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2009年8月

2009年8月29日 (土)

実践の書W・モリス『ユートピアだより』

ネットで菅生沼の美しい自然を眺めていたら、以前写真でみたテムズ川上流のケルムスコット村を思い出した。

そう思うと、ケルムスコット村を愛したウィリアム・モリスが気になり始めて、『ユートピアだより』を最後まで、一気に読んだ。

近代デザインの父、社会運動家、ファンタジー文学の始祖などと言われるモリスについては、今までいろいろ言ったり、書いたりしてきたけど、『ユートピアだより』という作品はなかなか手強い。

何度か挫折している。

細部にこだわり始めるとちっとも面白くない。

有名なわりには読まれていない作品で、アマゾンで調べたら、いま辛うじて手に入るのは岩波文庫版ぐらいだ。

僕が読んだのは品切れ状態の晶文社版で、平野甲賀の装幀が美しい本だ。

装幀もいいが、内容が素晴らしいことに初めて気づいた。

そして、今日イギリスの庭園やカントリーサイドを観光で見て回ることが流行しているが、それも19世紀のイギリス社会に対して提案したモリスのビジョンであるこの本が出なかったらどうだったんだろう。

本の内容をちょっと矮小化しているかもしれないけど、ものすごくわかりやすく言えばモリス版「スローライフのすすめ」である。

いまなら当たり前に思えるだろうが、なにしろ19世紀に「スローライフのすすめ」を書いたことが信じられないし、100年前のイギリスの状態は、日本の今日の状態によく似ている。

本に着いている帯には「今こそ読まれるべき希望の書」とある。

そういえば、一番最後の場面でちょっと面白いコメントがあったので、抜き書きしてみる。

「世界にはやすらぎの時代がまだひかえている - でもそれは友愛(フェローシップ)が支配に取って代わったあかつきのことで、そうなるまではだめだということ - それをあなたはご自分の目でご覧になったのです。ですからおもどりなさい。」

友愛という古風な響きをもつ言葉を見て、某政党のキャッチフレーズを思い出した。

同じ言葉でも、その中身がどんなものか、モリスの友愛と某政党の友愛が同じ内容なのか、全くわからない。

ただ、間違いないく言えるのは、レセ・フェールといわれた19世紀の自由放任の資本主義社会と、フリードマン流の新自由主義が猛威をふるい大量の貧困層が生まれたいまの日本の現状はよく似ているということ。

19世紀の資本主義はやがて、鬼子のようにソ連のような共産主義社会・全体主義国家を生み出し、膨大な数の罪なき人々が粛正された。

21世紀のいま、なにも19世紀の二の轍を踏む必要などないだろう。

もし新しい政治体制が出来たらなら、某政党の唱える友愛の中身が少しづつでも、モリスの友愛に近づいて、『ユートピアだより』のビジョンが実現されるように願ってやまない。

2009年8月22日 (土)

前川國男の建築に思う

デンゾーさんのブログで前川國男のことをコメントしたら、さっき東京12チャンネルTVの番組で前川國男の特集をやっていた。

個人的に思い出すのは、昭和36年に出来た前川國男の作品である上野の東京文化会館という真新しい建物で、当時通っていた日暮里のヤマハ音楽教室のオルガン発表会をやったことだ。

音楽の才能が皆無なので、演奏中も気が散って、間違えてばかりだった。そうなると、つまらないオルガンの演奏などどうでもよく、集団の中にあって、一人だけ演奏をやめてしまい、会場内をキョロキョロ見回した。

