交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月

2009年12月31日 (木)

今年の三冊

今日は樋口一葉風に言えば「大つごもり」。

この一年を振り返ってみる。

まず、今年読んだ小説で一番感銘をうけたのは、いまさらの感が強いが、森鴎外「雁」だろう。

拙ブログ

とうとう森鴎外が来た

参照

昨日、湯島に行ったので、岡田とお玉がすれ違う無縁坂の写真を撮ってきた。左手が岩崎邸である。

「雁」の中からちょっと長いが、この界隈を説明している部分を引用する。テキストは青空文庫から借用した。

「そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸(やしき)であったが、まだ今のような巍々(ぎぎ)たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔(こけ)蒸(む)した石と石との間から、歯朶(しだ)や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅(か)られることがなかった。

 坂の北側はけちな家が軒を並べていて、一番体裁の好(い)いのが、板塀を繞(めぐ)らした、小さいしもた屋、その外(ほか)は手職をする男なんぞの住いであった。(中略)その隣に一軒格子戸を綺麗(きれい)に拭き入れて、上がり口の叩きに、御影石(みかげいし)を塗り込んだ上へ、折々夕方に通って見ると、打水のしてある家があった。寒い時は障子が締めてある。暑い時は竹簾(たけすだれ)が卸してある。そして為立物師(したてものし)の家の賑やかな為めに、この家はいつも際立ってひっそりしているように思われた。」

最後に出てくるひっそりした家がヒロインのお玉が囲われている家である。この後、不忍池を撮影したが日が暮れてしまい、私のカメラの性能では、燃えるように黄色いアシの色が写せなかった。残念。

今思うと、大学生の頃この坂の隣でバイトしていた私は、当時付き合っていた女性とこの坂を上ったことがあるような気がする。

坂から不忍池を見るたびに過ぎ去った二十歳の頃を思い出す。

岡田とお玉の物語が自分の青春時代に重なってしまう。切ない。

文芸評論では持田叙子『荷風へようこそ』慶応義塾大学出版会だろう。

拙ブログ

「沖縄病のなおし方」だっていろいろある

参照

サントリー学芸賞を受賞したこの傑作評論集は、朝日新聞の書評欄でも平松洋子が今年の三冊に選んでいる。

そして、出口の見えない時代に入り込んでしまったような日本に、一筋の光明をもたらしてくれるような本が田中優子『未来のための江戸学』小学館101新書である。

田中優子って、テレビで見ると緊張する人みたいで、杉浦日向子とちがって、しゃべりはいまいちだが、文章は抜群に上手い人だと思う。

自分にとってベストワンは『江戸を歩く』だが、この本にもしびれるようなフレーズがいくつも出てくる。

「土から際限なく搾取するのではなく、土に与えることで持続可能な未来を考える江戸学である。その意味で、ここでいう江戸学は、未来学であると同時に、平和学でもある。」

今年は秋頃から「提灯」のことを勉強しているうちに、どんどん江戸時代に引きづり込まれていった。

若い頃熱中した大塚史学というイギリス経済史の本の中にもイギリスの農村で出現した職人によるものづくりの世界が美しく描かれていた。

モリスが愛した産業革命前の職人によるものづくりの世界である。

田中優子は江戸時代の農村をこのように描く。

「外国に安いものや技術の高いものを求めて購入するのではなく、足もとの土の中に可能性を探ったのである。そして自らの持つものを人の技術力でさらに磨き上げる、という社会を作り上げていった。」

それらの産物は柳宗悦『手仕事の日本』でたっぷりと紹介されている。

この前吉祥寺の本屋にいったら、岩波文庫で改訂版『手仕事の日本』が出ていた。この本も文章が平易で柳宗悦入門には最適な本である。

余談はさておき、モリスと橋本左内の思想の共通点まで紹介しているこの本は740円という値段以上の価値がある。

もしよかったら、どうぞ。

2009年12月30日 (水)

本土寺の枯れ野が素敵だ。

最近はブログでも真面目で、暗めな話ばっかり書いてるな。

こんなご時世だってのに、辛気くさくっていけねえや。

そう思ったら、思い切りくだらねえ年賀状を書いちまった。

半月くらい悩んで、うまくまとまらなくて、寝床の中で5分でまとめた年賀状だよ。

ブログの読者で、私から年賀状をもらった人は、読み終わったらさっさと破って捨てて欲しい。

くれぐれも保存などして、書き手に恥をかかせないように、十分なご配慮をお願いします。

年が明けたら、ブログにもほとんど同じ内容でアップするけどね。

話は変わるが、本土寺に行ってきた。

なんでも11月頃から2月くらいまで無料で入れる期間があって、今がちょうどその期間らしい。

菖蒲がなくなった後の、枯野が見事だよ。

江戸の人たちは花見だけじゃなく、枯れ野見というのをやったらしい。

風流だよな。花盛りの時だけ、足を運ぶんじゃなくて、枯れ野に自然の美しさを見いだす感性が素敵だ。

こんなの西洋人にはわかんないだろな。いや、最近は西洋人でも気の利いた奴がいて、日本人以上に豊かな感性をもった奴もいるから、あなどれない。

日本人の駄目さ加減のほうが、目立つな。

いい大人になって、ネクタイぶら下げて、ケータイでゲームばかりやっている馬鹿づらの野郎を見るたびに切なくなる。

ああ、また愚痴になった。

今年もあと二日、楽しく暮らそう。

2009年12月20日 (日)

