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2010年8月

2010年8月29日 (日)

よき伝統とリ・デザイン

外神田の錬成中学校が廃校になり、校舎を改装して3331 ARTS CHIYODAというスペースになったというので、行ってきた。

中に入る前に、昼食にしようと思い、ふと横をみたら「小体な」料理店がある。

小田健人が「この店は花ぶさと言って、池波正太郎が足繁く通った店だ」と教えてくれたので、入ってみることになり、ちょっと贅沢な千円のランチになった。

ちょっと贅沢、と書いたけど、この千円はものすごくお値打ち価格です。

裏通りに面した和風の料理屋を表現するのに、よく「小体な」って形容するけど、

まさにその言葉はこの店の為にあるんじゃないか。

KING OF 「小体な店」

扉を開けて、左手のカウンターに目をやると、佐分利信と中村伸郎と北竜二が飲んでいそうなイメージ。

小鉢やデザートのお汁粉まで、出てきた料理の一つ一つに職人さんの技術が生きている。

有名な店だと、たまに接客のひどい店があるが、洗練されたこの店の接客は、とても感じがよくて、何度でも訪れたくなる。

よき伝統だけが作り出すことの出来る上質な空間になっている。

で、肝心の3331 ARTS CHIYODAだけど、若いクリエーターたちがやりたいことを千代田区が支援しているわけで、悪かろうはずがない。

入場無料というのもうれしい。

現代アートっぽいのは、どうも理解不能だったけど、一番面白かったのは、多摩美術大学が福島県の三島町という自治体と組んでやっている「桐の魅力を引き出すプロダクト」という作品群。

ぼくは「桐傘」(日傘)がよかったなあ。

もし実売したら価格はいくらになるのか疑問だけど、浴衣を着て、あんな傘を持って歩いたら、暑苦しい夏のお出かけも、少しは楽しくなりそう。

国内の古くからある産業を新しい感覚でリ・デザインして、その魅力を気づかせてあげる。

いまの日本に一番必要なのは、中国に対抗して大量生産することではなく、国内にそういう形の経済活動を作ってゆくことだと思う。

これから若いデザイナーたちの仕事を注目してゆきたい。

2010年8月28日 (土)

風呂敷の魅力を再発見した

高田喜佐さんの著書『暮らしに生かす江戸の粋』をパラパラと見ていたら、目にとまったのが「銀座くのや」の風呂敷で、酒瓶を包むのにいい感じだ。

銀座くのや

「銀座くのや」には知り合いがいて、何度か行ったけど、風呂敷は目につかなかったなあ、なんて思いながら、訪ねると4階にあるという。

エレベータで4階にあがると、畳敷きの和室いっぱい、膨大な数の風呂敷がならんでいる。

畳の上で風呂敷を広げてみてもらうようにしたいという、店主の考えでこういう売り場になっているということだが、何だか時代をタイムスリップした感じ。

異次元空間に迷い込んだみたいだ。

神田の家でやっていた広重の「江戸百」展覧会も畳の上に置いた錦絵をじっくり見られる工夫がよかった。

靴を脱いで畳の上で正座して、美しいものを眺めると、忘れていた感性が甦ってきて、心が喜んでいるのがわかる。

色々説明を聞いて、宝づくしの柄の木綿の風呂敷を買ったのだが、外国のお客さんはタペストリーのように壁掛けとして飾ることも多いという。

外国人が芸術品として飾るようなアートを日常的に使いこなしていた昭和の頃までの日本人はなんて、贅沢でおしゃれな人たちだったんだろうって、改めて実感した。

早速今日は本を風呂敷で包んで、町に出かけよう。

本を入れるのに、長い間重いカバンで苦労してきた。

今日から町の風景が違って見えるよ。きっと。

2010年8月26日 (木)

馬橋に山下清がいたなんて!

