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2010年1月

2010年1月30日 (土)

商品カタログを見て考える

親戚から香典返しに自分で好きなものを選べるカタログを送ってきた。

裕福な人なので、高価な商品が並んでいる分厚いカタログだ。

ところが、時間をかけてのすみからすみまで目を通した結果、欲しいものが一つもないことに驚く。

よく趣味の多様化とか、消費者ニーズの多様化とかいう。

ホントかなって、思う。

ユニクロや王将って何で流行っているんだ。

僕はユニクロや王将に行っても、何もワクワク感がない。

それなりのものが、めちゃくちゃ安く売っているので、コストパフォーマンスが人気の理由なんだろう。

「足を知る」という言葉が好きだ。

朝、家の近くの美容院で髪を切ってもらった。

指名できない店なので、たまたま一番お気に入りのおねえさんにあたって、なんだか朝から得した気分で、ウキウキする。

セオという自転車屋をのぞく。

最近折りたたみ式の自転車に興味があって、探しているのだ。

自転車を好きでたまらない店員さんたちが、甲斐甲斐しく働く様子が美しい。

自分の体がプラスのエネルギーで満たされてゆくのがわかる。

家の近くで味わえる小さな幸せが一番素敵だなって思う。

その足で、そのまま松戸の伊勢丹に行った。

何かが欠落してるし、僕が子供だった頃のデパートよりも退化している。

白い手袋でにっこり微笑む美しいエレベータガールはいなくなった。

土瓶に入った飲み放題のお茶がうれしい大食堂も消えた。

オモチャ売り場は縮小し、最後はここで締めという感じだった屋上遊園地もいまはない。

厳選されたいいものを、安心して定価で買う満足感は、生協や他の業態にとってかわられた。

杉並区に住む親戚から送られてきたものが、カタログではなく地元でしか買えない、本人のこだわりの一品だったりしたら、どれだけうれしかったろう。

なぜなら、その一品から、その人との会話がはじまるから。

新たな人とモノの出会いが生まれるから。

日々、そんなスリルを味わうことが生きている証だとおもうから。

そんな時間を仲間と共有したい。近頃、そんなことばかり考えている。

デパートの灯はゆっくりと消えてゆく

有楽町マリオンの有楽町西武が閉店するという。

80年代西武セゾングループのカルチャー路線全盛期にオープンしたこのデパートは、確かマリオン現象とかいう言葉もような気がするが、僕の世代にとってはなじみのあるデパートだ。

都心にあるデパートに比べて、ちょっと田舎っぽいイメージのあった西武が有楽町に出店するというので、特集本まで出来たほどだった。

西武のオープンから半年後、僕は数寄屋橋交差点に事務所のある会社に入社した。

毎日ワクワクしながら会社に通ったことを思い出す。

有楽町も銀座も大好きだった。

高級イメージとは裏腹に、路地裏には安い飲食店が並んでいて、銀座本来の下町の顔をみせていたし、ちょっと贅沢したい日には、昼休みに仲間と築地までタクシーを飛ばして、寿司を食べにいったりした。

このまえ妻が片付けをしていたら、有楽町西武で買ったサザビーズのデイパックが出てきた。

三郷から松戸への引っ越しのどさくさで、行方不明だった。

旅行でも、買い物でもどこでもついてきたお気に入りのアイテムだったので、再会できて、とてもうれしかった。

僕は歳をとって、数寄屋橋も遠い過去になり、多摩地区の片田舎で仕事をしている。サザビーズのデイパックも色あせて、ぼろぼろだ。

それでも、僕らは21世紀をどっこい生きている。

20世紀の大発明デパートという業態はゆっくりと消えてゆき、おそらく最後に三越本店がのこり、それもやがては歴史の一部になるにちがいない。

商品券をもらったのでデパートに行って、何時間もねばったのに、何も買うものがなくて、すごすごと退散してきた経験からくる予言である。

2010年1月23日 (土)

