所属する団体と仲間たちのリンク

無料ブログはココログ
フォト

2017年7月22日 (土)

豊田真由子の曲を聴くと、シャキッとするけど、聴いているうちに、心がささくれ立ってくるので、そんな時は寺尾紗穂の「たよりないもののために」なんか素敵です。

ずっと前から夏が苦手で、ひたすら夏が過ぎ去るのを待つのが、毎年の習慣でしたが、

還暦を迎えたことしからは、さらにヒートアップして、夏を乗り切ることにします。
だらけている体を、シャキッとさせたいときに、うってつけなのが豊田真由子。

もはや政治生命は絶たれたも同然ですが、ロックシンガーとしてはたいへん有望です。
この動画を初めて見たときは、のけぞりました。


これに比べたら、セックスピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」なんて、カワイイもんです。
続けて聴くと、がっかりします。


豊田真由子の曲を聴くと、シャキッとするけど、聴いているうちに、心がささくれ立ってくるので、そんな時は寺尾紗穂の「たよりないもののために」なんか素敵です。
映像も涼しげで、気持ちいいですね。


どうでしょう。すこし、涼しくなったかな。

「音楽に政治に持ち込むな」なんて、とんまなセリフを、大真面目に叫ぶ輩が、大手を振って歩いている昨今だけど、1970年前後のあの時代、確実にロックは時代をリードしていた。

還暦になって、初めてのブログ更新です。
仕事帰りに、iPhoneで音楽を聴くのは、以前からの習慣なんだけど、
ここ数年はまったりとジャズを聴くのが好きで、ロックはほとんど聴かなくなっていた。

ところが、なんだろうストーンズの『メインストリートのならず者』を図書館で借りて、
iPhoneで聴いたら、もの凄くよくって、いまのストーンズには興味ないけど、ミック・テイラー時代のストーンズを、チェックしていたら、すっかりハマってしまいました。

「音楽に政治に持ち込むな」なんて、とんまなセリフを、大真面目に叫ぶ輩が、大手を振って歩いている昨今だけど、1970年前後のあの時代、確実にロックは時代をリードしていた。
ロックから派生した様々なカウンターカルチャーが時代を引っ張っていた。
いまのようなコンピュータで作る音楽じゃなく、人力の、手づくり品のようなロックには、DIY作業に通じる現状変革のエネルギーがあったと思う。

リンクをはったのはストーンズの「ギミーシェルター」
まだ少年のようなミック・テイラーに煽られる感じで、熱い演奏をしていた、若きストーンズの面々が、輝いて見える。


それともう一曲「悪魔を憐れむ歌」
ロックのルーツはアフリカにあるわけで、これもまた時代を感じさせる。

現在のストーンズのギタリスト、ロン・ウッドという人は、あまり関わりのなさそうなザ・バンドの『ラストワルツ』にも、顔を出していて、きっと人柄がいい、世渡り上手な人なんだと思うけど、ふだん会社員の世界でそんなタイプの人とばかり接しているから、職人気質のミック・テイラーを見るとホッとして、嬉しくなる。

還暦を過ぎたら、一番好きな時代の、一番好きな音楽に戻ってゆくのかな。

そんな気がしてきた。

2017年6月17日 (土)

戦前の家父長制大家族とは異なる、21世紀型の大家族があるんじゃないかと、個人的には感じている。

ことしもあっという間に、もう6月後半だ。

ウィークデイは毎日激しく仕事をして、家に帰ると寝るだけの生活で、行き帰りの通勤電車だけが、じっくりとモノを考えたり、読書したり音楽を聴いたりする携帯空間になっている。

それにしても、電車内で新聞を読んだり、本を読んだりしている人が減ったことに、驚く。
若い人はスマホでゲームというのが、いまのスタンダード。
ゲームで暇つぶし出来るほど、暇がない貧乏な年寄りは、今の世の中にはついていけないのかなあと、ため息ばかり。

そして、とうとう自由社会に対して、とどめをさされた感のある、共謀罪成立。
20世紀を代表する経済学者にして、知の巨人ヨゼフ・シュムペーターが言ったように、経済発展の本質は「イノベーション」にある。

