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2008年9月

2008年9月27日 (土)

原稿のアウトテイクです。

気がつくと十日以上更新していない。原稿と取材で頭がいっぱいな上に、勤めの方も忙しい。

そんな寸暇を惜しんで書いてる原稿だけど、文字数の関係で載せらんない面白いエピソードがあるので、これからアップしてゆきます。

寅さん人気によって一年中多くの参拝客で賑わう柴又であるが、実はすでに明治時代、都心方面からの参拝客で繁盛していた。明治から大正・昭和にかけて活躍したジャーナリスト若月紫蘭『東京年中行事』(明治四十四年刊)には帝釈天の初庚申の日に上野駅から七回の臨時列車が出て、乗客を八千六百余人乗せたこと、一粒御符というお札を十七万枚売り切ったことなどが書かれている。当時、庚申の日に限ってではあるが、寅さん人気の今と変わらぬにぎわいだったようだ。

若月紫蘭『東京年中行事』はおすすめ。平凡社東洋文庫で出ていた本で、いまは絶版かもしれないけど、古書店のネット販売なら上下2冊で千円以下で買えた。

それから昨日買った森まゆみ『旧浅草區まちの記憶』はいい本だと思う。

最初に会った頃とずいぶん雰囲気の変わってしまった森さんなんで、最近の本はあまり読んでないけど、平嶋彰彦の写真も秀逸でこの本はよかった。

2008年9月15日 (月)

戸定邸にて

二回に分けて金町から柴又を経由して、八柱までいった。

ふと気づくと、建築を訪ねる小さな旅になっていた。

なかでも松戸の戸定邸が印象に残る。

常磐線で松戸から金町に向かう途中の左側に見える小高い丘の上にある。

意外に狭くて天高の低い廊下が、複雑に入り組んで迷路のようである。

もっと広々とした寺院のような建物を想像していたのだが、寺院というより忍者屋敷に近い。

戸定歴史館学芸員の山田さんにお話を聞いたら、この場所に建てた理由も諸説あるが、いざというときの警備上のことを考えたのではないかということだ。

それでも南向きの縁側はくつろげる。

純粋な日本庭園もいいが、目の前に広がる芝生の緑が鮮やかで、のんびりとした心持ちになる。

畳の上でごろんとしたくなる。

平日にいったのに、数人の人が畳の上でくつろいでいた。

取材であわただしく動き回らなければいけないことが、ちょっぴり恨めしく思えた。

2008年9月13日 (土)

政治家の言語感覚について

昭和の終わりに宮崎勤が世の中を震撼させていた時、「おたく」という言葉を我々は負のイメージで理解した。

それから20年あまりの時間が経過して、次の総理大臣候補者が自ら「漫画おたく」だの、「軍事おたく」だのと言っている。

それを聞いた宮崎勤に殺された子どもの遺族はどう思うのだろう。

あの子どもたちと同世代の子どもをもつ親として、宮崎が子どもを襲った入間ビレッジというマンションを購入することを検討した一市民として、そんな疑問が沸いてくる。

今では市民権を獲得した言葉かもしれぬ。

でも、マニアと言えばいいところを、あえておたくと言い、一般大衆に対して庶民感覚を訴えるような姑息な精神の持ち主を私は信じない。

言論を戦わせて仕事をする政治家にして、この程度の言語感覚である。

人間社会はそのほとんどが言葉で出来ている。

言語感覚が劣化した社会は、社会そのものの劣化を表す。

自分が所属する党の総理大臣が施政方針演説や、内閣改造をやった直後に、突然職を投げ出すという、今時の派遣社員ですらやらないような無責任な辞め方をしたことに対して、何のけじめもなく始まった自民党の空疎な総裁選をテレビの画面で見ながら、そんなことを思った。

2008年9月11日 (木)

松戸市街を歩いた

今日は八柱から牧ノ原まで歩いて建築おもしろテクノ館に行ったあと、松戸駅に戻って戸定が丘歴史公園を通って、小山まで歩き、れんが橋から坂川沿いを歩いて春雨橋まで散歩し、旧水戸街道の古い店の店主さんと四方山話をしながら買い物をして、家路についた。

松戸が広いことを実感した一日であった。

渡邊幸三郎さんの「昭和の松戸誌」という力作を参考にしながら、ぶらぶら歩いた。

本にも書いていない事実がいろいろわかって、とても面白かった。

複雑な気持ちになったのは、坂川にかかるめがね橋の橋脚の上端に無造作に残されたアンカーボルトで、一部にはワッシャーらしきものまで残っていて、急いで橋を付け替えたにしても、普通の建築職人ならもう少しおさまりとか、気にするでしょって思った。

三郷と水元の間にある閘門橋があんまり見事で、後から手が加わっているのは知っているが、めがね橋だって少し規模は小さいかもしれないけど、あれだけの近代産業遺産で、坂川もずいぶん美しく整備されて来ているので、それに見合った手の加え方があるんじゃないかって、建築のトウシロウとしては思うのです。

しかし、町中を流れる川ってのはいいな。東京の町中はほとんど暗渠になっちゃたから、よけいに松戸の坂川のありがたみを感じる。

ちなみにこのブログの顔写真の欄も南流山あたりの坂川の夕景です。

2008年9月 9日 (火)

忙しいです

なんだか最近、とっても忙しい。

土日は胃ガン患者二名の病棟巡りという、あまりハッピーではない二日間だったけど、ガスター20が効果を発揮しだして、胃痛が治まってきたので、めちゃくちゃお酒が美味しくなり始めて、ついつい深酒しちゃうし。

