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2017年3月18日 (土)

いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

「懐かしき未來 その2」を作っているウチに、30代の頃、熱中した柳宗悦への関心が復活してしまい、その熱中度合いがとうとう永井荷風愛を上回ってしまったので、ブログの看板も「新葛飾土産」から「青空公房のブログ」に変えることになってしまった。

そこで、久しぶりに『民藝四十年』を読み返した。
この名著の中でも一番、今回感慨深く読んだのが「利休と私」という罪作りなエッセイ。
そこにはこんなコトが書いてある。

利休というと「茶」では神様のようにいう人が多い。近頃学術的な研究も盛んになったが、初めから鵜呑みに無批判に有り難がっている人々が多い。

だが、どういう道を通って、利休はその位置を得たか、利休の生涯を見ると、彼は転々として、当時の権門に仕えた。始めは信長に仕え、次には秀吉に侍り、その他の諸大名、諸武将、さては豪商と歩き廻った。

純粋に茶の道が立てられたというより、権門を利用して「茶」を栄えさしめ、また「茶」を利して権門をあやつったともいえる。かくて「茶」は政治的にまた経済的に活用された。

かかる「茶」は「民衆の茶」ではなかった。常に権力とか金力とかの背景を求めた。大名とか武将とか豪商とか、それらの人々を忘れずにかついだ。またそうすることで「茶」を拡めた。「わび茶」とはいうか、一種の贅沢な派手な「茶」で、主として富や力にものをいわせた。

もしも、権勢に媚びず、もっと民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てたら。茶道はずっと違ったものになったと思われてならぬ。「わび茶」は貧を離れては、よもや徹したものとはなるまい。力や金を利用したことで「茶」が普及したともいえるが、そこに早くも「茶」の堕落が兆したともいえる。今も「茶」は貴族的な「茶」に落ちがちであるが、一度は金力を茶から追放すべきである。金力があってもかまわぬとしても、金力に敗れるような「茶」は、「茶」たる資格を持たぬ。

これを読んで、利休を神のように慕うヒトたちの中に入っても、自分の居場所はないと思った。その後、利休について少し勉強し、赤瀬川源平の『千利休無言の前衛』はとても面白い本だったので、愛読書になったが、それでもぼくの利休嫌いは、訂正されることはなく、今に至る。

そして、柳は、民間に「貧の茶」、「平常の茶」を建てることなく、モデルを示すこともなく、世を去った。いまだに「茶」に入門することも出来ず、悶々としていたところ、「和楽」という雑誌で「茶の湯レボリューション」という特集を組んでいる。柳宗悦にも言及しているというので、期待して買ったけど、利休を神格化してチェ・ゲバラと並ぶ革命家だという???の内容だった。

逆風の中、ひとり巨大な力と戦いながら、道なき道を歩んでゆくのが、革命家たる所以でしょう。ちょっと無理があるね。
「懐かしき未來 その2」では、贅沢品としてのきものではなく、普段着としてもきものにスポットライトを当ててみた。
柳が亡くなって50年以上経つが、いま、茶道が廃れていると聞いた。
昔は茶道か華道が花嫁修業の必須科目だったイメージがあるが、いまの茶の湯の世界には「貧の茶」「平常の茶」があるのかしら、最近気になってしかたがない。

今日の一曲は、ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
ディランのライブの中でも一番有名な、伝説的な場面なので、下記のようにWikipediaに説明があった。
それまで誰も聞いたことのない新しいロックを創造する中で、ブーイングに耐えられず、ツアーのバンドメンバーが次々と離脱する中で、残った5人のメンバーと奏でるロックは、どんな大音量のロックよりも激しく心を揺さぶられる。
ドラマーのレボン・ヘルムが耐え切れず、一時的に離脱したので、ドラムだけがのちのザ・バンドじゃないのだが、このパワーだけドラマーがこのときのライブには、あまりにもマッチしていて、嵐のようなサウンド作りに貢献している。一期一会の奇跡的ライブだと思う。

