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2018年9月 8日 (土)

ハウスメーカーが作るブラックボックス化した建物にお金だけ払い続けるなんて、自分には耐えられない。

先週は那須まちづくり広場で上野千鶴子講演会を聴いてきた。
上野さんは若い頃の作品『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』だとか、サントリー学芸賞を受賞した『近代家族の成立と終焉』に影響されて、「家族」を見る視野が大きく広がったけど、それ以上の興味は持てず、最近はすっかりご無沙汰していて、あまり期待せずに出かけた。

上野さんの話は、事前の予想とはかなり違っていて、社会学の理論というよりも、もっと切実な独身者である自分が、自己決定権をもって病院ではなく在宅で死にたい。
そのためには、具体的にどのような環境を整えればいいんだろうという強い関心から発している。

だから問題意識が明確で、誰にとっても共感を覚える内容だった。
そして、上野さんが抱える問題意識は生活文化のあらゆる領域に共通するもので、ぼくにとって一番の関心事である、住まい方にも深く関わっていると思う。
ぼくは不思議なのだ。
住まいよりずっと安価な車を買うときだって、相当いろいろ情報を集めて、あれこれ検討して購入に至ると思うのだが、なんで多くの人がハウスメーカーにお任せになってしまうのか。
病院にお任せにせず、自己決定権を手放さないで、在宅で死ぬためには、様々なネットワークや協力体制を構築する必要があるけど、住まいづくりだって同じくらい、努力をして初めて満足のゆく結果になるわけで、ハウスメーカーが作るブラックボックス化した建物にお金だけ払い続けるなんて、自分には耐えられない。
上野さんの戦いの方法は、住まい方を考える上でも、とても参考になるような気がしている。
那須で内装工事のハードワークをしている時に、この人の音楽が流れていると、疲れが癒やされる。
小野リサの「シ・ア・ワ・セ」

2018年8月12日 (日)

みんな感覚が麻痺しているかもしれないけど、通勤電車って強力な、ある種の文化発信媒体だと思います。

最近わかってきたこと。
会社の仕事が、どーの、こーのよりも、通勤電車に乗るのが辛いんです。
「働き方・住まい方」の中間にある通勤電車がくせ者で、これをなんとかしないといけない。
みんな感覚が麻痺しているかもしれないけど、通勤電車って強力な、ある種の文化発信媒体だと思います。
車内の広告や液晶パネルに映し出される動画を見ていると、知らず知らずのうちに、何でもお金で買うことが当たり前だという、大量生産・大量消費・大量廃棄文化を受け入れてしまう。
言っとくけど、そんなの全然当たり前じゃなくて、50年くらい前までなら、都市の一部のサラリーマン社会にだけ通用する常識だったんだぜ。
それを言いたくてシリーズ化したのが「懐かしき未來」なのですが。

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以前、沖縄に行ったとき、沖縄の人々の時間感覚がユニークなのは、通勤電車がないからじゃないかと、真剣に考えたこともあった。
『遅刻の誕生』という本があって、明治から大正にかけて、鉄道の発達とともに、変化していった日本人の時間感覚について書いてあります。
ただね。
最近那須町に通うようになって、気がついたのは、首都圏とは全然違う時間感覚が健在だっていうこと。
那須の人は、仕事に行くのに、あんまり電車を使わないからかもしれない。
そんな感じで、連休一日目の土曜日は、時間意識を正常な状態に戻すことから始めてみよう。
そこから、ゆっくりと次の段階へと進んでゆく。
ゆったりとした気分で、久しぶりに聴きたくなった坂本龍一の「KOKO」

2018年8月 5日 (日)

今日から「働き方・住まい方研究家」を名乗ります。 働き方だけとか、住まい方だけとかの研究家はいますが、自分の中では労働と居住は表裏一体で、この二つを統合しないと意味がないと考えています。

