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2009年7月

2009年7月25日 (土)

三郷早稲田の新名所レストラン「青いそら」

20年近く三郷に住んでいた。

三郷時代、ご近所で妻の一番仲良しが、Sさんである。

そのSさんが早稲田でワーカーズコレクティブ運営のレストランを始めるというので、早速オープン日に遊びに行った。

Sさんはシューズデザイナー高田喜佐のもとでショップの店長をやっていた人で、デザイン力・企画力のある人だ。

靴のことはよくわからないが、わたしは高田喜佐のエッセイが好きで、ずいぶん読んだ。高名な詩人を母にもち、江戸趣味と近代的なセンスが共存したまれに見るハイセンスな文化人だった。

老境に入った高田喜佐はこれからどんな世界を表現してくれるんだろう。

Sさんにお願いして、いつか会えればと願っていた矢先、「喜佐さんが亡くなった。」と聴いた時は杉浦日向子の死から半年ほどの時だった。

これから21世紀の新しい着物文化を作ってゆくだろう二大巨星が、相次いで墜ちたことに、大きなショックを受けたことを思い出す。

そんなSさんと仲間たちが力を注いだコミュニティ・レストラン「青いそら」は気持ちのいい空間だった。

三郷文化会館に付属したその場所から大きな窓越しに見る早稲田公園の緑が、いつになく素敵に見える。

昨夜テレビでみたニューヨークの公園みたいだ。

日替わりのランチを食べた。

地産地消の野菜や安全な食材にこだわったお値打ちの手作り料理がシンプルだけど、美しい器に盛られて出てくる。

喜佐さんや大橋歩さんをよく知るSさんらしいセンスの店になってる。

地元の野菜も安価で直売している。

気分がいいので、御殿場産の地ビールを飲んでしまった。

こういうゆるーい午後のひとときって、いいなあ。

蒸し蒸して苦手な夏の午後が、とても気持ちのいい時間になった。

ゆっくりと荷風の世界に入ろう

今夜は松戸駅近所の居酒屋「ひよし」に行った。

とてもいい店だった。

最近のチェーン展開する居酒屋のような余計なものがないかわりに、必要なものはすべて備えている。

長い歴史が織りなす居心地の良さ。

東京下町の三ノ輪や千住あたりにあるような、まっとうな居酒屋を松戸で発見したという喜び。長いつきあいになればいいと願う。

ところで、このブログで永井荷風のことをいろいろ書いているけど、よく考えれば荷風の読者ってものすごくレアで、女性となるとさらに少ない。

自分だって高校生の時に初めて名前を知ってから、30年以上かけてやっと魅力がわかった。

どうしたらみんなに荷風の作品に親しんでもらえるんだろうって、頭を悩ます。

「葛飾土産」はいいのだが、よく考えればこれもある程度荷風さんを知った人向けの作品かもしれない。

まして文語体で書かれた「断腸亭日乗」など、おすすめできないし。

やっぱり川本三郎経由だろうな。

特に岩波現代文庫で出ている『荷風好日』と『荷風語録』が

がいい。

この二冊を読んだあとに、同じ著者の『荷風と東京』という大著を読んで、わたしは荷風に目覚めたと言っていいだろう。

例えば『荷風語録』は川本三郎が編集した荷風の作品集だが、中でも「深川の唄」がおすすめ。

四谷から両国までの市電に乗っている内に、フランスから帰ってきた荷風が江戸東京に惹かれてゆく心の動きを見事にとらえたロードムービーのような短編小説で、ラストシーンで深川不動尊の境内に夕日があたり、盲目の男の歌沢節と三味線をBGMに、つぶやく場面が大好き。

ちょっと書いちゃいます。

「自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に佇んで、歌沢の端唄を聴いていたいと思った。永代橋を渡って帰って行くのが堪えられぬほど辛く思われた。いっそ明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨の如く滅びてしまいたいような気がした。」

