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2010年6月

2010年6月29日 (火)

無名の指導者たちを賞賛したい!

いま、サッカーワールドカップの真っ最中。

ちまたは日本チームの快進撃の話題で盛り上がる。

健闘する選手たちには拍手を送りたいが、みんな何か忘れてるんじゃないか。

って、思ってしまう。

それは、あの選手たちを子供の頃から育てた無名の地域のサッカー指導者たちこそ、賞賛されるべきなんじゃないかっていうこと。

今ではだれも信じてくれないが、1996年から2000年まで、僕は小学生のバスケットボールチームの指導者だった。

土日も、盆暮れも関係なく、一日中体育館にいた。

そして、誰からも感謝もされず、やればやるほど父兄に恨まれ、疲れ切って辞めた。

よその子供を預かって、面倒見て、手弁当で苦労するだけの指導者たち。

だから、マスコミは岡田ジャパンの選手たちを賞賛する何十分の一でもいいから、そんな地域の指導者たちを賞賛してあげてほしい。

もしかしたら開花せずに消えてしまったかもしれない才能が、この人たちの努力でいま花開いているのだから。

自分は指導者をやって、無駄な時間を過ごしたのだろう。

けれども、もし一つだけ得るものがあったとしたら、埋もれている才能を見つけ出すことが得意になったことだと思う。

ちょっと恥ずかしいが、どこを見て判断するか、説明させてもらうと‥‥。

ある人が、端から見たら理解できないほどどうでもいいような、その人にしかわからないことについて妙な「こだわり」を持っているか、どうかっていうこと。

どれだけ、運動神経がずば抜けていても、これがない人は大成しない。

普通のちょっと上手な人程度で終わる。

多分これはスポーツだけじゃなく、すべての才能って、そんな妙な「こだわり」から生まれるように、最近思えてきた。

ま、それはさておき、華麗やプロの指導者の陰に、数多くの地域指導者がいることを、もう一回書いて終わろう。

さあ、いよいよパラグアイ戦だ。

2010年6月20日 (日)

君は丸出だめ夫を知ってるかい。

久しぶりに弟夫婦が来て、僕の小学校卒業アルバムが家で見つかったからと言って、返してくれた。

3、4年前少年時代をテーマに小説を書いていた時、いくら探しても見つからなかったモノである。

まるでちょうど40年前のタイムカプセルを開くような気持ちで、ワクワクしながらアルバムを開く。

当時の状況を小説に書いたせいか、懐かしいという感情はわいてこない。

むしろ妙に生々しい感じすら漂う。

ただ、違和感を感じたのは、写真に写っている40年前の自分が他人のように思えること。

友達の時間はそこで止まっているのに、自分ひとりががずいぶん遠くにきてしまったような不思議な気分なのである。

6年1組クラスナンバーワンというページで、ページをめくる手が止まる。

22の項目に分かれて、クラスで一番の人の名前が書いてある。

ユーモア、親切、モテモテ、落語などなど盛り沢山で、一人で何項目も名前があがるすごい人もいる。

もちろん僕はゼロ。

そうか。当時からまったく取り柄がなかったんだ。

たった38人の小学校の学級レベルでも、秀でたモノのない、つまらない男だったんだと、再認識した。

今もよくないけど、昔から人柄も頭も悪かったし。

中学に行って、僕はダメになったんだって、決めつけていたが、すでに小学校時代からダメダメだったのか。

いや、よく考えると、その前の幼稚園時代はもっと、悲惨だった。

直前までいなせな下町少年だった自分は、引っ越した直後に入った幼稚園でお遊戯なんていう、こっぱずかしいまねをさせられることが苦痛で、毎日いじけていた。

僕が幼稚園の頃、丸出だめ夫という劣等生を描いたほのぼのとしたいい漫画があった。

実写版をテレビでもやっていた。十朱幸代のお父さんの十朱久夫がだめ男の父を演じていた。

ダメな主人公を父が作った優秀なロボットが慰めるストーリーだった。

ドラえもんは、ここからヒントを得たのかもしれない。

幼稚園以来、中学・高校・社会人と、僕はほとんどの人生を「丸出だめ夫」として生きてきた。年期が入っているのである。

そんな「丸出だめ夫」にも、いいことがある。

本来の自分が「丸出だめ夫」だったら、少しくらいうまくいかないことがあっても、何もクヨクヨと悩むことなどないかって、何かほのかに明るい希望がわいてくる。

どんどん、気が楽になってきた。

同世代のみんなはビル・グラハムと「フィルモア最後の日」を覚えているかい?

