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2010年10月

2010年10月30日 (土)

「平和ボケ」で何が悪い!ふたたび

昨日で、三鷹の勤務が終わり、11月から勤務先が大塚に戻る。

往復4時間の通勤地獄に体力を奪われ、休息もとれず、働き続けた結果、風邪をこじらせて、ひと月半も病気に苦しんだ。

体から離れた心がやっと戻ってきて、ものを考える余裕が出来た。

目の前のスピーカーからマイルスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」が流れている。

好きだなあ。この頃のマイルスの音。

この後、どんどんマイルスは大物になってゆくけど、1960年代に入ると、ビートルズやボブ・ディランが現れ、ロックが時代の最先端を走り、時代をリードするようになる。

この頃は、ジャズが一番かっこよかった。

なんだか、そんな勢いを感じるのだ。

お茶の水駅を降りると、街角でジャズのストリートライブをやっている。

癒し系とでもいうのだろうか、リリカルなサックスの音色に、道行く人々が立ち止まり、聞き惚れている。

名もないミュージシャンでも、上手になったななんて思うけど、そこには時代の最先端を疾走する音楽の勢いはない。

まして、いま、日本でロックなんて呼ばれている音楽なんて、全然スリリングじゃないから、ロックなんてオレは呼べないね。

ああいうのを昔はグループサウンズって呼んだんだ。

1960年代になると、ケネディが暗殺され、ビートルズが現れて、世界中で文化革命が起きて、一年一年時代が大きく変わっていった。

そんな時代を見てしまっているから、今は刺激のない、退屈な世の中だなあって思う。

でもね。

そんな世の中に乗じて、平和に暮らす庶民を「平和ボケ」なんて言って、戦争をやりたがる「戦争ボケ」のオヤジやおばさんたちがいる。

自分は安全な場所にいて、死ぬのは自分の息子たちではなく、どこか、見知らぬ家庭の貧乏な若者たちだから、安易にそういうコトを言う。

昨今の週刊誌の見るに堪えない見出しを見て、つくづくそう思う。

1960年代のラヴ&ピースとかって、どこか嘘っぽく思え、命がけで火炎瓶や投石に立ち向かった警察官の息子としては、日本の全共闘運動なんて大嫌いで、一生好きになれないが、ベトナムで戦争していたアメリカ人の反戦運動は真剣だったんだろうな。

保守派が勢いを増しているアメリカと、よろよろした日本と、調子づいている中国と、世界はこれからどうなってゆくのかわからないが、戦争をあおるような言論だけは絶対に許せない。

戦争で得をするのは「死の商人」だけだ。

「死の商人」を喜ばせてはいけない。

新聞をみるたびに、そんなことばかり、思う昨今である。

2010年10月24日 (日)

寺島実郎『世界を知る力』を読んで

地域史を勉強する時に、ある時代に横串を差すようなことは、よくやっていて、江戸でこんな事件が起きたとき、国内や海外ではどんな事件があったのだろうか、なんて、調べてみるのが好きだ。

ところが、先日K君の所で勉強した日露の関係史というのは盲点だった。

中央では知られなくとも、地域に根ざした立派な仕事をした「忘れられた日本人」を発掘するのが面白いのだけど、ある意味では日露関係という社会現象も忘れられた存在だということがわかった。

アメリカが建国する70年前、1705年に首都サンクトペテルブルクに官営の日本語学校を作ったこの隣国との関係は、意外にも多彩な歴史がある。

そこで、この機会にじっくり読みたいと思い、本屋で寺島実郎さんの『世界を知る力』PHP新書をみつけたので、さっそく買って読んだ。

のっけから「ロシアという視界」という章が出てくる。

親米保守派だが、リベラルな立ち位置にいる寺島さんならではの、説得力のある脱アメリカ論が展開されている。

この章だけでも買う価値のある本だ。

アマゾンを見ていたら、「中身が薄い」なんて、もっともらしいレビューが出ていたが、そんな奴はどこまでこの本の内容を理解して、書いてんだろうね。

例えば仙台藩の蘭学医大槻玄沢がレザノフに連れられて戻ってきた漂流民を事情聴取するくだりは、興味深い。

なぜなら大槻玄沢の三男が大槻磐渓で、仙台藩にあってロシア正教会と連絡をとり、ニコライ司祭の来日に尽力した人物なのだ。

さらにその磐渓の次男が大槻如電である。

10月20日のエントリーにも書いたように、一世の碩学として世評の高い人物だったが、明治の新政府に仕えず、僕の出身地である台東区根岸に隠棲して、在野の研究者として、昭和6年まで生きた。