聴衆の一人が "Judas!" 「ユダ!」(「裏切り者」の意)と叫ぶと、それに続いていくつかの拍手が起こる。さらにもう一人が "I'm never listening to you again, ever!" 「お前なんか、今後二度と聴かないぞ!」と叫ぶと、ディランは、 "I don't believe you." 「お前のことは信じない。」しばらく沈黙した後 "You're a liar." 「お前は嘘つきだ。」 と言い、バックのバンドに向かって "Play it fuckin' loud." 「やかましく演奏しよう」と呼びかけ「ライク・ア・ローリング・ストーン」の演奏が始まる。

2017年3月12日 (日)

ブログのタイトルをDIY出版「青空公房」のブログに変更しました。

ブログのタイトルを「DIY出版青空公房のブログ」に変更しました。
ブログを始めた2008年の頃と違って、いまはSNSも発達して、個人的なつぶやきはSNSで
吐露出来るから、ブログはある程度、コントロールして書き込むようにしていたんだけど、なかなか「新葛飾土産」という21世紀版葛飾の永井荷風という場所の居心地がよくて、抜けられませんでした。

でも、ひとまず青空公房として、2冊本を出版して、DIY出版社として継続してやってゆく自信も芽生えているし、自分が暮らしている葛飾と言われる江戸川両岸の情報を伝えるというよりも、シリーズ「懐かしき未來」の出版とDIY普及活動を通して、那須町を中心にいろいろな地域を繋いでゆくという自分自身の方向性が明確になってきたので、「DIY出版青空公房のブログ」としました。

青空公房のウェブサイトも、いずれ作るつもりです。

ぼくの関心も江戸や荷風さんから、もう少し幅広く、1920年代の生活文化や、ウィリアム・モリス、柳宗悦へと戻っている感じもあって、那須高原でセルフビルドをやっていた1990年代に熱中したモノやヒトへの関心も再び芽生えていて、人生も終わりに近づいているから、このあたりでいったん集大成しないと、先に進めないという気分なのかもしれません。

1990年代に熱中していたのが沖縄の文化で、中でも芸能の島といわれる沖縄音楽が大好きで、それこそ朝から晩まで、沖縄音楽を聴いていました。

だから、全てのアルバムを持っていた初代ネーネーズの4人のうち3人が、数年前にうないぐみとして戻ってきたのは、大きな喜びでしたね。
それも、ネーネーズそのものじゃなく、2010年代の新しい音楽だから、至極満足しました。

ぼく自身も元気いっぱいだった1990年代に戻ることは不可能だけど、当時は出来なくて、いまだから出来ることも、たくさんあるわけだから、それを探して出来ることをやっていきたいと、還暦を前に決意したところです。

2017年2月26日 (日)

名称は「生活文化ライブラリー@青空公房」として、日本流のきものや住まいなど、生活文化に関連した本を、緑茶でも飲みながら楽しんでもらえるような場所にして、「懐かしき未來」に共感してくれる人たちが集える空間になればと考えています。

先週、「懐かしき未來 その2」の発行を終えて、三日間販売店さんを駆けずり回って、一週間たったところで、これまでの疲れがどっと出たのか、体調を崩してダウン。

ちなみに取扱店は下記の通り。

【那須エリア】
金子書店(黒田原)
大原レストラン(黒田原)
那須きものスタイル(黒田原)
遊行茶屋(芦野)
隠居の間(芦野)
駄菓子屋ちゃ色(伊王野)
白牡丹(那須塩原)

【千葉県市川市】
ブックカフェ ローゼンホルツ
雑貨カフェ Tree-B

まだ販売店は増える可能性もあるので、その都度紹介しますが、いずれも個性豊かな店主さんたちが運営するお店で、ぜひ訪れてもらいたい場所ばかりです。

行き方が分からない人は、最初に黒田原駅前にある金子書店さんを訪ねてもらうと、教えてくれると思います。まちの駅にも指定されている本屋さんで、コーヒーやお酒も楽しめる、面白空間です。

那須のへそ 黒田原まちの駅のまちの駅

そういや、金子書店さんはミニFM局をやっているらしい。
80年代に自由ラジオっていうミニFM局がちょっと流行した時期があって、
粉川哲夫「これが『自由ラジオ』だ」っていう本を読み耽ったことがありました。