ちょっと70年代の植草甚一風タイトルでしゃれてみました。

それはさておき、数年前、毎日のように聴いた大貫妙子のアコースティック・アルバムを取り出したら、ありました。

中西俊博の名前が。

名曲「横顔」とか「突然の贈りもの」の編曲とバイオリンで大活躍している。

特に「横顔」のバイオリンは印象的だよ。

まさかそんな人がスタジオWUUに来るなんて、すごいの一言。

それにしてもすごいライブをみてしまったんだって、感謝感謝ですよ。

小柳さんという人は確かに地域の文化を創造してきたのだ。

1960年代から70年代初頭アメリカのニューヨークとシスコにフィルモア・イースト、ウェストというライブハウスがあった。

そこはビル・グラハムという男が作ったポップス音楽の夢の殿堂だった。

マイルス・デイヴィスを始め多くのミュージシャンの傑作ライブアルバムがここで録音された。

個人的には高校生の頃オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト・ライブ」をすり切れるほど聴いたことが印象深く、記憶に残っている。

鬼才アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドを中心に作られた「フィルモアの奇跡」なんていうアルバムもあった。

僕と同世代のロックファンなら、必ず耳にしたことがあろう、有名なライブハウスだったが、もっと大きな会場で金儲けに走ったミュージシャンたちに絶望して、71年絶頂期に閉鎖してしまう。

「フィルモア最後の日」という映画も作られた。

幸運なことに僕はたまたま封切り時に映画館でみたのだが、権利の関係でビデオ化されていないという。

この年を最後に、ロックが熱かった時代が終わり、ロックはショービジネスになっていった。

そして先週書いたように、ロックが乗り越えたつもりになっていたニニ・ロッソがもう一度ロックを追い越していった瞬間でもある。

柏でKくんという若手のアーチストにロックが熱かった時代の話をしたら、びっくりしていた。

ロックは音楽の様式ではなく、反骨の表現形式なのだ。

同時に深い人間愛がなければ成り立たない表現形式でもある。

だって、ボブ・ディランのアルバム「アナザーサイド」ってフォークなの、それともロックなの。ビートルズの「ノルウェーの森」はどっち?

ボブはフォークで、ビートルズはロック?

そんなこと決めても意味ないよ。

71年に流行ったジョンの「イマジン」を思い出してもらえば、若い人にも通じるかな。

あれがロック。

Kくん、多分「ロックの魂」は、これから甦ってくるよ。きっと。

たとえレーガンに殺されたとしても、「ジョンのロック魂」は永遠だから。

フランスと縄文と葛飾郡の不思議な関係

昨日、ちょっといい感じの柏の路地裏に行ったので、今日は市川の「水と緑の回廊」を散歩したくなり、まず最初に金町に行って中央図書館で川田順造の『母の声、川の匂い―ある幼時と未生以前をめぐる断想』を借りた。クロード・レヴィ=ストロースと親交がありアフリカを対象とする民俗学的調査で有名なこの文化人類学者は、実は深川の旧家の生まれで、生粋の下町っ子なのだ。

以前は人類学なんてちっとも面白いと思わなかったけど、縄文マイブームの今なら面白く読めるかもしれない。

「そばっこ」で200円なのにとても美味しいもりそばを食べてから、国府台のじゅんさい池のそばにあるデンゾーさんのカフェ&雑貨のTree-Bに行き、例によって刺激的なおしゃべりを楽しむ。

Tree-Bを辞して、途中でわざと道に迷いながら散歩して、堀之内貝塚と市川考古博物館に行き、「真間の手児名」の資料を探す。

市川と松戸の市境に位置する北国分の小塚山や、今なお無数の貝殻が地表を覆う堀之内付近の森の中を歩いていると、苔たちが喜んでいて、なんとなくスタジオジブリの世界に迷い込んだような不思議な気分になり、パワーが充填されたような気がする。

そういえば、市川ではないけど、時々、お役所が作った案内板を読むと、縄文時代の貝塚をゴミ捨て場だと書いてあったりする。

けれども、博物館で市川の姥山貝塚の発掘時の写真を見ると、整然と多くの遺骨が安置してあり、生々しい遺骨の写真が印象に残る。

ゴミ捨て場に遺骨を安置するか!

