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2010年3月

2010年3月27日 (土)

「ポケット版楽しい東葛ウォーク事典」が出た

最近『ポケット版楽しい東葛ウォーク事典』が出版された。

去年の春に研究誌として出たものを、誤植や訂正箇所を修正し、手に取りやすい判型にして、価格も下げて、崙書房出版が作ってくれたのである。

読み返してみると葛飾という広域文化圏を手際よく紹介した、今までありそうで、どこにもない本に仕上がっいる。

この本で千葉都民と呼ばれる多くの人に葛飾地域の歴史や文化を知って

もらいたい。

入手したい方は大きな書店に行くか、リンクを張った崙書房出版さんに直接連絡してほしい。

崙書房出版の落書落書には紹介文が載っている。

落書落書

最近葛飾中央図書館で借りた本に岩波文庫の『荷風随筆集(上)』をいつもカバンに入れて持ち歩くと、書いてあった。

その気持ちわかるなあ。

冒頭に「日和下駄」全文が収められ、「葛飾土産」ほか季節感豊かな他の随筆が並ぶあの本は、自分もしばしばポケットに入れて外出する。

特に市川に遊びに行くときは、必携なのだ。

『荷風随筆集(上)』に比べるなど、恐れ多いのは承知しているが、この本もポケットに入れて、町を歩いてほしい。

どこからも、誰からも、一銭のお金ももらわず、自分の好きな町を紹介したいという情熱だけで作った町歩きガイドは、あまたある類書とは比較にならない良書だと感じてもらえるはずだから。

やっぱり図書館が好きだ

昨日、夜更けに金町駅前にある葛飾区中央図書館に行った。

以前、新宿にあったときも何度か通ったが、駅から遠いので閉口した。

去年の秋、金町駅前に移転して、規模も大きくなって、早く行きたかったのだが、会社帰りに寄るような心の余裕が持てずに、素通りしていた。

息子も金町に住み始めたし、体力が回復してきたので、ちょっと寄り道をしていこうと思い、今週は二回もいってしまった。

それにしてもいい図書館だ。

三郷に住んでいた頃は、毎週図書館に通ったものだが、松戸は人口の割に貧弱な施設しかないので、ほとんど図書館に通わなくなってしまった。

なかでも感心したのは、地元ゆかりの人物をきちんと調べて、資料を豊富に展示していること。

それぞれの本の見返しには、その本の何ページに葛飾区に関係した記述があるかまで、書いてある。

これはすごいことで、葛飾区の知的財産になる。

ちなみに「東葛流山研究26号」にわたしが書いた「矢切の渡しの船頭さん」という論文もちゃんと記述されていた。

うれしいなあ。ちゃんと見てくれている。

最近は大きい書店でも全集本など置いてあるところは少ないが、ここにくれば何でも読める。

昨日は加太こうじという作家と本の中で出会ってしまった。

いままで紙芝居を作っていたおじさんという程度の認識しかなかったのだが、長年東金町に住んでいて、白土三平や水木しげるを世に送り出したのも加太こうじだというではないか。

金町には太郎座という人形劇団があって、松谷みよこや白土三平がいたのは知っていたが、そんな関係もあることは、昨日初めて知った。

白土三平は練馬の家から歩いて一、二分の近所に住んでいたが、同級生だった長男の授業参観にも来たこともなく、どてらを着てうろうろ歩く、ばっちいおじさんという印象しかなかった。

ところが、金町にも縁があった人だったのね。

失われたふるさと練馬と、新しい想い出が作られる金町と、亡くなった長男の思い出と、何だか切なくなってきたぜ。

話が脱線したが、葛飾中央図書館は近隣でもまれに見る優れた図書館だ。

近隣市町村の在住者もカードを作れるから、ぜひ利用して欲しい。

2010年3月21日 (日)

流山に「東葛飾ガーリッシュ」城夏子がいた

最近、文章講座の帰りにSさんという年配の女性を老人ホームまで、車で送っている。

Sさんは高貴な精神の持ち主で、女性でありながら戦前国立大学の工学部で学んだという、素敵な経歴の持ち主である。

理系の素養を持ちながら永遠の文学少女でもあり、詩人北原白秋に関する著作もある。

そのSさんが長年追いかけているのが城夏子という作家で、Sさんと同じように流山の老人ホームで晩年を暮らしたことも知られる。

数年前に友の会の研究発表会で、郷土に暮らした作家ということで、Sさんから城夏子の存在を教えていただいてから、気になっていたのだが、最近長谷川時雨と「女人芸術」という雑誌について調べていたら、城夏子が関わっていたことを知り、イモヅル式に多くの女流作家が視野に入ってきて、ちょいとマイブームなのだ。