最近はお化けも大変だよ

今夜は星がキレイですね。

松戸の老舗提灯屋八嶋商店さんのことを取材して、いろいろ書いていたら、江戸期の照明についていろいろ考えるようになりました。

そういえばロハスとか言ってるような人たちも、キャンドルナイトなんてイベントをやっていました。

満月の夜以外、江戸の町は暗かったんですね。

そして、日本中が暗かった。

考えて見りゃ、自分が幼い頃の茨城の農村だって、夜は真っ暗でした。

今日の昼頃、三郷に行って、武蔵野線の下をくぐる「お化けトンネル」を通ったんだけど、ずいぶん短くて、明るくなっちゃって、あれじゃあお化けも大変だと思いました。

「百物語」じゃないけど、人里にお化けが出るような場所が残ってるってことが、いろんな意味で大切なんじゃないかと思います。

最近、深呼吸すると、澄み切った冷気が体に入ってきて、気持ちいいです。沖縄は好きだけど、四季折々、気候の変化があることが素敵だと思えるようになりましたね。

美しかった馬屋敷緑地の紅葉も枯葉となって散ってしまいました。

老犬ハニーの散歩の時、そんな風景を見ているとマイルスとキャノンボール・アダレイの「枯葉」が頭の中で鳴り始めます。

やっぱりいいなあ。マイルス。

老犬の命はあとわずかだろうけど、日々淡々と生きている。

葉っぱは落ちても、来年の春には新しい葉っぱが生えて、美しい新緑を見せてくれるでしょう。

その頃まで、老犬は生きているだろうかと思うと、この一瞬、一瞬がとてもかけがえのない時間だということに思い至ります。

そろそろ年賀状に取りかからなくっちゃね。

2009年12月19日 (土)

旧い町とソバ好き連

日曜日に我孫子の資料を探しに、松戸市立図書館に行ったが、目当ての資料が見つからなかったので、退散し、ソバでも食って帰ろうと、たまに利用する平潟のソバ屋にゆく。

屋号は忘れた。思い出してもあまり教えたくない。

来迎寺や平潟神社にお参りしたついでに探して下さい。

すぐにわかるから。

決してグルメ本に載るような気合いの入ったソバ屋ではない。

一昔前なら(いや三昔前か)どの町にも一軒くらいはあったような、平凡なソバ屋である。

ところが、二時過ぎに入ったのに、ほぼ満席なのにびっくり。

チューハイを飲んで、文庫本を片手にくつろいでいるオヤジがいる。

「もう一杯、ちょうだい」

なんて叫んでる。

文庫本は池波正太郎か、藤沢周平あたりの時代小説だろうか。

岡本綺堂だと、ちょっと決まりすぎで、イヤミだな。

池波、藤沢あたりがほどよい案配だな。

なあんて、考えていると、カレー南蛮ソバが届いた。

550円である。安くて申し訳なくなる。

この前食べた天丼とソバのセットは600円だった。

本気で、もう少し払ってもいいのにって、思った。

よく考えれば、居心地のいい空間で、こんなに安くソバやどんぶりものが食べられる場所は、町の中にほとんど残っていない。

そんなことを思いながら、江戸川べりに足を運ぶ。

小向橋という橋があるのを知った。

松戸本町の自治会で作ったらしい。

松戸本町自治会のホームページ

やるなあ。本町自治会。

ここにはかつて対岸の三郷市小向との間を結ぶ「小向の渡し」があった。

よくみると、川底に石が積んである。桟橋の土台になった石だろうか。

そこから見ると三郷は目の前である。

すぐそこは東町や高洲で、知り合いも住んでる。

渡しがあった時分は、三郷の人たちはサクサクと松戸に渡って、買い物したり、楽しんだりしたんだろうな。

バスで金町に出れば、常磐線で都心に行った方がいい。

こうして、繁盛した松戸は東京に少しずつ、力を奪われてきたのかと思うと、切ない。

ながいな。このエントリー。

だんだん何を言っているのかわかんなくなってきた。

まあ、いいや。たまにはこんなのも。

で、養老孟司の「いちばん大事なこと」という本を文章講座で習って、ちょっと上から目線でイヤミな感じもする本だけど、いい本だった。

次のエントリーで書くけど、最近感動した田中優子「未来のための江戸学」と併せて読むと、日本の社会が未来へ向かうために、どう変わって行かなくちゃいけないのか、ぼんやりと見えてくる。

