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2009年2月

2009年2月28日 (土)

ずいひつ「流星」の原稿を脱稿した

さっき、ずいひつ「流星」7号の原稿を脱稿した。

今回のテーマは自宅近くを走る流山線。

ハイテク化やバリアフリー化が進んで鉄道がどんどん便利で快適になるのに対して、昔ながらの風情を漂わせて走り続ける流山線は、私のお気に入りだ。

多分4月頃発売のはずで、柏や流山の大きな書店に並ぶ。

興味のある方は是非買ってください。

代表の辻野弥生さんや吉目木ひなこさんは、博物館友の会の活動のかたわら、自分たち独自の市民による手作りの文化運動として活動を続けている。

その努力にはいつも頭が下がる思いである。

私はこの雑誌が末永く続くことをいつも祈っている。

2009年2月22日 (日)

幸谷にある関さんの森エコミュージアム

小金城址から流山線に乗って、馬橋方面に向かうと一駅めに幸谷という駅がある。新松戸駅に隣接しているが、このあたりはもともと、幸谷という集落で新松戸駅の東側に広がっている。

関さんの森エコミュージアムはこの幸谷にある。

関さんの森エコミュージアム暫定ホームページ

昨日、敷地内にある「むつみ梅林」の観梅がてら、ぶらりとここを訪れた。

道路の迂回案が合意されて、江戸時代の面影を残す関さんの庭や蔵は残されるが、梅林は大幅に削られる可能性が高い。

この長閑な風景が見られるのもあとわずかかと思うと、少し切なくなる。

以前はこどもの森と言われていた関さんの森に行くと、そこだけ時間が逆戻りして、昭和四十年頃の練馬にもどったような、軽いめまいをおぼえた。

その頃、石神井川にかかる田中橋の南側に「田中の森」という小さな森があった。

子供たちがでっぷり太って無精ひげを生やしたその風貌からダルマじじいと呼んでいた地主の土地だった。

ダルマじじいは子供が敷地内に入り込むと鎌を持って追いかけてきた。

それでも子供にとって魅力的な場所だったから、僕たち子供はダルマじじいに追いかけられる恐怖をものともせずに、森に遊びに行った。

二年前にそこを訪れた時「田中の森」はとっくになくなって、どこにでもある平凡なミニ開発の住宅地になっていた。

関さんの森は地主だった故関武夫さんが以前から『こどもの森』として親しまれていた森 1.1ヘクタール を, (財)埼玉県生態系保護協会に寄付したから、この森が残ったのだという。

練馬で育った自分にとって永遠の幻景になってしまった「田中の森」に、松戸で再び出会うことが出来た。

松戸には古い西武線の車両を流用した流山線の電車を始め、子供時代に練馬で見た風景が数多く残っている。

そして、それはきっと練馬だけでなく昭和時代に子供だった大人たちに共通の原風景なんだと思う。

パソコンの傍らのミニコンポからボブ・ディランの「マイ・バック・ページズ」が流れてくる。

「いまの僕は、昨日の僕よりもずっと若い」

とても気持ちのいい日曜日の朝である。

2009年2月14日 (土)

木下杢太郎と野田宇太郎、そして文学散歩

小金城趾にある家々の梅の花が一斉に咲き始めた暖かな土曜日。

山本鉱太郎先生の文章講座に参加して、木下杢太郎について学んだ。

その木下杢太郎に影響されたのが野田宇太郎。

日本の文学散歩の嚆矢となった作家である。

山本先生は20代の頃、野田宇太郎の文学散歩に数多く随行し、直接教えをうけたそうで、講座にはその時のノウハウがそのままつまっている。

つまり木下杢太郎、野田宇太郎、山本鉱太郎という流れの中にこの講座もあるわけで、そう考えると感慨無量だ。

なぜなら、私が無人島へ持ってゆく一冊、長谷川堯『都市回廊』という愛読書の中心部分は木下杢太郎とパンの会について書かれているから。

山本先生のことも、文章講座のことも全く知らない10年以上前に『都市回廊』を読んでパンの会に強く惹かれ、同じ頃野田宇太郎の『東京ハイカラ散歩』(新東京文学散歩を改題)を読んで憧れた。

