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2022年5月 7日 (土)

奥市川Tree-Bさんとコラボで、新しいリトルプレスを作ります。

那須高原で、今夏「きつねまちとしょかん」を始めることにした矢先、近隣の那須塩原市高林という町で、閉店した駄菓子屋を復活させて、ロッカーサイズ4個分の小さな空間を貸し出すので、お店を出さないかとの話が舞い込んできました。

「きつねまちとしょかん」は別荘地のルールで、営利目的の活動は出来ないから、その場所をライブラリーショップとしようと決めて、5月から開店しました。図書館が開館するまえに、ライブラリーショップだけ、一足先に開店するわけです。しかも、クルマで15分くらい離れた、場所です。日本初の分離派図書館と、ひとまず、言っておきます。日本初じゃなかったら、ごめんなさい。

ということで、「きつねまちとしょかん」の開館向けて、いろいろ準備中ではあるのですが、地元の松戸市を含む奥市川エリアにオープンして、12年目になるカフェTree-Bさんから、以前作ったリトルプレス「懐かしき未來 その1」が完売したので、増刷して欲しいとの、ありがたいオファーをいただきました。

 

増刷は、大変ありがたいのですが、刊行後6年経過して、版元も青空公房からオオコバコに名前が変わって、少しだけど実績を積んでいます。

そして、何よりも主役のTree-Bさんや、そのTree-Bさんを取り巻く環境が、大きく変化しており、全面的に内容を見直す必要を感じます。

 

そこで、Tree-Bの星さんご夫妻と、久しぶりのコラボで、改訂版というよりも、新しいリトルプレスを制作することになりました。

一昨日、目の前で最後の店頭在庫が売れましたので、ボヤッとしている暇はありません。急ピッチで仕事して近々に発表します。

どうぞご期待下さい。

 

下の写真は、江戸川沿いの空き地にある「サクラベンチ」。

何気ない日常風景が、ちょっと見方を変えるだけで、生き生きしてくる。

Tree-Bさんらしい発見です。

この桜もリトルプレスで紹介するかもしれません。

Sakura-bench

今日の1曲は、自分と同年代のロックヒーローポール・ウェラーが、1980年代に作ったスタイルカウンシルの”My Ever Changing Moods”

還暦を過ぎても枯れない姿に、心打たれます。

 

 

 

 

2022年2月 6日 (日)

那須高原の「きつねまちとしょかんへ、ようこそ」

前回のエントリで取り上げた『手づくりのアジール』を含めて、たくさんの本を読んで、勉強していると、それまでとは違う考え方がいろいろ生まれてきます。

その中から那須高原に作った山小屋オオコバコを私設図書館として地域の人に無料で開放するというアイデアが生まれてきました。

直接的には『手づくりのアジール』を書いた青木真兵さんが奥さんの海青子さんと二人で、奈良県東吉野村で運営している私設図書館ルチャリブロに刺激されたのですが、思えば、ずっと前からこの道が用意されていたような気もします。

自分の本を無料で読んでもらうために、私設図書館として、公開する。光熱費も、その他何もかも自分もち。

そんなおかしな空間を作ることが、時々、脳裏をよぎったのです。

けれども、市場経済のルールから逸脱した、非常識な行動だということは、よく分かっているので、そこから逃れるために、古本屋を目指したり、ブックマンションを考えたり、いろいろもがいてみました。

でもね。「わかっちゃいるけどやめられねぇ」んです。

そして、いまから振り返ってみれば、山小屋オオコバコは、延べ人数500人は軽く超える人々の無償奉仕で出来た、市場経済のルールから大きく逸脱した空間なんです。

それなのに、肝心のボクが市場経済の常識にとらわれて、自分を見失ってどうする。

手伝ってくれた人の中には、すでに他界した人、連絡先も分からない人が大勢います。だから、その人たちにお返しすることは不可能になりました。けれども、バトンを繋ぐように、次の世代にお返しすることが、この建物の存在意義なのだと、内田樹『ぼくの住まい論』(新潮社)を読んで、腑に落ちました。

