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2018年3月 3日 (土)

そして何よりも今のボクにとって、宮本常一に深い共感を覚えるのは、左右のイデオロギーから無縁な、日本の庶民の世界をひたすら歩くことによって「イデオロギーの虚妄性を摩滅させていった」ということ。

前回のエントリで「養父志乃夫さんの『里山里海』を読むことで、問題の所在がはっきりしてきた。」と書いた通り、いままでスルーしていたことが急に気になり始めている。

たとえば宮本常一の存在。
以前読んだ佐野眞一さんの本で、紹介されていて気になっていたし、代表作『忘れられた日本人』は結構好きな作品なのだが、今までは何となく西日本の人ってとらえ方をしていて、それほど興味が持てず、その膨大すぎる著作とも相まって、手つかずの巨人という感じで見てた。

今回『里山里海』で『家郷の訓』が紹介されているのをみて佐野眞一さんの『宮本常一が見た日本』を読み、民俗学者というより、高度成長期以前の日本を記録したジャーナリストであることを知った。
そして何よりも今のボクにとって、宮本常一に深い共感を覚えるのは、左右のイデオロギーから無縁な、日本の庶民の世界をひたすら歩くことによって「イデオロギーの虚妄性を摩滅させていった」ということ。

宮本常一の自伝とも言える『民俗学の旅』の最後にこんな一文がある。

私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。
(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものをも絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。
進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めていくことこそ、いまわれわれに課せられているもっとも重要な課題ではないかと思う。
少なくも人間一人一人の身のまわりのことについての処理の能力は過去にくらべて著しく劣っているように思う。物を見る眼すらがにぶっているように思うことが多い。
多くの人がいま忘れ去ろうとしていることをもう一度掘り起こしてみたいのは、あるいはその中に価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。しかもなお古いことを持ちこたえているのは主流を闊歩している人たちではなく、片隅で押しながされながら生活を守っている人たちに多い。

この一文に激しく共感する。
読んだ瞬間、宮本常一こそ理想的日本人だって、こころの中で叫んでしまった。

20数年前に、建築家の石山修武さんが中心になって、早稲田大学で開催された日本生活学会の「宮本常一を勉強する会」に行ったことがある。
石山さんの仲間達が那須の山小屋作りも手伝ってくれた縁で、その時、谷根千の森まゆみさんを紹介してもらったのだが、一番気になったのが仙台の町作り仕掛け人結城登美雄さんだった。宮本常一のいう世間師になりたいという結城さんに憧れた。また、石山さんが宮本常一への共感を繰り返し語っていた意味が、やっと分かった。

長くなったので、今日はこのへんで。

矢野顕子と忌野清志郎の「ひとつだけ」

2018年2月17日 (土)

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

茨城のぼくの生家では1970年まで主なエネルギー源は薪だった。
風呂は五右衛門風呂だったし、ご飯やおみおつけや煮物はかまどで煮炊きした。
薪はどのように調達したかというと、いまは阿見のアウトレットモールがある辺りに薪を扱う農家があって、祖父がそこまで買いに行っていたという。
家にはトラックなどなかったので、牛に荷車を引かせる、一日がかりの仕事だと、つい最近母から聞いた。

その後宅地開発が進んで、首都圏に組み入れられ、いまは東京に通勤する住民もいる集落だけど、40数年前までは、江戸時代から続くようなアジア人らしい暮らしのスタイルがあって、その風景はぼくも明確に記憶している。
思うところあって、このところ、里山に関する本、民俗学に関する本、生態学や経済学に関する本など、手当たり次第に乱読しているのだが、徐々に最大の問題として見えてきたのは、現在のぼくたちの暮らしのスタイルを決定づけているのが石油文明だということ。

1982年に出た室田武さんの『水土の経済学』を繙いてみる。

石油文明下の日本では「燃料革命」などと称して世界最高の水準にあるすぐれた木炭技術を隅においやり、山村においてさえ石油バーナーやプロパンガスがないと風呂の水さえわかせないような住宅や生活様式を一般化していまい、都市の過密と山村の過疎がつくりだされてきた。これに対して、エコロジー重視の経済においては、森林の育成とともに、水田の破壊を中止し、またダム建設や河川汚染をくいとめて川に魚をよみがえらせるなど、日本各地の水土が生み出す資源や食料に依拠して、中央集権的でない新しい人間関係がつくられるであろう。各地の有機農産物の共同購入運動における援農などにみられるように、人々の協力関係の確立によって、石油漬けでないほんものの食べ物をつくることも可能になる。