着飾った聴衆と、美しい建築。コンクリートの白が目にまばゆい。

あまりにも、あまりにも、本当にあまりにも素敵な空間だった。

今は大好きだが、当時は自分が住んでいる空襲で焼け残った古い根岸の町が消えてなくなればいいと思ったくらいだ。

一生のこんな場所で暮らせたらいいのにって、思った。

だからいまだにオルガンは弾けないが、そのかわり建築が大好きになった。

親がそんな自分の指向性に気づいてくれれば、経済学部を卒業して、つまらぬ勤め人になる人生とは、もうちょっと違った人生もあったのかもしれないが、もう手遅れである。

それでも、何人かの建築家と親しくなり、いろんな経験を出来たことは、自分の財産になっている。

それにしても前川國男の建築はいいな。

奇をてらわず、そして垢抜けていて、ハイセンスだ。

自分の中では戦後の一番いい時代は、前川國男の建築と小津安二郎の映画が、象徴している。

財力に関係なく、品のいい庶民がいた時代。

希望に満ちていた日本が若かった時代。

そんな黄金の日々を文芸作品にしよう。

自分のユートピアン・ロマンスを描いてみよう。

オリンピックで壊される前の古い東京を知らない、若い人に読んでもらえるように。

いま、そんなことを考えている。

2009年8月16日 (日)

「まちものフォーラム」以降

以前、市ヶ谷のダムダン空間工作所で「まちものフォーラム」という集まりをやっていた。

数年前に亡くなった建築家の鈴木隆行(僕の仲間はこっそり、馬之助とか馬さんと呼んでいた。プロレスラーの上田馬之助に檄似だったから。文中では敬愛の念をこめて馬さんと呼ばせてもらう)が中心になって、毎月一回やっていた。

馬さんの人脈は質・量ともすごかったので、いま思えば、毎回豪華なゲストが現れた。

いま記憶にあるだけでも作家の森まゆみ、照明デザインの面出薫、写真家の本橋成一、軍艦島の研究者阿久井喜孝なんて人たちがいた。

周りがほとんど建築やアートの人ばかりで、僕の仲間たちだけ全く違う畑の違うメンバーだったので、馬さんは意外と歓迎してくれた。

当時はインターネットがはやり始めたばかりのころで、ITのプロを連れて行った時は、「まちものフォーラム」をどうやってネット展開しようかなんて真剣に話し合ったことも懐かしい思い出だ。

そんな馬さんとも少しずつ疎遠になり、亡くなってから数年が経った。

自分の中では不完全燃焼に終わった「まちものフォーラム」以降の展開を何か考えなきゃいけないと、正月に誓った。

都心の会場に有名な講師を招聘するのではない、住んでいる地域に根ざした地に足の着いた運動としての「まちものフォーラム」があるだろうと思う。

最近、山梨につなぐNPOという団体があることを知った。

自ら印刷機能をもって、町とミュージアムを紹介する小さな冊子を100種類以上作って、それをテキストにガイドツアーをやっている団体である。大学と連携して若い人が参加しやすい活動を行っている部分も見習いたいところだ。

もしかすると馬さんの「まちものフォーラム」の先にはこんな展開があったのかもしれない。

四谷荒木町の町おこしの先鞭をつけながら、(いろいろ事情はあったのかもしれないが)やがて忘れられた馬さんのことを思い、地元でゆっくりと、少しずつ、着実に形を作って行けたらと思う。

2009年8月15日 (土)

スモール・タウン・トーク久しぶりの2回目

息子と一緒に近所のカレー屋インディー28に行った。

30年前は出来たばかりのインディー28や手作りパンのビレッジ、自家焙煎コーヒーのりべるて、大金平書店といった魅力的な個人商店が立ち並んで、小金城址は若々しい活気に満ちた私鉄沿線の小さな町だった。

そんな町も今は、店主の高齢化とともに元気をなくしている。

大金平書店やビレッジ、それによく通ったソバ屋も釣り堀も、小金城址駅ビル2階の商店街も消滅した。

だからインディー28にはがんばってもらいたくて、当時のことを知らない息子を連れて、久しぶりに行った。

やっぱりおいしかった。

先日、カフェバッハに行った時、家の近所にこんな場所があれば、それだけでちょっぴり幸せになれると思った。

バッハはいわゆるドヤ街の山谷(正式には台東区日本堤)にある。

「あしたのジョー」で有名になった泪橋の近くだ。

店から少し歩くと労務者が酔っぱらって路上に転がっていた。

知り合いには、あんな怖い町には行かないという人も多い。

最悪の立地条件なのに、来客が絶えない。

だから、僕はバッハが好きだし、店主に敬意を覚える。

たとえ流山線の乗客は減ろうが、近所にスーパーが出来ようが、生き残る店は生き残る。

自分はコンビニの会社に入って、小さな商店を応援したいと思ったが、そんな甘い世界ではなく、退職せざるを得なかった。

「立地なんか関係ない。」

日本一つらい場所にいて、日本一おいしいコーヒーを作り続けているバッハはそんなことを教えてくれている。

2009年8月14日 (金)

