「イシー」と「コバコ」の仲間たちのリンク

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2021年9月20日 (月)

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ザ・ウェイト」を本日のテーマ曲に。

この3ヶ月ほど、いろいろあって、久しぶりの投稿になってしまいました。

いままで、長い間、ダブルローカルで、首都圏に仕事と生活の場を置きながら、

那須高原での活動を拡大してきました。

サラリーマン卒業後は、仕事も生活も那須高原に完全に軸足を移す準備を続けていたのですが、実際にサラリーマン卒業が迫ってきて、いま目の前にある現実を見ると、那須への「ほぼほぼ移住」もそう簡単ではないことも分かってきました。

ダブルローカルの状況は変わらなくても、首都圏で仕事の場所を確保することの大切さに気づかされました。

いくつになっても、勢いだけで進んでしまう自分の計画性のなさに、愕然としていて、

多くの方々に迷惑をおかけしていることを、恥ずかしく思います。

 

そんな経緯があって、自宅から車で30分以内で行ける場所で、仕事の拠点になる場所を探した結果、市川市の北部で、地域ゆかりの古本を中心とした店舗を始めることが、ほぼ決まりかけています。

店舗の形態や、詳細な業務内容など、まだまだ関係する皆さんと協議中なので、いまは発表できませんが、来年、春のプレオープン、夏のオープンを目指して、動いています。

ブログのタイトルも、永井荷風が戦後の市川市を描いた随筆「葛飾土産」にちなんで名付けた「新葛飾土産」を復活させて、那須高原を表す「面白い人が作る街は面白い」とのダブルネームとしました。

長い間、焦点が定まらず、ブログタイトルも数回の変更を経て、やっと方向性が定まりましたので、今後は着実に仕事を進めてまいります。

このブログを引き続き、ご支援よろしくお願いします。

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ウェイト」を本日のテーマ曲に。

 

 

2021年6月 4日 (金)

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります

国道4号線の西側から那須岳にかけて、大きく広がる那須高原。

けれども、この前の記事に書いたように、那須高原はどんどん南下しながら、範囲を広げてゆきます。

広谷地が中心て書いたけど、それすらもう古くて、もしかしたら那須塩原駅や黒磯駅が那須高原の入り口ってイメージなのかもしれません。

そこで、ボクは、那須湯本温泉街や平成の森や那須岳やどうぶつ王国を含むエリアを「奥那須」と、勝手に名付けました。

奥日光から連想した言葉ですが、ネットで検索すると板室温泉あたりを奥那須と言っているようで、気分はよく分かります。

ぼくも板室温泉が好きで、通ったことがありますから。

でも、「奥那須」は、もっと広いエリアで使いたい。(キッパリ!)

那須平成の森や、那須岳(茶臼岳)の頂上、さらに映画『テルマエロマエ』に登場した北温泉こそ、奥那須らしいスポットと言えるのではないでしょうか。

いま思えば、ぼくはオオコバコが出来るまで、民宿街と同じくらい、奥那須エリアの国民休暇村を定宿として使っていました。

那須高原に行くっていうことは、限りなく那須岳に近づくことだったのです、

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります。

那須高原の一番の奥から、奥那須エリアの入り口へ。

一気に湯本温泉街の位置づけが変化しました。

通り過ぎる場所ではなく、正式な玄関口として。

奥那須と勝手に名付けたのは、ボクの勝手な意見ですが、湯本温泉街の仲間達が奥那須エリアの魅力をどんどん発信してくれています。

すでに、昨年12月のフードコート「風の杜まど花」の登場、宵の散策イベント、そして、民宿街のライトアップなど、明るい未来を予感させる出来事が続いています。

近い将来、さらに魅力的なスポットが出来るはずです。

まだ詳細は書けませんが、ぼくもそのために全力投球でがんばります。

 

 

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

最近、那須高原の中でも、特に湯本の温泉街の人たちと話をすることが多くなって、分かってきたことがあります。

昭和の末期、30年数前に那須高原に通うようになった時分、鹿の湯や殺生石のある湯本の温泉街は、那須高原の賑わいの中心でした。

那須街道沿いは、いまでは考えられないほど寂しくて、商業主義の匂いが感じられないエリアだった記憶があります。

それが、平成に入って、みるみるうちに、新しいスポットが出来て、那須高原の中心地は小さな湯本温泉街から、那須街道と横断道路がクロスする広谷地交差点を中心とした広いエリアへと南下したのです。