 

ワケも分からず、勢いだけで作ってしまった山小屋をどうやって活用したらいいのか。

関東の北のはずれで、車で片道三時間かかる町には、一人の友人もない状態で、持て余したこともありました。

けれども、那須ブックセンターという本屋ができて、店長の谷さんを中心に、町の人たちが目覚め始めて、沢山の出会いがあり、自分の居場所が見つかりました。

那須ブックセンターは昨年末で閉店したけど、こんどは自分が町に対して、お返しする立場だと感じています。

山小屋の建設に協力してくれた人、那須ブックセンターを通じて知り合った町の人たち、そんな沢山の人たちに「きつねまちとしょかん」という形で、恩返しできれば、幸せです。

開館は今年の夏。これから準備が始まります。詳細はこれから随時、報告してゆきます。

取り急ぎ、ロゴだけ作ったので、公開します。

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「わかっちゃいるけどやめられねぇ」気分の今夜は、どことなく、切なさが漂うこの曲で。

SAKE ROCKフィーチャリング中納良恵で「スーダラ節」

2022年1月23日 (日)

思えば、ぼくは小さい頃から二拠点居住で、茨城の農村と東京を行き来して、都会の暮らしを相対視してました。

こんにちは。今年最初のエントリです。

夏からフリーになります。そこで、新しい活動を始めるために、年末年始のお休みを利用して、学生時代以来、何十年かぶりに、ノートをとりながら、一日一冊ペースで、せっせと読書に励みました。いろいろ読んだ中でも、特に面白かったのが、

歴史学者青木真兵さんの『手づくりのアジール』(晶文社)

 

人類学者松村圭一郎さんの『くらしのアナキズム』(ミシマ社)

 

ぼくが下手な説明をするよりも、だまされたと思って、読んで頂くのが何よりなのですが、ひとつだけ指摘します。

この2冊に共通するのは、世の中のあらゆることが市場経済の中で行われるようになって、財やサービスが産業化されて、お金で売り買いされるような社会で、生きづらさを抱えている人が、どんどん、増えている状況の中、そこからどうやって脱却するのか。

人々の心に新自由主義のルールが骨の髄までとけこんだ社会を相対的に見る視点を獲得するという課題に対して、具体的な処方箋を示していることです。

白井聡さんの『武器としての「資本論」』も問題意識は共有しているけど、具体的な処方箋が弱くて、マルクスの言葉に寄りかかっているのが、ちょっとマイナス。

旧来の左翼系の人にはウケるのかもしれないけど、真っ赤な表紙も可愛くないし。白井さんはマルクスを研究してきた社会科学者だから、仕方ないのかもしれない。

じつは青木さんや松村さんの本で、人文知のもつ意味を再認識しているのです。とかく、理工系や経済学、法学のような社会科学に比べて、役に立たないと、邪険にされている歴史、哲学、文学、人類学といった人文知ですが、今のような世の中の大転換期には、大変有効です。というか、それを学ばずして、未来のことを考えられないと思います。

思えば、ぼくは小さい頃から二拠点居住で、茨城の農村と東京を行き来して、都会の暮らしを相対視してました。それなのに、東京の学校を卒業し、都内で働いて、ずっと長い間、東京育ちの都会人だと勘違いしていました。

けれども、明治生まれの祖父の生活哲学のようなものが、自分のバックボーンになっていることに気づいて、2017年に「懐かしき未來」というリトルプレスを作り、祖父に捧げました。

幕末に建てた古民家に住む霞ヶ浦の漁師で、何でも手づくりし、工場で作った加工食品は食わず、冠婚葬祭すべて自宅でやった、かっこいい祖父が、次々と打ち寄せる時代の波に翻弄されて、家も仕事も何もかも失う前の古き良き世界をほんの少しでも取り戻すことが、自分のミッションかなと改めて思う2022年なのです。