イッツ・ア・ビューティフル・デイ

最近、その魅力にはまりつつある茨城県自然博物館を再訪した。

今日はいい天気で、お盆休み中ということもあり、この前より入館者が多かったが、それでも巨大スケールのこのミュージアムパークは、ゆったりと、のんびりムードである。

じりじり照りつける日差しの中、親水広場だけは大盛況で、子供たちの歓声が絶えない。

娘は無邪気に一人で遊んでいる。

澄んだ空気が気持ちいい。

草のにおいをかぎたくて、思わず寝転んで、空に向かってパチリ。

見上げると、森と空だけだ。

実に平和である。

ずーっと昔、ウエストコーストのロックグループ「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のアルバムジャケットはこんな空だったなあ。

バイオリンを使った美しい曲調も素敵だったけど、なんと言ってもアルバムジャケットが最高だった。

それから杉浦日向子の『江戸へようこそ』の表紙に使われた江戸時代の絵師司馬江漢の「両国橋図」の空もこんなあっけらかんとした空だったなあ。

頭の中で、杉浦日向子とイッツ・ア・ビューティフル・デイと司馬江漢が時代を超えてコラボレーションした。

ここに来ると何だか、普段の日常的な悩み事がバカバカしく思えてくる。

つい昨日、無実の罪人の斬首を見続けた首切り地蔵(延命地蔵)(フォトアルバム参照)や、幼くして吉原の苦界に入り、死して浄閑寺(雨の夕暮れの屍のような美意識参照)に投げ込まれた遊女たちの慰霊塔にお参りして、江戸と死を身近に感じて帰ってきた。

翻って今日、目の前で、自由を謳歌し、無邪気にはしゃぐ、平成時代の元気な子供たちを見ると、

「こんな平和な世の中が、せめて江戸時代と同じくらい200年以上続いてほしい。」

8月15日の終戦記念と新日本の出発の日を目前にして、ふとそんなことを思った。

2009年8月13日 (木)

上野・浅草じゃない台東区北部の名所巡り

暑い中、デンゾーさんご夫妻に付き合っていただき、三年ぶりに三ノ輪から根岸、千束、日本堤、南千住一帯を歩いてきた。

このブログのフォトアルバムにも一枚だけ、南千住の古い家並みの写真を載せてあるが、今日見たら手前の青い家は消滅していた。

さらに深刻なのは、井上安治の錦絵でも知られる千住ラシャ製造所の遺構の煉瓦塀が大幅にカットされて、ほんの一部しか残っていないことだ。

跡地に建てられた東京スタジアムが完全消滅してもなお、明治初期の遺構が残っているところが、荒川区の素晴らしいところだと思っていたので、大ショック。

仕方がないので、例によって建築のカケラハンターと化して、壊されたばかりの煉瓦のカケラを拾ってきた。

これが正真正銘の明治初期、大久保利通のアイデアで南千住に建てられた千住ラシャ製造所の残りわずかな煉瓦塀のカケラである。

それから根岸のグリルビクトリヤでランチを食べたので、店のファサードをパチリ。ハンバーグがとてもおいしかった。昔、新幹線の食堂車や、デパートの食堂に行かなければ食べられない、ごちそうだったころのハンバーグの味を思い出した。

根岸では特に町おこしをやっている訳じゃなく、観光地化する一方の谷中に比べると、町としては衰退していて、マンションばかり増えてしまい特に金杉通り沿いの商店の歯抜け状態が深刻化しており、とても悲しい。

それでもソフトクリームで有名な喫茶店デンに行ったら根岸大好きマップをくれた。

デンの店員さんの優しさに感謝。ソフトもそんじょそこらのソフトとはできが違う手作りの味。大満足だ。

今日うれしかったのは、久しぶりに日本堤にあるカフェバッハに行けたこと。

マニアといえるほどではないけど、コーヒーが好きで、おいしいコーヒー屋さんを訪ねて、あちこち行ったが、自分はここのコーヒーが日本一おいしいと思う。

いつ行っても変わらぬ接客と変わらぬコーヒーの味。

こんなコーヒーを毎日飲める日々があったらなあ。

たった450円で味わえる幸せ。

いまはそんなささいなことに、一番あこがれを感じている。

2009年8月12日 (水)