もしかしたら、最近の観光客にとって、湯本の温泉街は那須高原の中心ではなく、一番奥の突き当たりの小さな集落といったイメージなのかもしれません。

実際に、町を散歩すると、そこそこ賑わいはあるものの、閉店した古い個人商店も目に付きます。

一方、那須高原では個人で始める素敵なお店が次々と誕生しています。

グーグルの住所データを入力してもたどり着けないような、隠れ家的な場所に店が出来て、しっかりとお客さんがつく。

そんな事例が増えてきました。30数年前は食べるところを探すのも大変だったので、それはとっても嬉しいんです。

だけどね。ボクにとって、こういうお店が決定的に物足りないのは、上にも書いたように、歩いて回れないこと。

温泉に入って、体がホカホカになって、ちょいと、アルコールが入って、町をぶらぶらするのが楽しみなんだよね。

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

那須高原では、数少ない歩いて楽しい町が、今のまま忘れられてしまうのは、もったいないなあ。

さらに、奥の細道の旅で、松尾芭蕉が訪れ、千年以上の歴史をもつ温泉神社や九尾の狐の伝説がある町。

郷土史家の端くれとしては、周辺は美しい大自然に囲まれ、歴史と伝説のある町が那須高原の中心じゃなきゃおかしいでしょうって、想いがふつふつと湧き始めたのです。

そして、ボクはとうとう「奥那須」を発見したんです。

 

2021年4月11日 (日)

いま仏教とお寺がマイブームなんです。


なんと、今年初めてエントリです。
サボってた感じはないんだけど、在宅勤務が始まって、家で仕事をしていると、パソコンに向かうのが会社の仕事と重なって、落ち着いてブログを書く気分にはなれなかったかもしれません。
近親者が亡くなったりしたこともあって、菩提寺の住職と話したりしていると、仏教やお寺が身近なものに思えてきます。
10数年前にも仏教マイブームがあったのですが、機が熟していなかったのか、自然消滅してしまいました。
何気なく、積ん読だった釈徹宗さんの『いきなり始める仏教生活』(新潮文庫)を手に取ったことから、今回のマイブームが始まりました。
去年から気になっていた内田樹さんの『日本習合論』(ミシマ社)を那須ブックセンターで買ってもらって、金曜日に読了しました。
近頃の本では珍しく、タイトルが金色の箔押しになっていて、装丁のセンスが素晴らしいです。
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そして、中身ですが。明治初年まで1000年続いた神仏習合の話から始まり、なんと!最後は、はっぴいえんどと内田裕也の「日本語ロック論争」で終わるという奇想天外な本ですが、掛け値なしに面白い🤣
いまの人たちは信じられないでしょうけど、ロックは英語で歌わないとバッシングされた時代があったんです。って、遠い目をして、物思いに耽っていたら、土曜日の朝刊に当事者の松本隆さんが登場して、「日本語ロック論争」の話をしてるんです。びっくり‼︎
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それはさておき、内田さんが繰り返し言っているのは、「習合」という対案を提示することで、「浄化」や「純血」といった熱狂を抑制したいということ。
すると、原研哉さんの名著『デザインのデザイン』(岩波書店)に、ユーラシア大陸の地図を90度回転させると、パチンコ台になって、日本は一番下の受け皿の位置になる話が書いてあることを思い出しました。
「様々なルートから多様きわまる文化を受け止める日本は相当に煩雑な文化のたまり場だったのだろう。それら全てを受け入れ、混沌を引き受け続けることによって、逆に一気にそれらを融合させる極限のハイブリッドに到達した。」
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だからこそ、日本の文化って、カッコいいんだと、ボクは、強く強く、思います。
今日はやっぱり。50年前に発表された、はっぴえんどのアルバム『風街ろまん』の一曲目「抱きしめたい」にしましょう。
ビートルズの「抱きしめたい」という賑やかな曲のイメージがこびりついていた頭を、ゆったりと解きほぐすような名曲。日本語じゃないと描けない状況が浮かぶ浮遊感あふれる歌詞。今まで聴いたフォークやロックとは別次元の音楽世界を見つけました。
この曲と、次の「空色のくれよん」で、完全にやられました。ああ、日本のポップスに新しい時代が始まったんだと感じました。
それから数え切れないほど聴いているけど、いまだに古びないのは、いったいなぜ何でしょうね。

2020年12月31日 (木)