古い本で画像もないけど、紹介だけしますから、バカ高いAmazonじゃなく、フツーの古本屋さんか、図書館で見て下さい。
インターネットのない時代に、名もない一個人が安価に情報発信するための、ノウハウが書いてあって、ぼくはこの世界に一気に引き込まれてしまいました。
といっても、何も出来ずに歳月が流れ、金子書店さんを知ったことは、とても嬉しいです。

 

ひと仕事終えたばかりで、まだまだ気が早いのかもしれないけど、何年も前から、構想だけは作ってきた読書空間もことしの夏頃までにはオープンにこぎ着けたいと思います。

名称は「生活文化ライブラリー@青空公房」として、日本流のきものや住まいなど、生活文化に関連した本を、緑茶でも飲みながら楽しんでもらえるような場所にして、「懐かしき未來」に共感してくれる人たちが集える空間になればと考えています。

今日はたまに演奏を聴きにゆくユニット「あわいびと」のメンバー中村力哉さんのピアノで「朧月夜」をまったりと楽しみます。

あわいびと

数年前、あわいびとの那須ライブを見逃したのが、とても残念だけど、こうして家でピアノを聴いているだけで、癒やされます。

2017年2月18日 (土)

都内を転々とした、ふるさと喪失者のボクにとって、那須町はいくつかあるふるさとの一つになり始めている。「ありがとう黒田原」

ずっとお知らせしている「懐かしき未來 その2那須町できものの風が吹き始めた」が完成して、20日に発行されます。

最初にDTPでこういう本を出そうと考えたのが、WIN95が出てすぐだったから、1996年頃だったかな。
いまは恥ずかしいと思うけど、当時はいいと思ったタイトル「はっぴい愚連隊」という冊子造りが最初のチャレンジ、これは未遂に終わって、「はっぴい愚連隊」の残党で、一号だけ作ったのが「わがまま生活」。
「農薬をなめたらあかんぜよ」とか、ばかばかしいタイトルの記事を、考えてはボツにし、誰が読者になってくれるのか、わからないお馬鹿なリトルマガジンは、自然消滅した。

その後も、メンバーを集めては失敗し、また再起しては失敗し、途中で諦めて、郷土史研究や、産業考古学や小説書きに手を染めたりして、もの書きに専念しようかと考えた時期もあったけど、やっぱり、エディターというか本作り職人になる希望は捨てられないと思い直し、おととし暮れに企画から、原稿執筆、編集、印刷、製本、販売まですべて自分一人の作業で通した「懐かしき未來 その1」を出して、きっかけをつかめたように思う。

「はっぴい愚連隊」から、ここまで、どれだけ長い道のりだったんだろうって思うし、今回のこの本でも実際最後の最後まで、いろんな苦難が続き、漫画スラムダンクの桜木花道じゃないけど「神様、そんなに私のことがお嫌いですか」とつぶやきたくなるような事態も、散々くぐり抜けてきた。

けれども、山登りで頂上まで上り終えた気分とでもいうか、終わってしまうとスッキリ、この20年間で楽しかったことしか思い出せない。

いまは、ひとまず、ありがとう黒田原!と言いたい。
黒田原と芦野の間にある富岡の新文化人村に仲間と合宿して、那須高原まで通って、山小屋を作った。
黒田原の室井金物店さんに寄り、砂利や砂の配達を依頼したり、駅前のセキスーパーでラム肉を買って、北海道生まれの友人とジンギスカン鍋をやったり、いま思うと、そのころから黒田原、芦野という那須町の中心地との縁が始まっていたように思う。

そして今、黒田原の「那須きものスタイル」の菊地厚子さんという望みうる最高の伴走者との出会いがあって、一緒に本を作ることが出来た。

黒田原といえば、こんなエントリに反応してくれたUさんからの連絡も嬉しかった。

ちょっとショックだったのは黒田原駅近くの商店街を車で通ると、古い木造のいい感じの郵便局など、震災の爪痕が生々しく残っていて、首都圏では考えられないくらいひどくやられて、放置されたままになっていること。