長谷川時雨は日本橋大伝馬町の生まれで、昭和3年「女人芸術」を発刊。何度も発禁処分になりながら、軍国主義化する時流に抵抗しながら、林芙美子や円地文子を始め数多くの作家を世に送り出したという。

なかなか素敵な古き良き江戸東京下町の姉御といった感じの人で、着物姿が大変美しい。

僕が読んだのは『近代美人伝』という岩波文庫だが、青空文庫には主著『旧聞日本橋』も入っているので、これから読んでみたい。

それはさておき、城夏子は(自他共に認める女荷風であった)森茉莉や、(いま見てもかっこいいモダンガール)宇野千代に憧れ、花やおしゃれが大好きで、生涯乙女心を失わなかった人だ。

Sさんは、とうとう直接会話をするチャンスがなかったというが、80歳を過ぎても派手な格好で町を散歩する城夏子の姿を何度も見たと想い出を語ってくれる。

郷土史の研究という視点から、城夏子をとらえるのもいいが、ちょいとばかし堅苦しい感じがする。

飛び跳ねて町をゆくようなポップな城夏子には、郷土史よりも東葛飾ガーリッシュがいい。

千野帽子という文芸評論家が書いた『文藝ガーリッシュ』という本には森茉莉を初めとする乙女達の心をくすぐる作家が満載で、大変優れた本だ。

だから城夏子は東葛飾ガーリッシュの代表選手。

以前山崎まどかの仕事について書いたこともあった。

全開!硬派な「乙女カルチャー」

どうも自分は、女子供の文化に惹かれる傾向がある。

実は永井荷風も乙女カルチャーに最後まで固執した人で、最近持田叙子が荷風のそういった側面を解明している。

荷風は東葛飾ガーリッシュの先駆者といえる。

そういえばあの立原道造も一時期荷風の大ファンだったらしい。

荷風とともに、東葛飾ガーリッシュ城夏子の世界が徐々に開けてきた。

2010年3月20日 (土)

川の流れを見つめて

老母が、お彼岸だから茨城県にある祖父・祖母の墓参りにゆくという。

ちょっと一人で行かせるわけにはいかず、自然と一緒にゆくはめになった。

思い返せばつい先日、「ずいひつ流星」の原稿で、霞ヶ浦の漁師だった祖父のことを書いたばかりで、祖父が呼んだのかもしれない。

祖父の和舟は霞ヶ浦に注ぎ込む清明川のこの場所に係留してあったが、祖父が寝たきりになって、ほどなく台風の日に流されたという。

いまから30年前のことだ。

乗り手を失った舟は漂流してどこにたどり着いたのだろう。

僕が川好きなのは、幼い頃祖父と一緒に舟に乗って数え切れないくらいこの川を往復したからだと思う。

ずいぶん昔のことだが、うちで働いていた宇野重吉のような風貌の年老いた漁師が、粗末な手こぎの和舟を漕いで、濃い霧の中から現れた瞬間の姿は息をのむほど美しかった。

何か神々しいものを見たような気がした。

その時はエンジン付きの和舟を操る祖父がずいぶん俗っぽい人間に見えたことを思い出す。

遠く向こうに見える里山風景は変わらないが、川幅は2倍くらい広がり、川の水もキレイになったけど、数え切れないほど生息していた蛇や蛙が隠れる場所もなくなり、水生動物も、陸上の昆虫もいなくなり、草むらも樹木も一掃され、どこにでもあるような水路が目の前に広がる。

魚の捕れない霞ヶ浦では漁師も激減したのであろう。

ここだけは絶対にかわっていないだろうと考え、湖岸の水神さまにお参りにいった。

霊感が強いほうなので、小さい頃はちょっと入りづらい、聖なる場所だったここも、清明川同様にのっぺりしたコンクリートづくしの妙な空間に変わっていた。

心の中にある幼少時の原風景はずいぶんと変わり果てたものだ。

それでも僕の祖先はこの村で何百年も、あるときは水と戦い、またあるときは水と親しみ、水とともに暮らしてきた。

水面に向き合い、真水の匂いをかぐと、自然に対する畏敬の念がわきあがってきて、厳粛な気持ちになることだけは変わらない。

普段はふざけてばかりいる僕だけど、たまにはこういう一日も必要だと思った。

さあ、ボブ・ディランの「川の流れをみつめて」を聴こう。

ジェシ・エド・デイヴィスのスライドギターがアメリカ南部の雰囲気をかもしだす。

僕の覚えている川もそんな雰囲気の場所だったからね。

2010年3月14日 (日)