そもそも縄文人にゴミ捨て場という観念があったかどうかも怪しい。

いまだってゴミも分別すりゃ資源なんて言うじゃないか。

まして自然の恵みを上手に生活に生かしていた縄文人にとって、ゴミなんて観念、あるか。ホントに。

平成まで生きていた明治生まれのオレの爺さんですら、ゴミなどほとんど出さない暮らし方をしていた。彼には捨てるモノなどほとんどなかった。

それはさておき、今日はTree-Bで「里見公園新聞」という面白い読み物をもらった。市川里見公園新聞

この新聞を作っている木ノ内博道さんという方は、かなりの博識で、なかなか奥が深い。

新聞に書けない面白情報もいっぱい知っているんだろうと思うと、興味津々。

話は考古博物館に戻るが、船橋の海神にも飛ノ台史跡公園博物館という施設があり、縄文国際コンテンポラリーアート展「縄文のエスプリⅡ」というイベントを9月までやっているという。

なぜだかフランスから大勢のアーチストがやってくるらしい。

フランスってあの岡本太郎も留学していたし、そういえば岡本太郎と、上記のクロード・レヴィ=ストロースが友達だったって、最近知った。

みんな仲間じゃん。

そして、柏も金町も市川も松戸も船橋も、そして深川だって、江戸期の初めまでは、みーーんな、下総葛飾という同じ地域に属していた。

明治の新政府が決めた、境界線なんぞオレには関係ない。

モネを初めとして印象派の画家たちは浮世絵の影響をうけているし、フランスには江戸期以前の日本の古い文化を尊重するような思考があるのだろうか。

だったら、いつかフランスに行ってみたい。

2010年6月19日 (土)

生命(いのち)が延びるような気がするね。

金曜日の夜、素敵なイベントがあるから「とにかくおいで」というわけで、柏のスタジオwuuの小柳さんに呼ばれたので、17時30分きっかりに席をたって、三鷹市のはずれからバス・電車を乗り継いで、一路柏まで90分の旅。

スタジオwuuに行くと黒山の人だかりが出来てる。

「鬼武みゆきウィズフレンズ」のライブだという。

メンバーは鬼武みゆき(ピアノ)グレッグ・リー(ベース)仙波清彦(パーカッション)中西俊博(バイオリン)という陣容。

どこかで聞いたことのあるような、ないような名前だなあなんて、考えていると小柳さんは「ジャズのライブですから」なんて言うので、「ふーーん、ビル・エヴァンスっぽいのかしらん」なんて想像して、「たまにかそんなのもいいか」なんて冷静に考えていた。

ところがどっこい、このセッション・バンドは一筋縄じゃない。

まず、中西俊博って、ものすごい人で、超絶技巧の持ち主だった。

そのプロフィールをホームページから抜粋すると、

1stアルバム「不思議の国のヴァイオリン弾き」(1985)が10万枚を越す大ヒットとなり、2007年6月に、ソニー・ミュージックダイレクトよりリリースされたベスト・アルバムで23枚目のアルバムをリリース。

演奏家として、ジャズ・ヴァイオリンの巨匠 ステファン・グラッペリとの共演をはじめ、フランク・シナトラ、ライザ・ミネリ、アダモ、サミー・デービスJr.、クインシー・ジョーンズらのソリストやコンサートマスターを務める。

また、井上陽水、泉谷しげる、桑田佳祐、坂本龍一、布袋寅泰 らのアルバム制作や、コンサートにソリストとして参加。杏里、大貫妙子、桑田佳祐、Mr.Children、川井郁子、宮本文昭、その他多くのアーティストに楽曲や編曲を提供。

ということだそうで、目を閉じて聴いていると天上から流れてくる妙なる調べといった感じで、厳粛な気持ちになったり、はたまた笑わせられたり‥‥。

もちろん他の三人もすごい。

紹介しているとキリがないから、HPのリンクを貼り付けます。

中西俊博鬼武みゆきグレッグ・リー、仙波清彦

特に仙波清彦って人はHP見りゃわかるけど、超不思議キャラクターで、ものすごい経歴の持ち主だった。

昔々フュージョンの「ザ・スクエア」にいた人だったのね。

ポピュラー音楽に大事なのは遊び心とユーモアだと思うのだけど、仙波さんを中心に、それがしっかりとバンドの個性になっている。

「生命(いのち)が延びるような気がするね。」by CAFU NAGAI

ライブの後で、一緒に食事した今の柏を代表する若手のクリエーターたちも、なかなかいい眼をしていた。

いまから20年近く前、ダムダン空間工作所の人たちと那須高原でセルフビルドの家を作っていた時、同じような眼をした若者たちと、朝まで飲み明かし、語り明かし、しょっちょう外泊をしていた。