古本とコーヒーを楽しんだ植草甚一のように、本を小脇に抱えて、町を散歩したくなるのです。

12月になって、2回ほど那須に行ってきました。

来年予定している古本市会場の下見や打ち合わせも兼ねて、那須湯本をぶらりと散歩したワケです。

前回のエントリで、山の上の方って書いたけど、湯本の民宿街を舞台に、回遊型の古本市をやるという骨子がまとまってきました。

そういうこともあって、湯本の町を散歩したのですが、コバコのメンバーからぜひ会って欲しいと勧められたキーパーソンがいます。

それは、11月28日プレオープンした小さなフードコート「風の杜まど花」を作った高久秀将さんです。

まど花のウェブサイトが出来ていないので、NASUMOのライターさんが、バリスタの中楯さんを取材したCAFEまど花の紹介ページにリンクします。

高久さんと話をしていると、なんだか、ずっと前から知り合いだったかのように話が合う。

そのうちに、高久さんが、あの伝説の高山建築学校で学んだことを知って、納得しました。

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そもそも、ボクが那須高原でセルフビルドを始めたのは上の写真の「高山建築学校の小野二郎」という石山修武さんのエッセイを読んだからです。

1990年に地元の図書館で、ウィリアム・モリスのことを知って、モリス研究の第一人者故小野二郎のことをよくご存じの石山修武さんがいたダムダン空間工作所に連絡をとったことがきっかけでした。

石山さんはすでに早稲田の教授になって、退所していたけれど、所員の皆さんは何も知らない素人のボクをとても良くしてくれて、そこから長い付き合いが始まりました。

そんな感覚の奥深いところででつながっている、高久さんとの出会いは刺激的で、久しく忘れていた「遊びの感性」を呼び覚ましてくれました。

まど花にいると、いろいろ、アイデアがわいてきて、止まらなくなります。

上記のバリスタ中楯さんがいれてくれるコーヒーも、衝撃的なおいしさで、窓際のカウンターに腰掛けて、コーヒーを飲みながら窓から茶臼岳の裾野を見ていると、古本とコーヒーを楽しんだ植草甚一のように、本を小脇に抱えて、町を散歩したくなるのです。

2020年の最後も今年マイブームだったKIRINJIで「日々是観光」

 

 

 

 

2020年11月22日 (日)

成功の反対は、失敗ではない。成功の反対は、なにもしないこと。

前回更新したのが、9月なのでうかうかしている間に、2ヶ月経ってしまった。

それにしても、目まぐるしく、そして大きく、自分を取り巻く状況が動いた2ヶ月間でした。

那須高原の制作者集団コバコのこと。

拠点となる山小屋のオオコバコのこと。

那須高原古本祭りに参加したこと。

コバコは、とうとう、最初の出版物「コバコ新聞」を創刊しました。

その活動内容について、大変ありがたいことに、猫茶屋工房さんがホームページで素晴らしいレポートを書いて下さいました。

「コバコ新聞」

猫茶屋工房さんは、山小屋から車で5分程度のご近所さんで、先代のオーナーさんの時代から我が家は大ファンの店なのです。

猫茶屋工房

まさか、そんな店のオーナーさんと知り合うチャンスがあると思っていなかったので、いまだに不思議です。

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そして、オオコバコもどんどん、変貌しています。

去年までは、先行きが見通せないまま、建物に名前もつかず、趣味の本を置いて、隠居所として使うことくらいしか、考えていなかったのが、大変身。

オオコバコという名前をもらってからは、コバコの仕事場として、メンバーが使ってくれるので、あちこち、なおしたり、レイアウトを変えたり、蔵書もほとんど入れ替えて、プリンタや製本用の機械も活躍し始めて。

なんだか、忙しないオオコバコとして、動き出しています。

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最後に、古本祭りのこと。

店子として、今回那須ブックセンターの古本祭りに参加したのですが、だんだん、それでは物足りなくなってきました。

もう少し、山の上のほうで、ツーカーでわかり合える気の置けない仲間たちと、小さな古本市をやることにしました。

たった一人の仲間と一緒に、今日決めたので、いまはまだ何も決まってないけど、必ずやります。

反対する人、馬鹿にする人、冷笑する人、これから数多現れるでしょう。

還暦過ぎまで生きて、いろいろやってきたから、そんな人ばかり、見てきました。

嘲りの言葉などはっきり言って、痛くもかゆくもありません。自分が正しいことをやっていると確信させていただくエールに聞こえます。

そういう人には、学生時代の恩師野田一夫教授の名言を引用して、こう言います。

「成功の反対は、失敗ではない。成功の反対は、なにもしないこと。」

 

 

 

2020年9月26日 (土)