流鉄に乗らずにいられない。

そうそう。

A社のようなことがあったので、早速今まで買いたかった崙書房出版から出ている青木更吉先生の『野馬土手は泣いている』と、中村哲夫先生の『茨城の建築探訪』、清野文男『手仕事の匠たち』を購入。

ヴァナキュラーな地域固有の文化を守るには、身銭を切って出版社を応援しなければいけないことを痛感した。

同じ意味で、わたしは流鉄を応援しているので、今度新しい車両が入ったことは、とてもうれしい。

全時間帯ワンマン化で、車掌さんが切符を車内販売するスタイルが消えるのは寂しいが、流鉄が生き残ってもらうのが大前提だから、仕方ない。

前にも書いたかもしれないけど、大手資本と無関係に市民が金を出し合ってスタートした私鉄が走る町って、ものすごくかっこいいと思う。

もっと、もっと流山市民と松戸市民は流鉄の存在を誇っていい。

鉄道の歴史を調べると、明治から戦前にかけて、首都圏だけでも、本当にたくさんの私鉄が存在したが、そのほとんどは東京都や国鉄や大手私鉄に併合されて消えていった。

大正期に開通した流鉄はそんな古きよきミニ鉄道黄金時代の息吹を今に伝える、大変貴重な存在だと思う。

車両は古いし、駅のトイレも小さい。

でもね、デジタルな電子音が流れ、不機嫌な乗客で殺伐とした雰囲気が漂うJRの駅から、流鉄の駅に一歩でも足を踏み入れてごらん。

大正・昭和のゆったりとした人間らしいリズムが刻まれる、心地よい空間があるから。

そして、そんな心地よさを知ってしまったら、乗らずにはいられなくなるから。

中央線の駅の殺人的な気ぜわしさに疲れた体を、流鉄の古い車両がやさしく包んでくれるから。

わたしは流鉄に乗らずにいられない。

「グローバル・スタンダード」と「路地裏のユートピア」

先日、ちょっとびっくりするニュースが入ってきた。

山本鉱太郎先生の本を数多く出しているAという会社が、経営者がかわったとたんに、山本先生の本を溶解処理してしまったという。

もちろん、山本先生の本だけでなく、回転率の悪い在庫を処分したということであろう。

今、勤めている会社で経理責任者として、グローバル・スタンダードな経理基準という怪物と格闘しているので、なぜそんなことになったのか、聞かなくても理由はだいたいわかる。

それにしてもびっくりした。

経営の安定をはかって、うっかり大きな会社の傘下に入ってしまうと、グローバル・スタンダードという名前の資本家応援ルールが入ってきて、資本が経済どころか文化や社会一般まで壊すというモリスが一番恐れていた19世紀のイギリスのような事態が、21世紀の日本で始まる。

在庫があるからいつでも買えると思っていた本が出版会社の都合で消えてなくなる。

僕たちがそんな怪物に対抗するには、グローバル・スタンダードが入ってこられないくらい小さな路地裏の隠れ家を大きくしてゆくしかない。

長州出身の政治家が唱える国家主導の「美しい国」(昔のソ連や北朝鮮も同類だと思う)とやらも大嫌いだが、国家を越えたグローバル・スタンダードも困る。

まったく嫌な世の中になったもんだ。

一昨年の8月に書いた「日和下駄」の名文を再掲しよう。

「裏町を行こう、横道を歩もう。」

               永井荷風「日和下駄」 第二 淫祠より

先日自費出版した「ふるさと」も「路地裏のユートピア」について書いてある。もちろん、物理的な路地裏じゃなくてもいい。

グローバル・スタンダードの侵入を防ぐ砦を築くことが必要だということ。

そうしないと、怪物は知らぬ間に、善良な庶民の隣に居座って、あれこれ命令するんだよ。

みんな気をつけようね。

2010年1月11日 (月)

平和ボケで何が悪い。英雄などいらぬ!

