残念だった「ゴッホ展」
金曜日の夜、待ちに待った「ゴッホ展」にやっとの思いで、行ってきた。
ロッカーに荷物を入れようとしたら、ロッカーに行列が…。
この辺りからすでに危険な兆候が出ていた。
それでも颯爽と入り口をくぐり抜け、左に曲がったとたん、なんと。
ベタな形容で申し訳ないが、「黒山の人だかり」である。
絵を見るより、妙齢の美しい女性が多いことに目が行く。
三菱一号館のマネの時はおばちゃんの数がすごかった。
ゴッホって、こんなに女性に人気があったのか。
その薄幸な生涯から考えると、天国でびっくりしてるんだろうな。
それはさておき、こんだけ人が多いと、もうダメ。
作品に入って行けない。
あえて勉強しないで見に行き、作品と向き合って魂で対話するのが楽しみなのに、それができない。
子供の頃、人混みの中で「月の石」や「モナリザ」を見た時のことを思い出した。
確かに「アイリス」はすばらしかった。
でも、照明を落とした損保ジャパンの別室にある「ひまわり」と比べると、ああ残念。
大広間の中央に椅子がないのも、減点材料。
企画展のみで、常設の作品がないのは、やっぱり危険だよ。
オルセー美術館展の時も、ちょっと感じたけど、国立新美術館は難しいな。
美術館って、作品の質だけでなく、見せ方も大変重要なファクターなんだって、当たり前のことに今さらながら驚く。
そういう意味じゃ、今まで行った中ではブリヂストン美術館が好き。
入場から30分、ほうほうの体で会場を後にした。
帰りに寄ったB1のミュージアムショップでやっていた日本の若い陶芸家の作品群のほうが、はるかにグッときた。
ちょっと救われた気分だった。
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日本人はゴッホやモネやルノアールやレンブラントやフェルメールが好きなんですねえ
ゴッホは人間ドラマもついてまわるから余計に感情移入しやすいのかもしれません。
マスコミも主催する側も「売れ筋」しかやらないから、他にも良い作家がいるのにうもれてしまう。悲しい現実です。
新東京美術館は人間を圧倒する建築でまったく性にあいません。美術の香りがしませんし遠いし落ち着かないしでいいとこなし。まだ都美館のほうがましですよ。竹橋の国立近代美術館はここ数年行っていませんがちゃんと常設展もあって落ち着けます。。私は松本竣介が好きで昔はよく観に行きました。^0^
投稿: 宮田 | 2011年5月 9日 (月) 19時29分
宮田さま。コメントをいただき、深く感謝いたします。
僕も国立近代美術館好きです。年に数回行きたいくらいです。
新美術館は、当分行きたくないなあ。マン・レイ展のときは、客が少ないので、なんとかなったんだけど、オルセー美術館のコレクションの時もつらかったです。
絵を見るための空間って、感情まで左右してしまうから、とても大事なんですね。
器と中身の関係ってわけですよね。
とても勉強になりました.
投稿: 写楽斎 | 2011年5月10日 (火) 00時35分