今日は、那須高原のキャニオンで出会った人たちにジョニ・ミッチェル「レイディズ・オブ・キャニオン」を捧げます。

 

2021年11月28日 (日)

この物語は「きつねまちのふしぎなほんや」から始まったので、名称も「きつねまちブッククラブ」なんてのはどうかしらね。

前のエントリで書いた「宵の散策」で古本ガレージをやっていたら、お客様がぼくたちの店に「きつねまちのふしぎなほんや」という店名をつけてくれました。

童話風のイメージがわいたということらしいのですが、那須町じゃなくて、きつねまちというのは、なんだか面白いなあと、考えて、それなら那須高原のどこかに実店舗を作るのも出来ないかしらと、いろいろ検討し、仲間とも相談したけど、それはかなりハードルが高いことも、少しずつ分かってきました。

ここ数年、だいぶお世話になった那須ブックセンターがもうじき閉店します。

長い間、本屋不在の町だった那須高原で、ようやく、花が開きかけた本好きたちの交差点が、幕を下ろします。

それはつまらないなあと思ったので、代わりにどこかで、何か始めたい考えたら、いちばんお金をかけなくても始められるのが、オオコバコで読書会をやることでした。

よく考えると、そのために、自分の手で、自由に使える場所を、少しずつ30年かけて作ってきたワケで、原点回帰なのですが、自分では気がつかなくて、仲間のひよこ書店さんに言われて、ハッとしました。

「灯台もと暗し」なんて言いますが、まさにそんな感じで。

これからは、自分の身の丈にあったことをやろうって、気づいた瞬間です。

この物語は「きつねまちのふしぎなほんや」から始まったので、名称も「きつねまちブッククラブ」なんてのはどうかしらね。

読書会って言っても、昔の文学サークルなんかの難しい感じじゃなく、本を取り巻く楽しみ方の情報をシェアすることが目的でして。

本の作り方のワークショップやったり、表紙自慢の本を持ち寄ったり、千野帽子さんがやってる作らない句会ってのも面白いかも。

てなことでロゴを作ってみました。

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この、ロゴを掲げて、「きつねまちブッククラブ」出発します。

これから、いろいろ準備して、暖かくなる来年春にスタートだね。ああ、忙しくなりそうだ。

本日の気分は6人組KIRINJIのスタートを記念した「進水式」です。

 

勝手に重荷を背負ったり、背負いきれなくて、降ろしたり。

バタバタと走り続けた2021年も、早くも年の瀬です。

ニケ月ぶりのブログエントリですが、相変わらず、いろいろあったなあ。

一番、大きな出来事は、那須高原の鹿の湯通り「宵の散策」というイベントに古本屋として三組合同で出店したこと。

ぼくの屋号はオオコバコで、他におひさま堂さんと、ひよこ書店さんとのコラボで、古本ガレージというタイトルで出ました。

よく考えると、ひとりで古本屋として、ちゃんとしたイベントに、出店したのは初めての体験で、仲間の先輩古本屋さんたちに助けてもらって、なんとかやり遂げたけど、古本屋さんって、思っていたより、ずっと奥が深い仕事で、年期が必要で、オオコバコの出版事業や、文筆家として著作のついでに出来る仕事ではないと、気づくことが出来たのは、大きな収穫でした。

自分の実力以上のことをやろうとして、失敗するのが、悪い癖で。

身の丈にあった目標を掲げればいいのに、勝手に重荷を背負ったり、背負いきれなくて、降ろしたり。

前回のエントリで、市川市の古本屋のことを書いたけど、店を始めて継続するには、一工夫も、二工夫も必要なことも、分かりました。

ひとりで何でも出来ると思っていたのに、実は、たくさんの人の支えがないと、継続してゆくのは難しいと思います。自分の事業の骨組みを、どのように設計して、構築してゆくか。考えることもたくさんあります。