年末に古い知人からメールをもらった。

そのメールには「坂の上の雲」に関連してこんなことが記されてあった。

「日本を小馬鹿にした清国を破り、さらに傲慢なロシアを海陸で打ち負かしたのは、近代日本黎明期の金字塔とも言えるできごとだった。

今よりもっと厳しい過酷な時代に、国の危機に活路を切り開く青年た

ちがいたというのは誇り得べきことである。」

のだそうだ。

ふーーーん。

明治の歴史に詳しいわけじゃないから清国やロシアが、本当に日本を馬鹿にしたのか、傲慢だったのかどうか、オレは知らない。

もし、仮にそれが事実だったとしても、そんなことでいちいち戦争していたら、国民はたまらない。

馬鹿にされて為政者は腹立たしいで済むが、戦争で実際に命を落とすのは国民である。

戦争などしないで国民が平和に暮らせる世の中がいいに決まっている。

「誇り得べきことである。」どころか、おれは戦争したというだけで、もう明治の為政者などろくなもんじゃないと思う。

本当に優秀な為政者なら戦争しないで、心安らかに暮らせる世の中を作るように努力するだろう。

徳川時代の為政者たちのようにね。

血気盛んな「青年たち」には戦争じゃなく、平和な手段で活路を切り開く英知を伝えるのが、複雑な思考回路を持った大人たちの役目だとおもうのだが、古い知人はオレのような人間を平和ボケと「小馬鹿」にするんだろうな。

平和な時代の歴史には英雄など必要ない。

だから、平賀源内のようなふざけた奴が出てくるだけで、あとは庶民の平凡な暮らしがあるだけだ。

そんな庶民の平凡な暮らしを研究するのが民俗学という分野。

要するに英雄の出てこない歴史の研究。

いままでカビ臭くて、興味のなかった民俗学の世界が少しずつ面白くなってきた。

知人のように「日本の伝統と誇り」とやらが好きで、「自虐史観」とか「美しい国」なんて言っている人たちの視野には永遠に入ってこない、ナショナリズムには全く縁のない庶民の平凡だけど「美しい」暮らし。

W・モリスや柳宗悦が憧れ、宮本常一が探し訪ねたような庶民の暮らし。

戦争は貧困に乗じてそんな暮らしを壊しにやってくる。

今年はもっともっと勉強しよう。

まだ間に合うはずだから。

今年も気ままに始まった

大晦日に一葉の「大つごもり」、正月は岡本綺堂「相馬の金さん」と、古典の世界に浸っていたので、体のリズムが江戸・明治に逆戻り。

おまけに江戸期の関所について、息子が書いた論文を手直ししたりして、過ごした。

それなのに、今週も三連休である。

なかなか元に戻れない。

ま。戻れないついでに、こっそりと刺激的な一節を紹介する。

「京都では『日本の首都は今でも京都』ということになっている。天皇は東国鎮撫の為、東幸したのであって、アズマエビスが開化しさえすれば、心安らかに還幸するのだそうだ(百二十余年かけてもひらけないアズマエビスなんざ、いいかげんお見限り、うっちゃって京へお帰り遊ばせ。わしら未開のままでしあわせよ)。

明治二年(一八六九)、天皇は京都を離れ、東京へ遷ったが、遷都の詔は発布されなかった。それだから東の京、東京は京都の東部仮出張窓口に過ぎず、真の首都は京都なのだ。」

そうである。杉浦日向子『入浴の女王』の一節である。

「お江戸でござる」でにこやかにほほえんでいた日向子さんのテレビでは語れない本音であろう。

岡本綺堂「相馬の金さん」も切ない。

主人公が新政府軍に追われて、切腹するエンディングはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの映画「明日に向かって撃て」のラストシーンを思い出させる。