自由闊達な人と人との交流から、新しい経済の仕組みが生まれるわけで、野山でキノコ狩りをしたり、カメラや地図を持ってウロウロするのも、命がけの国では、イノベーションによる経済発展が存在するはずもなく。
この5年間、海外に展開する大企業ばかりが優先され、日本経済の足腰が確実に弱っていて、そこに少子高齢化が追い打ちをかける。

それでも、DIY出版の青空公房を始めて、未来への希望を拾い集めて、「懐かしき未来」というブックレットを作っている。
最近、リンダ・グラットンのベストセラー『ライフシフト』を読んだ。

おそらく、そこに書いてあることは、ぼくが「懐かしき未来」に書いたことと、どこかで通底していると思う。それは、この50年で一般的になった、誕生から就職まで、終身雇用、引退後死ぬまでという3ステージ型の職業人生が過去のものになっているということ。

その最大の原因は寿命が延びて、引退後のステージが長くなり、年金や貯蓄で賄えなくなっているということ。
そんな時代だから、ひとそれぞれ多様性のある生き方が必要になってきたし、社会が安定し始めた江戸期から、戦後の高度経済成長以前まで、僕たち庶民はどんな暮らし方をしてきたのかを知ることが、未来の生き方を考える上でも、重要になっていると思う。

それについて、書き始めると本が一冊出来ちゃうくらい、言いたいことは山ほどあるんだけど、一つだけ例をあげると、家族のあり方を21世紀バージョンにアップデートすること、どんなスタイルの家族を作っていくべきか、知恵を絞ってよく考えることが、はじめの一歩かなあと思う。

上野千鶴子の『近代家族の成立と終焉』という20数年前に読んだ本が面白くて、影響も受けたが、それももう古い。戦前の家父長制大家族とは異なる、21世紀型の大家族があるんじゃないかと、個人的には感じている。

そこから、住宅のモンダイ、職業のモンダイ、お墓や死後のモンダイ、子女や自分の教育のモンダイ、僕たちの暮らしを取り巻く、さまざまなモンダイに対して、解決の糸口が見つかるように思う。
実は、お友達のカフェと地域ガイドだと思われがちな「懐かしき未來 その1」だけど、ぼくが一番言いたかったことは、そのことだったなあと、『ライフシフト』を読了した今頃になって気づいた。

そこをスルーして、高度成長期の核家族を唯一のモデルにして、枝葉のモンダイを、ワアワアやっていれば、それぞれの思いがすれ違うばかりでしょう。

ひとまず、今日はこの辺りで、終わりにします。

今日の一曲はそれほど、大ファンではないのに、ときどき激しく聴きたくなるローリング・ストーンズ。
とくに、こんな日はこの曲がいい。

強欲なグローバルキャピタリズムから身を守り、消費しなくても豊かに暮らすためのシェルター。
全体主義国家から身を守り、心安らかに暮らすためのシェルター。
そんなシェルターが欲しいから。

2017年5月28日 (日)

なんだか、まとまりのないエントリだけど、仕方ないのよ。 考えることが多すぎて、自分の頭の中も、ぐちゃぐちゃなんだし。

先週のアースデイ那須出展を中心に、あっという間に駆け抜けていったような、5月もあと3日で終わり。
落ち着いて、パソコンの前に座る時間がなくて、ブログも滞りがち。
我ながら、毎回同じようなこと書いてる気がする。まずい。

Photo

考えることが、なくなった訳じゃなく、考えることが多すぎて、まとまんないんだよ、きっと。
家庭のこと、稼ぎのこと、青空公房の仕事のこと。

金曜日のパーティで会ったイギリスの人に自分の仕事のコトを説明するのに、
 One Man Publisher だと言ったら、妙に納得されたのが印象に残った。

アースデイは、事務局のメンバーが知り合いなので、どれだけ苦労しているか分かるから、
その努力に拍手喝采するしかないのだけれど、出展者としてはどこか違和感も残った。
この一週間、その違和感はなんだろうって、考えてみたけど、5年前に客として参加したアースデイと比べて、薄味になったなあと感じたのが、その原因だと思う。