この二ヶ月で、痛感させられたのは、そういうことです。これはサラリーマンの傍ら週末文筆家としてやっていただけでは分からなかったことで、サラリーマン卒業の前に、分かって良かった。

土曜日の朝、那須高原に向かうクルマを運転しながら、NHKFMでピーター・バラカンさんの番組を聴くのが至福のひとときになりました。

ことごとく、ボクのツボにはまる選曲で、昨日はジョニ・ミッチェルのレア音源でした。

だから今日は、名曲A Case Of You を聴きましょう。

2021年9月20日 (月)

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ザ・ウェイト」を本日のテーマ曲に。

この3ヶ月ほど、いろいろあって、久しぶりの投稿になってしまいました。

いままで、長い間、ダブルローカルで、首都圏に仕事と生活の場を置きながら、

那須高原での活動を拡大してきました。

サラリーマン卒業後は、仕事も生活も那須高原に完全に軸足を移す準備を続けていたのですが、実際にサラリーマン卒業が迫ってきて、いま目の前にある現実を見ると、那須への「ほぼほぼ移住」もそう簡単ではないことも分かってきました。

ダブルローカルの状況は変わらなくても、首都圏で仕事の場所を確保することの大切さに気づかされました。

いくつになっても、勢いだけで進んでしまう自分の計画性のなさに、愕然としていて、

多くの方々に迷惑をおかけしていることを、恥ずかしく思います。

 

そんな経緯があって、自宅から車で30分以内で行ける場所で、仕事の拠点になる場所を探した結果、市川市の北部で、地域ゆかりの古本を中心とした店舗を始めることが、ほぼ決まりかけています。

店舗の形態や、詳細な業務内容など、まだまだ関係する皆さんと協議中なので、いまは発表できませんが、来年、春のプレオープン、夏のオープンを目指して、動いています。

ブログのタイトルも、永井荷風が戦後の市川市を描いた随筆「葛飾土産」にちなんで名付けた「新葛飾土産」を復活させて、那須高原を表す「面白い人が作る街は面白い」とのダブルネームとしました。

長い間、焦点が定まらず、ブログタイトルも数回の変更を経て、やっと方向性が定まりましたので、今後は着実に仕事を進めてまいります。

このブログを引き続き、ご支援よろしくお願いします。

新しいことが始まるときは、何故だか、必ず聴きたくなるザ・バンド「ウェイト」を本日のテーマ曲に。

 

 

2021年6月 4日 (金)

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります

国道4号線の西側から那須岳にかけて、大きく広がる那須高原。

けれども、この前の記事に書いたように、那須高原はどんどん南下しながら、範囲を広げてゆきます。

広谷地が中心て書いたけど、それすらもう古くて、もしかしたら那須塩原駅や黒磯駅が那須高原の入り口ってイメージなのかもしれません。

そこで、ボクは、那須湯本温泉街や平成の森や那須岳やどうぶつ王国を含むエリアを「奥那須」と、勝手に名付けました。

奥日光から連想した言葉ですが、ネットで検索すると板室温泉あたりを奥那須と言っているようで、気分はよく分かります。

ぼくも板室温泉が好きで、通ったことがありますから。

でも、「奥那須」は、もっと広いエリアで使いたい。(キッパリ!)

那須平成の森や、那須岳(茶臼岳)の頂上、さらに映画『テルマエロマエ』に登場した北温泉こそ、奥那須らしいスポットと言えるのではないでしょうか。

いま思えば、ぼくはオオコバコが出来るまで、民宿街と同じくらい、奥那須エリアの国民休暇村を定宿として使っていました。

那須高原に行くっていうことは、限りなく那須岳に近づくことだったのです、

ということで、湯本の鹿の湯温泉街は、「奥那須」エリアの入り口ということになります。

那須高原の一番の奥から、奥那須エリアの入り口へ。

一気に湯本温泉街の位置づけが変化しました。

通り過ぎる場所ではなく、正式な玄関口として。

奥那須と勝手に名付けたのは、ボクの勝手な意見ですが、湯本温泉街の仲間達が奥那須エリアの魅力をどんどん発信してくれています。

すでに、昨年12月のフードコート「風の杜まど花」の登場、宵の散策イベント、そして、民宿街のライトアップなど、明るい未来を予感させる出来事が続いています。

近い将来、さらに魅力的なスポットが出来るはずです。

まだ詳細は書けませんが、ぼくもそのために全力投球でがんばります。

 

