交流している団体のリンク

  • 流山市立博物館友の会
    ブログ主が所属する千葉県東葛飾地域で活動する文化団体。発足から50年近く郷土史の掘り起こしを中心に、様々な活動を展開している。
  • ダムダン空間工作所
    建築家石山修武氏が創設した建築設計事務所。那須のセルフビルドでは多大なご支援をいただきました。
  • 開拓工務店
    自宅のリフォームでDIY作業に協力してくれました。カナダで修行してきた棟梁のユニークな感性が光ります。
無料ブログはココログ
フォト

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月29日 (土)

小金八景ってなんだ。

紀行文の取材をしていた時に、どこかで小金八景という言葉を目にした。

小金地区を代表する郷土史家田嶋昌治さんと友の会の30周年記念パーティで酒を酌み交わしたので、八景とは何か尋ねたところ、早速資料を送っていただいた。

「本土寺の晴嵐」や「東漸寺の晩鐘」など、誰でも納得するような名勝と並んで、なんと、なんと、「横須賀の夕照」とある。

坂川にかかる横須賀橋から見る夕照ということで、つまりこのブログの表紙の写真がまさにそれなのである。

ちょうど一年前、横須賀橋のたもとに珈琲屋があるという設定で、小説を書いていたので、現場を視察しに行ったときに撮った写真だ。

あまりの美しさに小説のタイトルまで変えてしまうほどの感動を覚えたものだ。

ところで、残りの小金八景については少し勉強の余地ありで、自分の目で確かめてから、ブログに記載したいと思う。

2008年11月27日 (木)

「都市回廊」を読んでいたら

眠い目をこすりながら、朝の中央線で美術評論家の長谷川堯「都市回廊」を読んでいたら、荷風さんとW・モリスの関係について論じている箇所に出くわした。

この本は自分にとって唯一無二の愛読書なのに、この箇所は見過ごしていたのだ。

そういえば今年(去年だっけ?)、世田谷文学館で永井荷風展があったとき、監修担当の持田叙子教授と話をして、モリスと荷風さんの類似性について、意気投合した記憶がある。

どうも自分の頭の中はこのあたりでグルグル回転してるんだろうってことも、よーーーーっく、わかってきた。

20年間同じことばっかし、言ってるもん。

「かつしかアーツ・アンド・クラフツ」なんて呼んでみたい。

モリスが作った世界はレッサーアートとも言う。

鶴見俊輔は限界芸術、マージナルアートと呼んだ。

学者じゃないんで、細かい意味の違いなどどうでもいい。

近代産業と芸術が出会うアノニマスな「商品」がある。

それを大がかりにやったのが、モリスに造詣の深い小池一子と、江戸のデザインに造詣の深い田中一光の「無印良品」。

コンセプトがしっかりしてるから、空前の成功をおさめたが故に、つまらなくなった。

もっと深くモリスの世界にゆきたい。

いまはそのことだけ、考えている。

2008年11月25日 (火)

忙しすぎるのは問題である

最近、この話題ばかりだが、本当に忙しい。

するとだんだん自分が自分でなくなっていくようで、不思議である。

「かくかくしかじかと思っている。」

なあんて、断定的に書いても次の瞬間、そんなこたぁ、どうでもよくなっている自分に気づく。

自我だとか、主体性だとか、そんなもん鼻くそみたいなもんだってことが、よくわかる。

ちょいと忙しいだけで、これだもの。

食い物がなくなって、ひもじい思いでもしたら、人間の自我なんて吹けば飛ぶような弱いものなんだろうな。

そんな時、自分を支える力になるのは何だろう。

人それぞれ違うんだろう。ある人は歌だったり、ある人は文学だったり、ある人は恋人だったり…。

ただ、間違いないのは、いままで長い時間をかけて作ってきた、生活環境があっという間に瓦解したことに対して必死にもがいている自分がいる。

すえた匂いのする怪しげな池袋の路地がなんだか懐かしくて。

今は本を読む気も、音楽を聴く気も、映画を見る気も、何にもする気にならない。

別に落ち込んでいるわけでもないが、からっぽになった自分がいる。

老後の人生の行く末を考えるとこれもまた貴重な体験かもしれない。

2008年11月18日 (火)