江戸から一転してニーチェが出てくるこのあとのラストが更にいいんだけど、本を買って読んで下さい。

『荷風好日』なら「東京散策記」や「下町へ向かう」がいいと思う。

そうやって回り道しながらゆっくりと、荷風の世界に近づいてゆく。

そうすると初めて見えてくるものがたくさんあって、一つ一つが美しい宝物として、心の中に蓄えられてゆく。

例えばわたしたちが忘れがちな「季節感」だったり、町の中で聞こえる「微かな物音」だったり。

そうやってだんだん荷風が身近になってゆく。

そんな人生の醍醐味をいま味わっている最中である。

2009年7月20日 (月)

門外不出の本

妻と息子は仕事で不在だ。娘は一人で遊んでいる。

「さあ掃除をしよう!」

ハタキを手にとって、ガラス窓と天窓を開け放って、「サー・ローランド・ハナ・トリオ/ミラノ・パリ・ニューヨーク」をステレオ装置にセットした。

これはMJQのジョン・ルイスへの追悼アルバムなのだが、演奏者のローランド・ハナも数年前に亡くなったという。

二曲目の「スケーティング・イン・セントラル・パーク」という曲が私のお気に入りだ。

最初に聴いてから、この曲を何度聴いただろう。

何度聞いても聴くたびにハナの流麗なピアノの音色に魅了される。

公園に遊びに行きたいような気持ちのいい日にはぴったりの名曲だ。

そんな名曲を聴いていたら、アマゾンの配達が来て星川清司『小村雪岱』、小村雪岱『日本橋檜物町』が届く。

二冊とも平凡社から出た貴重な本。在庫のこりわずかというので、慌てて注文した。

特に両方とも美しい本だが、特に星川清司の方はちょっとすごいぞ。

松岡正剛が「千夜千冊」で「人に教えたくないくらい」いい本だというのがよくわかった。

鈴木春信のような小村雪岱の絵、本の装幀、文章、確かに全部いい。

ちなみに小村雪岱は根岸の住人。

汚すにはもったいないので、門外不出にしよう。

愛書家じゃないので、本に鉛筆で書き込みしては、友人の小田健人に怒られているのだが、この本だけは汚い手で触られたくない気分だ。

家族が寝静まった夜、一人の時間にこっそり本を読む楽しみが出来た。

2009年7月19日 (日)

荷風も愛した町下谷根岸

お役所は梅雨明けだって言うけど、自分の体が全然そんな気分じゃないって反応なんで、相変わらず逆流亭雨彦のまんまで登場です。

葛飾区亀有の生まれだが、実際は物心ついてから6歳までは台東区の根岸という町で育った。

根岸に住んでいた当時は貧乏で、家には童話や絵本のたぐいなど一冊もなかった。なぜかテレビは家にあったが、今のように番組やチャンネルもあったわけじゃないし、放送休止時間帯もあった。

そんな状態だから、書物やメディアではなく、住んでいる町から多くのことを学んだ。

町自体が学校だった。

十代になるまでろくな読書体験を持たない自分が、いまになって文章を書こうとするのはこの町で、大切なことを学んだからだと思う。

驚くべきことに、根岸の町の骨格は今も昭和30年代の頃と変わっていない。

10年ほど前、30数年ぶりにそこを訪れた時も、子供時代のかすかな記憶を頼りに、細い路地を歩いて、道に迷うこともなく散策することが出来た。

そして、空襲に遭わず江戸から続く文化や生活習慣が色濃く残っていた根岸という不思議な町で育ったということが、自分にとって大きな意味をもっているってことにだんだん気づき始めた。

しかも東京オリンピック直前という絶妙な時期にそこから引っ越したことで、オリンピックやバブル期の町壊しも目撃せず、昭和三十年代が封印された僕の頭の中では、いまだに金杉通りを都電が走っているという幸運。

隅田川の西で、いわゆる葛飾地域ではないが、自分の作品にもたびたび登場させたくらい荷風も愛したこの町について、その風雅さと、不思議を折に触れて紹介してゆきたいと思う。

2009年7月18日 (土)

坂川散歩その2(見知らぬ町を歩くにはカメラと釣りざおがいる)