ちょっと最近、千葉県にゆかりの美術家のことを調べていて、密かに山下清が気になっているのだけれど、何の期待もせずに新松戸のダイエーに寄ったら、本屋さんに小沢信男『裸の大将一代記』があったので、思わず買ってしまった。

本の衝動買いはたいてい失敗するのだけれど、さすがに小沢信男さん。

こちらの期待を大きく上回る快著だった。

かなり厚い本なんだけど文章に引き込まれて、電車の中で読みふけってしまう。

降りる駅を間違いそうになることもしばしば。

ここ数年、楽しんで読書をするということがなくなっていたので、こんなことは久しぶりだね。

圧倒的に魅力的な山下清というユニークな人物を茶化すのでもなく、持ち上げるのでもなく、傍らに立って寄り添うように書いている小沢さんの目線がいい。

以前、友人の小田健人と小津安二郎目線を小津ビジョンと呼んで、町歩きを楽しんだことがあったが、今回はさしずめ山下=小沢ビジョンで、この目線だと僕たちが普段当たり前だと思ってやっていることが、なんだか滑稽なことに思えてしまい、山下清こそが戦前から戦後にかけて価値観が大きく変動する世の中で、時代におもねることもなく、しごく当たり前に生きた人に思えてしまうから不思議だ。

それからわすれちゃいけないのが、山下清の本拠地は馬橋だったってこと。

我孫子の弁当屋で働いていたのは聞いたことがある。

弁当の包み紙をデザインしたことだって知ってる。

もちろん市川にいたことも知ってた。

でも、無名時代、一番長い間働いた町が馬橋で、松戸から取手辺りまでしょっちゅう散歩して歩いていたことなど、誰も教えてくれなかった。

松戸の歴史や、馬橋のことについても結構調べたはずなのに、誰も山下清が松戸市内にいたことなんて、教えてくれなかった。

というより、郷土史を調べている人も、みんな知らないのかな。

『裸の大将一代記』を読むと、いま盛んにJOBAN ART LINEなんて言ってるけど、それをいうならジョーバン山下清アートラインを絶対にわすれちゃいけないんじゃないのって、叫びたくなる。

ゲー大卒業してない、知能指数のひくい人だから、バカにしてんのかよって、毒づきたくなる。

とにかく常磐線沿線に住んでいる人なら必読の名著です。

今週のお勧めでした。

2010年8月21日 (土)

歳のとり方にもいろいろありまして。

本日「ずいひつ流星」の原稿を脱稿した。

締め切りの直前まで、納得のゆく切り口が見つからず、苦労した。

たまたま伝統工芸の歴史をかじってみようかと田中優子『きもの草紙』を読んでいたら、ある部分に目が釘付けになり、パズルのラストピースが入り、バラバラだった原稿が化学変化を起こし、形になった。

この瞬間の緊張感が好きで、いつも辛いのだが、「ずいひつ流星」にエッセイを書かせていただいている。

体調のすぐれぬ中、編集に、広告取りに奮闘する辻野さんには、頭が下がる。

ところで、金曜日の晩は、例によって美術館詣で。

今回は国立新美術館の「マン・レイ展」。

12チャンネルのテレビ番組で基礎知識を仕入れていたのだが、それがいけない。

最初のパリ時代の恋人キキを写した有名な写真はいいけど、それ以外の作品が一向に訴えかけてこないのだ。

時代順に展示してあるのだが、戦火をさけてパリから母国アメリカにもどったあたりで、マン・レイは創作意欲も衰え、写真を撮らなくなったという。

このあたりでもう帰ろうかと思ったくらいつまんない。

「ところが」である。

この人がよくなるのは、その後からだった。

年齢でいうと50歳台の約10年をカリフォルニアで過ごし、そこでジュリエットという女性と結婚し、戦争が終わって1950年に満を持してパリへ戻る。

そこが展示場の最後のコーナーで、ここでは、若い頃の生硬さが消えて、明るく、大胆に、若々しく、作品の向こう側に、60歳代から86歳で亡くなるまでいきいき躍動し続けたマン・レイがいる。