「生活の柄」という歌があったよね

パソコンの脇の安物ミニコンポでは、さっきから「漠」というタイトルのアルバムがかかっている。

今日、ふと頭に浮かんだことを書こう。

毎日、吉祥寺駅前からバスに乗る。駅を出てすぐ右の角に、周囲の風景にそぐわない京成線沿線にあるような焼鳥屋がある。

いせやである。

かつてこの店で、年中昼間から酒を飲んでいた歌手が高田渡だ。

ぼくは決して高田渡の熱心なファンではないが、今思うと高田渡は日本のフォークやロック界において、二度と会われない唯一無二の存在だったように思えてならない。

NEWS23で筑紫哲也が高田渡にインタビューした番組を見たことがある。

15アンペアの電源を持つ古くて小さなアパートに住んで、山之口漠の作った「生活の柄」という浮浪者の歌を歌う。

ぼくには「なめくじ艦隊」の話をする古今亭志ん生と高田渡が重なって見える。

飲んだくれ仙人。酔いどれ天使のふたり。

以前、大塚の職場にゆく途中、毎朝西日暮里駅のホームから、志ん生が落語の稽古をした諏訪神社のベンチが見えた。

見るたびに頭の中で「お直し」や「火焔太鼓」が始まる。

職場が変わったら、今度は高田渡のいせやである。

親友の小田健人が懇意にしていた高田渡だった。

今度、いせやで小田健人と渡さんを偲んで、酒を酌み交わそう。

二人で「生活の柄」を歌いながら。

2008年11月16日 (日)

友の会の30周年記念パーティに思う

柏の京北ホールで流山市立博物館友の会の30周年記念パーティが行われた。

入会して二年半程度の新参者だが、野次馬根性を発揮し、きら星のごとく偉い先生方が並ぶ中、ノコノコ出かけていった。

友の会も高齢化が進み、これから先は心配だが、これまでの三十年の歩みは見事というしかない。

なぜなら平凡な一市民の人生を変えてしまう程のインパクトを持っているから。

大学に進むとき、明治時代の日本文学史が大好きで、早稲田の古本屋に入り浸っていたのに、就職するなら経済じゃなくちゃと、周りの空気に押し流され,経済学部に進み、卒業後30年間も会社員をやってきた。

だから同じ高校の一年後輩の坪内祐三さんの活躍がうらやましくて仕方がなかった。

そしてほんの数年前まで、定年後はアパート経営でもやろうと考えていた。

そんな取り柄のない男が、気がつくと郷土史の研究や、小説を書いているという不思議。

一週間前、幾多の苦しみを乗り越えて葛飾区から流山までの紀行文を書き終えた。

次は野田に行きたい。野田は近代産業化遺産の宝庫だ。

最近、産業観光という言葉があるようで、観光ポイントとして工場を見せたりすることらしいが、そんな社会科見学めいた話ではなく、近代産業史の光と影の部分を教えてくれる生きた教材として、野田を歩いて、感じてみたい。

去年もキッコーマンの古い正門跡を見たり、興風会館の中を見たりしたが、肌に突き刺さるような何かを感じた。

それは単なるノスタルジアなのか、もっと重い何かなのかわからないが…。

その何かを突き止めてみたい。

さあ、今日から出発である。

2008年11月15日 (土)

流山ガードという小さな橋がある

常磐線の新松戸と北小金の間に流山ガードという小さな橋がある。

以前紹介した東葛人さんのブログには詳細な写真があるので、参考にしていただきたいが、何故常磐線が出来たときにここにガードを造ったのだろうかと、疑問に思っていた。

いろいろ調べてだんだん解ってきたのは、ここが江戸時代以来小金町から流山町に至る産業道路であり、同時に東漸寺参道だということ。

流山ガードと誰が名付けたのか、知っておられる方がいたら教えていただきたいが、名称の由来もその辺にあると思う。

松戸史談会が発行している「松戸史談」第48号72頁に小さな鉄橋と表記されていて、醤油やみりんを運んだ荷車や馬が通ったとある。

江戸や明治の頃の流山の醤油やみりんというと江戸川の水運ばかり想像してしまうが、このような陸上ルートもあったことを知り、ワクワクした。

今は寂しい通りであるが、普段何気なく自分が歩いている道が、かつて多くの人や荷車が行き交った重要なルートだと知ったときの感動はたまらない。

かつて20代の頃「大塚史学」といって、現場を見ることなく机の上で近代イギリスの産業史を解明する経済史学者の一派に共感して、沢山の本を読んだが、自分の足で歩いて疑問に思ったことを解明する喜びは、遙かにそれに勝る。