コバコは、KIRINJI同様メンバー間の多様性が確保されていることで、バンドのようにお互いの足りない部分を補い合って、いいものがつくれているような気がします。

このひとつきくらい、YouTubeでKIRINJIばかり見ているのですが、なんでこんなに惹かれるんだろうって、考えてみたんです。夢中になる理由を、いろいろ考えてみると、自分のことを再発見する場合もあるので。

かつて堀込兄弟のユニットだった2人組キリンジも、もちろん素敵で、とくに「Drifter」という曲は、毎日毎日、頭の中でリピートするくらい好きなのですが、やはり6人組のバンドになった(現在は2人脱退して4人組)KIRINJIが、たまらなく魅力的なんですね。

 

ぼくが心ひかれる一番の理由はおそらく、多様性にあるような気がします。

最近はダイバーシティなんて言葉もあるようですが、このバンド、60代から20代までメンバーの年齢層が幅広いんです。そして、6人中女性が2人で、2人がボーカルも担当するので、存在感大きいです。

よく考えると、ぼくたち那須高原の制作者集団コバコの4人組は60代から20代のメンバー構成で、そのうち半分は女性ということで、なんとなく親近感を覚えます。

ライブ映像をみると、雰囲気がよくて、その場にいたらぼくたち聴衆も一緒にハッピーになれそう。

コバコは、KIRINJI同様メンバー間の多様性が確保されていることで、バンドのようにお互いの足りない部分を補い合って、いいものがつくれているような気がします。

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学生時代にやった部活やサークル活動でも、こんな経験をした記憶が、ほとんどなく、これが初めての体験。

おそらくこれが「それぞれ別個に活動した時とはまるで別人のような」あるいは「当人たちも予期しなかった」好影響が発揮される「ケミストリー」というものなんだと思います。

それでは、6人組のバンドになったKIRINJIから一曲「The Song of an Astronaut」

 

 

2020年8月29日 (土)

疲れ切った日本を誰が、どのように立て直してゆくのか、じっくりと拝見させてもらうつもりです。

小泉内閣が5年5ヶ月、安倍内閣が通算で9年8ヶ月なので、両者を合わせると15年3ヶ月。
2001年以降の20年間のうち4分の3は、この二人の首相の時代でした。

政治や法律の難しいことは分かりませんが、産業界の末端で働いてきた労働者として、経済や社会のことは多少分かります。
そこで、この二人の首相の時代に共通することは、いったい何だったんだろう、どういう特徴があるのかを、振り返ってみようと思います。

間違いなく両者に共通するのは、すでに賞味期限が切れた大企業中心のグローバル資本主義を、力づくで推し進めたことかなと思います。
バブル崩壊、リーマンショック、そして、東日本大震災といった未曾有のトラブルから、社会を立てなおすには、社会の絆を強くして、セーフティーネットを充実させて、教育を充実させて、国民全体をパワーアップさせる。

そのための資源の再配分が政治の仕事だったと思うのですが、そういった努力を放棄して、大企業と外国の資本に丸投げし、19世紀のような階級社会へと逆走させた。
時代遅れだと思って、学生時代は大嫌いだったマルクス経済学が、復権するとは、想像も出来ませんでした。

一見景気よくみえるけれど、株価の動きとは関係のない、零細な農業や酪農や水産といった地方経済を担う、そして、国民が食べていくために必要不可欠な実業が疲弊して、地方が衰退し、激しく過疎化が進んだ20年だったなと、感じています。
それは、ぼくが通っている那須エリアでも、例外ではありません。

疲れ切った日本を誰が、どのように立て直してゆくのか、じっくりと拝見させてもらうつもりです。

そして、為政者に任せ切りは、社会の風通しを悪くすることも、よく学びました。
ぼくはぼくなりに、ローカル出版社オオコバコとして、出来るレベルの活動を通して、地方の小さな経済を回すことに寄与したい。
首相の辞任表明から一夜明けて、そんなことを、ぼんやりと考えています。

最近、はまっているKIRINJIのライブ映像で「Mr BOOGIEMAN

 

 

2020年8月23日 (日)

最近発売された「CASA BRUTUS」の「大人も読みたいこどもの本100」という特集は、出色のできばえです。

去年までは一度しか行ったことのなかった「那須平成の森フィールドセンター」に、今年は足繁く通うようになりました。

これも、コバコのメンバーになったお陰で、つながりが出来た訳でして、有り難いことです。

フィールドセンターは那須の森にすむ動物や植物について、あらゆる情報が得られるスポットなのですが、それだけにはとどまらず、美術書や絵本の蔵書が充実しています。

蔵書が置いてあるだけじゃなく、インタープリターの若林千賀子さんは、絵本や美術に関する造詣が深く、たくさんのことを教えてもらいました。

インタープリターは自然と人との橋渡し役。

コバコのメンバーには、絵本作家のしのづかゆみこさんも参加しているので、もともと、絵本には関心がありましたが、若林さんとの出会いもあり、コバコメンバーのなかで、絵本への関心がさらに深まっています。