インターネットが一般化する遙か昔に、室田さんはこんなことを書いていて、このあと35年の間にチェルノブイリ原発事故、東日本大震災と福島第一原発の事故を経験して、今なおエネルギー大量消費の石油文明の呪縛から逃れられない僕たち日本人は、どんだけ愚かなんだろうって思う。いまはSNSを使って、情報交換することだって、可能になったわけだし。

石油は魔法の杖のように素晴らしい自然の恵みだけど、石油に依存しすぎたために、日本人の暮らしが根底から改変されてしまったことに、思いが及ぶようになった。

これは資本主義とか社会主義とか、右だとか左だとかいう問題じゃなく、日本人みんなが考えなきゃいけない問題だと思うよ。
数年前に『里山資本主義』なんていう本がベストセラーになった訳だから、マスメディアや政治は鈍感でいまだに経済成長一本槍だけど、もうすでに日本人の心の奥底で大きな変化が始まっているように感じる。

体制寄りの経済学者が言うように「経済学的」には、さらなる成長が必要かもしれないし、新しいエネルギー技術が発見されれば、「経済学的」には、救われるかもしれない。だけど、経済成長によって日本人の暮らしのスタイルがこれ以上壊されてゆくのを看過するわけにはいかないでしょう。

これからもっと勉強しなきゃいけないけど、ひとまず見えてきたのは、エネルギー源の薪炭を供給する雑木林が消えることで、ぼくたちの想像を超えるレベルで様々な問題が発生しているということ。

養父志乃夫さんの『里山里海』を読むことで、問題の所在がはっきりしてきた。
だいぶ長くなったので、今日はひとまずこの辺で終わりにしましょう。

ニール・ヤングで「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」

2018年2月12日 (月)

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

上野の国立科学博物館で開催中の南方熊楠展を見に行ってきた。

海外から帰国すると、地元の和歌山県田辺市の自宅に籠もって、生涯ほとんど旅行もせず、キノコや粘菌といった地味な生物を研究した風変わりな在野の学者。
厳つい風貌と、上半身裸で撮った写真の印象が強くて、何か惹きつけられるのだが、存在が大きすぎて、この人をどうやって捉えたらいいのか、とまどうばかりだった。

そういう意味では、この小さな企画展は、等身大の熊楠を感じるには、ちょうどいい。
その情報処理術がいまのインターネット時代になって初めて日の目を見るような部分がある。熊楠は情報を集めるだけ集めて、論文にまとめることが出来ずに亡くなってしまったので、現在研究者のグループがその業績を電子化する作業に取り組んでいるらしい。

ただ、どこか物足りないものがあったのも確かで、それは何だろうって、あれこれ考えていて、見つけたのが谷川健一さんが書いた『独学のすすめ』と言う本。

熊楠は当時のエリートコースを歩んでいた人だが、学校を退学し、さらに親に頼み込んで海外留学して、そこでも学校を辞めて、独学で自分の好きな方向に行ってしまう。
企画展は既存のアカデミズムの枠内で活動する研究者たちが、まとめたモノで、子ども達も訪れる場所なので、行儀良く綺麗にまとまっているけど、ワタリウム美術館がまとめた『クマグスの森』を読むと、熊楠は人肉食とか、セクソロジーとか、かなり怪しい研究もしていた人だった。
また、西洋の知に対して、東アジアとか、日本の知にこだわった人で、柳田国男とシンクロしていたのも、その部分だったわけだから、そのあたりをスルーしてしまうと、あまり面白くなくなってしまう。谷川さんはこんな風に書く。

知識を自分の手で選びとり、自分の目でたしかめるという姿勢で一貫しています。(中略)
それゆえに文章は血肉となり、そしてまた、骨格を備えたものとなっているのです。われわれがそれを読むときに精神の高鳴りをおぼえ、鼓動を感じる文章が生まれるのです。

こんな谷川健一さんの文章を読んでいると、強い共感をおぼえ、こころが震える。

そして、日本地名研究所を作って、地名を守る活動を行った谷川さんの仕事は、熊楠の神社合祀反対運動に繋がるものだという。

谷川さんの仕事も見逃せなくなってきた。

2018年1月28日 (日)

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

いつからなのかわからないくらい、長い間体調がイマイチでしたが、完全に復活しました。
やったことは、とにかく体を温めること。特に首回りを暖めると、眼の疲れ、肩こり、背中のハリも解消されて、すこぶる調子がいい。
最近は夏でも、首は冷やさないように気をつけているんだけど、それでもおかしくなった。
永井荷風が、冷たい飲み物を絶対に飲まないようにしていると、どこかで読んだことがあるが、身体を冷やさない工夫だったのかなと思う。