そんな大槻一族のことを思うと、興味津々の内容で、「中身が薄い」なんて、おっしゃる君はそんなにご立派な大先生なのかい、なんて毒づきたくなる。

誰でも書けるような本ではない。

学術書ではないので、エッセイ風に軽く書いている部分もあるから、惑わされるけど、寺島さんご自身が「一世の碩学」だからこそ、こういう「中身の濃い」本を書けるんだろうね。

ほかにも書きたいことはいろいろあるけど、長くなるので、また今度にしよう。

他に今日の収穫は朝日新聞の読書欄に出ていた沼田 元氣『マトリョーシカ大図鑑』 だね。

マトリョーシカ人形のルーツが日本のこけしだったとは、全然知らなかった。

政治史が中心の日本史の勉強では日露戦争と大東亜戦争の時しか出てこないロシアという国の存在が、民衆レベルの歴史ではちょこちょこ顔を出す。

これだから、民衆史は面白いのだ。

2010年10月20日 (水)

ついに「街角のアカデミー」を見つけたかも。

文化人類学者山口昌男が書いた『敗者学のすすめ』平凡社という本の中に、「街角のアカデミー」という言葉が出てくる。

明治時代の日本には、薩長藩閥政府を中心としたピラミッド型の知識の集積・分散の形態ではなく、敗れた側の旧幕臣を中心とするネットワーク型の知のありようがあったというのだ。

一般にはあまり知られていないが、山中共古、大槻如電、中根香亭、内田魯庵といったところが大御所で、もちろんこのブログのアイドル永井荷風も孤高で狷介なパブリックイメージとはうらはらに、若い頃はかなりのネットワーカーだった。

饗庭篁村、高橋太華、岡倉天心、幸田露伴が参加した根岸党もそうだね。

そんな明治のネットワーカーたちが愛用していたのが、麻布にあった紀伊徳川家の南葵文庫という図書館だったそうだ。

詳しくは山口氏の本を読んでいただくしかないのだが、そんな「街角のアカデミー」にあこがれてから、ずいぶん長い月日が経過した。

昨日、中学・高校の同級生だったK君が日露関係について勉強会を九段の寺島文庫というスペースで開催するからというので、行ってきた。

同級生とはいっても、落第すれすれの不良少年の僕から見ると、別世界のひとだった優等生のK君である。

誘ってもらうだけで、とてもうれしく、とにかくK君に恥をかかせたら申し訳ないという思いで、参加したのだが……。

結果は大正解で、長年探していた「街角のアカデミー」はこれかもしれないと思った。

サラリーマン勉強会のたぐいはずいぶん参加したけど、結局長続きしなかった。

だから、流山市立博物館友の会という、地味な名が体を表していない、強力な北総地域を代表する文化団体に入って、やっと居場所を見つけた気がしたが、こんどは同年代のパワフルなビジネスマンなので、別の意味で緊張感があっていい。

寺島文庫というスペースも素敵だ。

(念のためホームページを紹介するので、参照して下さい。)

寺島文庫とは

最近はサンデーモーニングなどニュース番組のコメンテーターとして、いつも傾聴に値する見解を披露している寺島実郎氏が、蔵書を広く公開するために作った空間で、学長を務める多摩大学のサテライト教室も兼ねている。

古い話で恐縮だが、僕は学生時代、違う学部の野田一夫という教授の押しかけ弟子で、永田町にあったオフィスまで訪ねて、いろいろ教授していただいた。

野田教授はいまをときめくP・ドラッカーの日本への紹介者として有名だが、彼のやった大きな仕事が、多摩大学と日本総合研究所の創設で、寺島氏の活動は、そのいずれとも深い関わりを持つ。