そんな状況のなか、最近発売された「CASA BRUTUS」の「大人も読みたいこどもの本100」という特集は、出色のできばえです。

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正直言って、「CASA BRUTUS」って、表紙や特集に惹かれて買ってはみたものの、イマイチという場合もあるのですが、今号は素晴らしいですよ。

どのページも気合いが入っていて、文章も画像も手抜きなし。読み応え十分で、本体900円はお値打ちだと思います。

このブログでは、アマゾンにリンク張るのやめたので、「CASA BRUTUS」はぜひ新刊本の本屋さんで買ってください。

嬉しかったのは、平成の森フィールドセンターで教えてもらったビアンコ作、酒井駒子絵・抄訳の『ビロードのうさぎ』が紹介されていること。さらに、コバコが憧れているインドの手作り本出版社タラブックスの『夜の木』も掲載されています。

 

最近、コトリンゴが在籍していた時期のKIRINJIというバンドが気に入ってしまい、繰り返し、YouTubeで見てしまいます。コトリンゴのソロもいいのですが、腕達者なバンドサウンドならではの味があって、KIRINJIの方がおすすめです。

KIRINJI「うちゅうひこうしのうた」

 

 

 

2020年8月 2日 (日)

中学生になったときに、心に蓋をして、忘れようとした小学校時代の感覚が、戻ってきています。

少なくとも、昭和の中頃、ぼくが小学生の頃って、子どもはみんな、自由で生き生きと遊んで、毎日笑顔で過ごしていたような気がします。

それが中学生になって、制服着せられて、一気に暗くなって、クラブ活動で先輩にしごかれたりするのが、当たり前の文化と出会って、戸惑いつつも、違和感に蓋をして、それが「大人になるってこと」だと、受け入れていた中学生の自分がいました。

それから50年、学校を卒業して、会社に入っても企業人の文化にもなじめず、中途半端な感覚で生きてきて、自分が中学生の時に受け入れたことが、間違いだったことに気がつきました。

もちろん、そういった文化に居心地の良さを感じる人もいるでしょう。

けれども、自分は違うし、そうじゃない人も多いから、いまの時代、心を病んだり、自殺したりする人が多いのだろうって、容易に想像がつきます。

内藤朝雄さんという社会学者が書いた『日本社会は「巨大な中学校」のよう…コロナ危機で克服すべき3つのこと-だからこの国は衰退の一途をたどってきた』という記事を読んで、深く共感しました。


そして、50年ぶりに大企業や学校のような組織を離れる準備を始めた矢先に、出会えた仲間がコバコの仲間たちでした。

性別、学歴、容姿、民族その他どうでもいいことで、ある人にレッテルを貼って、攻撃対象とする。そんな陰湿なパワハラ、セクハラといったいじめが横行する世界で、苦痛を感じながら、這いつくばって生きてきて、残りの人生は、そんなモノとは一切関係ない自分の世界を作ろうって、ホントに、ホントに、強く、強く、思います。

今年の1月に那須高原で結成されたコバコは、メンバーそれぞれの自由意志で集まりました。
ぼくたちは「人と人」、「人と自然」をつなぐような作品作りを目指しています。
そして、ふと、気がついたのは、自分よりずっと若いコバコのメンバーと交流するうちに、自分の感覚がどんどん、ピュアで、自然になっているってこと。
中学生になったときに、心に蓋をして、忘れようとした小学校時代の感覚が、戻ってきていて、最近は小学生のころ好きだった絵本や漫画や映画と接する時間も増えています。
ずいぶん遠回りしてきたたけど、これで良かったんだと思います。
2年前に「こどもハートとおとなヘッド」をスローガンに「よいこの経済新聞」ていうウェブマガジンを始めたけど、そのときは「こどもハート」のこと、全然分かっていなかった。
コバコのメンバーと出会って、やっと少し、本来の自分を取り戻せているような気がします。

コバコのメンバーに、心から感謝です。

初めて聞いた瞬間に、心を奪われた、本日の一曲。
naomi&goro 「ビューティフル・ラヴ」

 

 

 

 

«多くの方の善意で、ヤマネのポストカードが、世に出たことを、深く感謝しております。

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