それと運動不足。先週は毎日雪かきで、体じゅうがいたいけど、この寒さの中、血圧も日を追うごとに、下がっていて、夜は熟睡出来る。
年齢のせいで、体力が低下していたと思いこんでいたが、体調不良の原因は運動不足と身体の冷えで、その2点を改善してから、体が元にどった感がある。

たった10日前まで、休みの日は何もやる元気がわかず、長いトンネルがどこまで続くのか悩んでいたのがウソのよう。
ことしはブログの更新回数も増えるかもしれない。

ところで最近はまっているのが『養老孟司の幸福論』

いままで、ぼくは養老孟司のいい読者ではなかったのだが、この本を読んでかなりインスパイアされて、目から鱗が落ちた。
さらに余勢を駆って再読したのが隈研吾との対談『日本人はどう住まうべきか?』

この本の中ですごく大事なことを言っている箇所があって、要約すると

モンゴルのパオではどうやってプライバシーを守るのかというと、パオの中が公共空間で、プライバシーは外にあるという。
また、アフリカのサバンナでも同様で、土と動物の糞を固めてできた小さな小屋の中で、30人~40人が寝起きするのだが、屋外の生活が豊かで、そこにこそ文化があるというのだ。

以前、読んだ本なのに、読み飛ばしていた箇所だ。
隈研吾も大発見だと言っているけど、ぼくにとっても、これは大発見なのだ。
長い間、もやもやしていた、祖父や祖母の時代の茨城の生家の暮らしが快適だった秘訣がやっとわかった。

モンゴルのパオや、アフリカのサバンナのように、プライバシーを守るために家を作るんじゃなく、公共空間としての家が、かつては日本にもあった。

確かに、祖父の時代は、冠婚葬祭、すべて家で行ったし、朝から他人が家の中をウロウロするような、賑やかな公共空間で、それが当たり前だと思っていた。

じゃあプライバシーはどこにあったのかと想像をめぐらすと、おそらく祖父にとっては、誰もいない早朝の霞ヶ浦で舟に乗って漁をしつつ自然と触れあっている時が、趣味と実益を兼ねた最高のプライベートな時間だったと思う。
いま思い出したが、以前母から聞いた話では、霞ヶ浦がもっと綺麗だった時代、祖父は、歯磨きも、朝ご飯を炊くのも、湖上で行っていたという。
舟の上が最高の贅沢なプライベートルームだったんだろうって思う。

何か大きな発見をしてしまった、そんな気がしてならない。

日曜日の朝は、タジ・マハールとライ・クーダーの「ステイツボロ・ブルース」。
オールマン・ブラザーズ・バンドで有名な曲だが、こっちの方が全然いい。
こんなに、ノリのいい曲だったとは。
最近の細野晴臣の世界に似ていると思った。

2018年1月 6日 (土)

おとこ杉浦日向子になるには、60歳からでは遅いけど、ほんの少し近づくだけでいい。

新年になった途端にインフルエンザを発症し、高熱にうなされ、初夢どころではなく、リアルな悪夢ばかり見た。

最初は、1月5日から始まる会社の仕事の夢が繰り返し繰り返し出てきた。それが二日間続いて、最後にあられた夢は、広い敷地内に4棟ほどの、大きな茅葺き屋根の建物が建ち並ぶ、妙にリアルな風景。
ふだんは眠りからされた途端に、夢で見たディテイルって忘れてしまうのだけど、
この夢は、どういう訳か、ハッキリと覚えている。
現実にその場に行って見てきたような錯覚に陥る不思議な夢だった。

建物の大きさに対して、屋根が不相応に大きいので、溶けかけたソフトクリームのように、地面すれすれまで、屋根が降りている。
風の音すら聞こえない、静かな空間だけど、地面から数カ所ライトアップされているので、どことなく温かくて、こころ惹かれる。
どうしても家の中に入らせてもらたくて、玄関扉に手がかかった瞬間に目が覚めた。

アズビー・ブラウンの『江戸に学ぶエコ生活術』
熱でうなされる合間を縫って、こんな本を読み、18世紀の農村にタイムトラベルしていたからかもしれない。
こうなると面白くなって、本格的江戸時代に留学してみたくなった。
杉浦日向子が、かつてこんな本を出していて、ずいぶん影響された。
おとこ杉浦日向子になるには、60歳からでは遅いけど、ほんの少し近づくだけでいい。