郷土史の研究が面白くなり始めた昨今である。

2008年11月14日 (金)

海野弘『足が未来をつくる』

川越の話とつながっているのかもしれないが、たまたま最近好きな作家の一人である海野弘の『足が未来をつくる』を読んだ。

古今東西の文化に精通した博覧強記の海野弘だから、よくわからないところもあるが、ちょっとどっきりしたのは、1820年代にイギリスで歩く道を保全する運動がはじまり、それが古代建築物や歴史的遺跡の保護運動に波及し、ジョン・ラスキンを通してW・モリスとアーツ・アンド・クラフツの運動やピーターラビットのポッターへとつながり、ナショナルトラストになり、「湖水地方を守る会」という集まりが出来たという部分。

ぼくの好きなものが全部入っていて、とても面白いし、わくわくする。

そしてそれらの運動が自己完結せずに、どんどんつながってゆく。

現代の日本でそれに近いのが、まさに今自分が所属している流山市立博物館友の会の運動だが、明後日に30周年記念パーティを迎え、高齢化が進んでいる。

これからは、ずいひつ『流星』のように、友の会から派生した違う形の活動も必要なのだろう。

自分に何が出来るのか、いまだにピンとこないけれどね。

2008年11月12日 (水)

川越からの電話に思う

今回紀行文を書くので、ずいぶん多くの本を読んだのだけど、本を読むより町をほっつき歩く方が、はるかに面白いし、勉強になる。

だから町を歩くより面白い紀行文を書きたいと、頑張ったのだが、浅学非才のため、日暮れて道遠しの感がつよい。

ところで松戸宿と流山の旧市街の取材はやっぱり面白いと思っていたら、

川越で小さな会社を経営する知人から電話をもらう。

ぼくが江戸東京や町歩きを好きなことを知っているので、お誘いが来たのだ。

小江戸川越が来年NHKのドラマになる予定で、最近さらに盛り上がっているので、案内したいから早く来てくれとのこと。

とっても行きたい気持ちはあるのだが、どうせ行くなら松戸や流山の人たちと一緒に行きたい。

川越が美しいなら、美しい町のイメージを大勢の市民で共有したい。ただそれだけ。

町おこしとか、地域おこしとか、とりあえずそんなことはどこかに置いておく。

最近幕末の写真集をよくみかけるが、そんな昔じゃなくていい。

明治から昭和の葛飾かいわいの写真集をみてごらん。

庶民という言葉が生きていた市井の人々の活き活きした顔や、舗装されていない道の美しさに目を奪われるから。

ぼくはそれだけで満足なのに、そんなささやかな希望さえ奪ってゆく今の社会。

ぼくたちはこれからどこへ行くんだろう。

2008年11月11日 (火)

東葛出版懇話会という集まりがある

今夜、松戸駅近くの会場で東葛出版懇話会があった。

前回はお休みしたので、一年ぶりの参加である。

作家の林えりこさんによる、ちょっとテレビでは放送されないほど過激な内容の講演だった。

以前やっていたブログでぼくは薩長嫌いを公言していたが、我が意を得たりという内容。

江戸文化が薩長の新政府に蹂躙され、それが今日の麻生政権(ちなみに大久保利通の子孫である)まで続いているという話だった。

まあ、ここでぼくが何を書いても、たいしたことはないので、林さんの本を読んでもらうのが一番だと思うが、浄閑寺に行ってほしいという発言はうれしかった。

ふつうの感性を持った人なら、浄閑寺や首切り地蔵を見て、心が重くなるはずだ。それが、東京にわずかに残った江戸の名残を体で感じるってことなんじゃないかと個人的に思う。