明け方まで「雑居時代」を見てしまった。

ブログに「雑居時代」のことを書いてから、急に気になり始めて、ユーチューブで「雑居時代」の動画を見ていたら、とまんなくなっちゃって、明け方まで見てしまった。(眠い)

だって、今見ても、石立鉄男と大原麗子の会話はすごいんだから。

軽快なテンポで、繰り出される会話の妙は、よくできた新作落語を聞いているかのようで、こりゃ何度見ても飽きない。

笑えて、ほろりとさせて、なおかつハラハラさせる。

この前の「パパと呼ばないで」も、このあとの「気まぐれ天使」もよかったけど、石立鉄男は、大原麗子とからんだ、この作品が多分ピークだったような気がする。

最近ドラマ見ないので、もし「雑居時代」のリメイクを作るとしたら、いまこの二人のようなやりとりを出来る役者さんているのかしら。

石立の十一の役は大泉洋あたりかな。(ちょっと器用すぎてつまんないけど)

大原麗子の役を出来る俳優って、いるのかね。

同じようにサントリーのウィスキーのCMに出てるけど、小雪じゃ線が太すぎるし、上手すぎる。

決して何でもこなせる器用な役者じゃない二人が、全盛期に出会って作った作品が「雑居時代」だったから、時代を超えて心打たれるものがある。

芸達者な大坂志郎や富士真奈美がいるから、また二人の存在が光る。

いいものを思い出せてくれて、もう一度大原麗子に感謝したくなった。

2009年8月 9日 (日)

大原麗子の訃報に思う

荷風の死に方についてブログで書いたら、大原麗子が荷風と同じように孤独な死をとげたと報道された。

大原麗子といえば僕には「雑居時代」だな。

テニス部を辞めて、勉強も最悪で、家でロック聞くだけのまるでダメ人間だった高校一年のころ、このドラマを見るのが楽しみだった。

大原麗子演ずる勝ち気で、気っぷのいい夏代という女性が素敵だった。

毅然としたたたずまいが美しかった。

そのイメージは後年、あの「すこし愛して」のCMに引き継がれて、その魅力が遺憾なく発揮されることになる。

2回離婚してひとりになって、ずっと病気と戦って、痛みに耐えて、孤独に死んでいった大原麗子は、荷風みたいでかっこよすぎる。

「ちょっと寂しくて」なんて言って、麻薬に手を出したり、病気を苦に自殺したりする人間が多い世の中だ。

持田叙子が荷風の死について言った言葉。

「グッド・ジョブ」を大原麗子に捧げよう。

そして「ありがとう」

菅生沼と江戸の不思議な関係

この一週間、菅生沼のことで頭がいっぱいだ。

茨城県の自然環境保全地域でも最大規模の面積をほこるというこの場所には、以前から関心があったけど、実際に博物館から見る眺めがすばらしい。

きっと沼のほとりで一日ぼーっとしていても飽きないだろうな。

菅生沼へようこそ!というホームページがあった。

写真が豊富に載っているので、毎日一回は眺めている。

東葛地域の近くにこんな場所が残っていたなんて、ちょっと不思議でうれしい。

田中優子『江戸を歩く』を読んでいたら、江戸の自然についてこんな記述があった。

「彼らの遊びを美しくしているのは、(中略)江戸の自然だったのである。水や風や季節や月や花だったのだ。江戸の戯作や洒落本や随筆はとりわけそれを描いたりはしていないが、じつは豊かな自然環境は大前提であった。それを抜きにして江戸文化を語るのは、もっとも大事なものを見落としていることになる。」

何度も読んでいる愛読書なのに、以前は見落としていた部分だった。

『江戸を歩く』は集英社新書の小さな本だけど、奥が深い。

近々、この本を携えて、台東区を散歩する。

僕には失われて久しい自然を幻視することが出来るであろうか。

2009年8月 5日 (水)

杉浦日向子の分まで生きる。

今勤めている職場は三鷹市下連雀という町にある。

仕事の都合で、自転車に乗り、町を走り回る。

ずっと昔はのどかな田園風景だったらしいが、そんな風景はとっくの昔に幻となり、今は平凡な住宅地が続いて、ろくすっぽ蝉や野鳥の鳴き声も聞こえないクソ面白くもない町だ。

(それに比べて我が町小金城址の自然はなんて素敵なんだ!)