今はもうそんな無茶は出来ないし、一緒に飲み歩いた鈴木馬之助も、いまはもういない。

(馬之助こと鈴木隆行さんについてはここ正月なので九龍城の鈴木さんを偲ぶ

馬之介といえば、イリイチの言葉「コンビビアリティ」を話題に盛り上がったことを思い出す。

「コンビビアリティ」とは (語源) convivial = 宴(うたげ)、宴をともにする→→ ともに・生きる(楽しむ)ということ。

馬之助だって生きていれば昨日のライブを見られたのに。

そうすれば命がもう少し延びたかもしれない。

ごめんよ。馬之助。

オレもう少しがんばって生きるからね。

2010年6月16日 (水)

書きたいことは山ほどある。

書きたいことは山ほどある。

でも、まとまらないのだ。

毎日、新しい情報が押し寄せてくるから。

世界不思議発見というTV番組をみたら、オランダのことを特集していた。

オランダについて3月に新保國弘さんにいろいろ教えてもらい、興味を持ち始めていたので、なかなかタイムリーな企画だった。

海を干拓してそこに町を作ったオランダは、同じように町が出来てきた葛飾地域にとっても、大いに参考になる。

建築や町並みへのポリシーがしっかりている。

でも、どうしてそうなったのだろう。

もっともっと勉強しなくちゃいけない。

いきなり話は飛ぶが、中沢新一・坂本龍一『縄文聖地巡礼』という本を最近、読んだ。

結構重要なことを語っている本だということはわかるが、東大と芸大の大学院出身のインテリがストレートに専門用語でしゃべるから、なんだか消化不良な感じで終わってしまうのが残念な本なの。

平たく言えば、感動しなかった。少なくとも一回よんだだけじゃ。

それに比べて、詩人の宗左近『縄文物語』は、美しいたくさんの写真と、現代詩人の詩によって構成されていて、ページをめくるたびにハラハラ・ドキドキ・ワクワクの連続だったのに。

中沢、坂本より宗左近の方が何枚も上手だってことだし、大正生まれの老人のしなやかな感性に舌を巻く。

こんな人が数年前まで市川に住んでいたのに、とうとう会えなかった。

そんなことを考えつつ、神田明神にいったら隣の「神田の家」で、甦った広重の「名所江戸百景」全作品の展覧会をやっていた。

会社をサボって昼から見に行った。

見ているうちに段々、江戸の町に吸い込まれていくような、フワフワした感じが気持ちよくって、隣の天野屋で名物の甘酒を飲んで、贅沢な午後をすごした。

6月20日までやっているらしいから、好きな人は見に行くといい。

日曜日にはディズニーシーにも行ったし、書きたいことは山ほどあるけど、

遅くなるので今日は終わりにします。

2010年6月12日 (土)

