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2008年12月

2008年12月31日 (水)

久々に写真をアップしました

フォトアルバムに久々に写真をアップしました。

葛飾と直接関係ないので、那須高原の写真公開は控えていたのですが、

これもまた小須田廣利さんと、若かりし頃の自分の足跡と考えて、公開することにしました。

近所には高木美保さんが住んでいます。

ご両親と静かに住んでいるので、近所のひともだれもうろうろしたりしませんが…。

近くにはNASU SHOZO CAFE

という素敵な店があって、たまに行きます。

冬は人も少ないし、かわいいダルマストーブが見られるので、夏よりおすすめです。

一年前の年賀状を取り出してみた

今日は大晦日なので、疾風怒濤の後半戦だった今年を振り返ってみた。

いろいろあって、この地に骨をうずめることを決め、ブログも始めた年だったので、一年前の大晦日には何を考えていたのだろうかと、年賀状を取り出してみた。

例によって長文の年賀状なので、一部を抜き出してみる。

「翻って現代の日本について考えると、「ドッグイヤー」なんて叫んで、流行を追いかけるより、流行遅れだと誰も目を向けなくなったモノやコトやヒトや社会のあり方の中に、もしかすると時代を画する革新的な何かが潜んでいるのかもしれぬ。そんな思いは日々強まるばかりである。」

ふうん。こんなことを言っていたのか。

でも、間違ってはいないと思うな。

これだけ、百年に一度の不況だとか、文明の転換期だとかいうと、目新しいものに目を奪われがちだが、「××はもう古い」といって捨て去ったものにこそ価値があるように思える。

三月に我孫子に来た鶴見俊輔も柳宗悦になぞらえて同じことを言っていたと思う。

「××」は古くて新しい何かで、そしてそれは、多分永遠の輝きをもつ何かなのだろう。

気が置けない仲間と、こっそり「××」を探してみよう。

元ネタはいくらでも見つかるから。

あせらず、ゆっくりと、まわりくどく始めるしかない。

2008年12月29日 (月)

一通のメール

旧知の建築家小須田廣利さんから事務所移転のメールをいただいた。

小須田さんは石山修武のパートナーとして、伊豆松崎町の長八美術館を設計した建築家で、わたしは90年代、小須田さんに手伝ってもらい、那須高原にセルフビルドで山小屋をつくりながら、ともに多くの楽しい時間を過ごさせていただいた。

山小屋作りが一段落して、近年は疎遠になっていたが、数少ない人生の恩人のお一人である。

自分にとって小須田さんからの影響は甚大で、以前このブログで書いた石山さんの「ともに食べること、集まりをつくること」を実践的に教えていただいた。

二日前に過労による激しい頭痛で、高校の同級生の忘年会もドタキャンするほど憔悴しきった状態の年の瀬に、来年につながる一筋の光明のようなメールをもらった気がする。

事務所が都心から移転するのは少し寂しいが、長年住み慣れた東大和で地域に根ざした、地に足の着いた活動をされるのだと思う。

地域史を勉強していると、古くても美しい建物に出会うことが多い。

気鋭の建築家から、今やベテランの域に入った小須田さんは、これから、持ち前のデザイン力で、東大和を中心に末永く町を美しくする建築をつくってゆくに違いない。

いまから、それが楽しみでならない。

2008年12月21日 (日)

若山爆睡ふたたび

少しだけ慣れたが、やっぱり仕事がきつい。

今日も午後から爆睡。

不本意ながら、一介のサラリーマンなのに、吹けば飛ぶような中小企業の経営に関わることになった。

信用金庫の担当者に頭を下げ、社員に25日の給料を払えるかヤキモキする毎日。

24時間仕事のことが頭を離れず、気の休まる暇がない。

大きな会社の歯車で、達成感のない毎日が続き、山本鉱太郎先生から作家になることを勧められ、先月までは野田文学会に入ろうかなんて考えていたことが、まるで遠い昔のことのように思える。

このブログもいつまで続けられるんだろう。

それでもよかったと思うのは、小さな会社で苦労しながらがんばっている人たちの気持ちが、身にしみて理解できるようになったこと。

そして、そんな状態なのに以前にもまして、他人に対して優しい気持ちになれる心の余裕が出来たこと。

どういうわけか最近イライラしなくなった。

誰も助けてくれないかわりに、誰の強制もうけない心の平安があるのがその一因であろう。

そのことがこの怒濤のような二ヶ月で得た財産のように思えてならない。

2008年12月20日 (土)