そんなつまらぬ町内に、60年くらい前、太宰治が住んでいたことを知った。

どおりで吉祥寺の本屋が妙に太宰の生誕100年だって力が入るわけだ。

そんな基礎的なことも知らないくらいで、僕は太宰治という作家には全く興味がわかない。

それなのに、山本鉱太郎先生は今週の文章講座で「斜陽」を取り上げるという。

思い切って青空文庫で「斜陽」を読んだが、数行読んだだけで放棄した。

残りの人生で何冊の本を読めるかわかったもんじゃないのに、こんなもん読んでらんないよ。

仕方がないので、東京人別冊「三鷹の太宰治」を読んで、サイドアタックしたけど、やっぱし駄目だ。

こうなったら好きになる努力は放棄して、どうして嫌いなのか考えてみた。

きっと理由は一つ。

自殺したから。

それも昨今はやりの練炭自殺に通じるような、無責任でしだらない死に方をしたから。

家も、友人も、家族も何もかも失い、さんざん世間から非難されながら明治・大正・昭和を孤独に生き抜いて、医者にもかからず、誰にも迷惑をかけず、自然に死ぬことを選んだ永井荷風を知っているから。

持田叙子が講演の時に荷風の死を「グッド・ジョブ」といったが、まさに至言だと思う。

仕事が辛くて、職場に行きたくなくて、どうしようもない毎日が続くと、ときおり死んじゃった方が楽かな、なあんて、思うこともある。

そんな時に荷風さんを思うと、心がすっと軽くなる。

荷風さんが、すっと隣に現れて、見守ってくれているような気になる。

荷風さんという人は、威張るやつ、偉そうにしている奴には冷たいが、要領が悪くて、時流に乗れず逆境にある人にはいつもやさしい人だ。

自分が順風満帆の時には気づかなかったが、そんな懐の深さももった人物だ。

僕は川端も、三島も、荷風を批判したあげく自殺した江藤淳も、自殺した作家はみんな大嫌いだ。作品の質以前の、人間の質を疑ってしまう。

だから、同世代のみんなに言いたい。

46歳で死んだ杉浦日向子の分まで、生きてみようって。

2009年8月 2日 (日)

茨城県自然博物館とその周辺

ずいぶん前から板東市(旧岩井市)に茨城県自然博物館というミュージアムパークがあることは知っていたが、野田のちょっと先とはいえ、遠いイメージがあって、行きそびれていた。

ところが春に娘が保育所の遠足で行ってきて、とても気に入ったので、家族で行こうということになり、初めて行ってきた。

行ってよかった。

ここは首都圏でもまれな、大人から就学前の子供まで楽しめる場所だということがわかった。

まず展示物の質が高く、情報量も圧倒的で、図書室の書籍類も充実している。公園は巨大なスペースで、一日では回りきれないほど。

さらに公園内は管理が行き届いているので、ゴミ一つなく、美しく整備され、安心して子供を遊ばせることが出来るのがうれしい。

雨上がりの日光に照らされ、芝生の緑が眼にまばゆく映える。

水辺に寄ると、煉瓦の赤い色が目を惹く大規模な閘門橋があるので、説明看板をよく見ると反町閘門橋といって、明治時代に作られた実際の橋を移設したものだそう。大きさは水元・戸ヶ崎の大場川にかかる閘門橋くらいある。