ごめんよ。ニニ・ロッソ。

朝日新聞の土曜版に連載されている「うたの旅人」というシリーズが好きで、毎週土曜日の朝刊を楽しみにしている。

全く興味のないアーチストの作品でも、読み始めると引き込まれて、何度も目から鱗が落ちる思いをした。

そんな「うたの旅人」だが、本日はニニ・ロッソの「夜空のトランペット」だという。

夕焼けをバックにとったトランペッターの写真が息をのむほど美しい。

ニニ・ロッソには全く興味ないけど、いつものようになんとなく読み始める。

読み終わった後、とても辛い気持ちになった。

自分が10代の頃ニニ・ロッソは人気トランペッターだった。

当時、僕はロック街道まっしぐらの少年で、ニニ・ロッソの甘ったるい音楽は一番軽蔑していたたぐいの音楽だった。

だからニニのような、当時イージーリスニングと呼ばれていた音楽を愛好する友達のことも、心の中で「ダサイ」とか「イモ」とか思って、鼻でせせら笑っていた。

ロックだけに真実のハートがあって、商業主義に毒されたイージーリスニングなど、何の価値もないと思っていたのだ。

ああ、そんな若かりし頃の自分の愚かさが情けない。

戦時中ナチスに抵抗するイタリアのレジスタンスに加わり、戦場で疲れた人々を癒すためにニニは「スターダスト」を吹いたという。

そんなニニのトランペットの音色は戦後、ニーノ・ロータの映画音楽で使われたそうだ。

フェリーニの「道」。

こう書くだけでもグッと来てしまうほどの名画のテーマミュージックもニニだったなんて、今朝まで知らなかった。

子供のころイタリア映画が好きだったけど、フェリーニの「道」を見たのは、つい数年前のこと。

思春期の少年はこの世のものとも思えないほど美しい、クラウディア・カルディナーレやソフィア・ローレンが出てくる映画に夢中で、美女が登場しない「道」のような地味な映画は、どうでもよかった。

大人になって初めて「道」を見た時、泣きましたね。切なくて。

そこに戦禍を乗り越えてきたニニのトランペットが入っているって‥‥。

いったいどうしたらいいんでしょ。

僕が大好きだったロックは、イーグルスが「ホテルカリフォルニア」で歌った通り70年代には行き詰まり始め、様式化して、自己模倣し始める。

ケネディのように暗殺される恐怖と戦いながら、南部のツアーに出かけ、歌い続けたディランのような緊迫感など、いまどこかにあるのだろうか。

少なくともいま日本でロックだと言われている音楽には、全く興味がない。

そして、時代を超えて本当にロックしていたのは、ニニ・ロッソ、あなただったんですね。

ごめんよ。ニニ・ロッソ。

2010年6月 5日 (土)

最近読んだ本のことなど

金曜の夜、勤めからの帰りにお茶の水から湯島聖堂の前を通って、神田明神にお参りした。

昼もいいけど、ひとけの少ない夜、平将門を祀ったこの神社はとても美しく、聖なる空間の趣がある。

そういえばちょっと前に、茨城県生まれで取手の小学校で教えたこともある青木更吉先生から平将門の話をいろいろ教えてもらった。

あの徳川家康ですら、将門の不可思議なパワーに畏怖の念を抱き、大手町から江戸城を守る鬼門である今の場所に移設したと言われている。

朝廷に反逆したとして、明治以降は悪党扱いされているが、利根川周辺では庶民の暮らしを大事にした名君として、将門さまと呼び、永遠のヒーローなのだそうだ。

茨城生まれの私とて、同じ思い。

好きだな。将門さま。

ところで、将門さまの御利益か、何だかわからないが、最近タイミングよくいろんなことが成就する。

何をやっても空回りしていた一年半が嘘のように、いろいろな物事が回転(というより統合か)し始めた。

中でも一ヶ月前まではどうにも理解できなかった、縄文の心が宮沢賢治を媒介に急に身近に思えるようになったのが一番うれしいできごとだ。

そんなさなかに出会ったのが詩人宗左近の『縄文物語』。

惜しげもなく大量のカラー写真が使われ、とても贅沢な本になっているけど、問題はその中身だ。

縄文時代、芸術と宗教がまだ未分化な時代の土器が芸術作品として、どれだけ価値があるのか、現代の俳人の俳句を添えて、徹底的に教えてくれる。

文藝とアートがコラボレーションしている素敵な本なのだ。

多分これから長いつきあいになるような予感のする名著だと思う。

縄文とコラボレーションで思い出したが、「縄文ページェント」というオペラを作った作曲家仙道作三さんが書いた自伝「わがオペラの幕は上がる」も、最近読んで印象に残った本だ。

秋田県の中学を卒業して集団就職し工員になった少年が、オペラの作曲家として名をなすまでの話。

仙道さんは流山の友の会でも活躍し、家の近所に住んでいる方なので、よく知っているつもりだったが、こちらの想像を超えた、深い思想の持ち主で、ある意味では天才的な人だと知った。

仙道作三ホームページ

「2009年以後、仙道作三「時代の巨人シリーズ」として、宮沢賢治、与謝野晶子、松尾芭蕉、樋口一葉、小林一茶、森鴎外に取り組む予定。」だというが、この巨人たちのメンバーからして興味深い。

荒川区の顧問も務める仙道さんは、下町文化と東葛飾文化の興隆もテーマだという。

それは私とて同じ思い。激しく共感した。

仙道さんの才能の数百分か数千分の一くらいしかない、小さな才能かもしれないが、そんなことはどうでもいい。

仙道さんと今度お会いするの時が楽しみになってきた。

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