それもこれも、みんな黒田原という町との関わりから始まっている。
深い、えにしを感じる。
少年時代、都内を転々とした、ふるさと喪失者のボクにとって、那須町はいくつかあるふるさとの一つになり始めている。「ありがとう黒田原」。
山小屋に帰ってきて、一人で酒を飲み始めたら、そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。

気がつくと、長いエントリになっていた。
ここらで音楽に行こう。

文章を書き終えた瞬間に頭に浮かんだのが、この曲。
那須町によく似た環境のアメリカのウッドストックという町を代表する名曲。
リック・ダンコの『スモール・タウン・トーク」

2017年2月 5日 (日)

1ケース分のワインを飲んでも、私は一人で立っていると言い放つ絵描きの女性が、かっこよくて、まるで映画の1シーンを見ているような爽快感があります。

最近、寺尾紗穂という若手のシンガーソングライターを知って、その才能に舌を巻き、ブログで紹介したくなりました。

すでに結構な数のアルバムを発表しているのに、今まで全く知りませんでした。
文筆家としても活躍する彼女の作る歌詞も素晴らしくて、はっぴいえんどの歌詞のように、ずしんと心の奥に響いて、いつまでも記憶に残ります。

その中でも白眉は、この曲。



「オレって北極星みたいじゃね?」などとほざくナルシストな彼氏に向かって、「バッカみたい。あたしはバーにいるから」と言い放ち、そのバーカウンターで故郷の地図と彼氏の似顔絵を、コースターの裏側に落書きする。ジョニ・ミッチェルの歌には、何気ない言葉やどうでもいいような行動の下にも、ワインのように濃く赤い人間の血が流れていることを教えてくれます。作品の形態はまったく違いますが、向田邦子の描く世界に近い。

ハチさんという人のブログ無人島258日目 に載っていた解説がおもしろかったので、転載しちゃいました。
1ケース分のワインを飲んでも、私は一人で立っていると言い放つ絵描きの女性が、かっこよくて、まるで映画の1シーンを見ているような爽快感があります。
ハチさんの解説を読んだら、すごく久しぶりに向田邦子を読みたくなってしまいました。

楽しみの為の読書って、普段ほとんどしませんが、永井荷風と岡本綺堂と向田邦子の小説はいいなあ。
いまやっている仕事が終わったら、向田邦子ですね。

2017年2月 4日 (土)

いろんなモノや想いが交錯し、共感し、時に火花を散らし、関係するみんなの想いがリフレッシュされて、さらに次のステップに向かってゆく。本はそれら沢山の物語を格納する器だ。

一月もあっという間に終わり、もう一年の12分の1が経過して、本年2回目のブログ更新。
年内に出す予定だった「懐かしき未來 その2 那須町できものの風が吹き始めた」も、どんどん延びたけど、前回報告した通り、2月20日発行で落ち着くと思います。

ひとつの仕事をこれだけ、手間と時間をかけて、やるのは出版関係では初めてかな。
自分の人生を振り返っても、25年前の那須高原のセルフビルド以来という気がする。
それだって、輝かしい経験を持つ建築家の小須田廣利さんが、お膳立てしてくれたステージの上で、バタバタ忙しく走り回っていただけで、自分が舞台演出したわけじゃない。

今回の充実感は尋常ではなく、長いこと乗り越えられなかった、、大きな壁を乗り越えたような感じだ。

いまは表紙のデザインの最後のツメをやっている。

そこにも様々な想いが交錯して、時空を超えたコラボレーションもうまくいきそうで。
無印良品のというより、日本を代表するグラフィックデザイナー原研哉が、『なぜデザインなのか』という本の中の対談で、「ポスターはコミュニケーションが行われた痕跡」だと言っている。本も一緒だ。

いろんなモノや想いが交錯し、共感し、時に火花を散らし、関係するみんなの想いがリフレッシュされて、さらに次のステップに向かってゆく。本はそれら沢山の物語を格納する器だ。