自分は気がつかないうちに何か強い力で引っ張られ、北葛飾の三郷から東葛飾に戻ってきて今、文章講座に参加しているのだと思った。

だから世の中って面白いし、広いようで狭い。

人と人のつながりはどこにあるかわからない。

川本三郎が書いた『東京ハイカラ散歩』の解説にこんな印象的な一節がある。

「眼前に見えるものは確かに変わり果てた風景かもしれない。しかし文学愛好者の目で見れば、その向こうに過去の町の姿が見えてくる。文学散歩とは、眼前の風景の向こうに幻影の過去を見ることである。」

正岡容が青空文庫に入った

市川市のホームページで素敵な文章を見つけた。 

まことに葛飾の味、市川の味は、春水(しゅんすい)の南北の広重(ひろしげ)の北斎(ほくさい)の味である。息吹(いぶき)である。かうした江戸文化的風景は他の東京近郊においては、絶えて見られない。私は幼時失ひつくしたる隅田川両岸の江戸文化の夢の大半を、再びここの生活景情の中に取戻(とりもど)したことを感謝しないわけには行かない。

    正岡容「随筆百花園」1946(昭和21)

新葛飾土産のブログ主としては、我が意を得たりといった内容の文章だが、作者の正岡容は昭和20年から28年まで市川で暮らし、永井荷風とも交友のあった作家である。

落語の評論家としても高名だが、わたしとしては杉浦日向子が容(いるると読む)ファンだったことが印象に残る。

例えばこんな文章。

「私は『江戸の粋』を考えるとき必ず彼を思います。彼抜きには江戸及び東京は語れないと感じています。『東京風俗帖』(青蛙房)は、東京の人にこそ、触れてほしい、かつて、あった、東京の姿です。」

と激賞している。

正岡容の本の多くは入手が難しく、古本も高値で手が出ないが、死後五十年経過し、青空文庫で読めるようになったのがうれしい。

テクストをダウンロードして、手作り本で作ってみるのもいいね。

自分で本を創る楽しみ

数年前のこと、外神田にある製本工房に和綴じの本作りを習いにいったことがある。

どんな人が参加するのだろうと、興味津々であったが、10名程度の参加者のうち、自分以外は全員女性、しかも30代くらいの若い女性が中心である。福田恒存のような頑固なおじいさんが来るのだろうと身構えていたが、拍子抜けした。

それはさておき、和綴じに挑戦したのは、ハードカバーの上製本など自分ではできないと思い込んでいたからだ。

今週の日曜日に中村哲夫さんによる手作り本の講座があった。

中村さんは先般書いたようなマルチタレントである。

製本のプロというわけではなく、旅行作家兼グラフィックデザイナーというユニークな立ち位置にいる人ならではの、大変楽しい講座だった。

中村さんは製本術ではなく、手作り本作りの楽しさを教えてくれた。

雑誌の切り抜きを自分オリジナルの手作り本にする方法や、タイポグラフィーの基礎まで、3時間があっという間に過ぎた。

絵本作家の五味太郎が去年朝日新聞で「自分を表現する方法を知っていれば、子供は生きてゆける。だからそれを教える場所があるいい」といった趣旨の発言をしていた。

きっと大人も一緒だろう。

この世にたったひとつでもいいから、自分を表現する何かが残せれば、ほんのりと幸せな気分になれる。

生きていてよかったという気持ちになれる。

若いときに数え切れないほど著作を刊行した中村さんは、わたしたちにとても大切なことを教えてくれた。

何よりもそれがうれしい。

2009年2月 7日 (土)