自分の肩書きをいままで、TPOに応じて使い分けてきたけど、
そろそろ固定したいと思っていて、今日から「働き方・住まい方研究家」を名乗ります。
働き方だけとか、住まい方だけとかの研究家はいますが、
自分の中では労働と居住は表裏一体で、この二つを統合しないと意味がないと考えています。
長い間会社員をやっていると、会社というところは、
「住まい方なんて俺たちには関係ないもんね」といったあんばいで、
「居住という人権問題」をものすごく軽く考えていて、
入学金払い込み済みの子どもがいる社員でもかまわず、
簡単に転勤させることに唖然とします。
ぼくの勤め先には、小学生だった娘が大学を卒業して社会人になっても、単身赴任だったなんていう人がいました。我慢できずに会社やめちゃったけどね。
そんな居住の自由すら制限された中で、大都市圏に人口が集中して、
みんなが会社の論理を当然のように受け入れて、地方が疲弊して、
にっちもさっちもいかなくなっているのがいまの日本なんじゃないでしょうか。
かといって、会社を辞めるに辞められず、自分の家族や故郷に残した両親も気になる。
なんていう人が大多数だと思います。
そしてみんな、こどもじゃないんだから、社会を一気に自分の思うとおりに変えることなど、望んでないでしょう。
いろんな人の立場を配慮して、バランスを取りながら、だましだましやってゆく。
そういう大人の戦略があるんじゃないかと思います。
そういう意味で「働き方・住まい方研究家」を名乗ります。
「働き方・住まい方研究家」として、まずは紹介したいのが「関係人口」という考え方です。
最近ローカリズム雑誌化が進行中の「ソトコト」本年2月号
以下のような宣伝文が付いてます。

「観光以上、移住未満の第三の人口!交流でもなく定住でもないローカルイノベーション、それが「関係人口」です。この関係人口が増えていくことで、地域が盛り上がり、幸せになっていく。」

「関係人口」っていう言葉はイマイチ学術用語っぽくて、なんだかなーですが、
首都圏と地方のバランスがとれた社会を作るには「始めのいーっぽ」が大切なので、
こういう言葉が発明されたことは素敵です。
首都圏で満員電車に乗って、不機嫌な気分で会社と自宅の間を往復する暮らし方から、目を転じて、観光地に息抜きするよりももう少し深く、地方と関わってみる。
日本中どこでもいいから、気に入りそうな町や村に「居場所」を作ってみる。
いまはSNSが発達しているから、手がかりをつかむのは簡単です。
手がかりが出来たら、実際に現場に行って、ホテルでもいいから泊まってみる。
単なる観光客の時とは、違う視点で見ている自分に気がつきます。
ぼくは那須町に山小屋がありますが、それでも長い間、観光客目線以上には、
発展しませんでした。
芦野のゲストハウスに泊めてもらって、
初めて那須町が第2の地元になった気がしました。
そういう人にオススメなのが、『養老孟司の幸福論』です。
これに関連して以前のエントリに書いたことがあるのでリンクを張ります。
ちょっと気合いが入りすぎて、長くなりすぎたので、ここで一息つきます。
プリシア・アーンが涼しい感じで歌っている
はっぴいえんどの「風をあつめて」

2018年8月 4日 (土)

この曲、西表島じゃなく石垣島の歌らしいけど、先日石垣島在住の友人Mさんが上京した折に出会うことが出来た。 これも何かの縁を感じる。八重山の神様が導いてくれたのかもしれない。

この前のエントリから約3ヶ月間。
ブログを書くほどの、気持ちの余裕がなくて、ヒマさえあれば講演会の草稿づくりに明け暮れ。
その傍らで、気分転換にDIY作業で、那須町に通う日々でした。
8月1日に芝公園の友愛労働歴史館で
「松岡駒吉と野田争議を通して、21世紀の働き方を考える」

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というタイトルで話をして、ホッと一息ついているところ。
それにしても、この3ヶ月、いろいろあったなあ。
たぶん、そのいろいろが、あまりにも目まぐるしく展開してゆくので、
じぶん一人だけ取り残されて、舞台がどんどん先に進んでしまう感じでして。
置いて行かれぬようについて行くのが、やっとという状況で。
極力、いい歳をして風呂敷を広げ、大きな事を言わないようしてはいるのだが、
人生の残り時間を考えると、そんなことも言っておられず、ついつい足を踏み外してしまう。
100歳まで元気だと思っていたパワフルな20年来の友人Yさんが、60代で先日他界したことも影響しているな。きっと。
引退したら、彼の故郷西表島の家に、フーテンの寅さんのように、好きなだけ泊まっていってくれって言われていて、ずっとずっと楽しみにしていた。
だから今日は、彼に姿形がそっくりな大工哲弘の「マクラム道路」を貼ろう。
この曲、西表島じゃなく石垣島の歌らしいけど、先日石垣島在住の友人Mさんが上京した折に出会うことが出来た。
これも何かの縁を感じる。八重山の神様が導いてくれたのかもしれない。
那須でも沖縄音楽が、ジワジワ浸透していて、那須のライ・クーダー、久保田真琴化が進行中だ。
これから那須は、さらに面白くなるよ。きっと。
 