こっちもさっきまでの陰気な気分はどこへやら、なんだか、楽しく、うきうきしてくる。

カリフォルニアの青い空がよかったのか、年齢的に力が抜けてきたのか、マン・レイの死後も作品を守り続けたしっかり者のジュリエットがよかったのか、テレビ番組では、そんなこと何も触れていなかったと思うけど、ここまで来てやっと、高い入場料を払った価値があると思った。

比較出来るかどうかわからないけど、葛飾北斎の晩年に似ているかも。

何年か前に上野の国立博物館で大々的に「北斎展」をやったけど、さすがの北斎も若い頃は、いまいちの感じで、なんだか拍子抜けしたことを思い出す。

若いときはアグレッシブだったのに、歳を重ねるうちに、現状肯定的になる人ばかり見てきた。

歳をとるのはつまらないと思っていたが、北斎やマン・レイを見ると、決してそんな歳のとり方ばかりじゃないよって、励まされている気がしてならない。

2010年8月13日 (金)

「運河塾」のお知らせ

新保國弘さんが力を注いでいる「運河塾」のお知らせです。

これは安政4年に描かれた歌川広重「名所江戸百景」の「箕輪金杉三河しま」という浮世絵です。

幕末の頃、東日暮里、三ノ輪界隈はこんな風景だったんですね。

(本作品は無料素材サイトのソルマーレさんからの借用です)

江戸時代に造詣の深い新保さんが、長年追い求めてきたのは、ひょっとするとこんなイメージの風景なのかもしれません。

3月にはこんな講演もありました。

新保國弘さんの講演を聴いて

着々と、自分の夢を実現してゆく新保さんの企画力と実行力には驚嘆します。

こんな素晴らしい人を知っただけでも、東葛飾に戻ってきてよかったと思います。

野田のコウノトリの事業については、確か数日前の朝日新聞にも載ってました。

ご興味がある方は是非どうぞ。

第22回運河塾 「野田から首都圏への提案 -全国へ広げよう自然との共生-」

日時:8月21日(土)開場13時、開会13時30分、閉会16時分

会場:野田市役所 8階ホール(東武野田線「愛宕駅」下車15分

次第:13:30 開会挨拶

    13:40 講演 根本崇 野田市長(60分)

           「江川から始まった自然再生・夢・コウノトリ」

    14:40 休憩(10分)

    14:50 パネルディスカッション「利根運河と南野田をどう活かすか」

                根本 崇   野田市長

                下津谷達男 野田地方史懇話会・会長

                石山啓二郎 野田自然保護連合会・会長

                田中 利勝 利根運河の生態系を守る会・代表

      コーディネーター  新保 國弘 東葛自然と文化研究所・所長

   16:30 終了

資料代:300円(当日受付、申込不要)

主催:利根運河の生態系を守る会

共催:野田自然保護連合会

後援:野田市

協力:国土交通省江戸川河川事務所、(株)野田自然共生ファーム

    江戸川の自然環境を考える会

2010年8月12日 (木)

流山旧市街に見世蔵が甦った

この前、お会いした時に青木更吉先生が流山の旧市街に見世蔵というものが出来たと言っていたので、今日行ってきた。

流山市がバックアップしているプロジェクトで、運営はグローバルながれやまというNPOが受け持つという。

(内容は下手な説明より流山市の広報「見世蔵オープン」で見てください。)

僕は江戸時代末期に建てられた茨城県にある母の実家で生まれた。

主に東京で育ったけれど、一年のうち数ヶ月は、その家に預けられ、漁師の家の子供として暮らした。

今思えば、建具のひとつひとつまで、ほれぼれするほど美しい、江戸や明治の職人たちが作った家は、1970年、叔母夫婦の手であっさりと取り壊された。

叔母が悪いのではない。

人類の進歩と調和の大阪万博が開催された、そんな時代だった。

30歳を過ぎて、ウィリアム・モリスの古建築保存協会の活動を知った。

産業革命からまだ日の浅い19世紀のイギリスにそんな活動をしていた人物がいたことに驚愕した。

それから20年あまりの歳月が流れ、松戸の旧市街から江戸・明治の面影が失われてゆくことを残念に思い、それに対して何も出来ない(しない?)松戸市政を腹立たしく思っていたが、流山市がとうとうやってくれた。

