加藤和彦の死について考えた
体調が悪くて、ブログの更新が2週間も途絶えてしまったが、この2週間でいろいろあった。
まず、ショックだったのは加藤和彦の自殺。
中学生の頃、クラスメートから顔が加藤和彦に似ていると言われて、意識するようになったが、この人の音楽的な方向性はなんとなく他人じゃない感じがしてきた。
大ファンではないが、ミカバンドも、「パパ・ヘミングウェイ」も、そのあとのヨーロッパ風のアルバムも、僕の愛聴盤だ。
世間のイメージを気にせず、好きなことを、好きなだけやっていた人(どちらかというと荷風に似たタイプ)だと思っていたので、衝撃が大きい。
ただ、今になって思うのは、この人は、どこまでも徹底的に都会人で、自分の中に自然で癒される仕掛け(あまりうまく言えないな)を持っていなかったんじゃないかっていること。
自殺した軽井沢という場所も立派な都会である。
天才であるがゆえに、衰えてゆく苦悩を処理することが出来なかったんだろうって、思う。
同じように天才だった荷風が最後に住んだのが、東葛飾の市川だったという事実は、僕にはとても重いのだ。
戦後、自由な社会になり、荷風は大好きなパリでも、どこでも好きな場所に住むことが出来たはずなのに、14年間も市川に住んだ。
多くの評伝を読んだが、だれも納得の行く説明をしてくれていない。
古い東京の街を想起させる緑豊かな丘や、江戸川や真間川を中心とした水景に癒されたことは間違いない。
でも、市川じゃなくちゃいけない理由がもう一つわからない。
「断腸亭日乗」にも書いていない何かがあったはずなのだ。
あくまで推理の世界だが、僕は松戸の戸定邸の存在も関係しているような気がする。
そして、戊辰戦争時には国府台に幕臣が集まって、決起した歴史もある。
文庫化のなった川本三郎「荷風と東京」を読んでいたら、荷風という人は崖の上から遠くを見るのが自分のスタイルだったという記述を見つけた。
戦後出来た新政府が、愛する江戸東京を舞台にどんなことを行うのか、緑豊かな江戸川のこっち側の崖の上から、見届けてやるぞという決意だったのかもしれない。
加藤和彦の話が、いつの間にか荷風になってしまった。
とりあえず、この辺で終わり。
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