音楽があふれる町

さっき、ピアノの先生に伴奏してもらって、妻が「崖の上のポニョ」を歌い、五歳の娘が踊りを踊って見せてくれた。

ピアノの先生は原賀悦代先生といって、高名なオペラの伴奏も手がける凄腕の演奏家である。

夜、家の近所で犬の散歩をしていたら、信じられないほど美しい妙なるピアノの調べが聞こえてきたので、家人が大きな音でCDを聴いているのだと思っていた。

それからその家の前を通るたびに気になって聴くようなると、たまに音が止まる。

そこで初めて家の中で実際に誰かが弾いていることを知った。

そして弾き手は間違いなく本物の巨匠だと思った。

クラシックには無知な自分でもわかるくらいピアノの音が立体的に耳に飛び込んでくる。

音の数は少なくても、心に突き刺さるような音色を奏でる技量の持ち主だ。

ジャズで言えば、セロニアス・モンクのような、いやそれじゃ誤解されそうだ。

美術でいえば(よく知らないけど)バウハウスの頃のカンディンスキーの絵のようなピアノを弾く人。

娘と妻が突然ピアノを習うと宣言して、誰に習うのか問うと、原賀先生だというので安心して、応援しようと思った。

何よりも感謝しているのは、ピアノの技量もさることながら、文字通り音楽を楽しむ文化を教えていただいていること。

自分の娘と同じ年頃だった昭和30年代、どこからともなく町の中から三味線が聞こえてくる不思議な町下谷根岸で育った。

その町特有の和楽器が身近にある暮らしは子供心にあこがれだったし、ちょっと誇らしかった。

自分は不器用で、音楽の素養がゼロだが、音楽があふれる町はいい。

原賀先生のピアノの音色のおかげで、殺風景だと思っていた小金城趾の風景は、四季折々違った色彩をもって見えるようになった。

みんなで農業

雑誌「ブルータス」が「みんなで農業」という特集を組んだので、久しぶりに買ってみた。

最近、忙しくなるばかりで、農業どころか、ベランダの観葉植物も満足に面倒がみられないが、心の中で農業への思いは強くなるばかり。

そういえば最近、うちの近所の「関さんの森」も計画していた道路が迂回することになったようで、よかった。

三万人集まった署名者のひとりとして、胸をなで下ろした。

それにしてもこのブルータスはいい。

内容も斬新で、こんな農業の楽しみ方・とらえ方もあったのかと感心することばかり。

建築家が自作したプランターを見て、自分も作りたくなった。

でもね。一番素敵なのは「みんなで農業」っていうタイトル。

日曜園芸とか、趣味の農園とかって、セルフビルドと一緒で求道者的な感じがして、どうも孤独な感じがつきまとう。

ワイワイ、ガヤガヤ楽しみながらやるのがいい。

仕事も遊びもね。

2009年2月 1日 (日)

野田に小津安二郎という巨星がいた。

数年前、都内で江戸を勉強する小さな集いをやっていた。

いろんな事情があって、中断したまんまになっているが、そこで話題になったことでとても印象に残っているのが、映画監督小津安二郎のことだ。

川本三郎の『東京おもひで草』ちくま文庫にこんな印象的な一文がある。

「小津安二郎はさまざまな意味で贅沢な人だったと思う。うまい酒、美しい絵、いい友と師、風流(俳句、温泉)、モダン都市、白樺派の文学、そしていい俳優やスタッフたち。つねに自分の好きな世界のなかにいた。自分が何を好きかをはっきり知っていて、それに頑固に、わがままにこだわり続けた。その意味でよき個人主義者でもあった。」

川本三郎はさらっと書いているが、最初に読んだとき、僕は自分が何を好きかをはっきり知っていてという部分に衝撃を感じたことをよく覚えている。

そのとき僕は、自分に向かって問いかけた。自分は何を好きか、本当にわかっているかって。

そこで去年発表された中野翠『小津ごのみ』筑摩書房を紹介したい。

近年、中野翠について共感できなくなっていて、『今夜も落語で眠れない』を最後に遠ざかっていたのだけれど、この本は快心作だと思う、

男性の視点から語られることの多かった小津の映画について、女性の視点から描いていて、共感できる部分が多かった。

「好悪の精神の確かさにおいて貴重な表現者―。

熱心に探せば他にもいるのかもしれないが、私がなんとなく惹かれ、やがて心の中で大きな位置を占めるようになった表現者に限って言えば、女では作家の森茉莉、男では映画監督の小津安二郎が二大「自分の好き嫌いを最大唯一のよりどころにできた人」なのだ。」

引用ばかり長くなった。

「新葛飾土産」のブログ主としては、つぎの事実だけ付け加えておきたい。

小津安二郎はシンガポールから復員した昭和21年から26年まで野田市に住んでいた。

この時期に原節子主演の名作『晩春』『麦秋』を発表している。

そして最晩年の作品『秋日和』は野田でロケが行われた。

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