谷中でカフェをやっていた娘が、谷中の茶屋で働いていた笠森お仙を描いた鈴木春信と、コラボレ-ションするという、不思議な縁だってある。それも一つの物語。

繋ぐ。

つなぐ。

人と人を繋ぐ。

それが江戸から22世紀まで、生活文化をつなぐことになってゆく。

ぼくたちの時代で、バトンを落とすわけにはいかないでしょう。

そんな不思議な縁を感じる作品に仕上がりつつあるから。きっと。

Osen_at_the_kagiya_teahouse_by_the_

やっぱりこの二人の共演はいい。
どことなく、ジェイムス・テイラーとキャロル・キングの共演を思い出す。

杉浦日向子が亡くなった早朝の病室の様子を描いたような曲だと、実兄が書いているのを読んで、さらにこの曲が好きになった。

2017年1月22日 (日)

一年近くかかったけど、やっと「懐かしき未來その2 那須町で、きものの風が吹き始めた」が発行される予定が立ちました。

あ、遅ればせながら、今年初めての投稿です。
約ひと月ぶりの投稿で、2008年に「新葛飾土産」を始めてから、これほど間が空いたことはありませんでした。

その間、何をやっていたかというと、土日は「懐かしき未來」の仕事にどっぷり。
一年近くかかったけど、やっと「懐かしき未來その2 那須町で、きものの風が吹き始めた」の発行される予定が立ちました。

現在のところ、2月20日発行の予定です。
A4サイズで全68ページカラー印刷。
さらに小冊子のおまけ付きで、定価は1000円になる予定。

ひとまず報告です。
シリーズ「懐かしき未來」は、出版して終わりというのではなく、これからの活動の道しるべになるテキストを目指しています。
那須町を中心に、共感の輪が広がって、新しい共愉的な活動を始めたいと願っています。具体的な活動の中身については、徐々に形になってゆくはずです。

これからファーストロット300冊の印刷製本です。
忙しくなります。

編集作業中一番、何故だろう。YMOをよく聴いてました。

散開直前の時期に出たアルバムに入っていた曲。

カセットテープに入れて、切ない気分にひたって、よく聴いたのがこの曲でしたね。

2016年12月23日 (金)

まだ母と出会う前の、自分が知っている小太りの父の姿とは全くちがう やせた青年だった父の写真と対面したとたん、なぜか号泣してしまった。

同居していた父が、自宅で急死して10日たって、ブログには書ききれないほど、
その間もの凄くいろんなことがあって、気持ちの方が先走っていて、
頭の中が整理できてなくて、
こういう時は、本を読んでも、全く頭に入らないので、毎日音楽ばかり聴いている。

父は老衰で88歳で亡くなったから、急死にはあたらないかもしれないけど、
亡くなる二日前まで、普通に生活していて、その日の晩は、深夜も寝ないでワアワアしゃべって、母を困らせていたら、翌日意識を失って、あっけなく死んでしまった。

ずっと前から覚悟はしていたけど、いまひとつ、気持ちの上で、父の死を受け入れられないのかもしれない。

ブログを書くことで、頭を整理しようとしているのに、いかん。
余計にザワザワしてきた。


歌はいらない。言葉はムナシイ。ピアノの音色が心にしみる。
父の葬儀に間に合うように、大急ぎで「父と東京」という小冊子を作った。
葬儀屋さんの世界では、こういうのを「栞」というらしい。

父が亡くなっても、全然、涙も出ないし、平常心で受け止めていたのに、
この冊子を作るときに、父が24歳の時の写真に出会ってしまった。
いままで見た記憶はないが、見逃していただけかもしれぬ。

まだ母と出会う前の、自分が知っている小太りの父の姿とは全くちがう
やせた青年だった父の写真と対面したとたん、なぜか号泣してしまった。

前回のエントリで書いたトレーシー・ソーンの歌声のような清々しい、イノセントな感じの写真がまぶしすぎる。

だから、この写真を表紙に使うことにした。

Photo_3

もしかしたら自分でも解明不可能な、言葉では表現できない、心の奥底に横たわっている感情が爆発したのかもしれない。

Photo

出来上がった栞は棺の中に入れてあげた。
父は湿っぽい話が嫌いだったので、これでもうおしまいにしよう。

そうだ、小学校5、6年のころ、父と二人でたくさん洋画を観に行ったことを思い出した。
「ローマの休日」や「アラビアのロレンス」のリバイバル、確か新作の「2001年宇宙の旅」も観た。その中でも一番印象的だったのがアラン・ラッドの「シェーン」。