2018年5月 6日 (日)

私の料理の特徴は、野菜がふんだんに使われていること。 素材の力を引き出す調理法で、個々の旨味を堪能していただきます。

那須高原の玄関口にあたる黒磯という町にはSHOZO CAFEという有名な店があるのだが、この町に通い始めると、素敵な店はSHOZOだけじゃないことが分かってくる。
例えば、ランチでは美味しい薬膳料理の白牡丹という店が最近気に入っていて、笑顔が輝く店主の金井ひかりさんの人柄も相まって、ファンも多いらしく、予約を入れないとなかなか席が取れない。
友人の経営する店だと、ロマノ眞由美さんのきものギャラリー「MOON SILK」や、川嶋満さんが開いている古い倉庫をリノベーションした那須ベーススタジオが面白い。そんな黒磯で、もう一店強力な店を見つけた。

レストランチッチ という店で、知人に教えてもらい、電話すると当日は予約が一杯で、NGだという。そこで、翌日の夜のコースを予約し、満を持してお邪魔した。

店には高齢の母を乗せてクルマで行ったのだが、カンセキというホームセンターとの共有駐車場がある店舗なので、苦労せずに駐車することが出来た。
町中の個人店だと、駐車場が狭くて、クルマの置き場所に苦労することがあるので、高齢者連れにはありがたい。
手作り感あふれる扉を開けて中に入ると、椅子が横を向いて座りやすいようにセットしてあり、入った瞬間に店内から歓迎オーラが伝わってくる。

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どんな場所でも最初に入った瞬間の感覚はすごく大事で、これは間違いない店だと直感した。

この日はディナータイムの野菜のコースを味わったのだが、何しろ数え切れないほどたくさんの種類の新鮮な野菜が、テンポ良く次から次へと供されて、飽きさせない。

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ウェブサイトをみると
「季節によりますが、畑直送の野菜を30種類~50種類、様々な農法の野菜を取り扱っております。」
というからびっくり。
メールマガジンに登録するとメッセージが送られてきて、

私の料理の特徴は、野菜がふんだんに使われていること。
素材の力を引き出す調理法で、個々の旨味を堪能していただきます。

また、体と心を内側からキレイにするために
発酵食品や野菜(繊維質)実の物をとる。という
基本から料理を考えております。

と書いてあった。

ふっくらと焼き上がった自家製だというパンをオリーブオイルと塩だけで味わったが、パン職人顔負けのおいしさで、最後にパスタが出てくることも忘れて、おかわりしてしまった。

食事の後で、話を聞くと、「2009年の開店以来、ひとりで全てを手作りしていて、ベーコンやハム、自家発酵酵母パン、味噌、小さなお菓子まで全て。廃油から作る石鹸、発酵させて作る洗剤。さらにはお店の内装まで手がけた」というこだわり方に舌を巻いた。

そんなシェフの熊見悦伸さんが創る料理は、フレンチと和をベースにした創作料理で、最後のパスタ(これが、けっこうなボリュームだった)まで食べると、かなり満腹になったが、食後感がさっぱりしていて胃にもたれることがない。
そして、これだけ旬の野菜を豊富にとったら、病気も逃げていきそうな予感だってある。

さらには、アースデイ那須のサテライトイベントとしてやっている、お客が「古新聞でお皿を拭くと食塩プレゼント」活動も、声高に環境保護を叫ぶのではなく、さりげなくておしゃれだと思う。

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高齢者に対して、看護師資格を持つ奥さんの接客も上手で、手慣れていて、ホッとさせられた。

これから常連になりそうな予感を感じさせる店である。

2018年5月 5日 (土)

様々な風景や風の匂いや時間感覚など、那須の空気感が丸ごと体の中に入ってしまった感じで、1994年に沖縄に行った時に体験した感覚に似ている気がする。

書きたいことが次から次へと出てきて、書くのが間に合わず、二ヶ月ぶりのブログ更新になってしまった。いまはまだGWの休み中で、少し疲れもとれたので、久々のエントリです。