 

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

最近、那須高原の中でも、特に湯本の温泉街の人たちと話をすることが多くなって、分かってきたことがあります。

昭和の末期、30年数前に那須高原に通うようになった時分、鹿の湯や殺生石のある湯本の温泉街は、那須高原の賑わいの中心でした。

那須街道沿いは、いまでは考えられないほど寂しくて、商業主義の匂いが感じられないエリアだった記憶があります。

それが、平成に入って、みるみるうちに、新しいスポットが出来て、那須高原の中心地は小さな湯本温泉街から、那須街道と横断道路がクロスする広谷地交差点を中心とした広いエリアへと南下したのです。

もしかしたら、最近の観光客にとって、湯本の温泉街は那須高原の中心ではなく、一番奥の突き当たりの小さな集落といったイメージなのかもしれません。

実際に、町を散歩すると、そこそこ賑わいはあるものの、閉店した古い個人商店も目に付きます。

一方、那須高原では個人で始める素敵なお店が次々と誕生しています。

グーグルの住所データを入力してもたどり着けないような、隠れ家的な場所に店が出来て、しっかりとお客さんがつく。

そんな事例が増えてきました。30数年前は食べるところを探すのも大変だったので、それはとっても嬉しいんです。

だけどね。ボクにとって、こういうお店が決定的に物足りないのは、上にも書いたように、歩いて回れないこと。

温泉に入って、体がホカホカになって、ちょいと、アルコールが入って、町をぶらぶらするのが楽しみなんだよね。

ベロベロに酔っ払って、一升瓶を抱えて、鹿の湯の脇の坂道を転げるように、民宿街に走ったこともありました。

那須高原では、数少ない歩いて楽しい町が、今のまま忘れられてしまうのは、もったいないなあ。

さらに、奥の細道の旅で、松尾芭蕉が訪れ、千年以上の歴史をもつ温泉神社や九尾の狐の伝説がある町。

郷土史家の端くれとしては、周辺は美しい大自然に囲まれ、歴史と伝説のある町が那須高原の中心じゃなきゃおかしいでしょうって、想いがふつふつと湧き始めたのです。

そして、ボクはとうとう「奥那須」を発見したんです。

 

2021年4月11日 (日)