東銀座にあった東劇でワクワクしながら観た。
古き良き時代だったね。

 

2016年12月11日 (日)

固い殻が壊れてゆくのが面白くて、自分のことなのに、妙に客観視して見ているオレがいる。 その結果、すね者のアンダーグラウンドなメディアだった「懐かしき未來」が、那須町の小学生にも読んでもらうような健全な本として、世に出ようとしている。

ひと月ぶりのブログ更新。少しの時間でも、PCに向かうと、「懐かしき未來」の仕事をやっているので、仕方ないか。

最近ひとりで、ぼうっとして、物思いにふける時間が増えた。

この半年間、本を作りながら、ずいぶん、いろんなことを考えた。
中でも面白かったのは、学校の先生と一緒に仕事をして、初めてうまく行っているってこと。

東京下町の古風な花街で育ったオレは、引っ越し先の練馬の上品な幼稚園で、行儀よくお遊戯をするのは決まり悪くて、反抗的だった。当然先生にも嫌われて、叱られてばかりいた。

こうして幼稚園でつまずいて以来、高校卒業までずっと、学校の先生とは相性が悪くて、反体制、反権力のロック少年として育ってしまったから、サラリーマンを何年やっても、周囲の社会と馴染めず、アンダーグラウンドな人間として、一生を終えると思っていたから、エラい人、マジメな人、中でも学校の先生とは組んで仕事をしないことにしていた。

だから、ZINEとかリトルプレスって、どこかマイナー指向で、すねた気分があって、読んで欲しいけど、あまりたくさんの人には読んでもらいたくないような、アンビバレントな気分を抱えながら「懐かしき未來 その1」を作った。そういう意味では、ひとりぼっち史上最高傑作だったのかもしれない。

そんなオレが、偶然が重なった結果、現役ではないにしても、18年間も小学校の先生だった人と一緒に仕事をしている。
先生はオレの周りに50年かかって出来てしまった固い殻をガシガシ壊してゆく。
固い殻が壊れてゆくのが面白くて、自分のことなのに、妙に客観的に冷めた目で見ているオレがいる。
その結果、すね者のアンダーグラウンドなメディアだった「懐かしき未來」が、那須町の小学生にも読んでもらうような健全な本として、世に出ようとしている。

長年親しんだ自分の固い殻だから、殻が壊れるのは寂しいし、ちょっと心細い。

だけど、自分が始めたDIY普及活動を青空公房と名付けたのは、幅広く「自分で出来ることは、自分でやる」DIYスピリットを、一人でも多くの人と共有したいと思ったから。
青空公房の本来の目的にかなった方向に向かって進んでいるんだろうな、多分。

気合いを入れるのは、苦手だけど、2017年はそろそろ本気になる時かな。

そうしないと、一生本気にならずに終わっちゃうかもしれないし。

ひとまず、アンダーグラウンドと言えば、ヴェルベット・アンダーグラウンドの名曲をカバーしたトレーシー・ソーンの「ファム・ファタール」が、やっぱり今の気分。

何度聴いても、清々しくて、イノセントな感じで、ハッとするような輝きがあるからね。



2016年11月 5日 (土)

そうじゃなくて、ぼくのおばあちゃんがこさえてくれた綿入り半纏のように、平凡な農家の人が作る、土の匂いのするような日常使いのモノたちに強烈なシンパシーを感じるのです。

「懐かしき未來」の仕事で草木染めのことをあれこれ調べていたら、ふと気づいたことがある。
柳宗悦『手仕事の日本』って、もしかすると将来の日本のあるべき姿を書き記した未来の書なんじゃないかっていうこと。

柳が「若い青少年を目当てに書いた」というこの本を、ぼくは長い間ずっと軽く考えていて、いまやっている仕事の関係で、読み返したけれど、銘仙の産地である伊勢崎や桐生や足利を切って捨てる感じで扱っていて、ちょっと不愉快で、反論のコラムを書いたくらいだ。