博物館すぐ隣の菅生沼は、周囲が自然のままで、冬には白鳥の大群が飛来する野鳥の楽園だというが、確かに神秘的な沼だ。

博物館の周辺は、眼に入るものがすべて自然で、美しい。

当たり前だが広告看板などどこにも見あたらない。

関東の湖水地方っていったら大袈裟だろうか。

でもそんな気分。

あんまり素敵なので、人には教えたくないくらい。

少年時代、長い休みになると、決まって霞ヶ浦のほとりにある母の実家で過ごした。

何度か、湖を見下ろす丘を祖母と一緒にピクニックしたことがある。

霞ヶ浦の向こうに見える筑波山のシルエットが綺麗だったな。

いま思えば現役の帆掛け舟が浮かんでいた40数年前の霞ヶ浦周辺は、風光明媚な場所だった。

茨城県自然博物館とその周辺は、今は幻のように消えてしまった、そんな風景を思い起こさせてくれた。

きっと僕は長いこと、ここに通い続けることになる、そんな気がする。

関西のタウン誌にやられた。

吉祥寺の本屋で「東京の手仕事」書いてあるムックが平積みになっている。

どうせ出てくるのは中野・杉並や吉祥寺あたりの中央線沿線のショップの紹介だろうと思って、さしたる期待もせずに手にとってみると、誌面に不思議な空気が漂っている。

巻頭特集が御徒町あたりの台東区の若い職人の店で、そのあとも東京のイースト・サイドの紹介が続く。

驚いたのは北千住の「酒屋の酒場」が載っていること。

北千住駅から4号国道を越えた先にある「酒屋の酒場」は、友人の小田健人が連れて行ってくれた地元民のための店で、いくら安くて旨い店といっても、関西の人が知っていること自体驚き。ましてや「酒屋の酒場」が金を払って雑誌掲載を依頼するはずがない。

このムックはなんか変だぞと思ったら、なんと関西の京阪神エルマガジン社という出版社が出している「ミーツ・リージョナル」という雑誌の別冊だ。

東京の出版社じゃあ、本来山の手に位置する谷中・根津・千駄木あたりをまるで代表的な下町のように紹介して、「いせ辰」の千代紙かなんか載せて、終わりだもんね。

などと毒づきたくなる雑誌が横行するなかで、関西の出版社にやられちゃったと思った。

すると、今朝の朝日新聞朝刊で江弘毅という人が「ミーツ・リージョナル」の元編集長として紹介されている。

-江さんにとって、居心地のいい場所はどんなところですか。

という質問に

「地元、です。『私はなぜ、あなたではない私なのか』ということと、『ここはよそではない。他ならぬここだ』ということが感じられるところ。生まれた岸和田も、事務所があるここ中之島も、住んでいる神戸も、地元です。」と言って、前は嫌いだった東京にも友達が出来て、浅草の友達に浅草に連れて行ってもらったら最高だと書いてある。

関西にはすごい人がいるなあって、驚いた。

僕は江さんの町を見る見る目線に強く共感する。

そして自分の同世代にこんな人がいるとは、まだまだ日本中にはたくさん面白い人がいるんだろうって、うれしくなった。

「東京の手仕事」と江さんは、日本中に増殖するショッピングセンターに対抗するために、僕たちがやるべきこと。

それは、取り替え不可能な人と町、その魅力を発見する、地道な努力から始めなきゃいけないと教えてくれている。

2009年8月 1日 (土)

「松戸宿坂川献灯まつり」はもうすぐだ。

友の会で作った「東葛流山研究・楽しい葛飾ウォーク事典」が大好評で、品切れ状態だ。もっと多くの人に読んでもらいたいのに、残念だと思っていたら、秋に少し小さい判型で再刊の話があるという。

詳細はそのうち崙書房(ろんしょぼう)出版から発表になると思うが、ちょっとうれしい。

僕のパートである2作品は矢切から横須賀まで江戸川沿いの松戸を南から北まで、歩きながら書いたもので、小さくなった本を片手に散歩を楽しんでいただけるとうれしい。

そして本格的に地元学を勉強したい人は、僕のような半可通の書いたものではなく、松戸の郷土史研究者渡邊幸三郎さんや松下邦夫さんの本や、このブログからリンクを張っているペンペン草さんのホームページを参考にするといい。

もちろん市立博物館もおすすめ。

松戸宿の際物屋八嶋さんががんばっている「松戸宿坂川献灯まつり」も来週に迫ってきた。

千葉大園芸学部の存続も決まったし、これからもっと松戸は面白くなるよ。きっと。

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