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2010年8月21日 (土)

歳のとり方にもいろいろありまして。

本日「ずいひつ流星」の原稿を脱稿した。

締め切りの直前まで、納得のゆく切り口が見つからず、苦労した。

たまたま伝統工芸の歴史をかじってみようかと田中優子『きもの草紙』を読んでいたら、ある部分に目が釘付けになり、パズルのラストピースが入り、バラバラだった原稿が化学変化を起こし、形になった。

この瞬間の緊張感が好きで、いつも辛いのだが、「ずいひつ流星」にエッセイを書かせていただいている。

体調のすぐれぬ中、編集に、広告取りに奮闘する辻野さんには、頭が下がる。

ところで、金曜日の晩は、例によって美術館詣で。

今回は国立新美術館の「マン・レイ展」。

12チャンネルのテレビ番組で基礎知識を仕入れていたのだが、それがいけない。

最初のパリ時代の恋人キキを写した有名な写真はいいけど、それ以外の作品が一向に訴えかけてこないのだ。

時代順に展示してあるのだが、戦火をさけてパリから母国アメリカにもどったあたりで、マン・レイは創作意欲も衰え、写真を撮らなくなったという。

このあたりでもう帰ろうかと思ったくらいつまんない。

「ところが」である。

この人がよくなるのは、その後からだった。

年齢でいうと50歳台の約10年をカリフォルニアで過ごし、そこでジュリエットという女性と結婚し、戦争が終わって1950年に満を持してパリへ戻る。

そこが展示場の最後のコーナーで、ここでは、若い頃の生硬さが消えて、明るく、大胆に、若々しく、作品の向こう側に、60歳代から86歳で亡くなるまでいきいき躍動し続けたマン・レイがいる。

こっちもさっきまでの陰気な気分はどこへやら、なんだか、楽しく、うきうきしてくる。

カリフォルニアの青い空がよかったのか、年齢的に力が抜けてきたのか、マン・レイの死後も作品を守り続けたしっかり者のジュリエットがよかったのか、テレビ番組では、そんなこと何も触れていなかったと思うけど、ここまで来てやっと、高い入場料を払った価値があると思った。

比較出来るかどうかわからないけど、葛飾北斎の晩年に似ているかも。

何年か前に上野の国立博物館で大々的に「北斎展」をやったけど、さすがの北斎も若い頃は、いまいちの感じで、なんだか拍子抜けしたことを思い出す。

若いときはアグレッシブだったのに、歳を重ねるうちに、現状肯定的になる人ばかり見てきた。

歳をとるのはつまらないと思っていたが、北斎やマン・レイを見ると、決してそんな歳のとり方ばかりじゃないよって、励まされている気がしてならない。

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