ぼくにとって理想のイベントは、10年前に吉川で見た生活クラブの事業者交流会。
暖かい空気感が一日中流れていて、個々の製品をじっくりと体験したり、説明を聞いたりして、ゆっくりと過ごした。
そこのステージに登場したのがアグリカという男女二人組のユニット。
ふだんは八潮市で、農家をやっているという二人の奏でる爽やかな音楽に魅了されてしまった。
アグリカは3.11を機に、四国に移住してしまい、YouTubeでしか、演奏を聴くこともできなくなった。ウェブサイトをみたら最近、東京に戻ってきたみたいだから、生で見るチャンスもあるかな。

それはさておき、会話がしたいなあ。
いろんな人と心が通い合った、会話をたくさんしたいなあ。
どれほど、多くのコトバが飛び交っても、バラバラな方向を向いた矢印が、それぞれ勝手な方向に飛び回っているような、コトバのやりとりばかり見せつけられて、心がすり減っている。
特に、トロンとして目から光が消えたような政治家たちの語るコトバ。

前川前事務次官の記者会見を見て、久しぶりに、ホントに久しぶりに、テレビの画面でまっとうな大人の、まっとうなコトバを聞いたような気がした。

なんだか、まとまりのないエントリだけど、仕方ないのよ。
考えることが多すぎて、自分の頭の中も、ぐちゃぐちゃなんだし。

まったりとアグリカの曲でも聴いて、日曜日の締めくくりにしよう。

2017年5月 1日 (月)

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。

この数日間、建築家、宮大工、工務店社長と立て続けに三人の建築人と話す機会があり、建築や住まい作りについて、いろいろ考えてみた。

まず、最初に言えるのは、住まいを美しくすることは誰にでも出来る自己表現だということ。
建築は総合芸術だからね。しかも、ほとんどの人にとって、住まいは人生最大の買い物でしょう。

それなのに、なんで産業化されたハウスメーカーとやらの言いなりになって、数十年間の住宅ローンという重荷を背負ってしまうのだろう。ぼくには不思議でならないのです。

それでも、かつての日本のように終身雇用が保証された安定した世の中なら、まだわかる。
いまは、むき出しのグローバルキャピタリズムが最後の力を振り絞って、投資先を求めている時代。金融機関の口車に乗って、個人が重いローンなんて、抱えてはいけない。
そんなもん、無視して、好きなように家を作ったらいい。

すっかり消費者気分になって、洗脳されているコリコリの頭の中を、柔らかくしてくれるのが石山修武『セルフビルドの世界』。

石山さんは「まえがき」でこんな風に書いてるので、抜粋してみます。

ここに御紹介する、自分で、あるいは自分たちで何モノかを作ろうとする人間たちは、皆、皆さんと同類の人間たちなのです。皆さんの気持ちの中にもこんな情熱が実は眠ったままにあるのです。
生活することは実ワ、表現する、モノを作るのと同じです。

セルフビルドは(中略)日々の生活の中に常に自己表現の方策をつくり込もうという方法です。できるだけ消費のサイクルから自律を具体的に求めようとすることでもあります。

大量生産、大量消費の生活スタイルはすでにイデオロギー化しています。誰もが逃げられない教条として繰り返し繰り返し作り続けられています。その考え方そのものが、もうコレワ、大消費教という悪しき新興宗教のようなものなのです。

しかるに、それに対する生活スタイル、例えば少量多品種の生活像を描くのはなかなかできまいまんまです。
その解答のすべてではないが、明らかな一つの方法としてセルフビルドはあります。つまり少量多品種型生活の一つの生活像がここにあるのです。

自己表現としてのセルフビルドが二十一世紀の市民社会を構成する一助となるという、サンプリングモデルなのです。

どうでしょうか。ここに流れている考え方は、ぼくが「懐かしき未來」冒頭の「シリーズ懐かしき未來へようこそ」に書いたことを同じだと思うのですが。

セルフビルドというのは、広義に解釈した方がいいと思います。
建て主自ら工具を手にして、DIY作業をやるのはセルフビルドだけど、建て主自ら、家作りという人生最大のプロジェクトのリーダーになって、主体的に楽しみながら、自己表現としての家作りをするのも、セルフビルドに間違いありません。