3年前、有形登録文化財の指定をうけた新川屋さんを取材して、「東葛流山研究25号」に「流山をワクワクさせる商人たち」という論文を書いたが、その時に思ったのは、新川屋さん一店舗だけでは、なかなかブレイクスルーするのは難しい。この界隈にもっと人が集まれる場所が出来ればいいのにということ。

見世蔵は、そんな僕の積年の思いを実現するきっかけを作ってくれる場所のような気がする。

流山ではオープンガーデンの運動や、まちなみ会の活動、もちろん博物館友の会の活動など、町としてまとまった活動が展開される土壌がある。

人口が多い割に文化活動が低調な松戸とはひと味違う。

(ちなみに僕は松戸市内のある「まちづくりサークル」に入会希望したが、サラリーマンはお断りといわれ、流山市立博物館友の会に入会した。いまでは断ってくれたことに深く感謝しているけどね)

オーナーの寺田さん、グローバルながれやまの代表加藤さんや副代表横山さん、皆さんが熱い。

小さいけれど、新しい歴史の1ページを、自分たちが切り開いてゆくという熱い思いを感じる。

僕は下手な文章を書いたくらいで、大した貢献はしてこなかったから、サポーター登録してきた。

寛永寺に大叔父が眠り、上野の山を見ながら育ったから、明治新政府嫌いで、旧幕府軍にシンパシーを感じるけど、根が軟派な人間なので、武張った話は苦手だ。

だから新撰組で盛り上がる流山にはちょっと距離を置きたい気分もあったし、それより賑やかな時代の庶民の暮らしぶりをもっと知りたいと思った。

自分にこれからどれほどのことが出来るかわからないが、こんな形の活動なら大いに協力したい。

見世蔵があんまりよかったので、後回しになったけど、杜のアトリエ黎明で開催中の江戸川を撮った写真展も、ものすごくよかった。

見慣れた江戸川が撮り方次第で、あんな美しい表情を見せるとは、ちょっとびっくり。

作品を撮ったのは流山在住の現役のサラリーマンだということだが、非凡な才能の持ち主だとわかる。

人と人が出会うことで、マスメディアを通しては味わえない、新しい感動が生まれる。

だから、僕は今日も町をほっつき歩く。

蝙蝠傘もって。日和下駄のかわりにロックポート履いて。

2010年8月 9日 (月)

松戸で「トイ・ストーリー3」を見た。

昨日松戸のシネマサンシャインで「トイ・ストーリー3」を見た。

小学生の長女と、中学生の姪を連れて、朝一番に窓口に行って予約した真ん中の席を目指す。ところが、客席はガラガラで、空席が目立つ。

市川のコルトンプラザなんて、前日でも満席で予約不可だったのに。

最近はみんな松戸で映画なんて見ないのかな。アリオ亀有とか三郷のピアラシティとか柏とかに行っちゃうのだろうか。

それはさておき、「トイ・ストーリー3」はとってもよかった。

大学生になって家を出て行くアンディと、大学3年になるときに家から出て行った時の長男が重なってしまい、涙、涙、また涙。

流れてゆく時は、誰も止められない。

子供たちは、誰もが大人になり、やがて老いてゆく。

子供だましなドタバタ映画だと思って、軽く考えていたけど、今度の作品のテーマは、ずしりと重い。

もちろん笑いどころも満載で、子供達も大喜びだったが、やっぱりアンディが小さな女の子と会話するラストシーンが印象に残る。

作り話のメロドラマで泣かせるのではなく、人間存在自体の哀しさが伝わってくるから、小津映画のようにハッピーエンドなのに切ない。

掛け値なしの名作だと思う。

次回の文章講座に向けて、ちょうど樋口一葉の「たけくらべ」を考察している時なので、同じように「過ぎ去ってゆく子供の時間」に心惹かれ、なんだか昨日は興奮して眠れなかった。