YouTubeでラジオ番組の録音を聴いていたら、細野晴臣がいま一番行きたいパラダイスはどこかと問われて、江戸時代だと言っていた。ちょっと意外だったけど、なるほどと納得した。
下に貼ったのは、鈴木春信の「風流四季歌仙 水無月」
こんな風景の片隅に、そっと入り込んでいきたい衝動にかられる。

Photo_2

港区や狭山のイメージが強い細野さんが、最近は下町をぶらぶら歩くのだという。

2017年12月29日 (金)

場所が縁側だからこそ、肩肘張らずに自然に始まる楽しげな合奏は、どんな曲が奏でられるんでしょう。

今年は振り返ると、いろんなコトがあったなあ。
去年の暮れに、父が他界して、バタバタとしているうちに、年が明けて。

2月の終わりに「懐かしき未來その2」が出て、下野新聞に載って、5月に那須のアースデイに店を出して、それだけでも一年分以上の仕事をしてしまった感じだ。

本の仕事が一段落したので、張り切ってDIY作業を始めたら、無理がたたって体調を崩してしまって、夏からは低空飛行のまま、年末を迎えてしまった。

前半の勢いからすると、冴えない一年だったようにも思えるけど、ここらで一度スローダウンするのもいいかもしれない。

すこしづつ肩から力が抜けて、還暦を期に心境の変化もあって、新しく生まれ変わる直前っていう半年間だったような気もする。

60過ぎたら好みのストライクゾーンが広くなって、今まで嫌いだったモノが好きになって。
その一方で、アクシデントがあって、あれほど好きだったお酒を止めることして、体が楽になった。

一年の最後に考えてみると、目下最大の関心は住まいだね。やっぱり。
住宅建築のことだけじゃなく、家族の問題、まちを住みこなすこと、職業と住まいの関係、ホームレスや貧困と居住権のこと、高齢者や障害者が暮らしやすい家、などなどテーマは無尽蔵にあって、いくら勉強しても、したりないほど。

その中でも、最大のテーマは縁側です。
自分は小さい頃、茨城県の生家で見たような縁側空間が欲しくて、那須の山小屋を作ったことに気がつきました。

そのことについては、追々ブログで取り上げて行きますが、まずは大好きな鈴木春信の錦絵から、こんな作品をひとつ紹介します。

Couple_playing_a_duet_on_koto_and_s

音楽で遊んでる感じが、いい雰囲気で、素敵だ。

場所が縁側だからこそ、肩肘張らずに自然に始まる楽しげな合奏は、どんな曲が奏でられるんでしょう。

今ならこんな感じかな。女性同士だけど、絢香と上原ひろみのコラボは、最近見た動画では出色の楽しさでした。

 

2017年12月24日 (日)

そこに立っていると、茨城の生家で、祖父や祖母が、ときには仲間達と語らう場として、ときには作業場として、縁側をあらゆる目的に活用していた50年前の日常の暮らしが、一瞬鮮やかに蘇った。

デザイナーの原研哉さんの名著に「美意識がつくる未来」というサブタイトルがついた『日本のデザイン』という本があって、震災直後の2011年10月に発行され、その内容に深く共感し、日本のモノづくりの方向性は、ここに書いてある通りに進んで行くのだろうと、希望を抱いた。

それから6年たって、世の中はどう変わったかと言えば、原さんの考えた方向とは真逆にひた走り続けて、大きなモノづくり会社では不祥事ばかりが目立ち、新幹線の安全神話も崩壊し、武器輸出で食べて行くような、がさつな国になりはてた。

ものづくりに必要な資源とはまさにこの「美意識」ではないかと僕は最近思いはじめている。これは決して比喩やたとえではない。ものの作り手にも、生み出されたモノを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続してゆくための不断の資源である。しかし一般的にはそう思われていない。資源といえば、まずは物質的な天然資源のことを指す。
(中略)
「中国、そしてインドの台頭はもはや前提として受け入れよう。アジアの時代なのだ。僕らは高度成長の頃より、いつしかGDPを誇りに思うようになっていたが、そろそろ、その呪縛から逃れる時が来たようだ。GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。
技術も生活も芸術も、その成長点の先端には、微細に打ち震えながら世界や未来を繊細に感知していく感受性が機能している。そこに目をこらすのだ。世界は美意識で競い合ってこそ豊かになる。