昨日寺島文庫に行った時、30年前に野田教授を訪ねた時のことを思い出してしまった。

そして、優秀なK君と寺島さんと野田先生と、全然優秀じゃないが、好奇心だけはひと三倍くらいあるオレの人生が、何だか不思議な縁で結ばれていると、改めて痛感した。

長い間生きていると、面白いことが起きる。

昨日の勉強会もそのひとつだった。

K君の勉強会が真の「街角のアカデミー」に成長するかどうかは、参加メンバーの気持ちひとつにかかっている。

自分の出来る範囲で、すこしずつ、面白がって、続けていこう。

こんなワクワクする時間と空間をK君が用意してくれたんだからね。

2010年10月17日 (日)

柄にもなく闘病記など…

いままで大病も、大けがもしたことがないので、病院に泊まったことがない。

風邪をひいても、早けりゃ半日で治る。

そんな僕なのに、今回は高熱が平熱にもどってからひと月以上も、頭がぼーーっとしたまま、何もやる気が起きない。

会社には行くが、帰ってくれば寝るだけ。

もちろん休日も寝るだけ。

何もしないで、ひたすら眠る。

カミさんが怒っているけど、関係ない。

とにかく起きていられない。

普段なら、朝、目が覚めると寝床であれこれ思いを巡らす至福の時間があって、ブログやエッセイのアイデアなんか、その時に出来ることが多い。

ところが、寝床の中でいつまで待ってもそんな至福の時間は訪れない。

生き物としては生きてるけど、人間未満の生き物になっちまった。

最初は無理してお酒を飲んでたけど、ちっとも美味しくないので、それもやめた。

徐々に自分が、自分でなくなってゆく。

何をやっても楽しくない。

味覚と、臭覚と、聴覚が機能しない。

感情もなくなってゆく。

それが昨日まで、ひと月以上続いた。

激しい頭痛が来て、氷で冷やしてもダメで、看護師のカミさんに薬を一錠もらって飲んだら、なんだか不思議と楽になって、テレビ東京でモネの特集なんか見ていたら、ぐんぐん調子が上向いてくる。

すると、辻野さんから「流星」が出来たよのメールが入る。

小田健人から電話がかかってきて、ディープな下町散策の約束をする。

総合商社Mに勤める高校の同級生のK君からも勉強会の連絡メールが来る。

仲間からの連絡はうれしいもんだ。しおれていた心にパワーが注入される。

だから今日は半日遊びに出られた。

久々の松戸散歩。

うれしいことに松戸神社のお祭りと重なったので、写真を撮りまくる。

こうして見ると、やっぱり印半纏っていいね。誰が着てもかっこいい。

で、ちょいと小腹がへったので、ソバでも食おうと関やどに行ったら、お祭り休業だという。

仕方ない、ちょっとヘビーだけど、やっぱりあそこに行こうと決めて、軍次家に。

昼下がりの軍次家で、お客がいなくなった所を見計らってパチリ。

この店では1000円でとびきりおいしいランチが食べられる。

ネットを見ると、ご飯のおいしさや、ウナギや鯉料理が評判だけど、僕が好きなのは煮魚。

最近和食の料理屋では、どこに行っても、素材の良さを生かすという触れ込みで、甘ったるい煮魚ばかり食わされる。

ここの店のしょっぱい煮汁は、自分にとっては懐かしい極旨の味。

江戸時代から新鮮な魚と醤油がふんだんに手に入る利根川・江戸川水系の味。

醤油の向こうにほのかにかおる魚の素材の味がいいんだよな。

江戸前の上質な佃煮に近い味だ。

だからここは、駅前のビルの谷間のオアシス。

昼からお酒を楽しみながら、くつろげる大人の空間。

いつまでも続いてほしい。

夜もだいぶ更けた。

そろそろ終わりにしよう。

明日の朝は至福の時間が訪れますように。

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