昼間からこんな場所に立って、ひとりでビールを飲んでるのは間違いなく変なおじさんである。

川沿いの道を歩いてくる若い女性と眼を合わせないようにする。

彼女から見たら明らかに変質者だろう。

ただ唯一の救いはカメラを抱えているってこと。

そこでふと思った。

見知らぬ町をうろうろするには、カメラを持つか、釣りざおを持つに限る。

逆流亭雨彦生涯の趣味が決まった瞬間である。

町歩きにはカメラと釣りざおだ。

それはさておき、正面の橋が何だか気になり始めたので、行ってみる。

よく見ると結構味があると思いませんか。

今時コンクリートでこんな橋は造らないでしょ。

もっとこじゃれたもん造っちゃう。

れんが橋のように賞賛されたり、産業遺産に選ばれたりすることなんて、永遠にないだろうけど、しっかりと住民の暮らしを支え続けているこんな橋が好きだ。無骨なコンクリートむき出しで実直な感じがいい。

もしも壊すときはどなたか私に教えてください。

カケラを拾いに現場にかけつけるから。

子供時代に親しんだ西武線の向山陸橋を壊すときも行ったくらいで、町のカケラを拾い集めるのは寂しいけれど、楽しくもある。

壊すといえば、こんなものも見つけた。

廃寺の跡である。

門柱が片方だけ倒れている。

門を通ってもその先は草むらが広がるだけで、本堂はない。

写真では見にくいが正面に祠があって、その左奥に墓地がある。

何か深い事情があってこのような状態になったのだろうが、ちょっと切なくなる風景である。

気分を変えようと、河原に下りる。

虫の名前に関しては全く無知なのがくやしいが、きれいな虫なので、必死に撮影した。

坂川周辺には蝶々も多いし、ちょっといい感じだ。

水がきれいになって、せっかく自然が戻ってきたのだから、大切にしたい。こち亀の秋本治によれば、葛飾区の子供にとって昔の松戸は虫採りに来るところだったらしい。

ここからきつね橋を越えて、根本まで歩いたが、風景には見るべきものがなく、松戸の残念なところだ。

せめて八嶋さんがいうように松戸駅から江戸川周辺までの道の街路樹が柳だったら、素敵だったのに。

平潟に入る橋が「柳はし」なんて名前だったら、かなり渋いぞ。

2009年7月12日 (日)

