幸谷にある関さんの森エコミュージアム
小金城址から流山線に乗って、馬橋方面に向かうと一駅めに幸谷という駅がある。新松戸駅に隣接しているが、このあたりはもともと、幸谷という集落で新松戸駅の東側に広がっている。
関さんの森エコミュージアムはこの幸谷にある。
昨日、敷地内にある「むつみ梅林」の観梅がてら、ぶらりとここを訪れた。
道路の迂回案が合意されて、江戸時代の面影を残す関さんの庭や蔵は残されるが、梅林は大幅に削られる可能性が高い。
この長閑な風景が見られるのもあとわずかかと思うと、少し切なくなる。
以前はこどもの森と言われていた関さんの森に行くと、そこだけ時間が逆戻りして、昭和四十年頃の練馬にもどったような、軽いめまいをおぼえた。
その頃、石神井川にかかる田中橋の南側に「田中の森」という小さな森があった。
子供たちがでっぷり太って無精ひげを生やしたその風貌からダルマじじいと呼んでいた地主の土地だった。
ダルマじじいは子供が敷地内に入り込むと鎌を持って追いかけてきた。
それでも子供にとって魅力的な場所だったから、僕たち子供はダルマじじいに追いかけられる恐怖をものともせずに、森に遊びに行った。
二年前にそこを訪れた時「田中の森」はとっくになくなって、どこにでもある平凡なミニ開発の住宅地になっていた。
関さんの森は地主だった故関武夫さんが以前から『こどもの森』として親しまれていた森 1.1ヘクタール を, (財)埼玉県生態系保護協会に寄付したから、この森が残ったのだという。
練馬で育った自分にとって永遠の幻景になってしまった「田中の森」に、松戸で再び出会うことが出来た。
松戸には古い西武線の車両を流用した流山線の電車を始め、子供時代に練馬で見た風景が数多く残っている。
そして、それはきっと練馬だけでなく昭和時代に子供だった大人たちに共通の原風景なんだと思う。
パソコンの傍らのミニコンポからボブ・ディランの「マイ・バック・ページズ」が流れてくる。
「いまの僕は、昨日の僕よりもずっと若い」
とても気持ちのいい日曜日の朝である。
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