ことしは4月28日から連休が始まったので、絶好のチャンスとばかり、那須の山小屋で6日間暮らして、メイン本棚兼ロッカー作りをやってきた。

いままでせいぜい二日間やると、普段のデスクワークにもどるような働き方だったから、これだけ長期間にわたり毎日DIY作業に打ち込んだことはなかったし、6日間も連続で那須に滞在するのも初めての経験で、毎日こんな風景を眺めながら暮らした。

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その結果、クタクタになりながら、なんとか本棚が完成して、自宅に戻り、二日経ってもまだぼうっとしてます。

いつもならすぐに日常に戻るのに、いつまでもぼうっとしているのは、何故だろうって、考えた。
どうも、今回は体の中に那須が入ってしまったらしいと、気づく。
山小屋でDIY作業に打ち込む一方で、アースデイ那須や「懐かしき未來」のための取材で、いろいろな人に会い、打ち合わせも行った。
これだけ、濃厚に那須の人たちと関わったのも、初めてで、様々な風景や風の匂いや時間感覚など、那須の空気感が丸ごと体の中に入ってしまった感じで、1994年に沖縄に行った時に体験した感覚に似ている気がする。

沖縄のときは、沖縄に移住することまで、脳裏をよぎったが、勤め人を辞めて移住することは現実的には不可能なので、夢として終わった。

だけど、那須には、住む場所もあるし、仲間もいる。
いよいよ今年は、軸足を徐々に首都圏から那須に移してゆける気がしている。

今夜は、那須の夜空を見ると心に浮かぶ曲。

大貫妙子と坂本龍一の「三びきのくま」



2018年3月 3日 (土)

そして何よりも今のボクにとって、宮本常一に深い共感を覚えるのは、左右のイデオロギーから無縁な、日本の庶民の世界をひたすら歩くことによって「イデオロギーの虚妄性を摩滅させていった」ということ。

前回のエントリで「養父志乃夫さんの『里山里海』を読むことで、問題の所在がはっきりしてきた。」と書いた通り、いままでスルーしていたことが急に気になり始めている。

たとえば宮本常一の存在。
以前読んだ佐野眞一さんの本で、紹介されていて気になっていたし、代表作『忘れられた日本人』は結構好きな作品なのだが、今までは何となく西日本の人ってとらえ方をしていて、それほど興味が持てず、その膨大すぎる著作とも相まって、手つかずの巨人という感じで見てた。

今回『里山里海』で『家郷の訓』が紹介されているのをみて佐野眞一さんの『宮本常一が見た日本』を読み、民俗学者というより、高度成長期以前の日本を記録したジャーナリストであることを知った。
そして何よりも今のボクにとって、宮本常一に深い共感を覚えるのは、左右のイデオロギーから無縁な、日本の庶民の世界をひたすら歩くことによって「イデオロギーの虚妄性を摩滅させていった」ということ。

宮本常一の自伝とも言える『民俗学の旅』の最後にこんな一文がある。

私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。
(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものをも絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。
進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めていくことこそ、いまわれわれに課せられているもっとも重要な課題ではないかと思う。
少なくも人間一人一人の身のまわりのことについての処理の能力は過去にくらべて著しく劣っているように思う。物を見る眼すらがにぶっているように思うことが多い。
多くの人がいま忘れ去ろうとしていることをもう一度掘り起こしてみたいのは、あるいはその中に価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。しかもなお古いことを持ちこたえているのは主流を闊歩している人たちではなく、片隅で押しながされながら生活を守っている人たちに多い。

この一文に激しく共感する。
読んだ瞬間、宮本常一こそ理想的日本人だって、こころの中で叫んでしまった。

20数年前に、建築家の石山修武さんが中心になって、早稲田大学で開催された日本生活学会の「宮本常一を勉強する会」に行ったことがある。
石山さんの仲間達が那須の山小屋作りも手伝ってくれた縁で、その時、谷根千の森まゆみさんを紹介してもらったのだが、一番気になったのが仙台の町作り仕掛け人結城登美雄さんだった。宮本常一のいう世間師になりたいという結城さんに憧れた。また、石山さんが宮本常一への共感を繰り返し語っていた意味が、やっと分かった。

長くなったので、今日はこのへんで。

矢野顕子と忌野清志郎の「ひとつだけ」

2018年2月17日 (土)

