馬橋に山下清がいたなんて!
ちょっと最近、千葉県にゆかりの美術家のことを調べていて、密かに山下清が気になっているのだけれど、何の期待もせずに新松戸のダイエーに寄ったら、本屋さんに小沢信男『裸の大将一代記』があったので、思わず買ってしまった。
本の衝動買いはたいてい失敗するのだけれど、さすがに小沢信男さん。
こちらの期待を大きく上回る快著だった。
かなり厚い本なんだけど文章に引き込まれて、電車の中で読みふけってしまう。
降りる駅を間違いそうになることもしばしば。
ここ数年、楽しんで読書をするということがなくなっていたので、こんなことは久しぶりだね。
圧倒的に魅力的な山下清というユニークな人物を茶化すのでもなく、持ち上げるのでもなく、傍らに立って寄り添うように書いている小沢さんの目線がいい。
以前、友人の小田健人と小津安二郎目線を小津ビジョンと呼んで、町歩きを楽しんだことがあったが、今回はさしずめ山下=小沢ビジョンで、この目線だと僕たちが普段当たり前だと思ってやっていることが、なんだか滑稽なことに思えてしまい、山下清こそが戦前から戦後にかけて価値観が大きく変動する世の中で、時代におもねることもなく、しごく当たり前に生きた人に思えてしまうから不思議だ。
それからわすれちゃいけないのが、山下清の本拠地は馬橋だったってこと。
我孫子の弁当屋で働いていたのは聞いたことがある。
弁当の包み紙をデザインしたことだって知ってる。
もちろん市川にいたことも知ってた。
でも、無名時代、一番長い間働いた町が馬橋で、松戸から取手辺りまでしょっちゅう散歩して歩いていたことなど、誰も教えてくれなかった。
松戸の歴史や、馬橋のことについても結構調べたはずなのに、誰も山下清が松戸市内にいたことなんて、教えてくれなかった。
というより、郷土史を調べている人も、みんな知らないのかな。
『裸の大将一代記』を読むと、いま盛んにJOBAN ART LINEなんて言ってるけど、それをいうならジョーバン山下清アートラインを絶対にわすれちゃいけないんじゃないのって、叫びたくなる。
ゲー大卒業してない、知能指数のひくい人だから、バカにしてんのかよって、毒づきたくなる。
とにかく常磐線沿線に住んでいる人なら必読の名著です。
今週のお勧めでした。
« 歳のとり方にもいろいろありまして。 | トップページ | 風呂敷の魅力を再発見した »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 地元の出版社がある幸福や安心感は、崙が消えて初めて分かった。(2023.11.16)
- 多くの方の善意で、ヤマネのポストカードが、世に出たことを、深く感謝しております。(2020.07.24)
- 「町のフツウの本屋」が、未来の読書家や、本屋を愛する人を育てるんです。きっと。(2020.07.18)
- 「上り屋敷ユートピア」とでも呼べるような、コミュニティが大正から昭和初期に、存在したのかもしれません。(2020.05.24)
- 宮崎龍介・柳原白蓮夫妻が終生の住まいとした上り屋敷にクララ社があったことを知り、一瞬、息を呑みました。(2020.05.24)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 地元の出版社がある幸福や安心感は、崙が消えて初めて分かった。(2023.11.16)
- ちば文化資産の追加選定に「流鉄の景観」が選ばれました。(その2)(2023.07.15)
- ちば文化資産の追加選定に「流鉄の景観」が選ばれました。(その1)(2023.07.15)
- 奥市川Tree-Bさんとコラボで、新しいリトルプレスを作ります。(2022.05.07)
- 新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ザ・ウェイト」を本日のテーマ曲に。(2021.09.20)
山下清は松戸にもいたんですか。
最近、山下清のポストカードを数枚てに入れました。
やっぱり、素朴でいいですね。
出来れば、将来『勝手に山下清展』をやって見たいです。
投稿: デンゾー | 2010年8月29日 (日) 02時15分
デンゾーさんコメントありがとうございます。
馬橋が一番大事な場所なのに、全く知られていないのが不思議です。
ただ、盗みぐせがあったり、人前で裸になってしまう人なので、もしかすると地元では、ただの困った人だったのかもしれず、悪い評判があるのかもしれませんね。
そのあたりも含めて、郷土史家として、これからの研究テーマになってゆくと思います。
柳宗悦が唱えた工芸における「妙好人」というコンセプトがいままでよくわからなかったのですが、柳の同志だった式場さんが二笑亭の渡辺金藏や山下清を研究したのは、妙好人の現代版だという考えもあったように思えます。
堅い話はどーでもいいですが「勝手に山下清展」いいですね。
是非協力させて下さい。
投稿: 逆流亭主人 | 2010年8月29日 (日) 21時55分