい。

遠距離通勤して早起きを強制されて以来、朝が苦手になって、いままで以上に夜の闇が恋しくなった。

夜の闇の中、物思いにふけると、死んでしまった最愛の猫のことを思い出す。

まだ前の家に住んでいた頃、リッキー・リー・ジョーンズの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」を聴きながら、今のように一人で夜更けにキーボードを叩いていると、毎晩どこからともなく現れて、僕の腕の中で甘えた「タマ姫」というアメリカンショートヘアのメス猫。

普段はきまぐれで体など触らせないのに、この時間だけ恋人のように寄り添ってくれた。

今思い出しても、夢だったかのような、不思議な時間だった。

売れ残って、ペットショップで処分されそうになり、子宮蓄膿症という病気も克服したのに、わずか4歳で車に轢かれた。今でもタマ姫のことを思い出すと、自然に涙が溢れる。

タマ姫が急死して、僕はペットロス症候群から抜けるのに、何ヶ月もかかった。

今夜はあえて、まるでタマ姫の化身のような、きまぐれボーカルのリッキー・リーではなく、若くして亡くなったジョン・コルトレーンの誠実な人柄がにじみ出るサックスを聴きながら眠ろう。

ジョン・ハートマンのボーカルも都会的で、品格があって、大好き。

みなさんお休みなさい。

2011年4月16日 (土)

都市の空気は自由にする

岩波新書の「日本近現代史4大正デモクラシー」を読んでいたら、うす気味の悪い文章を発見した。

「関東大震災という衝撃的な事態に対しては、震災は天の諌めであるという天譴論が出された。矛先は、都市文化に向けられた。個人主義の進展やモダニズム文化の台頭、社会運動や改造の主張の展開が、都市文化の発展と重ね合わされ、好まざるものとして攻撃されて、ナショナリズムが煽り立てられる。一九二三年十一月に『国民精神作興詔書』は、こうした意識の表明であり、「国体」と「醇風美俗」を前面に押し出し、都市化による綻びをつくろい、国民統合を強化しようとした。」

関東大震災を東日本大震災に変えて、一九二三年を平成二三年に代えたら、どうだろ。
この前書いた石原某の言葉通りに、再び戦前のある時代に戻さんと世の中を誘導しているような気がしませんか。
そもそもあるのかないのか知らないけど、東京電力の労働組合が「ざけんなよ。役員連中が責任とって現場作業しろよ」と居直ったというような話もなく、いつもは怖い労働基準監督官が原発の作業について労働安全衛生法に違反していると騒いだという話も聞かない。
労使が争っている場合じゃないって空気の中で、組合は自主的に解体し、労使協調のムードの中で悪名高き産業報国会となり、戦争に突き進むというようなことは、まさかないでしょうね。

石原某や大日本帝国の為政者たちも知っていたように、「都市の空気は自由にする」のだ。

ナチスに追われて、イギリスに亡命したドゴールがロンドンからラジオで、自由フランスとしてレジスタンスを呼びかけたのも、パリを開放したいからだった。だから僕は凱旋門を見ると感激する。
映画「パリの恋人」で、さえない本屋の店員だったヘップバーン演じる主人公が、まるで蝶が羽化するように、美しく変身するのもパリのもつ魔力だった。

作品としての評価はイマイチかもしれないけど、僕はこの映画が自分のベストワンかもしれない。次々と僕の好きなものばかり出てくる。

ナチスから逃れて、アンネ・フランクのような少女時代を過ごしたというヘップバーン自身の境遇を重ねあわせて考えると、戦後10年足らずの時代にパリのカフェで、はじけるように踊り、実存主義哲学を語る主人公は喜びに満ち溢れていた。ヘップバーンの他の映画にはない、真実の輝きを感じる。

