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2009年12月 5日 (土)

陸の道・川の道

先日、我孫子の郷土史家の方と話していたら、東葛飾は江戸時代に天領(幕府直轄地)が多いし、領主が細分化されていたんで、藩としてのまとまりなどないから、文化的にもこれっていうものがないんだよね的な話になってしまった。

でも、っていうか、だからこそというべきか、わかんないけど、東葛飾にとって道が大事だと考えるようになった。

陸の道と川の道。

利根川・江戸川と水戸街道が交差する交通の要所だった東葛飾、特に松戸とその周辺は、江戸から明治にかけて栄華を極める。

水戸街道を、水戸の人たちは江戸街道というらしい。

かつて太日川と呼ばれた川は、江戸に向かう航路となり、江戸川と呼ばれるようになったという。

水戸街道が江戸街道と呼ばれるのも同じ理由であろう。

江戸近郊の東葛飾は、江戸東京を考えるときに大変多くの人やものや情報が行き交う興味のつきない地域だということに最近気づいた。

例えば、江戸の商店で使われた大福帳には、今の茨城県大子町で生産された丈夫な西ノ内和紙が使われた。

松戸の提灯屋さん八嶋商店のご主人との会話では、そんな話が出た。

水戸藩が藩の財政を支える特産品の和紙が江戸街道と呼んだ道を使って江戸に運ばれた。

水戸街道は和紙の道でもあった。

東葛飾の郷土史と江戸東京の歴史が重なり合う。

どんどん江戸と水戸街道が面白くなってゆく。

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