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

茨城のぼくの生家では1970年まで主なエネルギー源は薪だった。
風呂は五右衛門風呂だったし、ご飯やおみおつけや煮物はかまどで煮炊きした。
薪はどのように調達したかというと、いまは阿見のアウトレットモールがある辺りに薪を扱う農家があって、祖父がそこまで買いに行っていたという。
家にはトラックなどなかったので、牛に荷車を引かせる、一日がかりの仕事だと、つい最近母から聞いた。

その後宅地開発が進んで、首都圏に組み入れられ、いまは東京に通勤する住民もいる集落だけど、40数年前までは、江戸時代から続くようなアジア人らしい暮らしのスタイルがあって、その風景はぼくも明確に記憶している。
思うところあって、このところ、里山に関する本、民俗学に関する本、生態学や経済学に関する本など、手当たり次第に乱読しているのだが、徐々に最大の問題として見えてきたのは、現在のぼくたちの暮らしのスタイルを決定づけているのが石油文明だということ。

1982年に出た室田武さんの『水土の経済学』を繙いてみる。

石油文明下の日本では「燃料革命」などと称して世界最高の水準にあるすぐれた木炭技術を隅においやり、山村においてさえ石油バーナーやプロパンガスがないと風呂の水さえわかせないような住宅や生活様式を一般化していまい、都市の過密と山村の過疎がつくりだされてきた。これに対して、エコロジー重視の経済においては、森林の育成とともに、水田の破壊を中止し、またダム建設や河川汚染をくいとめて川に魚をよみがえらせるなど、日本各地の水土が生み出す資源や食料に依拠して、中央集権的でない新しい人間関係がつくられるであろう。各地の有機農産物の共同購入運動における援農などにみられるように、人々の協力関係の確立によって、石油漬けでないほんものの食べ物をつくることも可能になる。

インターネットが一般化する遙か昔に、室田さんはこんなことを書いていて、このあと35年の間にチェルノブイリ原発事故、東日本大震災と福島第一原発の事故を経験して、今なおエネルギー大量消費の石油文明の呪縛から逃れられない僕たち日本人は、どんだけ愚かなんだろうって思う。いまはSNSを使って、情報交換することだって、可能になったわけだし。

石油は魔法の杖のように素晴らしい自然の恵みだけど、石油に依存しすぎたために、日本人の暮らしが根底から改変されてしまったことに、思いが及ぶようになった。

これは資本主義とか社会主義とか、右だとか左だとかいう問題じゃなく、日本人みんなが考えなきゃいけない問題だと思うよ。
数年前に『里山資本主義』なんていう本がベストセラーになった訳だから、マスメディアや政治は鈍感でいまだに経済成長一本槍だけど、もうすでに日本人の心の奥底で大きな変化が始まっているように感じる。

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

これからもっと勉強しなきゃいけないけど、ひとまず見えてきたのは、エネルギー源の薪炭を供給する雑木林が消えることで、ぼくたちの想像を超えるレベルで様々な問題が発生しているということ。

養父志乃夫さんの『里山里海』を読むことで、問題の所在がはっきりしてきた。
だいぶ長くなったので、今日はひとまずこの辺で終わりにしましょう。

ニール・ヤングで「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」

2018年2月12日 (月)

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

上野の国立科学博物館で開催中の南方熊楠展を見に行ってきた。

海外から帰国すると、地元の和歌山県田辺市の自宅に籠もって、生涯ほとんど旅行もせず、キノコや粘菌といった地味な生物を研究した風変わりな在野の学者。
厳つい風貌と、上半身裸で撮った写真の印象が強くて、何か惹きつけられるのだが、存在が大きすぎて、この人をどうやって捉えたらいいのか、とまどうばかりだった。

そういう意味では、この小さな企画展は、等身大の熊楠を感じるには、ちょうどいい。
その情報処理術がいまのインターネット時代になって初めて日の目を見るような部分がある。熊楠は情報を集めるだけ集めて、論文にまとめることが出来ずに亡くなってしまったので、現在研究者のグループがその業績を電子化する作業に取り組んでいるらしい。