もちろん、今すでに住んでいる古い家を、住みやすく作り替えるリノベーションだって、セルフビルドです。

今回、市川と那須と黒磯で、三人の建築人と話していて、亡くなった大野勝彦さんという建築家が「地域住宅工房のネットワーク」と言っていたことを思い出しました。

自分の空間を作りたい住み手、建築家、研究者、棟梁、それだけだと、今はもうダメ。
さらには工芸家や芸術家やデザイナー。手仕事が好きな個人。手作りを楽しむ個人。

大量生産多量消費のスタイルに疑問を持つ、ありとあらゆる分野の人たちが、住まい作りをテーマに集い、交流すること、あるいは交流する場所を作ること、それが結果的に「地域住宅工房のネットワーク」になってゆくのかなと、ふと思いました。
はたして「懐かしき未來」で、何かできるのか、知恵の出し所ですね。

懇意にしている川嶋工務店さんの那須ベーススタジオ で、ゆったりとくつろいで、話をしながらそんなことをぼうっと思い浮かべた。

          

2017年4月23日 (日)

かつて「資本主義の手先」やら「国家権力の犬」やら叫んで、成田辺りで暴れていた人が、いまは体制側に回って、政権を批判した者に対して「反日」とレッテルを貼る。 こんな窮屈な日本社会に、元気な若者がニョキニョキ育つわけもなく。フェンスの向こうのアメリカはヒップな生活革命だ、ポートランドのクリエイティブシティだ、メイカームーブメントだと、時代を逆走する日本をあざ笑うかのように、どんどん走り去ってゆく。その距離は開くばかりだ。

沖縄県にはベトナム戦争の頃、戦略爆撃機B52が北爆に出撃したアメリカ空軍の嘉手納基地がある。
Wikipediaによればスペックはこんな感じ。

総面積は約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。また、在日空軍最大の基地である。
滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになる。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。

日本最大の空港より2倍も大きな空軍基地が、細長い沖縄本島の中央部にどっかりと存在していて、周囲をクルマで走ると、フェンスは果てしなくどこまでも続いている。
23年前、沖縄に旅行した時、この嘉手納基地の大きさに驚き、そして、フェンス中の世界と外の世界の風景の違いにショックを受けた。
ぼくが何か書かなくても、嘉手納基地を検索して、Googleの航空写真で見れば誰でも分かる。
ビバリーヒルズのような基地の中の世界。基地の外にはウサギ小屋のような小さな民家が軒を接している。
この重い事実を、本土のひとはどれだけ、わかっているのかな。

練馬に住んでいた少年時代にも、似たような風景を見たことがある。
いまは光が丘のニュータウンと呼ばれる田柄町の辺りは、グラントハイツという米軍住宅地だった。セキノ君という級友の小さな家のすぐ脇に広がる芝生が目にまばゆかった。
東京近郊では立川やら、厚木やら、本土の米軍施設が次々と返還され、今は大半が沖縄に集中しているという。
沖縄の人が毎日見ている風景は、ぼくの世代が、かろうじて既視感を覚える風景で、ぼくよりも若い人たちには、想像する気持ちすら呼び覚まさない、何の興味も、関心も持てないのかもしれない。

最近よく、日本人が右傾化していると言われる。笑わせるな。
いま日本で起きているのは、右傾化なんていう高次元な話ではなく、圧倒的多くの庶民が考えることをやめてしまっただけでしょ。
大きな声で叫ばれる、単純なコトバで、何か分かったような気がしてるだけ。
昔もあったよね。「資本主義の手先」とか、とか「国家権力の犬」とか。
警察官の家の子どもだったから、大人達からそんなコトバでレッテルをはられ、いじめられた。

かつて「資本主義の手先」やら「国家権力の犬」やら叫んで、成田辺りで暴れていた人が、いまは体制側に回って、政権を批判した者に対して「反日」とレッテルを貼る。
こんな窮屈な日本社会に、元気な若者がニョキニョキ育つわけもなく。
フェンスの向こうのアメリカはヒップな生活革命だ、ポートランドのクリエイティブシティだ、メイカームーブメントだと、時代を逆走する日本をあざ笑うかのように、どんどん走り去ってゆく。その距離は開くばかりだ。

