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2009年10月

2009年10月24日 (土)

自然のリズムで暮らそう

先週「流星」が発売された。

今回は「鴬」っていうエッセイを載せてもらった。

小金城址にある我が家の近所は緑が多くて、ウグイスの声が聞こえる。

自分が育った台東区根岸にある鶯谷駅ではウグイスの声をスピーカーで流している。

明治時代はウグイスの鳴く風雅な緑の里だったはずが、ラブホテルとマンションだらけの街になってしまった。

やっぱり、ふるさと根岸より、いま住んでいる葛飾カウンティがいい。

人間には自然が必要なんだ。

最近、つくづくそう思う。

「鴬」と年内に発表する「路地裏のユートピア」では、ふるさと根岸のことを書いたのだが、書いているうちに、当初の思惑とは違って、失われた下町の自然(とそのリズム)を思いをはせるようになった。

昭和三十年代は郊外だけじゃなく、下町だって自然がいっぱいだった。

文芸評論家の好きな東京の下町と山の手の対立っていう構図はもう時代遅れだし、昔から言われる人工と自然の対立もぴんと来ない。

いま僕が一番気になるのは、人間を含めた自然を大事にする社会か、デジタル化を無批判に受け入れる社会のどちらを選ぶかということ。

仕事でモーレツにコンピュータを使い、テクノストレスで体調を崩して、初めて見えてきた課題である。

加藤和彦の死について考えた

体調が悪くて、ブログの更新が2週間も途絶えてしまったが、この2週間でいろいろあった。

まず、ショックだったのは加藤和彦の自殺。

中学生の頃、クラスメートから顔が加藤和彦に似ていると言われて、意識するようになったが、この人の音楽的な方向性はなんとなく他人じゃない感じがしてきた。

大ファンではないが、ミカバンドも、「パパ・ヘミングウェイ」も、そのあとのヨーロッパ風のアルバムも、僕の愛聴盤だ。

世間のイメージを気にせず、好きなことを、好きなだけやっていた人(どちらかというと荷風に似たタイプ)だと思っていたので、衝撃が大きい。

ただ、今になって思うのは、この人は、どこまでも徹底的に都会人で、自分の中に自然で癒される仕掛け(あまりうまく言えないな)を持っていなかったんじゃないかっていること。

自殺した軽井沢という場所も立派な都会である。

天才であるがゆえに、衰えてゆく苦悩を処理することが出来なかったんだろうって、思う。

同じように天才だった荷風が最後に住んだのが、東葛飾の市川だったという事実は、僕にはとても重いのだ。

戦後、自由な社会になり、荷風は大好きなパリでも、どこでも好きな場所に住むことが出来たはずなのに、14年間も市川に住んだ。

多くの評伝を読んだが、だれも納得の行く説明をしてくれていない。

古い東京の街を想起させる緑豊かな丘や、江戸川や真間川を中心とした水景に癒されたことは間違いない。

でも、市川じゃなくちゃいけない理由がもう一つわからない。

「断腸亭日乗」にも書いていない何かがあったはずなのだ。

あくまで推理の世界だが、僕は松戸の戸定邸の存在も関係しているような気がする。

そして、戊辰戦争時には国府台に幕臣が集まって、決起した歴史もある。

文庫化のなった川本三郎「荷風と東京」を読んでいたら、荷風という人は崖の上から遠くを見るのが自分のスタイルだったという記述を見つけた。

戦後出来た新政府が、愛する江戸東京を舞台にどんなことを行うのか、緑豊かな江戸川のこっち側の崖の上から、見届けてやるぞという決意だったのかもしれない。

加藤和彦の話が、いつの間にか荷風になってしまった。

とりあえず、この辺で終わり。

2009年10月11日 (日)

とうとう森鴎外が来た

このところ森鴎外がマイブーム状態である。

なにを今さら、大文豪じゃんと、石が飛んできそうだが、鴎外の作品はいまだかつて、一つも読まないようにしていた。

文章講座で「舞姫」をやるというので、仕方なく読み始めたのである。

よく考えると、鴎外というひとは自分にとって一番身近な文豪で、短期間だが、自分の古里根岸に住んでいたらしいし、根岸では、地元の炒り豆屋によく豆を買いに来たという話も残っている。

大学生の頃、鴎外の旧居近くにある中華料理店で、長い間バイトをしていたので、無縁坂や不忍池のあたりもなじみの場所だった。

でもね。軍人としてもエリートで、大文豪なんて言われりゃ、そんな偉い人になれっこないこっちは、お近づきにはなりたくないので、敬遠してした。

ところがこの人の年譜を見ると、勤め人の仕事と、家庭と、文学の狭間の中で、苦労しながら、力を蓄えて、晩年になって爆発的に作品を発表したことを知り、何か親近感を感じた。

「舞姫」を読んだら、「雁」を読みたくなって、「雁」を読み終えた時には、完全に鴎外がマイブームになっていた。

生まれてから五十年以上も鴎外を読まずに過ごしてきてしまったことに軽い後悔の念を抱いた。

絶望的に暗い結末の鴎外デビュー作「舞姫」はヒロインのドイツ女性エリスの内面が、もうひとつうまく描けていないような気がするが、50歳過ぎてから発表された「雁」は、美しく、切なく、どこか優しく、ほのかな希望もある。

特に主人公のお玉という女性の内面的な発展が生き生きと描かれている。

だから、ほろ苦い結末なのに、どこかほのかな希望も感じる。

いま、タイミングよくBGMでディランの「マイ・バック・ペイジズ」が始まった。

暗闇坂の下で過ごした青春の光と影を思い出しながら、この辺でおわりにしよう。

2009年10月 3日 (土)

「フウチ」と間合い

「フウチ」っていう雑誌があって、2004年の創刊号の特集が、画家の猪熊弦一郎と、そのころよく行っていた黒磯と那須にあるSHOZO CAFEだった。創刊号にしてはずいぶん地味な所に目をつける雑誌だと感心して、いそいそとページをめくった記憶がある。

その「フウチ」が台東区蔵前に拠点を移して、作った特集「下町にあるもの 繋がることの大切さ」はよかった。

一年前に出た本だけど、最近吉祥寺の書店啓文堂で見つけた。

台東区には流行に左右されない静かな落ち着いた暮らしが残っていることがわかる。

ふるさと根岸の町壊しの現状など見ていると、絶望的な気分になっていたけれど、「フウチ」を読んですこし気が晴れた次第。

写真の技術のことは、よくわからないけど、微妙なぼけ加減の写真たちが、独特の間合いを作り出している。

この「間合い」が最近失われているんだよな。

辞書を引くと、相手とのほどよい距離感だったり、「ころあい」、とか「ひま」とか書いてある。

電車に乗ってもこっちが降りる前に乗ろうとしてくる若い男。

ホントに増えている。

君はそんなに疲れているいるのかい。

通勤電車の中で飲食する若い女性。

ホントに増えている。

人間を人間たらしめているのは生理的欲求をコントロール出来るからだよ。今食わないと君は餓死するのかい。

誰かに教えてもらうわけでもなく、大人になるにつれて、自然と身についていった目に見えみえない世の中のルールが、急激に風化している。

長生きするのがホントに幸せなのか、よくわからなくなる。

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