長くなったけど、序章からの引用がこの文章。

さらに、原さんが第3章「家」で書いている自分の身の丈にあった「住まいのかたち」と自分にとって一番大事な暮らしの「へそ」は何だろうって長い間、探してきたような気がする。
そして、最近これだという手応えを感じている。
僕にとって一番大事な暮らしの「へそ」は、おそらくきっと「縁側」だったということ。

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ウッドデッキが傷むので、仕方なく屋根を取り付けることにしたのだが、地元の棟梁川嶋満さんのお陰で、地域産品である八溝杉の美しい風格のある屋根がついて、この新しく生まれた空間が、自分がイメージしていた以上に深い意味を持ち始めたことに気づいた。
屋根が付いただけで、デッキの上が、ものすごく暖かい。これってあの幻になった俺の原風景縁側じゃねえか。

いつまでもここで日向ぼっこをしていたい。

そこに立っていると、茨城の生家で、祖父や祖母が、ときには仲間達と語らう場として、ときには作業場として、縁側をあらゆる目的に活用していた50年前の日常の暮らしが、一瞬鮮やかに蘇った。

ザ・キンクスの邦題が傑作だった名曲。
「日向ぼっこが俺の趣味」

 

2017年12月17日 (日)

特に沁みたのが「伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業」という部分。

音楽家の細野晴臣さんに、インタビューした「仕事力」という朝日新聞4週連載記事がすごく良くって、
長いけど、一部を紹介しちゃいます。

 それは言わば古典落語に似ている。伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業をやらないと、老若男女に喜んでもらえない。
(中略)
 僕は、今の時代がなかなか息苦しい要因として、「あなたはどう考えるか」「あなたは何を選ぶか」といった
自分の意思を絶え間なく問われる現状があると思う。
やりたい仕事は自分で決めようと言われるし、広告や雑誌などはターゲットをとことん細分化して自分に迫ってくる気がします。
いつも、どんな時でも、もっと言えば音楽の趣味も「あなたは何が好きか」と個人の答えを強いられていませんか。
 これでは、地域や家族といった社会的な価値観から切り離され、個人が点としか存在できなくなる。
それは豊かに生きるための財産を受け取らないいうことで、まさに、僕がオリジナル曲の創作にあえいでいた若い時に近い。でも気付けると思います。
既にある伝統って、みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたものだから、あらゆる英知が蓄えられていると。
それを学び把握してから、自分のありようを決めてもいいんじゃないですか。

1970年にオリジナルの日本語ロックを作った人が、とうとうこういう境地に達したのかと、とても興味深く読みました。
「ホソノバ」に始まる3枚のボーカルアルバムが、オリジナル曲は減って、細野さん楽してるんじゃないのかと思って、
最初は物足りなく感じたのに、聴けば行くほど、気に入ってしまい、帰りの電車の中で毎日聴くのが、最近の習慣になってます。
ただ、この記事を読むまでは、何でこころ惹かれるのか、分かりませんでした。

特に沁みたのが「伝統を生かしつつ「現代を」少し付け加えるという作業」という部分。
3.11以降、ぼくも同じ事を、それまで以上に強く意識するようになりました。
そして、音楽はもちろんのこと、あらゆる分野に通底する、大切なコトを、細野さんが教えてくれてます。
誰よりもオリジナルにトコトンこだわってきた人の言葉だから、つよい説得力があります。
これは当然、ぼくの主要な関心分野である住まいや町についても同じ事が言えるでしょう。
訳あって、長い年月かけて、住み手にとって、一番気持ちのいい日本の住居や町の形が、出来てきたわけですから。
そして、「懐かしき未來」という言葉にたくした、思いもまさにそれで。
何か、ひとつ、目から鱗が落ちたような、気がしています。

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2017年12月11日 (月)

縁側で、遊びに来た人からお金もらうわけいかないでしょう。

いま、那須高原の山小屋に縁側を作っている。

一般的にはテラスというべき、ウッドデッキに、まずは屋根を付ける。

それだけだと面白くないので、冬場は取り外しの出来る透明のポリカ平板の雨戸を付ける。
さらに、可動式の畳を敷いて、こたつを設置することも考えている。

屋内の読書空間と合わせて、この山小屋を『那須の縁側』と名付けることにしました。

ブックカフェにしようかとか、会員制のライブラリーにしようかとか、悶々としてたけど、そんな小金稼ぎやってるより、少しでもいろんな人が集まってくれる方が、たのしいので、『那須の縁側』として、来年オープンします。