しかもその舞台はわたしのふるさと根岸のお行の松である。

フィクションとはいえ、同じ町内が舞台だ。

他人事じゃない気がする。

読みたい人はちくま日本文学全集の「岡本綺堂」が手頃なのでどうぞ。

杉浦日向子の解説「うつくしく、やさしく、おろかなり」が絶品。

解説だけでも読む価値あり。

散漫な文章になってしまったが、今年もこんな気ままな調子で始まる。

2010年1月 2日 (土)

年賀状

年賀状をアップします。

正月のくだらねえお笑いTV番組以上に、くだらねえ年賀状。

久々にやっちまった感が、ありあり。

寝床の中で五分間で作ったんだから、ま、こんなもんだよ。

新年明けましておめでとうございます

 ムニャ、ムニャ、眠いよおう。ん。くすぐってえじゃねえか。鼻の頭がむずがゆい。何だよこりゃ。ネコのヒゲだよ。そおっと薄目を開けると、目の前にクソ気持ち悪い黒ネコの顔がある。雄ネコのキキノスケである。タドンのような真っ黒い顔の真ん中に、永遠に口内に収納されぬ、だらしなくはみ出したタラコ色のベロが不気味だ。しょうがねえなあ。ま、中に入れ。黒ネコは毎朝夜明け近くになるとやってくる。

 屋根の上ではさかりのついた四歳の雌ネコヒナコがドタドタと走り回る。ネコは夜明けとともに起き、明るい時だけ活動する不定時法と呼ばれる「明け六ツ・暮れ六ツ」の世界に生きている。のんびりしていいな。人間だって、江戸時代はおんなじだったのに…。誰が悪いんだ。担当者を出せ。担当者を。

 「いれーて」今度は娘だ。就職し、トラックに乗って野菜を配達している長男を家から追い出し、自分の部屋をもらって、自分のベッドで寝るようになったのに、朝になるとやって来る。この娘もどうやら「明け六ツ・暮れ六ツ」の世界に生きているようだ。六歳はまだ人間と言うより動物に近いのであろうか。

 いてっ。黒ネコがオレの手を噛む。「早くメシをくれ」の合図である。このネコも昔は「しょんべんネコ」と呼ばれ、上着やカバン、鉢植えなど、家中でしょんべんしまくる馬鹿ネコとして君臨していた。最近はそれも飽きたのか知人の間では「ゲロネコ」として名高い。毛玉など関係なく、食べれば吐く。最初は具合でも悪いのかと真面目に心配したが、そんな状態で医者にも行かず、どんどん太って一〇年も生きている。たいていのゲロには慣れたが、天井の下の梁に昇って噴水のように家中にゲロをばらまいた時は、さすがに最初に拾った三郷のマンションの裏庭にそおっと置いてこようかと真剣に家族会議が開かれた。

 布団から婆さん犬のハニーがのっそりと起きて、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、よたよたしながら、水飲み場に向かう。両目とも失明したので時間がかかる。こいつも昔は「デズニーの『わんわん物語』のレデーちゃんそっくりだ」ったはずなのに、一四歳の今じゃまるで河原の枯れススキだよ。ま、こっちも飼い始めた時分は三十代の青年だったのに、草臥れた白髪の爺さんになっちまった。あいこだ。仕方ねえ。

 隣では二人目を産んでから、とみに貫禄を増してきた妻がすやすやと気持ちよさそうに眠ってる。どうせ、四十の手習いで始めたピアノの発表会でしくじる夢でも見てるんだろう。

近頃のわけぇもんは知らないだろうが、子供の頃、田舎の婆ちゃんから反面教師として聞かされた「小原庄助」の唄を思い出す。 

♪小原庄助さん、なんで身上つぶした? 朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、あ~もっともだぁ、もっともだぁ♪ 

ああ正月くらい「小原庄助」でいたい。婆ちゃん、あと少し寝てもいいよね。

  二〇一〇年 元旦

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