都心で掃苔(墓参り)しましょう

朝日新聞の夕刊を見ていたら、大見出しで「お墓を巡って著名人探訪」とある。

寛永寺で篤姫の墓を限定公開したら七千人も応募があったそうだ。

家族やカップルで都心の霊園を訪ね歩くのがちょっとしたブームらしい。

記事にもあったけど、それって、荷風さんの散歩そのものじゃないか。

時代はゆっくりと荷風さんを見直す時期に向かっているのかもしれない。

世田谷文学館で持田叙子監修の荷風展もあったし。

ほかは知らないけど雑司ヶ谷霊園では確か100円の寄付で案内図が手に入る。

それを手にして歩くのは本当に面白い。

親友の小田健人と雑司ヶ谷に遊びに行った帰りに荷風さんの墓に掃苔したら、荷風さんと東条英機の墓がすぐそばにあるのには笑った。

たぶんお互い大嫌いだろうって。

本人は三ノ輪の「投げ込み寺」浄閑寺に葬ってほしいと願ったのに、雑司ヶ谷なんかにされて、あげくのはてに東条英機の近所とは。

東条英機も怒ってるだろうな。日本の兵隊さんは禁書の『墨東綺談』をこっそり読んでいたそうだし。

そんな想像をめぐらせるのも掃苔の楽しみである。

久々にスパイク・リーの姿を見たような気がする

夜中にぼーっとテレビを見ていたらNBAの中継になって、レイカーズ対ニックスの試合になった。

ニックスは正式名称をニューヨーク・ニッカボッカーズといって、この10年来応援しているバスケットボールチームだ。

ここ5,6年、低迷していたので試合がテレビ放映されることもなく、しばらく遠ざかっていた。

このニックスの私設応援団で有名なのが映画監督のスパイク・リー。

ニューヨークはバスケットボールがさかんな町で、案外ニューヨーク出身のNBAプレーヤーは多い。

ブルックリン出身のスパイクは、ニックスと、はるか昔ブルックリンにいた頃のドジャースの大ファンという訳である。

スパイクは自分と同い年で以前から気になる存在で、『ドゥ・ザ・ライト・シング』をはじめとして自分の生まれた町や人種差別の問題にこだわった映画作品を数多く手がけている。

ぼくはスパイクのおかげでマルコムXや、白人至上主義団体クー・クラックス・クランの存在を知った。

大きな時代の流れを理解できないうすらバカ大統領閣下ブッシュとそんな男にポチのように従った日本の首相が続いた8年間は本当に辛かった。

自分が江戸川のほとり葛飾と呼ばれる地域にこだわるようになったのも、間違いなくブルックリンにこだわるスパイクの影響である。

そんなスパイクがニックスを応援する姿を久しぶりに見て、つらい8年間が終わりを告げているように思えて、ちょっとうれしかった。

2008年12月13日 (土)

皆さん、さようなら

いわゆる勝ち組になりたくて「トレンド」に乗ることを考えている人たちの空疎な会話がはずむテーブルに、「目新しさ」だけを求めて開発されたこれまた空疎な料理がならぶ。

「トレンド」や「目新しさ」などあっという間に消費されて、次の瞬間には一番かっこわるいものになってしまうことなどわかっている。

さっき書き込んだ高田渡の世界と対極にある世界である。

くそ忙しいさなか、そんなパーティーに、のこのこと出かけてしまった。

友の会のスピーチで話した内容なんて、だれも理解してくれないだろうから、(「流山市立博物館友の会の忘年会によせて」のこと)借りてきた猫のようにちんまりと座って、おとなしく話を聞いて、ひたすらうなずく。

ピカソがその芸術的価値でなく、何人の観客を集めるとペイするのかという銭金の話になる。

万が一パーティー参加者の人で、このブログを見ている人がいたら、失礼なことを書いてごめん。でもね。はっきり言って貧困だよ。

15アンペアの借家に住んだ高田渡の豊かさと比べるべくもなく、何億稼いでいるのか知らないけど、あまりにも話題が貧困だよ。

人生で一番大事なのは、自分の居場所を見つけることだって思う。

この二十年間で江戸川のほとりに、決して人数は多くないかもしれないけれど、生涯付き合うであろう、心温まる気持ちのいい仲間が出来た。

それが自分にとって人生最大の財産だ。

だから、こんなパーティに僕の居場所はなかったと、改めて思う。

だから皆さん、さようなら。

詩人若山爆睡ってのはどうだろうか

この一週間に三回も忘年会があり、うち一回は幹事で、もうくたくた。

朝は元気だったので、娘と二人でぐるぐる回って遊んだら、いつまでたっても頭がくらくらして、まともに立てない。

腹が空いて血糖値が下がっているだけだと思って、昼食を食べてももとにもどらない。

こりゃおかしいと思い、月に一度の「友の会文章講座」をお休みするはめになる。

4時間ほど爆睡して、やっともとにもどる。

今年79歳になる山本先生は20年間一度も休講したことがないので、申し訳ないし、特に葛飾にゆかりの深い詩人北原白秋の予定だったので、ちょっと聞きたかったから、とっても残念だ。