縁側で、遊びに来た人からお金もらうわけいかないでしょう。
お茶とお茶菓子くらい出すので、まあ、ノンビリしていって下さいというポリシーで行きたいと思います。

ぼくの『那須の縁側』に近い感覚で、「住み開き」を実践している場所を取材してまとめたのがアサダワタルさんの『住み開き』。アサダワタルさんは、建築のプロだったりしないので、フラットな目線で空間を見ているから、読者もすうっと入ってゆけて、気持ちのいい本なのです。

むしろ、ぼくなんかアサダさんの言う「リノベーション馬鹿」なんだろうなあ。そもそも、山小屋をセルフビルドで作っているわけだし、まあそれも好きでやっている訳で、たった一度の人生なんだから、好きなこと、トコトンやって後悔しないようにしたいと。

まあ、人生の残り時間を計算しながら、そんなことを考えています。

最近、プチ・マイブームの尾崎亜美。デビュー曲の「瞑想」の時から知ってるのに、自分の同い年の大天才の存在に、最近やっと気がつきました。

年齢を感じさせない彼女の歌声に、魅了され、元気づけられ、いつまででも聴いていたい。

2017年11月18日 (土)

電子機器とちがって、絵本は大人が橋をかけてあげないと、子どもの中に入っていけない。だけど、というか、だからこそと言うべきか、自発的に絵本と子どもの間に「橋をかけること」、その行為がカギになる。「橋をかけること」が未来を開くと言うべきかな。

久しぶりに風邪をひいてしまったらしく、咳も鼻水も止まらない。
検温してないけど、熱も普段より高そうだ。
高血圧症になってから医者から絶対に風邪をひくなと、強く注意されていたので、この5年ほど風邪をひかないようにしていたから、何となく新鮮な気分。
体は少し重いけど、普段低体温で苦しんでいるので、意外と風邪も悪くなくて。
頭はいつもよりクリアで、ブログを書く気分になってるのも不思議だけど、面白い。

日頃、オーバーワークだから、神様が休めって、言ってるのかもな。
そんな感じで、今日はブログを書く気満々なのですが、
それもNHKのドラマ「この声をきみに」 が気に入ってしまったからかもしれません。
数学研究者が朗読教室に参加するという地味な設定が、興味津々です。

お陰でこのところ「絵本」と「朗読」がマイブームになりつつあります。

「紙の絵本を、自分で声に出して読む」

子どもでも、おしゃべりするスマホを操る時代に、なんと悠長なことを言ってるんだろうって、
自分でも感心するくらい、時代遅れなことに感動している。

「子どもに本を読んでやるとき、その声を通して、物語といっしょに、さまざまなよいものが、子どもの心に流れ込みます」
児童文学研究者松岡享子さんの『えほんのせかい こどものせかい』を読むと、スマホに育てられた子どもたちと、両親に読み聞かせされて育った子どもたちと、大人になって大きな差になって、現れてくるような予感がある。

電子機器とちがって、絵本は大人が橋をかけてあげないと、子どもの中に入っていけない。だけど、というか、だからこそと言うべきか、自発的に絵本と子どもの間に「橋をかけること」、その行為がカギになる。「橋をかけること」が未来を開くと言うべきかな。

茨木のりこの詩集なんて、仕事の帰り、疲れ切ってひとり夜道をトボトボ歩いている時、無性に音読したくなる。そんな時はスマホの出番。読書装置は、多種多様がいい。
そして、それだけで、自殺したくなるような辛い状況だって、乗り切れるような気がする。

11月10日の朝日新聞「天声人語」にこんな記事があった。

明治期の列車のなかは、けっこうにぎやかだったのかもしれない。人々が音読をする声で。汽車に乗れば必ず二人か三人の少年が「雑誌を手にして、物識(ものし)り貌(がお)に之(これ)を朗誦(ろうしょう)するを見る」。そんな記述が当時の教育雑誌にある▼列車だけでなく待合室でも。大人も子どもも。音読の光景は特異ログイン前の続きなことではなかったと、永嶺重敏著『雑誌と読者の近代』にある。

もしかすると、未来は音読の価値が見直されて、音読がもっと一般的になっているかもしれない。
ついつい、そんな夢をみてしまいます。

今日のBGMは、聴けば聴くほど好きになってきた矢野顕子と上原ひろみの共演アルバム『Get together』をダイジェストで。

«パソコンに向かう必要もなく、どこでも思いついたときにやれるから、そんな素朴な方法が 一番自分に合っていると思う。

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