松戸広報を見て、長年にわたって、矢切の渡しの船頭をつとめた杉浦正雄さんが10月に亡くなったことを知った。
三年前の冬の日、研究誌の取材のために、正雄さんにインタビューしたことを思い出す。
この松戸市の市民栄誉賞第一号の人物は、まるで映画「男はつらいよ」の世界から抜け出してきたような、気取らず、おごらず、気さくな老人だった。
正雄さんの家の庭で縁台に座って、約二時間。
日向ぼっこをしながらの素敵なインタビューだった。
その時の感動を誰かに伝えたくて、書いた論文だったが、「江戸川沿いのスローライフ」というタイトルを変更し、内容も直したものを発表した。
自分としては、捨てがたいキーワードだったので、修正前の文章のタイトルとして、ここに載せたい。
簡単に出来ることをわざわざ時間をかけて行う。そして、そのことに喜びを見いだす。
かつて「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く」といった標語があったが、そんな言葉も死語になり、ドッグ・イヤーなどとよばれる昨今の日本で、「矢切の渡し」に嬉々として集う人々を惹きつける魅力はどこにあるのだろうか。
そして、正雄さんご一族と、名前のないおじさんが作っている小さな世界を一言で表現するにはどうしたらいいだろうか。
その答えを求めて自問自答している時に、本棚を眺めていたら筑紫哲也「スローライフ」という本に目が留まった。
気忙しい世の中で「スロー」という部分に価値を見出し、ライフスタイルに反映させる「スローライフ」という考え方は「矢切の渡し」にこそふさわしいと思い、表題にしたが、適切であったろうか。
正雄さんのお話は興味深いものであったが、名前のないおじさんに話を聞いて、やや平板だと感じていた「矢切の渡し」への理解が、少しばかり深まったように思う。
桟橋を毎年、修理しつつ木の桟橋を使い続けるという話は、大変興味深く印象に残った。
こんな想像をしてみる。もしも、諸条件が整って「矢切の渡し」が近代化=産業化したら、おそらく木の桟橋を使うようなやり方はしないであろう。
借り入れ等で、資金を調達して、コンクリートで出来た立派な桟橋を造り、固定費を回収するために、営業時間を延ばす。
そのために全天候で運行出来る屋根付きの舟を導入し、徐々に風情が失われて行き、乗る人もいなくなるといったサイクルをたどったのではないか。
政府の中小企業対策は長い間、家族経営の生業を近代化=産業化させることを絶対的な善として、躍起になってやってきた。その方策は成功し、戦後日本の経済発展を支えた訳であるが、光と影の部分がいよいよ明らかになってきたのが昨今の国内産業の状況である。
「矢切の渡し」は一つの小さな成功例である。場所等の特殊な成功要因もあろう。
しかし、この小さな家族経営の成功物語は我々に多くのことを教えている。
そう考えると、まだまだ「矢切の渡し」への興味は尽きないのである。
改めて杉浦正雄さんの冥福を祈ります。
そして、長い間ありがとう。
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