歌手の古謝美佐子のお父さんは嘉手納基地で働いていて、彼女が3歳の時に米軍車両に轢かれて亡くなったという。彼女の歌には、そんな自分史や沖縄社会の重みが感じられる。
だから力強いし、風雪に耐えて、いつまでも残っていくのだとおもう。
戦争に負けたこと、アメリカと日本の関係、極東情勢、現在の複雑な状況や歴史のコンテクストを考慮しながら、沖縄と本土が仲良く共存できるような日本人の叡智が必要な時代になっていると思う。
○じゃなきゃ、×。白じゃなきゃ黒。そんな単純な思考で乗り切れるほど簡単な設問じゃないよ、たぶんこれは。
間違いなく、ひとつだけ言えるのは、バナキュラーな周辺文化を軽蔑し、東京の価値観一色に染め上げるような態度からは、何も生まれてこないということ。これだけは言っておく。
周辺文化への眼差しを、いまだからこそ、柳宗悦に学びたいと思う。

2017年4月22日 (土)

昨晩までは那須に行くつもりだったけど、それは諦めたから、せめて駒場の日本民藝館に行こうと意気込んでいたのだが、それすら諦めて、午前中はまったりと菊地成孔&南博のアルバム「水と花」を聴きながら、読書。

前回のエントリを書いた翌日から体調を崩して、電車で倒れたり、食中毒になったり。
もういい加減、休憩しろって、たぶん神様が教えてくれているんだろうって、忠告をありがたく受け取って、本日の予定は病院のみにした。

昨晩までは那須に行くつもりだったけど、それは諦めたから、せめて駒場の日本民藝館に行lこうと意気込んでいたのだが、それすら諦めて、午前中はまったりと菊地成孔&南博のアルバム「水と花」を聴きながら、読書。
それもめったにない、肩から力の抜けたお楽しみのための、まるでお趣味のような読書。

本の内容はイマイチだったから、特に紹介しないけど、アルバムはよかったなあ。
いままで、どうも個人的にあと一つ突き抜けられない感のあった菊地成孔が、自分の中でブレイクした瞬間。
気持ちのいい演奏に時間を忘れて、いつまでも聴いていたくて、三回も繰り返して聴いてしまった。


思えば、父親が亡くなってから、ずっと休みなしで、昨日まで走ってきたような気がする。
「懐かしき未來」を完成しても、ホッとする間もなく、バタバタと駆けずり回って。

だから今日(4月21日)は数ヶ月ぶりの完全オフ。
病院にいったら、病人扱いされて、CTだの心電図だの脳波だの、人生初の点滴まで打たれてしまったからもう、なすすべもなく。
何も出来ないから、ベッドの上でひたすらじっとしているのも、初めての経験だったけど、たまには悪くない。

落ちのないエントリだけど、ま、それだってたまにはいいでしょう。

何しろ今日は完全オフなんだから。

2017年4月 9日 (日)

実際に木が生えている状態を見に行って、その場でどのように材木として使うか考えて、伐採し製材する。 そんな努力が1000年壊れない木造建築を生むことを知り、建築観が変わるほど衝撃を受けた。

永六輔の『職人』を読んだら、その本の中にも出てきた宮大工西岡常一さんのドキュメンタリー映画『鬼に訊け』を見たくなり、DVDを見始めたらドンドン引き込まれてしまった。
あっという間の1時間半、気持ちのいい時空間に、招かれたような気分に浸った。


こんなDVDを教えてくれたのは、先日のエントリで紹介した中島睦巳さんという宮大工さん。
直接、西岡さんから技術を教えてもらった経歴の持ち主で、10数年前に那須町に移住し、現在は建築工房槐として活動している。