杉浦日向子が愛した一八世紀の江戸文化も、海野弘が描いた二十年代の東京や、自分が実際にうろうろ歩いた七十年代前半の東京の文化も、パリと同じように輝いている。
だから僕は都市が好き。都市でないと生きられない。
ソーシャル・ネットワークでつながるのもいいけど、実際の空間はもっと大事。
石原某のような権力が都市文化を壊しにくるのなら、僕は自分なりのやり方で戦うつもりである。
いまここに、バブル景気に浮かれる25年前に原発や代替エネルギーについて勉強したのに、四半世紀も指をくわえて見ていた自分自身に猛烈に腹を立てている僕がいる。
もう二度と後悔したくない。

2011年4月13日 (水)

他粛ぎらい

なにせガキの頃から不良少年で、劣等生だったから、自粛だとか、連帯責任ていうのが苦手である。

いや苦手なんて中途半端な書き方はやめよう。

はっきり言って大嫌いである。

3月11日の夜にキャバクラに行ったみのもんたをマスコミが批判しているけれど、何が問題なのかオレにはわかんない。

いろんな人がいて、いろんな価値観があって、それぞれのスタンダードがあるから、民主社会だと思う。

現在不良中年のオレから見れば、みのもんたは、今回何も悪いことしていないよ。

みのもんたを批判するなら、原発安全神話の普及に活躍してきたことを書けよ。

それはともかく、核武装が持論の石原某という、感じの悪い男が花見を自粛しろなんて言っている。

マスコミは思考停止しているから、自粛が経済に与える影響について是か非かなんて、トンマなことを書いているけど、そんなことたいしたことじゃない。

それよりか、自粛って為政者に強制されるべきものではなく、自ら喪に服するから意味があるんだよ。

他人に強制されたら自粛じゃなくて他粛だよ。

東大だの早慶だの名門大学を優秀な成績で卒業され、難しい試験をパスして大手マスコミに入社されたエリートの方々は、石原某の暴挙や暴言に目をつぶるのが大人のエチケットだと思っているとしたら、さっさと仕事やめて、故郷に帰ってほしい。

日本人の好きな「連帯責任」ってのも、寒気がするほど嫌い。

こんな言葉は責任を曖昧にして、ごまかすための手段にすぎないと思う。

敗戦だって、政府や日本軍の責任じゃなくて、国民みんなの「連帯責任」なんでしょ。

なんとまあ、お人好しな国民でしょ。だから悪いヤツラにダマされる。

ナチスドイツのイメージを払拭して、新しい国を作ったドイツ人の心根ほうがオレには理解できるな。

そろそろこの辺で、他粛だの、連帯責任だのなんて鵜呑みにして、権力を握った悪いヤツラを、こころ優しい国民が助けてあげるようなことをやめようよ。

自民党でも民主党でも、財界や学界とグルになって原発を推進したような連中は全員退場して、ホンネでコミュニケーションが出来る新しい風通しのよい日本を作ってゆかないと、希望が持てない。

もうどうしようもないところに来ている。

田中優子の「未来学としての江戸学」を読みながら、そんなことを考えた。

2011年4月11日 (月)

流山市立博物館友の会無許可ブログを始めた。

昨日から流山市立博物館友の会無許可ブログを始めました。

東葛学めざして

新葛飾土産でも流山市立博物館友の会のことは、しばしば取り扱ってきたけれど、紙媒体による広報活動はお金がかかるし、双方向のやりとりが出来ないので、専用のブログを開設した。

ブログの前身は流鉄の話題を中心にすえた「暇をこしらえて流山に行こう」だったので、リニューアルなのだ。

個人的な意見を書かせてもらうと、友の会はものすごい実績を残している文化団体だけど、会員の高齢化とともに、徐々にパワーが落ちているというか、拡散しているような気がする。

「東葛学会」と呼んで差し支えないような広範囲な活動の実態と、流山市立博物館友の会という地味な名称の乖離が激しく、名は体を表さなくなっているように思う。

だからあえてブログのタイトルは「東葛学めざして」にした。

睡眠時間削って、ブログ書いてるのに、さらにまた始めるのは無謀かもしれない。

でも、いまやらないと一生後悔する。

ここまで育ててもらったと大見得を切るほど、じゅうぶん育ったわけじゃないのがツライが、毎日ものを書き、それを発表する習慣は、間違いなく山本鉱太郎氏と友の会に育ててもらった。