いま仏教とお寺がマイブームなんです。


なんと、今年初めてエントリです。
サボってた感じはないんだけど、在宅勤務が始まって、家で仕事をしていると、パソコンに向かうのが会社の仕事と重なって、落ち着いてブログを書く気分にはなれなかったかもしれません。
近親者が亡くなったりしたこともあって、菩提寺の住職と話したりしていると、仏教やお寺が身近なものに思えてきます。
10数年前にも仏教マイブームがあったのですが、機が熟していなかったのか、自然消滅してしまいました。
何気なく、積ん読だった釈徹宗さんの『いきなり始める仏教生活』(新潮文庫)を手に取ったことから、今回のマイブームが始まりました。
去年から気になっていた内田樹さんの『日本習合論』(ミシマ社)を那須ブックセンターで買ってもらって、金曜日に読了しました。
近頃の本では珍しく、タイトルが金色の箔押しになっていて、装丁のセンスが素晴らしいです。
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そして、中身ですが。明治初年まで1000年続いた神仏習合の話から始まり、なんと!最後は、はっぴいえんどと内田裕也の「日本語ロック論争」で終わるという奇想天外な本ですが、掛け値なしに面白い🤣
いまの人たちは信じられないでしょうけど、ロックは英語で歌わないとバッシングされた時代があったんです。って、遠い目をして、物思いに耽っていたら、土曜日の朝刊に当事者の松本隆さんが登場して、「日本語ロック論争」の話をしてるんです。びっくり‼︎
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それはさておき、内田さんが繰り返し言っているのは、「習合」という対案を提示することで、「浄化」や「純血」といった熱狂を抑制したいということ。
すると、原研哉さんの名著『デザインのデザイン』(岩波書店)に、ユーラシア大陸の地図を90度回転させると、パチンコ台になって、日本は一番下の受け皿の位置になる話が書いてあることを思い出しました。
「様々なルートから多様きわまる文化を受け止める日本は相当に煩雑な文化のたまり場だったのだろう。それら全てを受け入れ、混沌を引き受け続けることによって、逆に一気にそれらを融合させる極限のハイブリッドに到達した。」
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だからこそ、日本の文化って、カッコいいんだと、ボクは、強く強く、思います。
今日はやっぱり。50年前に発表された、はっぴえんどのアルバム『風街ろまん』の一曲目「抱きしめたい」にしましょう。
ビートルズの「抱きしめたい」という賑やかな曲のイメージがこびりついていた頭を、ゆったりと解きほぐすような名曲。日本語じゃないと描けない状況が浮かぶ浮遊感あふれる歌詞。今まで聴いたフォークやロックとは別次元の音楽世界を見つけました。
この曲と、次の「空色のくれよん」で、完全にやられました。ああ、日本のポップスに新しい時代が始まったんだと感じました。
それから数え切れないほど聴いているけど、いまだに古びないのは、いったいなぜ何でしょうね。

2020年12月31日 (木)

古本とコーヒーを楽しんだ植草甚一のように、本を小脇に抱えて、町を散歩したくなるのです。

12月になって、2回ほど那須に行ってきました。

来年予定している古本市会場の下見や打ち合わせも兼ねて、那須湯本をぶらりと散歩したワケです。

前回のエントリで、山の上の方って書いたけど、湯本の民宿街を舞台に、回遊型の古本市をやるという骨子がまとまってきました。

そういうこともあって、湯本の町を散歩したのですが、コバコのメンバーからぜひ会って欲しいと勧められたキーパーソンがいます。

それは、11月28日プレオープンした小さなフードコート「風の杜まど花」を作った高久秀将さんです。

まど花のウェブサイトが出来ていないので、NASUMOのライターさんが、バリスタの中楯さんを取材したCAFEまど花の紹介ページにリンクします。

高久さんと話をしていると、なんだか、ずっと前から知り合いだったかのように話が合う。

そのうちに、高久さんが、あの伝説の高山建築学校で学んだことを知って、納得しました。

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そもそも、ボクが那須高原でセルフビルドを始めたのは上の写真の「高山建築学校の小野二郎」という石山修武さんのエッセイを読んだからです。

1990年に地元の図書館で、ウィリアム・モリスのことを知って、モリス研究の第一人者故小野二郎のことをよくご存じの石山修武さんがいたダムダン空間工作所に連絡をとったことがきっかけでした。

石山さんはすでに早稲田の教授になって、退所していたけれど、所員の皆さんは何も知らない素人のボクをとても良くしてくれて、そこから長い付き合いが始まりました。

そんな感覚の奥深いところででつながっている、高久さんとの出会いは刺激的で、久しく忘れていた「遊びの感性」を呼び覚ましてくれました。

まど花にいると、いろいろ、アイデアがわいてきて、止まらなくなります。

上記のバリスタ中楯さんがいれてくれるコーヒーも、衝撃的なおいしさで、窓際のカウンターに腰掛けて、コーヒーを飲みながら窓から茶臼岳の裾野を見ていると、古本とコーヒーを楽しんだ植草甚一のように、本を小脇に抱えて、町を散歩したくなるのです。

2020年の最後も今年マイブームだったKIRINJIで「日々是観光」

 

 

 

 

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