いまの忙しさが異常なだけだと思う。ウィークデイは家に帰っても疲れて風呂にも入れず、食事して寝るだけの生活。ブログの更新どころじゃあない。

爆睡ってインプットしようとしたら、牧水って打ってしまった。

大酒飲みの詩人若山牧水にちなんで、若山爆睡の名前で詩を書いてみようかなんて、バカな考えが脳裏をよぎる。

しかし吉祥寺の本屋で買った高田渡の『バーボン・ストリート・ブルース』はいい本だったな。

詩人山之口漠への傾倒した理由がよくわかったし、中間のページにあるモノクロのミニ写真集が味わい深い。

フォークを歌う人はあまたいるけど、こんなかっこいい生き方をした人は空前絶後だということがよくわかった。

学生運動の最盛期、人気のあった高石友也や岡林信康のプロテストソングに対して、こんなことが書いてある。

「深川時代に見てきた労働者の人たちは、どんなに虐げられようと、絶対に音を上げなかった。だが、なにも言わずに日々一生懸命生きている人たちこそ、積もりに積もった声なき叫びがある。ほんとうに怖いのは、そういう労働者の人たちが爆発したときではないだろうか、と思うのだ。

僕は普通の人たちのことを歌い始めた。黙々と働く普通の人々の日常のことを。学生運動や反戦フォークソングとはまた違ったやり方で。」

「普通の人々の日常を歌うというスタンスは、今も昔も変わらない。そして二十年以上も前につくった歌を、僕は今も歌い続ける。その歌は、時代を経ることにより、また違った命を与えられるような気がする。

歌というのは古い家だ―。」

2008年12月 7日 (日)

ちょっとくやしい地元本を見つけた

この一月半、本業に忙殺され、心身症直前になるほどハードに仕事をしてしまった。

ふと気がつくとこの間、会社の帰り道に一度も本屋に入っていないことに気づいた。

こんなこと何年ぶりだろう。ちょっと思い出せない。

そんな状況の中で、少しだけ気持ちの余裕が出始めたのかもしれない。

金曜日の夜、啓文堂という本屋に寄った。

駅前の地下にある店だが、まず広い店内に驚く。

吉祥寺に行ったら買おうと思っていた高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』ちくま文庫を手に取り、もう一冊この町じゃないと簡単に手に入らなそうな地元本を探したら、見つけました。

『井の頭公園まることガイドブック』ぶんしん出版という本。

井の頭公園の現在と、歴史が充実した内容でとてもよくわかる。

公園に隣接する三鷹の森ジブリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)の紹介があるのもよかった。

カラーページが多くて見やすいので、1400円の価格は満足感が大きい。

かわいらしいブックデザインもハイセンスで秀逸だ。

ぶんしん出版は地元の印刷会社の出版部門らしいが、今後の出版事業の展開が楽しみ。

当「新葛飾土産」ブログの立場としては、ちょうど都心をはさんで井の頭公園の反対側にある同じ都立の水元公園について、こんな本を地元の出版社がだしてくれると楽しいのにって思った。

それが自分にはちょっとくやしく、三鷹や武蔵野市の人がうらやましく思えた。

 

茗荷谷にピッピという絵本屋があった。

紀伊国屋おおたかの森店で『絵本好きが集まる絵本屋さん100』という本があったので、買って帰りページを開いたが、茗荷谷のピッピという店が出てこない。

おかしいなと思って、よくよく目を通したら「文京区にあったピッピ」と過去形で書いてある。

さっそくヤフーで調べると98年に閉店したことがわかった。

来年社会人になる息子が11歳の時だから、97年だろう。

息子に少しでも本に親しむ環境を教えたくて、親子二人で東京の本屋さんめぐりをしたことがある。

そのとき最初に立ち寄った店がピッピだった。

絵本の評論家として有名な赤木かん子さんも修行したというこの有名な店を訪れたのは、初冬の寒い日で、どんな本を買ったのか忘れたが、当時はまだ珍しいコーヒーを飲めるスペースがあり、外の寒さと、店内の暖かい雰囲気が好対照だったことを覚えている。