吉原のソープ街を歩いても、江戸時代の華やかな新吉原遊郭をイメージするのは難しい。

地方にふるさとを持たない自分が何ものなのか、今日は改めて考えさせられた。

ただ、松戸キライは困る。おそらく水戸藩キライ、徳川慶喜キライだからそういうことになるんだろうけど、そらりゃぁちょいと偏狭じゃないかって、一言言いたくなる。オレだって徳川慶喜なんて無責任野郎は大嫌いだけど、松戸は水戸藩だけじゃないぜって、反論したかった。

いずれにせよ、東葛出版懇話会はいい。ぺんぺん草さんにも会えたし、松戸が誇るべき集まりである。

2008年11月 9日 (日)

ちょっと待った!JOBANアートラインって?

更新をさぼっている間に、「ずいひつ流星」第六号が出た。

今回は昔、新松戸にあった泉書房のことを書いた。

JOBANアートライン特集号ということなので、常磐線沿線の町を書いたのだけど、泉書房の店長は特筆すべき真の文化人だった。

ところで、前にも書いたが、流星はいい雑誌である。

でも、JOBANアートラインは、自分の中でしっくりこない。

上野・千住・柏・取手が中心で、あんまり松戸は関係ない感じだし、まして好きな町流山や市川や三郷は常磐線沿線ではない。

つくばスタイルだのスローライフだのと言っているTXへの対抗意識から出てきたコンセプトのように思えてならない。

そんなことより、泉書房のような小さいけれど気骨ある書店が生き残れないような町になってしまった現状を変えないと、空疎なコンセプトが上滑りし、頭のいいトレンドを作り出す人々をもうけさせるだけの結果で終わるだろう。

黙々と中央線沿線頑で張っている小さな個人商店たちを毎日目にするようになると、つくばスタイルだのスローライフだのアートラインだのって、大文字のスローガンを唱えているのがむなしくなる。

僕たちの町だって、輝かしい文化がある。

例えば東金町に松谷みよ子が住んでいて梁山泊のような太郎座って場所があって、金町の子どもたちをモデルに名作『龍の子太郎』を書いたなんて、今回の紀行文を書くまで、全く知らなかった。

そして太郎座に『カムイ外伝』の白土三平がいたことも知らなかった。

白土三平は私の小学校時代の親友、今は亡き岡本創一くんの父である。

複雑な事情があるので、思わせぶりな言い方になり、読み手は不愉快だろうが、創一くんのことはいつかどこかで、きちんと書かなくちゃいけないと思っている。

それこそが友人としてしてやれる、最大の供養だと思うからだ。

どうも自分は金町やその周辺の町と浅からぬ因縁で結ばれているように思えてならぬ。

2008年11月 8日 (土)

本日脱稿です

本日朝、二ヶ月半苦しんだ金町から松戸経由流山までの紀行文二編を脱稿した。

ブログの更新どころか、風呂に入る時間もないくらい追いつめられて、もうへとへと。

なぜなら、転職したから。

正しくは親会社から子会社出向を命じられたと言うべきだが、実際のところは、五十過ぎて転職した感が強い。

周りには知り合いが一人もいない。

そんな見知らぬ職場に二時間かけて通う厳しい日々が始まっている。

いままで本業のサラリーマンのことについて書こうという気持ちが起きなかったのだが、なぜだか今は書きたくて仕方がない。

人間は環境でこうも変わるものかと、不思議に思う。

それは勤務地がいいからかもしれぬ。

やくざとあやしい外国人だらけの東池袋から、井の頭公園の先の下連雀という町に移った。

毎朝、バスに揺られてひとけのない井の頭公園の緑を見る瞬間が好きだ。

三鷹の住宅街もいい。

下町に比べて空襲の被害が少なかったのであろう。

葛飾界隈でいえば市川あたりと似た感じの落ち着いた町並みを見ると、心の奥で昭和の東京が蘇る。

それに玉川上水に漂う野趣も特筆ものだ。

水のないところでは生きられぬ両生類のわたくしは、どうも川のない山の手の町並みは好きになれなかったのだが、三鷹あたりまで下ると緑も多く、心がなごむ。

これから山の手(というか西郊)散歩が趣味の一つに加わりそうだ。

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31