原稿書きのために取材(文献や聞き取り)していると、新事実(といっても自分が無知だっただけなのだが)を発見して、目から鱗が落ちまくりだし。

あこがれの東葛人さんにはコメントをいただいちゃうし。

あと、地元の農家のおじさんというより、市会議員として有名だった池田清さんに流鉄の小金城趾(もとは大谷口)駅のあった場所について、実地にレクチャーしてもらったりして、目が回りそうだ。

小金城趾駅(大谷口駅)については、流鉄ファンとしては大変気になっているポイントだったので、よくわかってよかった。

(詳細については来年春発売の『東葛流山研究』で報告します。よかったら買って下さい)

『流山研究におどり6号』で青木更吉先生が書いていた流鉄がグラマン戦闘機に銃撃された時のことも、当日の目撃談を現場で聞けて、遠い過去のこととは思えない臨場感だった。

しばらくは知恵熱が出るほど、勉強してみようと覚悟している。

あと、唐突だけど、Kさんの愛犬ジャスパーくんに合掌。

いつの日か一緒に「虹の橋」を渡れるようにお祈りしております。

2008年9月 6日 (土)

ママチャリでゆく流鉄沿線の続き

晴れた日の朝、コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」を聴きながらブログを書くってのは、さわやかで気持ちいいね。

だいたい夜に書くことが多いので、BGMはコルトレーンはきつくて、ビル・エバンスとか、マイルスの静かなやつになっちゃう。

「ジャイアント・ステップス」とかマイフェバの頃って、コルトレーンが一番乗っていた時で、聴いているだけでウキウキする。

で、ジャズの話ではなくって、ママチャリ紀行の話です。

去年、近代産業化遺産に指定された葛飾にある煉瓦造りの建物を探していたら、家の近所にある常磐線のガードが19世紀に作られたものだと知ってびっくり。松戸だけでも柳原水閘や小山樋門などいろいろあるが、これは知らなかった。

それを教えてくださったのが東葛人的サイトです。

http://park20.wakwak.com/~toukatsu/

くたびれているとは思っていたけど、常磐線が出来たときからあるなんて、すごいでしょ。車がすれ違えない狭さにも納得。

それにしても東葛人的サイトは素晴らしい。ちょっと面白そうな東葛飾のスポットを網羅している。

野馬土手のことまで書いてあるのが渋い。

もしかして東葛人さんって青木更吉先生の知り合いの学者さんかしらね。

地図にリンクしているので、近日中に行こうと計画している小山樋門の位置がわかってうれしかった。

それと、煉瓦の構築物というと、三郷と水元の境を流れる大場川にかかる閘門橋は最高です。

下手すると涙がこぼれそうになります。

自分で納得した写真が撮れていないので、写真は載せられないけど、一度訪れて見てください。

こんな所にこんな素敵な橋があるなんて、感動のあまりわたくしはしばらくぼーとしていまいました。

煉瓦工場が深谷にあった関係で、埼玉中心に関東地方には特にこういう穴場があるようです。まだまだ地域探訪は奥が深いです。

流鉄についてはまた今度。

神田のおとな縁日に行った

JR神田駅前に出世不動通りという小道がある。

昨夜はおとな縁日というイベントをやっていて、そのイベントの一つに「神田蕎麦食べ比べ」があった。

神田を代表するソバ屋17店がそばつゆを供給し、浅野屋というソバ屋のせいろを食べるという企画だが、まつやと藪蕎麦と松翁を食べてみた。

ぼくはまつやが一番美味しいと思った。

おとな縁日自体が神田技芸祭08という大きなイベントの一環であり、大変面白い試みだと思った。

http://www.youkoso-kanda.jp/index.html

隣の秋葉原に比べて広いせいか、イメージがぼやけてしまいがちな神田だけど、これだけのことが出来るってのがすばらしい。

友達が言っていたが、同じ下町でも観光地化した浅草じゃあ、こんな金の落ちないイベントやらないだろうな。

なんとなく世田谷っぽいイベントだと思っていたら、日本橋で活躍したセントラルイースト東京の人たちが仕掛け人らしい。

それにしても気持ちのいいイベントだった。

参加者の顔がいきいきしている。こんなイベントなら日本中どこだって出来る。流山や松戸の旧市街なんてぴったりなんだけどね。

2008年9月 3日 (水)

坂川と下谷の歴史

今週は新松戸郷土資料館で入手した資料を毎日読んでいる。

とても面白い資料で、目から鱗だ。

特に、坂川のこと。

常磐線の西側、江戸川左岸の松戸(下谷という)は坂川が中心を南北に貫く。

坂川の水利をめぐって南と北が争ってきた歴史があるという。

そして、ぼくが初めて小金城趾に引っ越してきた時、目にした砂漠のような荒れ野の光景はいかにこの下谷という地域が水害に悩まされてきたかを物語る。

なんにも歴史などない、平凡な水田地帯だと思っていた地域が、江戸時代以来どれだけ苛酷な歴史を経てきていたのか、知れば知るほど興味深い。

すこしだけ奥行きを持ってこの地域を鳥瞰できるようになった。

埼玉県から小金宿に行くのに流山の木村と差向橋を通ってゆくルートがあるなんてのも初めて知った事実だ。

ぼくはてっきり鰭ヶ崎から幸田、中金杉あたりを通ってゆくものだとばかり思っていた。

もしかすると小林一茶も上記のルートを通って小金から流山に抜けたのかもしれない。

とにかく、興味津々である。

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