いい作品を見られて幸せだった。

2010年8月 8日 (日)

東京国立近代美術館に行った。

例によって金曜日の夜、竹橋の東京国立近代美術館に行く。

同時開催で建築の特別展をやっているので、賢そうな若者がロビーを占領して、わいわいがやがやしていて、活気づいていた。

建築を夢見る学生さんたちって、みんないい眼をしている。

那須でセルフビルドをやった時は、ずいぶん彼らに刺激されたなどと、追想しながら4階へ。

4階から2階のフロアを使って、日本人画家を中心とした20世紀の名画を見られる。

で、やっぱりここでも藤田嗣治が光っている、というより危険だ。

「5人の裸婦」という作品に目がとまって、じっくり見ているうちに不思議な感覚になる。

背中を向けた右から二番目の女性の長い髪と背中の境目がぼやけている。

それを見ていると、自分と絵も関係もぼやけてきて、何だか幽体離脱して、魂が絵の中に吸い込まれていきそうな感覚になる。

まだ、早いぞと、気をしっかりもって、その場を立ち去ったけど、絵に不可解なパワーを感じたのは、生まれて初めての経験だった。

杉浦日向子は年中幽体離脱していたそうだが、北斎の絵を見て、お英になりきっちゃたりしたのだろうか。

それから、岡本唐貴。

漫画家白土三平の父というより、同級生の岡本君のおじいさん。

やっと、出会えましたという感激。

あの黒澤明に絵を教えたという。

岡本君の映画好きも納得した。

日本の第一線を走り続けた人の孫だったんだ。

改めて彼の死が悔やまれてならない。

それと萬鉄五郎。なんと中学の先輩。

そういえば「エロシェンコ像」の中村彝も同じ中学だった。

中学生の頃から名前だけはさんざん聞かされてたけど、劣等生の僕には、無関係な偉い人たちだと思っていたので、名前を聞くのもいやだった。

ここでやっと出会えました。

「裸体美人」ていう作品がすごい。

なんだかわかんないけど、ものすごく不可解なパワーを感じて、見入ってしまった。

日本人の画家たちと不思議なえにしで結ばれていることを、再確認した夜だった。

2010年8月 3日 (火)

おいらいちぬけた。

野田市を中心に活動する劇団彩が「山中直治物語」という芝居の公演をやるので、見に行ってきた。

僕の姪(弟の長女)が女優デビューするというおまけもついて、ちょっと照れくさいが、一族揃って出かけた。

実話とフィクションが入り交じり、ちょっとどうかなという部分もあったが、全体的にはとても楽しく、見られた。

演出の梅田宏さんはさすがに芸達者で、校長先生の役が堂に入っているし、パンフレットを含めたビジュアルの質も高いので、改めて感心した。

それにしても、山中直治って、全然知らなかったけど、僕はとても興味を持ってしまった。

1906年野田の梅郷生まれで、1937年に31歳で亡くなった、童謡の作曲家だという。

童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物というが、志半ばにして病に倒れたってことだろう。

もう少し早く生まれていれば、大正時代に間に合ったのに。

鈴木三重吉が児童文芸誌『赤い鳥』を創刊したのが1918年で、廃刊が1935年だから、児童文学や童謡が軍国主義に押しつぶされてゆく時期に亡くなった。

だから、僕たちもこの人のことを知らないのは当然だろう。

最近、小川未明の「赤いロウソクと人魚」を読んだ。

松岡正剛の「日本流」では野口雨情について、学んだ。

戦前の童謡は、現代人には概して暗い歌詞に聞こえる。

野口雨情のちょっと怖い不思議な美意識は、今も残っているのだろうか。

2年前にブログでこんなことを書いた。

雨の夕暮れの屍のような美意識

田中優子は「日本流」の解説で1960年以前に生まれた日本人までは残っていた感覚がいまは、失われたと説いている。

すべての人が、いつでも、明るく、プラス思考で、前向きに、アメリカ人のように!

そんな社会は、なんだか薄気味わるいし、嘘くさい。

おいらいちぬけた。

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