家の近くではなかったので、それから訪れることもなく、翌年に閉店したことなど、知る由もなかった。

それでも『絵本好きが集まる絵本屋さん100』を読むと、この10年の間にピッピのような店が、あちこちに出来てきたことがわかる。

そこには紀伊国屋おおたかの森店の児童書コーナーのことも書いてあるが、一昨年仕事で訪れた仙台で、たまたま入った「ブックカフェ火星の庭」のことも書いてある。

職場のある吉祥寺界隈にも多くの絵本屋があることもわかった。

ピッピの閉店は大変残念だが、こうして日本全国で「思い」はつながれてゆく。

そのことを知っただけで今日は満足だ。

2008年12月 6日 (土)

流山市立博物館友の会の忘年会によせて

 人間も齢五十を超えると、徐々に偏屈になってきて、世の中を席巻する大文字のスローガンを簡単には信じなくなる。

 大文字のスローガンとはノンフィクション作家の佐野眞一さんによれば「民主主義」とか「愛国心」のように、実態のない頭でこね上げたような言葉だという。

 社会主義や労働組合が衰退し始めた頃から、福祉国家という理想を捨て、「小さな政府」なんて大文字のスローガンが出てきて、それを金科玉条のものだと信じてやってきた日本人は、いま強烈なしっぺ返しをくっているように思える。

 そんな空疎なスローガンのひとつに安倍元総理が言っていた「美しい国」というのがあった。

 ボクは「美しい国」という言葉を聞いた瞬間にとても厭な感じがして、辻野弥生さんにお願いして「ずいひつ流星」に「小さな町の不思議な空間」というエッセイを書かせていただいた。

 それは子供の頃通ったムーシカ文庫の話である。 

 ムーシカ文庫は童話作家のいぬいとみこさんが練馬区の小さな町で、本を買えない地元の子供達の為に始めた私設図書館運動だ。

 普段は平凡な幼稚園の一室なのに、いぬいさんと絵本があるだけで魅惑的な空間に変身するという事実は、子供だったボクの心にどれほど強い影響を及ぼしたんだろうって、今になって思う。

 毎日のようにテレビや新聞でやかましく報道されていた「ベトナム反戦」だの、「安保反対」なんて言葉など、当時も今も自分にとっては何の価値もないが、一人の作家が私鉄沿線の小さな町ひっそりと始めた文化運動のほうが遙かに長い射程距離をもつ不思議さ。 ひるがえっていま流山という小さな町で山本鉱太郎さんを中心に始めた博物館友の会の三十年間の地域再発見の活動のことを思うと、見事にいぬいさんの私設図書館運動と繋がっているように思える。

 ディスカバー・ジャパンなんて言葉が叫ばれた一方で、町壊しが進行したこの三十年間の日本で、為政者が発信する大文字のスローガンに対抗するに、中央のメディアを駆使して大声で叫ぶのではなく、地域に住むひとりひとりの心に届く手作りの運動。

 きっとこういう運動こそが、日本中を大文字のスローガンで一色に塗り上げようとする権力に対する数少ない防波堤なのだろう。

 それじゃあ、これからぼくたちの世代がこうした運動を、どのように引き継いでいくべきなんだろうと考えると、一筋縄ではいかない現実に直面する。

 価値観は多様化し、本は売れない。社会的格差だけが広がってゆく。

 そんな状況の中で、新しい年を迎えるにあたって、これから何をするべきなのか、少しずつ答えを出すべき時がきたように思う。

よく晴れた日曜の午後

今週の日曜日に吉川のきよみ野に行って、生活クラブ生協のイベントを見てきた。

国産にこだわった食材の紹介も、もちろんよかったけれど、何気なしにミソおでんなんぞをかじっていたら、ボサノバ調のとっても素敵な音楽が聞こえる。

なんでもアグリカという名前で、八潮市で農業をやっている夫婦だという。

夫婦で無農薬野菜を作りながら、こんな都会的な音楽をやるっていうのが、とてもかっこいい。

ご主人のギターが素晴らしいし、小野リサのような奥様のボーカルもいい。

ベルベット・アンダーグラウンド(!)の曲もよかったし、オリジナルも、歌詞と曲のセンスがいい。

今週は水元の達磨堂コーヒー店でライブをやるらしい。

娘が遊んでいる間のひまつぶしで、演奏を聴いていたはずが、いつの間にか引き込まれていた。

何かとても得したような気持ちになった、よく晴れた日曜の午後だった。

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