新保國弘さんの講演を聴いて

久しぶりに平和台駅からぶらぶらと歩いて江戸川にいった。

撤去された旧流山橋の橋桁を見ておきたかったのだ。

実際に間近で見ると、橋桁の間隔がとても狭いのに驚く。

足場パイプをつないで、上に乗せれば人が通れる仮設の橋が、簡単に造れそうなほどだ。

江戸川の流れや菜の花が美しい土手の自然も大好きだけど、長い年月の経過とともに朽ち果ててゆき、誰も顧みなくなったく建築や土木の構築物はそれ以上に好きだ。

なかでも大正から昭和初期という時代に造られたものは戦後につくられた安普請のものと違って、どことなく風格を感じる。

それから赤城神社と光明院に参拝し、本日の目的地一茶双樹記念館へ。

一茶双樹記念館で敬愛する新保國弘さんの講演を聴いてきたのである。

新保さんは流山市立博物館友の会でもお世話になっている方で、オオタカの森や利根運河の研究でも有名だが、それ以上に飾り気のない、ざっくばらんな人柄が素晴らしい人物だと常々思っていた。

講演会は「野鳥でひもとく…江戸と一茶と流山」というタイトルで、最近ぼくが関心をもっているテーマが、数多く盛り込まれている。

大いに期待して参加したのだが、知的刺激に満ちたスリリングな内容で、期待以上に素敵な講演だった。

自分の乏しい知識の範囲で理解していた田園都市江戸は、野鳥の楽園でもあり、大好きな歌川広重の「名所江戸百景」の風景を豊富な資料をもとに説明していただいた。

そういえば子供の頃、カモ肉って、霞ヶ浦の漁師だった祖父が、地元のハンターが撃ったやつを買ってきて、みんなで食べる神聖な食べ物だった。

祖父は自然の命を奪って食べることに、厳粛な気持ちをもっていた。

だから魚を加工して練り物にしたかまぼこやおでん種など、終生決して口にしなかった。

魚の命への冒涜だという思いがあったのだと今にして思う。

つい話がそれたが、従来から興味のあった一茶やシーボルトの活動を時間軸と空間軸を駆使して見ると立体的に見えるという新保さんの指摘は、めちゃくちゃ面白い。

学生時代かじった西洋経済史の「オランダ型貿易国家」の本や、江戸学者田中優子の「江戸の想像力」を再読したくなった。

明治以降の造語である「鎖国」という言葉で、簡単に切り捨ててしまいがちな江戸期の世界貿易と、シーボルトのような外国人たちの(意図的に)忘れ去られた業績に光を当ててみると、新しい江戸期の日本の姿が見えてくるのかもしれない。

2010年3月 7日 (日)

ちょっとすごいぞ。立原道造

「ずいひつ流星」に書いたエッセイを最初から全部読み直していたら、あることに気づいた。

どうも自分は時代が変化しても、自分のスタイルを守り続ける人に惹かれる傾向があるということ。

勤め人をやっていると、なかなかそういうわけには行かない。

毎年のように変化する経営環境に合わせて、仕事のやり方も変化せざるを得ないし、一緒に仕事をやる仲間もどんどん変化する。

だから時代におもねることなく、熱狂から遠いところにいる人が好きだ。

それはそうと、流星の仕事を仕上げている時に、参考文献としてたまたま眼にした本が芳賀徹『詩歌の森へ』中公新書で、その中に立原道造のことが載っていた。

流星の辻野さんから立原道造という名前は教えてもらったことがあったが、不勉強でどんな人なのか知らなかった。

ちょうどいい機会だと思い、調べ始めると

「この人かっこよすぎる!」じゃないか。

誰かが「人というより妖精」と評したが、然り、納得する。

タイタニックの頃のレオナルド・ディカプリオをもっと繊細なイメージにしたような人。

詩人で、辰野金吾賞を3回もらった東大出身の建築家で、自分でデザインした洋服を着て、肺結核に冒されて、美しい恋人に看取られながら、24歳での死の間際に

「5月のそよ風をゼリーにして持ってきて下さい。」

なんて、キザなセリフを言っても、さまになっちゃうのがすごい。

その恋人も姿を消して、ひっそりと生きたっていうのもかっこいい。

あまりに見事な短い人生。

何で彼の人生が映画になってないんだろ。

この人が流山に住んでいたということは、とても大事なことで、東京日本橋に生まれ、短い人生の何年か父親の実家のある流山に住み、江戸川の風景に心惹かれ、いくつかの詩を残している。

自分が10代の頃、道造を知ったら、大きな影響を受けただろうと思う。

残念ながら馬齢を重ねてしまい、道造の寿命の2倍以上生きてしまい、すっかり鈍感なオヤジになった。

ちょっと気恥ずかしいが、明日、詩集を買いに行く。

勇気をだして。

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