そんなことを思いながら、来年辺り、ぼちぼち「旧い町とソバ好き連」というのを松戸で始めたいと構想を練ってる。

「居酒屋好き連」だと、オヤジばっかりになっちゃうから、誰でも参加できるように「ソバ好き連」である。

「カフェ好き連」でもいいんだけど、大勢でカフェってのもいかさないから、やっぱし「ソバ好き連」がいい。

杉浦日向子も死んで、5年になるし、そろそろあちこちで「ソバ好き連」つくってもいいかなと思う。

平潟で歴史を学び、ソバ屋で酒をのむ。

楽しそうだな。

2009年12月 5日 (土)

ちょっとうれしい季節の到来

今住んでいる小金城址という所は、とっても木が多くて、紅葉が綺麗。

近くの本土寺の紅葉は遠くから観光バスで来るほど有名だけど、タダで見られる馬屋敷緑地の紅葉も見事なのだ。

先日、久しぶりに雨が降った夜、駅から(もちろん流山線の駅)から、歩いて坂を上っていたら、坂道に色とりどりの落葉が張り付いて、キラキラ光っている。

なんだかこの世のものとも思えないほど美しかった。

落ち葉を踏みしめるとサクサクいう音が愛らしい。

小金城址は晩秋から、早春にかけて一番いい季節を迎える。

街灯が少なく、夜の暗さが月を綺麗に見せる。

何故か、ここは冬になると風がぴたりとやんで、冬の、清涼で凛とした空気が心地よい。

三郷に住んでいた時は、冬が大嫌いだった。

江戸川の対岸で、数キロしか離れていないのに、冬になると息が出来ないほど強い風が吹き続ける。

小金城址とは大違いなのだ。

ちょっとうれしい季節の到来である。

陸の道・川の道

先日、我孫子の郷土史家の方と話していたら、東葛飾は江戸時代に天領(幕府直轄地)が多いし、領主が細分化されていたんで、藩としてのまとまりなどないから、文化的にもこれっていうものがないんだよね的な話になってしまった。

でも、っていうか、だからこそというべきか、わかんないけど、東葛飾にとって道が大事だと考えるようになった。

陸の道と川の道。

利根川・江戸川と水戸街道が交差する交通の要所だった東葛飾、特に松戸とその周辺は、江戸から明治にかけて栄華を極める。

水戸街道を、水戸の人たちは江戸街道というらしい。

かつて太日川と呼ばれた川は、江戸に向かう航路となり、江戸川と呼ばれるようになったという。

水戸街道が江戸街道と呼ばれるのも同じ理由であろう。

江戸近郊の東葛飾は、江戸東京を考えるときに大変多くの人やものや情報が行き交う興味のつきない地域だということに最近気づいた。

例えば、江戸の商店で使われた大福帳には、今の茨城県大子町で生産された丈夫な西ノ内和紙が使われた。

松戸の提灯屋さん八嶋商店のご主人との会話では、そんな話が出た。

水戸藩が藩の財政を支える特産品の和紙が江戸街道と呼んだ道を使って江戸に運ばれた。

水戸街道は和紙の道でもあった。

東葛飾の郷土史と江戸東京の歴史が重なり合う。

どんどん江戸と水戸街道が面白くなってゆく。

2009年12月 3日 (木)

これでも結構いそがしいのだ。

やばい。

一月以上もブログをサボってしまった。

これでも結構忙しいのだ。

なぜかっていうと、ひんぱんに江戸に旅していたから。

あっちがよくってさ。

歌川広重の「名所江戸百景」とか、明治初期の井上安治の錦絵を見ていたら、吸い込まれていってしまうような感覚が、すこーしだけわかるようになってきた。

物理的には存在しない、心の中のリゾート開発。

赤瀬川原平が「脳内リゾート」っていっていたのと同じ。

江戸の人たちを見ていると、お金も時間もなくても、脳内リゾートの領域の広さが俺たちとは全然ちがう。

あこがれちゃうな。

江戸中期の松戸だとか、幕末から明治の荒川区あたりの研究を二ヶ月もやっていると頭が変になってきて、いまの俺たちの生活がすごく変だというとに気づく。

外国から戻ってきたようなカルチャーショックをうける。

書きたいこといっぱいだけど、研究論文の完成まであとわずかだ。

がんばろう。

それと自費出版の「ふるさと」エッセイ集が出来た。

プロの作家が何人も揃って、かなりの豪華メンバーだ。

(もちろんトウシロウのオレはのぞいてだけどね)

市販しても売れるような面白い本が出来上がった。

これで根岸を書き終えたので、今度は水戸街道を日本橋から水戸までたどってみようかしらん。

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31