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2010年7月 4日 (日)

「情報の建築」ってなんだろう。

吉祥寺のブックオフで原研哉『デザインのデザイン』岩波書店 という本を、美しい装丁とサントリー学芸賞受賞書かれた帯と、通常価格50%引きセールに惹かれて買ってしまったのが、先々週の金曜日の晩だった。

それから一週間ちょっとで、三回繰り返し読んだ。

説明するのも、もどかしく思える程の、良書だった。

すべてを語り尽くした評価の定まった名著ではない。

僕と同世代の現役のグラフィックデザイナーが今の時点で、疾走しながら書いたメモのような本である。

だからこっちもじっくりと味わうのではなく、一緒に走りながら読む。

永井荷風の本は一緒に都市のラビリンスに入っていったり、物思いにふけったりするのが、楽しいのだけれど、『デザインのデザイン』のような良書はあまり記憶にない。

浜野安宏の本が似ているといえば似ているが、比べるのが失礼なほど、原研哉の方が遙かに深くデザインと現代社会と近代文明を見つめている。

そして、それをアカデミックな言葉でごまかすことなく、平易な言葉で表現している。

こういう知性をもった人と同時代に生きられる幸せをかみしめる。

少なくとも僕は、この本で初めて自分がどうしてW・モリスに惹かれるのかわかった。

デザインというものが、いろいろ理屈をこねても、所詮はモノの形を体裁よく整えることだと思っていた自分が恥ずかしい。

この本で原研哉が言っていることは、例に出てきたグラフィックやクラフトや建築だけでなく、今の世の中で新しく何かを創造しようとするすべての人にあてはまると思う。

特に気に入った部分のうち、ひとつだけ紹介したい。

「情報の建築」というくだりである

「感覚あるいはイメージの複合という問題について、僕はこんなふうに考えている。デザイナーは受け手の脳の中に情報の建築を行っているのだ。その建築は何でできているかというと、様々な感覚のチャンネルから入ってくる刺激でできている。視覚、触覚、聴覚、臭覚、味覚、さらにそれらの複合によってもたらされる刺激が受け手の脳の中で組み上げられ、僕らが「イメージ」と呼ぶものが出現するのだ。さらには、この脳の中の建築には、感覚器官からもたらされる外部入力だけではなく、それによって呼び覚まされた「記憶」もその材料として活用されている。記憶というものはその主体が意志的に過去を反芻するためだけにあるのではなく、外からの刺激によって次々と呼び起こされ、新しい情報を解釈するためのイメージの肉付けとして働く。つまり、イメージとは、感覚器官を通じて外から入ってくる刺激と、それによって呼び覚まされた過去の記憶が脳の中で複合、連繋したものだ。デザインという行為は、このような複合的なイメージの生成を前提として、積極的にそのプロセスに関与することである。」

ふう。

ちょっと引用が長くなったけど、この本を読んだら、文中で紹介されていた谷崎潤一郎『陰翳礼賛』も一気に読んでしまった。

これは掛け値なしに名著だと思った。

久しぶりに読書に熱中した一週間だった。

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コメント

なるほど、高感度のアンテナとその情報を噛み砕だいて生み出す力が必要。好きであればアンテナは高くなるけど、噛み砕く技が良し悪しを決めるということですかね?
でもそうかもしれません。アンテナだけ高くても噛み砕く力がないとモノマネになってしまう。ということでしょうか。

デンゾーさんコメントありがとう。
いま村上隆「芸術起業論」ていう奇書を読んでいます。これもまた面白い本でした。
さて、答えになっているかどうかわからないけど、原研哉はアートとデザインのちがいにふれて、こんなことも言っているので、紹介します。
「アートは個人が社会に向き合う個人的な意思表明であって、その発生の根源はとても個的なものだ。だからアーティスト本人にしかその発生の根源を把握することができない。そこがアートの孤高でかっこいいところである。(中略)一方、デザインは基本的には個人の自己表出が動機ではなく、その発端は社会の側にある。社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、それを解決していくプロセスにデザインの本質がある。問題の発端を社会の側に置いているのでその計画やプロセスは誰もがそれを理解し、デザイナーと同じ視点でそれを辿ることができる。そのプロセスの中に、人類が共感できる価値観や精神性が生み出され、それを共有する中に感動が発生するというのがデザインの魅力なのだ。」
おそらくアートでも、デザインでもデンゾーさんのいう「かみ砕く力」それ自体が、表現者の能力なんでしょうね。

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