ぼくは古建築の保存運動を展開したウィリアム・モリスやジョン・ラスキンが好きで、ヨーロッパ中世の職人の仕事を熱く語るモリスの講演を本で読んで、感動していた。

けれども、今回DVDを見て、ヨーロッパ中世よりもっと昔、飛鳥時代の日本の職人について語る西岡さんの言葉のひとつひとつに、より深い感動を覚えた。

デザイナー、思想家として、モリスは素晴らしい。だけど、自分で手を動かして建物をこしらえる西岡さんの言葉の重みに軍配が上がる。

歴史の重みとか、自然への畏敬とか、軽く書けるけど、実際に木が生えている状態を見に行って、その場でどのように材木として使うか考えて、伐採し製材する。
そんな努力が1000年壊れない木造建築を生むことを知り、建築観が変わるほど衝撃を受けた。

そして、そういう技術が宮大工の中で、代々受け継がれてきた。
宮大工と、宮大工を取り巻く豊かな社会を作ってきた父祖たちの叡智に、いまはちょっと感動している。

坂本龍一「hibari」

2017年4月 5日 (水)

職人というのは、職業というよりは、「生き方」なのではないかと思えてきます。

先週末に那須に行って、何人かの人に会い、刺激を受けて帰ってきた。

今週は一回だけ読んで、ほったらかしにしておいた永六輔『職人』を、じっくり、ゆっくりと、読んで、本日読了した。

ものすごく、いい本だと、やっと今知った。
サラリーマン社会にどっぷり首まで使って、職人気質を忘れたのではなく、最初から知らない日本人全員の必読書にしてもいいくらい。
かつては、こんな日本人が、日本中どこにでもいた。ぼくの生まれた村でも、育った町でも。

職人というのは、職業というよりは、「生き方」なのではないかと思えてきます。
職業は途中でやめることができますが、生き方は途中でやめるというもんじゃありません。体力が落ちて、現場がつとまらなくたって、睨みをきかせることはできます。

珠玉の言葉のひとつひとつが、天から舞い降りて、サラリーマン社会でぱさぱさになった僕の心に、希望の灯をともす。
そして、この本の白眉がこの部分。

いま使い捨ての道具がおおはやりですね。
たしかに便利です。
でも、そういう便利さとのひきかえに、ほんとに手づくりでなければできなかった仕事をしていく人がいなくなっちゃお終いなんだから、いなくなるまえに、その人たちを守らなければいけない。
守るためには、その人たちの品物を買わなくちゃいけないんです。
別に高く買う必要はないけれども、その人たちがやってきた仕事に対しての正しい報酬を払う。
そして、それを身につけ、生活に使う。
僕はそれがほんとうの豊かさだと思うんです。

永さんは、その言葉を実現するために「1100人の会」といって、百人の若い職人を選んで、千人で買おうという組織に加わった。
いまは会員の高齢化もすすみ、10年前のブログを見ると、会員150人と書いてあるから、いまは自然消滅しているのかな。

永六輔さん亡き今、永さんのやり残した仕事をつないでゆくことも、ぼくたち世代の仕事かなあと、考え始めている。

プリシラ・アーン「風をあつめて」

2017年3月25日 (土)

3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(後編)

で、3.19ですが、まずはこの画像を貼ります。

Photo

栃木県の地方新聞下野新聞の記者渡辺さんが、記事にしてくれました。

発行元「青空公房」の名前が載っていないのが、チョイと残念ですが、栃木県の読者には版元など、どこでもいいわけで、こうして那須町で「懐かしき未來」が町の人に愛され、育まれてゆくことが大切なコトで、版元冥利に尽きるんです。

取材の内容は、上記の記事にある通り。

取材が終わると、ブックデザインもやってくれたアーティスト大平夏澄さん、菊地さんご夫妻と、持ち寄り形式で、ささやかな出版記念パーティになりました。

ぼくが持って行った獺祭の一升瓶は、やがて空になり、八海山が登場したところまでは、明確に覚えているのですが、床についた時の記憶はハッキリせず、それでも悪酔いもしなかったのは、よほど楽しい宴だったということかなあと、みなさんに感謝しています。
もしかすると、3.19は長い間の夢がかなった、人生最高の記念日のひとつになってゆくかもしれませんね。

まあ、3.19はこんな気分ということで、名作「雨にスーダラ節」を。

«3.19那須町にミラクルな風が吹いた一日(前編)

最近のトラックバック

最近の記事

最近のコメント

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31