柳は繰り返し、「手仕事」の重要性について書いているから、そちらに目を奪われてしまうけれど、未来の日本の経済や産業のあり方について、とても大事なことを書いている。
それは都と鄙との関係。さらに、材料をどこから仕入れて、誰が、どうやって生産するかという問題。

例えばこんな記述がある。

ただそういう手技は、いち早く外来の文化を取入れた都市やその附近には少く、離れた遠い地方に多いということが分ります。それは田舎の方がずっとよく昔を守って習慣を崩さないからであります。それに消費者の多い都会は、機械による商品の集るところですが、これに引きかえ生産する田舎は自ら作って暮す風習が残ります。しかも自家使いのものや、特別の注文による品は念入りに作られます。これに対し儲けるために粗製濫造した商品の方には、誤魔化しものが多くなります。手仕事の方には悪い品を作っては恥じだという気風がまだ衰えてはおりません。このことは日本にとって、地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げるでありましょう。もし日本の凡てが新しい都風なものに靡いたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。

それからこんなことも書いている。

また注意しなければならないのは、商売人に成りすました人が作る品よりも、半分は百姓をして暮す人の作ったものの方に、ずっと正直な品が多いということであります。それは農業が与える影響によるのだと思われます。大地で働く生活には、どこか正直な健康なものがあるからでありましょう。これに比べ商人に成り切ると、とかく利慾のために心が濁ってしまうのに因りましょう。半農半工の形は概してよい結果を齎らします。
 それに正直な品物の多い地方を見ますと、概して風習に信心深いところが見受けられます。時折その信心が迷信に陥っている場合もあるでしょうが、信心は人間を真面目にさせます。このことが作る品物にも反映ってくるのだと思われます。良い品物の背後にはいつも道徳や宗教が控えているのは否むことが出来ません。このことは将来も変りなき道理であると考えられます。

そして、産地の人たちの努力をバカにするような記述で、ぼくが反発を感じていたこの部分。

人絹も盛に取り入れられ、染料もほとんど化学品を用います。従って今まで見たこともないような俗な彩りが現れるに至りました。今の都の人たちは多くはこれらのものを用いているのであります。作り方には長足の進歩がありますが、作られる品にはむしろ退歩が目立つのは大きな矛盾といわねばなりません。なぜ幼穉だと笑われている手機や草木染の方が実着なものを生むのでしょうか。考えさせられる問題であります。

志村ふくみ・鶴見和子『いのちを纏う』という本で、草木染めは豊かな自然と、人間のいのちのやりとりがあって、初めて成り立つことを知った。
明治になって急速に衰退した木綿がいい例だが、鄙の豊かな自然を顧みず、海外から安価な材料を仕入れ、大きな工場に鄙から多くの若者を集めて、世界市場に向けて、大量生産でコストダウンしたモノを作るというやり方を柳が批判しているということに初めて気づいた。

柳は、器用に手仕事をこなす日本人による、モノづくりの能力によって、国内だけでも食べていけるような、小さな経済を作り方を必死に説いている。
そして、その前提には豊かな鄙の自然が残っていること、人々の手技が残っていることの二点が必要だ。

伝統工芸とか和文化というと、人間国宝級の立派な職人と都会の金持ちが支えている世界で、そこには雅とか粋とか洗練とか、きものだったら艶やかとか、判で押したようなキーワードが並ぶ。それはそれで、素晴らしいんでしょうが、ぼくは興味がもてない。

そうじゃなくて、ぼくのおばあちゃんがこさえてくれた綿入り半纏のように、平凡な農家の人が作る、土の匂いのするような日常使いのモノたちに強烈なシンパシーを感じるのです。

ああ、だいぶ長くなった。今日はこのへんで終わりにします。

蛇足ですが、「懐かしき未來」に書いた柳批判のコラムは、推敲段階で全てデリートしました。

今日の一曲はヘプバーンが大都会の片隅で歌った曲を、大自然の中に帰してあげたようなカサンドラ・ウィルソンの『ムーン・リバー」

«菊地さんとはある種の想いを共有している部分があって、それが「懐かしき未來」を作っているモチベーションになっている。 どんなものかは今回の「懐かしき未來 その2」を読んでいただくしかない。

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