坂川散歩その1

少し時間が空くと、古い町を歩いてみたくなる。

新しい町なら車に乗って、幼い娘を連れてゆけるから、一人の時には古い町の方がいい。

ただ目的もなく、歩く。それが川沿いの道だったりすると、もっといい。

先週、前から歩いてみたかった松戸の古町を流れる坂川をゆっくり歩いた。

以前歩いた時は取材のためで、せわしなく通り過ぎた。

そこで、今回は根本の新坂川の分岐点から、小山の先の外環道のあたりまでゆっくりと歩いてみることにした。

まず、最初に松戸神社に向かう。

松戸神社の境内でこんな場所を発見した。富士嶽神社と書いてある。

いわゆる富士塚といって、富士山に登れない善男善女のために作られたものであろうか。

神社を辞して、左岸をどんどん下流に向かって歩く。

するとこんなものがあった。

明治時代に徳川慶喜が写真を撮影したのと同じ場所に、表示板が設置してある。

ちょっと面白い試みで、こんな表示板がもっと増えるといい。

ちょっと歩くとめがね橋がある。

今日はそこを越えて、もっと先まで歩く。

こういうなんてことのない、くたびれたような川沿いの風景が好きだ。

橋の下に放置されたボートに詩情を感じる。

ここからさらに進むと、小山の町を突き抜けて外環道にぶつかる。

セブンイレブンがあったので、缶ビールと「世界一おいしいポテトチップ」というのを買う。

そこのセブンはいままで見たことのないような不思議な品揃えで、妙に店独自のお菓子や酒とつまみに力が入っていて面白かった。

「世界一おいしいポテトチップ」は世界一かどうか証明しようがないけれど、結構いけてる味だった。

缶ビールを飲み始めたので、今日はここで休憩です。

松戸の路地に江戸の庶民文化が息づいている

先週の日曜日だが、朝日新聞のちば東葛面にふと眼をとめると「天丼屋の2階に寄席」という文字が躍っている。

天ぷらやではなく、天丼屋という業種が珍しいので、即座に関宿屋だとわかった。

関宿屋の2階に「席亭 宇」という寄席を作って、田辺一鶴さんやお弟子さんが来て公演するというのだ。

私にとって「小さな町の不思議な空間」は大切なテーマである。

場所が、最近なじみになり始めた松戸の古町で、大好きな手打ち蕎麦の関やどの姉妹店である天丼屋の2階。

これは私の好みの空間が出来ると思い、いそいそと関宿屋に出かけた。

店の前は大騒ぎになっているかと思いきや、松戸らしく静かで、店に公演のポスターが貼ってある以外はふだんとかわらぬ風情だ。

徳川時代の江戸の町では、風呂屋や飲食店の2階が寄席や集会所といった公共空間として使われたらしい。

際物屋の八嶋さんによれば、諸国の物産が集まる松戸は舟運による交易で江戸日本橋とダイレクトにつながっている町だったので、北千住あたりよりも江戸の影響が強いという。

杉浦日向子の言葉を借りれば、松戸に「こんなところで、江戸の庶民文化がしたたかに息づいている。」(「ソバ屋で憩う」より)といった気分だ。

夜の公演は見に行けないが、そのかわり、席亭宇の近所、同じ系列のギャラリー宇で、歌川豊國の浮世絵展をやっているので、行ってみた。

本物の浮世絵を見るのは北斎展以来のこと。

刷り色が鮮やかで、美しいので、驚いて、案内の人に尋ねると、その人はギャラリーヌーベルの鈴木昇さんだった。

どっかで会ったことがある人だと思い、話し込むと北野道彦賞を受賞された鈴木さんだとわかった。

共通の知り合いも多く初めて話をしたのに、何年も前からの知人でもあるかのように話が弾んだ。

対岸の三郷から松戸に引っ越して早5年が経つ。

一人も知り合いのいない松戸だったけど、いつの間にか多くの友人・知人を得たことに気づいて、ちょっとうれしくなった。

2009年7月 4日 (土)

深川江戸資料館にて

月も出ていない、雨降りなのに明るい夜だ。

こんな夜にはしとしと降り続ける雨が、大地に恵みをもたらす優しい雨に見えるから不思議だ。

ところで、今週の月曜、会社を休んで病院にいったりして、時間が空いたので、清澄白河にある深川江戸資料館にいった。

以前から気になっていたが、7月1日から一年間休館というので、あわてて駆け込んだというわけである。

スケールは想像したほど大きくはないが、江戸時代の深川の町が原寸大で復元されているのが興味深い。

普通の博物館と違って、復元された建物の中に入って、道具をさわったり、写真をとったり自由に出来るというのがうれしい。

そんなわけで、猫やニワトリが鳴き、舟の櫓をこぐ音が聞こえる江戸の町ですっかりくつろいでしまった。

ボランティアのガイドの方に尋ねると、行灯や火鉢や文机など備品や建具やかまども実際に使われていた本物が混ざっているという。

よく考えれば、これらの道具類は三十数年前、茨城の祖父の家で使われていたものと同じようなもので、見慣れた道具類だ。

そこで思いついた遊び「江戸ごっこ」。こんなのいいよね。

江戸時代っていうのは、吉原で豪遊するのとは別に、庶民がお金をかけずに、頭を使う遊びが極限まで発達した時代だ。

具体的には杉浦日向子の著作の数々を参考にしてね。

例えば江戸では花見には三種類あって、桜だけでなく、梅見・桜見・桃見だという。さらに咲いた花よりも散った花びらが地面を覆い尽くすのを待って、花びらのじゅうたんを楽しんだことだとか…。

そんな感性を駆使する遊びは薩摩長州の田舎侍には理解不能で、むかついたんだろうね。150年間でことごとくぶっ壊してくれやがった。

僕たち21世紀の人間では、平賀源内や山東京伝にはとうてい及ばない境地だが、自分が幼少時に住んだ台東区の六畳一間の長屋って、江戸時代の長屋とあんまり変わんないってことも発見した。

150年前の江戸の風景を身近に感じられたのが、なによりもうれしかった。

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