ただ、どこか物足りないものがあったのも確かで、それは何だろうって、あれこれ考えていて、見つけたのが谷川健一さんが書いた『独学のすすめ』と言う本。

熊楠は当時のエリートコースを歩んでいた人だが、学校を退学し、さらに親に頼み込んで海外留学して、そこでも学校を辞めて、独学で自分の好きな方向に行ってしまう。
企画展は既存のアカデミズムの枠内で活動する研究者たちが、まとめたモノで、子ども達も訪れる場所なので、行儀良く綺麗にまとまっているけど、ワタリウム美術館がまとめた『クマグスの森』を読むと、熊楠は人肉食とか、セクソロジーとか、かなり怪しい研究もしていた人だった。
また、西洋の知に対して、東アジアとか、日本の知にこだわった人で、柳田国男とシンクロしていたのも、その部分だったわけだから、そのあたりをスルーしてしまうと、あまり面白くなくなってしまう。谷川さんはこんな風に書く。

知識を自分の手で選びとり、自分の目でたしかめるという姿勢で一貫しています。(中略)
それゆえに文章は血肉となり、そしてまた、骨格を備えたものとなっているのです。われわれがそれを読むときに精神の高鳴りをおぼえ、鼓動を感じる文章が生まれるのです。

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

そして、日本地名研究所を作って、地名を守る活動を行った谷川さんの仕事は、熊楠の神社合祀反対運動に繋がるものだという。

谷川さんの仕事も見逃せなくなってきた。

2018年1月28日 (日)

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

いつからなのかわからないくらい、長い間体調がイマイチでしたが、完全に復活しました。
やったことは、とにかく体を温めること。特に首回りを暖めると、眼の疲れ、肩こり、背中のハリも解消されて、すこぶる調子がいい。
最近は夏でも、首は冷やさないように気をつけているんだけど、それでもおかしくなった。
永井荷風が、冷たい飲み物を絶対に飲まないようにしていると、どこかで読んだことがあるが、身体を冷やさない工夫だったのかなと思う。

それと運動不足。先週は毎日雪かきで、体じゅうがいたいけど、この寒さの中、血圧も日を追うごとに、下がっていて、夜は熟睡出来る。
年齢のせいで、体力が低下していたと思いこんでいたが、体調不良の原因は運動不足と身体の冷えで、その2点を改善してから、体が元にどった感がある。

たった10日前まで、休みの日は何もやる元気がわかず、長いトンネルがどこまで続くのか悩んでいたのがウソのよう。
ことしはブログの更新回数も増えるかもしれない。

ところで最近はまっているのが『養老孟司の幸福論』

いままで、ぼくは養老孟司のいい読者ではなかったのだが、この本を読んでかなりインスパイアされて、目から鱗が落ちた。
さらに余勢を駆って再読したのが隈研吾との対談『日本人はどう住まうべきか?』

この本の中ですごく大事なことを言っている箇所があって、要約すると

モンゴルのパオではどうやってプライバシーを守るのかというと、パオの中が公共空間で、プライバシーは外にあるという。
また、アフリカのサバンナでも同様で、土と動物の糞を固めてできた小さな小屋の中で、30人~40人が寝起きするのだが、屋外の生活が豊かで、そこにこそ文化があるというのだ。

以前、読んだ本なのに、読み飛ばしていた箇所だ。
隈研吾も大発見だと言っているけど、ぼくにとっても、これは大発見なのだ。
長い間、もやもやしていた、祖父や祖母の時代の茨城の生家の暮らしが快適だった秘訣がやっとわかった。

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

確かに、祖父の時代は、冠婚葬祭、すべて家で行ったし、朝から他人が家の中をウロウロするような、賑やかな公共空間で、それが当たり前だと思っていた。

じゃあプライバシーはどこにあったのかと想像をめぐらすと、おそらく祖父にとっては、誰もいない早朝の霞ヶ浦で舟に乗って漁をしつつ自然と触れあっている時が、趣味と実益を兼ねた最高のプライベートな時間だったと思う。
いま思い出したが、以前母から聞いた話では、霞ヶ浦がもっと綺麗だった時代、祖父は、歯磨きも、朝ご飯を炊くのも、湖上で行っていたという。
舟の上が最高の贅沢なプライベートルームだったんだろうって思う。

何か大きな発見をしてしまった、そんな気がしてならない。

日曜日の朝は、タジ・マハールとライ・クーダーの「ステイツボロ・ブルース」。
オールマン・ブラザーズ・バンドで有名な曲だが、こっちの方が全然いい。
こんなに、ノリのいい曲だったとは。
最近の細野晴臣の世界に似ていると思った。

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