ソロソロお返しする番だよ。

2011年4月 9日 (土)

今週は女流作家三昧

3月は震災で休講になったので、二ヶ月ぶりの山本鉱太郎氏による文章講座に参加した。
林芙美子の『放浪記』
大作なので、青空文庫で拾い読みだけして、講座に臨む。
林芙美子には、あまりいいイメージがない。
地方からギラギラ野心に燃えて上京し、なりふりかまわず、恩人をも踏み台にして、望みどおりベストセラー作家になって、威張っていた人というイメージだ。
なんとなく、のほほんと東京近郊の平凡な勤め人の家庭で育った僕には、例えば向田邦子なら大好きだけど、林芙美子はちょっとついて行けないし、共感も出来ないと思っていた。
海野弘が名著『モダン都市東京』で林芙美子と新宿に一章を割いているが、林芙美子には新宿という町がとてもよく似合う。
歴史が浅く、高層ビルが建ち並んで作りが大ざっぱな新宿は、林芙美子のような人間たちが集う場所だと思う。

だから、ぼくは新宿に行くと、すぐに息が苦しくなり、急いで帰りたくなる。
山手線に乗って、池袋を越して、ホームタウンのひとつ大塚あたりまで来て、やっと少しだけ息がつける。
そんな苦手な林芙美子だったけど、『放浪記』という作品を丹念に読むと、すごくいいことに気づいた。目から鱗が落ちた。
さすがに共感は感じないけれど、その溢れるばかりの才能に驚嘆する。
短いフレーズの使い方が絶妙で、こんな風に書きたいと思わせる名フレーズ連発。
芙美子が荷車列車のような町だという、冒頭の炭鉱の町直方の描写は特に見事。
詩人の資質もあるから、表現が的確で、なおかつそこはかとなくユーモアも感じる。
書き始めたのが関東大震災直後だから、90年近く昔の作品なのに、その内容といい、まるで今のフリーターの若い女性が書いている文章みたいだ。
早速みすず書房から出ている改造社版の『放浪記』を注文してしまった。
林芙美子とはちょっとタイプはちがうけど、自由奔放さではいい勝負の宇野千代が読みたくなって、今週だけで3冊も宇野千代作品を購入。
なんだか自粛、自粛の暗い世相には宇野千代が効く。
こんな時こそ、駕籠の中に幸福の花をたくさん詰め込んで、花咲か爺さんならぬ、花咲かばあさんになりたいという宇野千代みたいな作家がいればいいのにな。
こんな感じで、今週は女流作家三昧。

2011年4月 3日 (日)

夢で逢えたら

いつ終わるともしれぬ余震と、放射能汚染への怒りと恐怖で、このところどうも思考がまとまらない。

文章がうまく書けない。(辻野さんゴメン)

とにかく、こんなときは音楽が聴きたいのだが、いつも聴いてるモダンジャズが全然耳に入らない。

大好きなマイルスでもダメ。

ジャズは平和な心安らかな時に聴く音楽だと再認識する。

やっぱり、口ずさめる歌がいい。

この前、ユーチューブにあったポニーテールと三木聖子を紹介したけど、もう一つ忘れていた。

シリア・ポールの「夢で逢えたら」がそれ。

(なぜだか分からないけど、どうもこの辺りは全体的にフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド系ばかりだ。)

ナイアガラレーベルをつくって、ラジオ関東で「ゴーゴーナイアガラ」という番組をやっていた一番のっている頃の大瀧詠一が書いた名曲。

吉田美奈子が「フラッパー」で歌ったのがオリジナルらしいが、シリア・ポールが先だと思っていた。

それくらいシリア・ポールのバージョンは出来がいい。

シリア・ポールのあとに、大勢の人が歌ってるけど、やっぱり僕はこれが一番だと思うなあ。

余震の続く寝苦しい夜を、どうかみなさんが心安らかに眠れるように。

そして、みなさんが夢の中で大好きな人に逢えますように。

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